「九条の会・わかやま」 100号を発行(2009年5月3日付)

 節目の100号が憲法記念日の5月3日付で発行されました。1面は、当会紙100号に!、二つの憲法のもとに生きて、会紙は元気の源、九条噺、2面は、紀州・九条せんべい誕生、NHK「今をどう生きる・“知の巨人”加藤周一が残した言葉」④(最終回) です。
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[本文から]

当会紙100号に!

 「九条の会・わかやま」の会紙は06年6月20日に第1号が発行されました。
 第1号は6月10日に東京で開催された「第1回『九条の会』全国交流集会」の様子を伝えています。また、当時の編集子は「わが国の身の回りはすでに戦争体制の状況です。それでも、わが国のメディアは(九条の会の活動などを)国民に伝えようとしません。メディアが沈黙するなら、私たちが伝えなければなりません。多くの人が、毎日どこかで声をあげています。特に、地方には届きにくい中央の集会や演説会での声と情勢を、『誰がどこで何を訴えているのか』を早く、多くの人に、また、『九条の会・わかやま』の呼びかけ人の個々の活動などを、『5・13平和のつどい』(澤地久枝さん講演会)で出来上がったネットワークを通じて伝えたい」と発刊の辞を述べています。
 以来、3年弱で100号に到達しました。

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寄稿 二つの憲法のもとに生きて
「九条の会・わかやま」100号発行を祝す
山口慶四郎さん(大阪外国語大学名誉教授)

 1889(明治22)年2月に大日本帝国憲法が勅令として公布され、同年11月29日、第1回帝国議会開会とともにそれが施行された。その第1条と第3条で「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」とされ、天皇主権、神勅主権を謳った。また、「天皇は陸海軍を統帥す」とし、統帥権が立法、行政、司法の三権を超越するものとし、これが十五年戦争に導き、日本国民を塗炭の苦しみに追いやり、アジア諸国民にも多大の苦難を与えたのである。
 私自身、この明治憲法下、学半ばにして戦争に駆り出され、戦後にかけて多くの困苦を味わせられた。1947年に和歌山に教員として赴任した時の初任給は1.5ドルに足らなかったのである。
 1946年11月3日には、大日本帝国憲法が解体、新しい日本国憲法が公布され、翌1947年5月3日に施行、国民主権に立脚する実際に生きた憲法として戦後日本の土台、機軸となったのである。中でも、その第9条で世界で初めてわが国は戦力を保持せず、国の交戦権を否定したのである。これにより男子は兵役の義務から解放されたのである。女子は初めて選挙権、被選挙権を手にしたのである。
 ところが、この4月2日に自民、民主、公明、国民新の各党の改憲派議員らでつくる新憲法制定議員同盟が国会内で定例会を開き、日本経団連の代表は、「改憲論議が停滞する中、9条以外から手をつけるという意見もあるが、北朝鮮の動きなど9条改定は待ったなしだ」と強調するなど、北朝鮮の「ロケット」発射問題を早速に悪用する動きを見せている。平和憲法を形骸化させるものとしてはソマリア沖への自衛艦の派遣もある。
 われわれは、こうした動きに徹底的に反対しなければならない。平和憲法は、幸いにして神勅憲法より長寿になった。この世界に誇ることの出来る平和憲法を守るため「九条の会・わかやま」を先頭に、県下各地、各職場、学校などで奮闘されていることに心から敬意を表する。
 また、憲法を守る県下の動きを克明に伝える「九条の会・わかやま」の会紙第100号の発刊に大きな、大きな拍手を送る。(元和歌山大学経済学部助教授)

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会紙は元気の源
弁護士・月山桂さん(当会呼びかけ人)

 もう100号ですか。よく頑張っていただきました。今後とも、よろしくお願いします。
 年を重ねると、日常の弁護士業務をこなすだけでも大変で、心掛けが良くないかもしれませんが、9条問題は、サブのこととなるのが実情です。「今問題になっている9条関係の新しい問題は何か」とか「9条関係で知っておかなければならない知識は、どの程度か」とか、すべて会紙「九条の会・わかやま」に依存しているのが実情です。事務所から帰ってブルーの会紙封筒が机の上に置かれているのを見ますと、ヤボな昼間の束縛から解き放たれ、気分一新、「そうだ、こちらも」と別のファイトが呼び起こされる気がします。楽しみにしています。元気の源にしています。

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【九条噺】

 元米海兵隊員アレン・ネルソン氏が亡くなった。61才。死因は、ベトナムからの帰還兵が多く発症する多発性骨髄腫。ベトナム戦争を体験したネルソン氏の話には説得力があり、貴重な「平和の語り部」だったと思う。ご冥福を祈りたい▼ネルソン氏はニューヨークの貧困地域で生まれ、喧嘩や暴力・犯罪の絶えない環境に育って海兵隊に志願。ベトナムでは命令されるまま疑問ももたずに残虐な殺りくに加わっていたのだという。しかし、ある村で、女性の股間から赤子が産み出されるところを見て驚き、女性が臍の緒を噛み切り、赤子を抱えて逃げ出すのを呆然と見逃した。その時、自分の母親や妹の姿が重なって見え、同時に〝人間〟という意識を取り戻して、それまでの自分のしてきたことがガラガラと崩れ落ちる気がしたのだという▼沖縄の基地に戻ってからも、除隊後もネルソン氏は深刻な心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ。やがて氏は病と闘いながら、各地へ講演に出向き、自らの体験を通して戦争の残忍さ・愚かさを語り、平和の尊さを訴え続けて、日本の憲法第九条こそ世界の希望だと強調した。講演は日本でも実に2千回に及ぶ▼「アメイジンググレイス!何と優しい響きだろう。私のような者さえ救われる・・・かつて私は見えなかったが、今は見える」氏も好んで歌ったこの曲、今宵は心して聴きたい。(佐)

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九条せんべい 誕生!

 「紀州・九条せんべい」が誕生しました。これは「紀州・九条せんべいの会」が、9条を守る活動の一環として「紀州・九条せんべい」を作り、普及・販売し、他の「九条の会」など、目的が一致する団体に、せんべいを提供し、運動の輪を広げようというものです。

 「紀州・九条せんべい」は、憲法9条の条文を12枚のせんべいに手焼きで焼き付けたもの。12枚のせんべいを順に並べると、9条が出来上がります。12枚を1袋にして350円で発売し、憲法に関係する集会や催しでの販売はもちろん、各団体での取り扱いや還元も予定されています。なお、「せんべいは12本の焼印を使用し、手焼きでつくるため大量生産はできません。あらかじめ、ご承知ください」とのことです。
 購入の申込みは、和歌山市教育会館(073・431・7317)、団体取扱いのご相談は、事務局長・中北幸次さん(090・8826・5664)まで。

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戦後世代は未来に対して責任がある
「今をどう生きる・〝知の巨人〟加藤周一が残した言葉」④

【NHKアーカイブス】 (ゲスト)作家・澤地久枝さん、政治学者・姜尚中さん

   3月21日、NHKアーカイブスで「今をどう生きる・ 知の巨人 加藤周一が残した言葉」が放送されました。前半部分について4回に分けてご紹介しています。今回は4回目で最終回です。(後半部分は本紙88号~91号をご参照ください)

戦後世代の戦争責任について

 戦後世代の戦争責任は直接にはないと思う。しかし、戦争をかつて生み出したような考え方や文化が今日も持続しておれば、それを持続させるか断絶させるかは戦後世代に責任があると思う。直接に戦争行為は知らなかった、今は戦争がなくなったから、過去の事実としての戦争に責任はない。戦争犯罪にも責任はない。しかし、戦争を生み出し、戦争犯罪の背景にある文化は持続し、その中で育っているのだから、その文化にどういう態度を取るかということに責任がある。ことに戦後は比較的自由で、建前としては、言論弾圧や情報管理がある訳でもない。望めば充分に状況を把握し、情報を収集することが出来るし、自分で考えることは出来る。戦争を生み出した文化を承認すれば、それは間接に戦争に対して責任があるということで、将来起こるであろう戦争に責任があるということになる。要するに、過去に対しては責任がないけれど、未来に対しては責任がある。

戦争に反対 原点は一人の命、言葉を伝える知識人の責任

(姜) 自分の友人が死んでも、面と向かってこの戦争に反対と言えない。ましてや、酩酊状態で太平洋戦争を絶賛するような知識人たちの言葉を聞きながら、自分は暗い気持ちでいなければならない、そういう時代に加藤さんのあるコアが出来上がったと思う。戦争に反対するということは大それたこと。おそらく若い人の間でも「戦争反対、平和が大切」と言い出すこと自体に非常に内側から何か抑制がかかる。「戦争に反対」は特別な人が言う言葉で、普通の人は言えない、或いは腰が引ける。たぶん最も自由で、言論が達成されていると言われる今の時代にそうなっているということが、加藤さんはものすごく歯がゆくて仕方がなかったのではないか。
(澤地) 20世紀、人間は戦争から得るものは何もないということを2つの大戦から体験しながら、今も何故食い止められないのか、これは加藤さんにとっても大きな痛みだろうと思う。加藤さんは若い人は戦争責任はない、しかし、これからの未来に対してあなたたちは責任があると言っている。この言葉の中に大変大きな思いが込められている。若い人たちはそれを考え、受け入れてくれないと、加藤さんの長い苦しい孤独な戦いは悲しいと思う。
 「社会全体が多かれ少なかれ戦争に関与するようになっていくと、必ず戦争は拡大する。ある程度広がってしまうと、それを止めることは出来ない。だから、九条の会をこうやっていくことに意味がある」と言われたことが大勢の聴衆を前にして発言された最後の言葉だ。
(姜) 今の日本の風潮は日本が好きか嫌いか、日本主義か否かで、その人が国を愛するか否かを分けてしまう。それは戦前、ゲップが出るほど加藤さんは見てきた。加藤さんは日本を愛するが故に日本主義にならなかったと思う。とにかく今言わなければいけないという秘めたものがあったと思う。(おわり)

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(2009年5月4日入力)
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