「九条の会・わかやま」 11号を発行(2006年11月10日) 11号は、1面に、「マスコミ関連九条の会」での澤地久枝さん講演「メディアにもの申す」と、改憲手続き法案の危険な内容についての三氏討論の紹介、「九条噺」。2面には、呼びかけ人で画僧の牧宥恵さん随想、連載第2回の早乙女勝元さん講演、「各地の動向 10月」です。 | |
マスコミに物申す
全国各地の熱い思いに触れて… 日本中に六千を超える九条の会ができています。憲法九条をゆずってしまったら、日本はとんでもないところに行くという危機感を持っている人がたくさんいるんです。今、自衛隊が集団的自衛権という名目でアメリカの雇い兵になろうとしている。 ◆報道されない事実からは何も起きない
戦争への道を歩き始めているだけでなく、生活が破壊されることに対し、いつの間に日本人は何も反応しない人間になってしまったのか。私が東京の商業マスコミの中にだけいたら、こういう無力感にとらわれると思う。でも、私は
「九条の会」で全国各地の熱い思いに触れているから、日本人は初めて市民運動の大きな一歩を踏み出したと実感できるんです。「憲法問題はもう終ってしまった」とか、「自衛隊を縮小させるなんて夢のような話」であるという考えに毒されているジャーナリストがおいでにならないでしょうか。報道されない「事実」は、なにも起きないのと同じであることを考えていただきたい。 ◆百いえなくとも一書ける
まだ遅くはないんです。人は変わることができる。アメリカとの条約も変えられる。私は日米安保条約は現状でいいのか、という論議もマスコミに取り組んでほしい。信じていることをちゃんとやらないで、どうして安らかに死んでいけますか。私は、憲法九条を守るために呼びかけることは、美しいことだと思っています。誰かが言った「美しい国」じゃないですよ。 改憲派がメディア占拠も 与党提案の国民投票法案の危険な中身を討論
なお、この日、ジヤーナリストの桂敬一氏、弁護士の坂本修氏、九条の会事務局の小森陽一氏が、与党と民主党が提案している「改憲手続き法案」の恐るべき中身について討論しました。
【九条噺】 安倍首相は10月30日「任期中に憲法改正を目指したい」と述べた。所信表明演説では議論を見守る考えを繰り返してきたにも拘らず、である▼自民党総裁の任期は最長で6年である。つまり6年以内に改正するというのである▼改憲理由は①現憲法は独立前に書かれた②時代にそぐわない条文があり、新しい価値も出てきた③自分たちの手で憲法を書くという精神が新しい時代を切り開く、とのことである▼①は「押し付け憲法論」である。憲法の制定過程でGHQが関与したのは事実である。関与したベアテ・シロタ・ゴードン氏は「日本の 憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法だから、押しつけという言葉を使えない」と言う▼②は「環境保全」や「プライバシー保護」などがないことを言っている。これらは中身が良ければ誰も反対しない。問題はこれらが「刺身のつま」になっていることである。新鮮な「つま」は美味しいが、「毒の入った 刺身」と一緒に食べる訳にはいかないのである▼③は「外国から来たものだから改正しなければならない」と言うのである。外国から来て日本の文化や生活を豊かにしたものは歴史的に見ても、漢字、陶磁器などをはじめ、枚挙にいと まがない。日本人はそれらを自分のものにした。だから、ほかの国からきた憲法であっても、それはいい憲法であればそれでいいのである。▼何時、誰が書いたかということを議論しても意味がない。いい憲法ならそれを守るべきなのである。(M)
【牧宥恵の 心の拠り所】 「九条の会・わかやま」呼びかけ人 京都で芸術堪能する
この夏、東京で評判をとり、京都で開催されている「プライスコレクション・若冲と江戸絵画」展(11月5日まで)を楽しみに、京都へ乗り込んでみたものの、何を勘違いしていたのか美術館を間違えてしまい、人けのない国立博物館の前でおかしいなあと思いながら国立近代美術館と聞いて「江戸時代の若冲は近代か?」と自分の間違いをそっちのけにして文句をつける悪い癖がつい出てしまうのだった。そういえば、この間まで東京出光美術館でやっていた「国宝・風神雷神図屏風―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造」を見に行った時も、エレベーター前から長蛇の列、会場入り口でも入場制限するほどの列。東京の人は他に遊びを知らないのか、と一人毒づいて列の中にいた。こうなったら意地でも見てやるぞと固い決意のもとに66年ぶりにそろう琳派を代表する画家三人の風神、雷神を目に焼き付けて帰ってきたばかりだ。
【連載2】早乙女勝元氏講演 「いのちと平和の尊さ」
②番目の話にすすみます。憲法9条がなかったあのころ、社会的弱者はどんなことを強いられたか。62年前の1944年(S19)は11月末、「鬼畜米兵・一億火の玉」という標語が街中に張られていた。いよいよB29による本土爆撃が開始されました。B29は大変優れた爆撃機で2300kmの航続距離があり、南太平洋のサイパン・テニアン・グアム3島から飛び立つ。私は12歳
でした。学徒勤労動員で神風と書いた鉢巻を巻いて鉄工場で働いていました。「神風になれ」教育勅語です。最近、教育勅語をある幼稚園で暗唱させているという記事を見たがとんでもないことだ。 「花があったら」 三月十日の東京大空襲から三日目か、四日目、私の脳裏に鮮明に残っている情景がある。永代橋から深川木場方面の死体片付け作業をしていた私は、一遺体ごとに手を合わせるものの、無数の遺体に慣れて、初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無残さにも、さして驚くこともなくなっていた。夕方近く、路地で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。頭髪と着物が焼けて火傷の傷があらわなことはいずれとも変りはなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体は、地面に顔をつけて、うずくまっていた。着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。その人は赤ちゃんを抱えていた。(中略)母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、爪は一つもない。(中略)もはやと覚悟して、指で固い土を掘り赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのだろう。赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。小さなかわいい両手が母の乳房をつかんでいた。だが、 赤ちゃんもすでに息をしていなかった。私の周囲にいた(中略)人もだれも無言であった。どの顔も涙でゆがんでいた。一人がそっと(中略)破裂した水道管からちょろちょろこぼれる水でタオルをぬらし、母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。若い顔がそこに現れた。煙に巻かれやけどを負いながら苦痛の表情ではない。美しい顔であった。何故だろう。誰かが言った。「花があったらなあ…」。辺りははるか彼方まで焼け野原だ。(つづく)
【各地の動向 10月】
■6 大阪憲法会議と共同センターがJR茨木駅前で宣伝行動。高校生7人が飛び入り。
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(2006年11月12日入力)
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