「九条の会・わかやま」 19号を発行(2007年1月1日)

 新年の19号です。1面は、憲法改悪に真っ向から立向かう映画「日本の青空」。大沢豊監督の思いとストーリーです。そして「九条噺」。2面は月山桂さんの「戦争とはかくも虚しきもの」連載第2回。大学を中退して応召せざるを得なかった、当時の状況を含めて具体的にふりかえっています。そして「九条の会憲法セミナー講演要旨B辻井喬さん」です。
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映画[日本の青空」 またひとつ良質の映画誕生
憲法改悪に真っ向から立向かう
   鈴木安蔵と平和憲法誕生の真実を追う若き女性記者

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     昨年暮れ、映画「日本の青空」製作委員会の方が来訪、この映画について協力要請がありましたが当会の関わり方は未定です。しかし、ぜひ見てほしい映画ですので監督・大沢豊氏の思いと、映画の内容について要旨を紹介します。
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演出に当たって  監督・大沢 豊

 一昨年、日本の知性と良心を代表する9人が「平和を求める世界の市民と手をつなぐために憲法9条を激動する世界に輝かせたい」と訴えました。
 そのアピールは、眠っていた私の脳ミソを揺さぶり、「九条の会」発足記念講演に私を駆り立てました。会場を埋め尽くした聴衆の前で、切々と9条の大切さを訴える9人の、その老いてなお闘志あふれる姿は私に大きな衝撃を与えました。
 振り返ってみれば、私のこれまでの作品群には広島と長崎の原爆、大阪の子どもたちの学童集団疎開、東京大空襲、そして地獄の沖縄戦というように、反戦平和を希求したものが多くあります。それらの作品は、私が少年期に体験した戦争の悲惨さ、飢えのつらさを二度と子どもたちにさせたくない、どんなことがあっても戦争してはいけない、そんな思いがあって一本一本の映画をつくり上げてきました。
 憲法9条を改悪して「戦争する国」に変えるなどもっての外、断じて許すことができない。その憲法改悪に真っ向から反対する映画が、今回の「日本の青空」です。私にとっては10年ぶりの反戦平和を希求する作品ですが、憲法という難しい素材をできる限り易しく、たくさんの人たちに興味をもって観ていただける映画にしなくてはならないと思っています。
 映画の成否の80%は脚本の良し悪しで決まると言われますがその脚本については、これまで皆様から寄せられたご意見を真摯に受けとめ、手を入れてもらいました。特に現代部分の若者に生命を吹き込み、生き生きとした若者像になったと思います。やはり映画ですから、涙も笑いも必要です。
 さて、出来上がった映画をどうやったら大勢の人たちに見てもらえるか、常に頭を悩ます課題です。特に、今回のように映画の効果を狙って、憲法改悪を阻止するという遠大な目標を達成するためには、少なくても200万〜300万人の人たちに見ていただかなくてはなりません。
 そのためには、従来の製作者、配給者というワクを取り払い、文字通り一丸となって普及活動に取り組む必要があります。
 「九条の会」のアピールの最後に「日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、今すぐ始めよう」と訴えています。その「一人ひとりができる、あらゆる努力」を映画の製作、配給・普及活動に傾注しようではありませんか。私も、全国行脚を厭わぬ覚悟で臨みます。

日本国憲法公布60年記念
 平和憲法誕生をめぐる真実のドラマ

 映画[日本の青空]は日本国憲法公布60周年の記念として製作されるもので、2006年秋から撮影がはじまっています。
 憲法学者の鈴木安蔵氏(1904〜1983、愛知・静岡・立正の各大学教授を務められたこともある)を中心に据えた映画でストーリーは、
 雑誌編集部に勤める沙也加(22)は、特集企画の「日本国憲法誕生の原点を問う!」で、名も知らぬ鈴木安蔵の取材を進めることになる。…戦後間もなく、安蔵を中心とした民間人による「憲法研究会」が作成した憲法草案が、実はJHQ案のお手本になっていたという事実…。安蔵の娘への取材に成功した沙也加は、託された安蔵の当時の日記を手がかりに、日本国憲法誕生をめぐる真実のドラマを明らかにしていく…。
(製作委員会のHPより)

    ■大沢 豊 監督プロフィール
    有限会社こぶしプロダクション代表。
    1935年11月、群馬県高崎市に生まれる。山本薩夫、勅使河原宏、黒澤明監督らの助監督を務め、1981年、後藤俊夫監督、神山征二郎監督とこぶしプロダクションを設立。以降、監督、プロデューサーとして活動。
    ■代表作品
    「ガキ大将行進曲」(1978)
    「GAMA―月桃の花」(1996)
    「アイ・ラブ・ユー」(1999)
    「アイ・ラヴ・フレンズ」(2001)
    「アイ・ラヴ・ピース」(2003) 他

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【九条噺】
 今回は井上ひさしさんのインタビュー記事からの抜粋です▼憲法が公布されて60年の節目の年に9条の改定を目指す政権が現れ、彼らは、北朝鮮によるミサイル発射や核実験強行という事態を前に、改憲を声高に叫んでいます▼国民の中には北朝鮮の問題はじめ、武器を持たずに平和を守れるのかという問いかけもあります。こういう動きや問いかけに答えていくのは、9条の言葉を信じている私たち自身の課題です▼例えば、意外に知られていませんが、知恵をつくした言葉による交渉で、地球の南半球全体がすでに「非核兵器地帯」となっているのです▼冷戦時代に米英仏など大国に水爆実験をやられてひどい目にあった南太平洋の小さな国の人たちが、これはもう核を追い出さなければということで、1985年にラロトンガ条約というのをつくり、南太平洋ではいっさい核を「使わせない、持たない、持ち込ませない」ということになりました▼それ以前の67年にラテンアメリカではトラテロルコ条約が結ばれて非核地帯になっています。冷戦後も東南アジアでバンコク条約、アフリカではペリングパ条約がそれぞれ95年に採択されました。こうしていまや南極(南極条約、59年)を含む南半球全体が非核兵器地帯になっています。▼地球の半分以上の地域で、互いに違うことばを話す人たちの間でさえ、言葉と知恵の力でここまで来ているのです。武器を持たず言葉の力で平和を実現するという理想にとって、大きな光明があります▼私たちはペンクラブの声明で、北朝鮮の核実験強行に強く抗議し、核兵器廃絶へ向かう世界の流れを確認しつつ、核開発の中止を求めました。 (つづく ますます佳境に)

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「次世代に伝えたい」 月山桂氏の戦争体験
戦争とはかくも虚しきもの [2]

 学徒出陣 @

 それは私にとって、1943年(昭和18年)10月21日、学友たちとともに、雨の降りしきる明治神宮外苑競技場で東条英機首相らの前で行進し、戦争にかり出されて行った日に象徴される。正確に言えば、大東亜戦争貫徹という国家目的遂行のため、中央大学中退を余儀なくされ、その年の12月1日早朝、歓呼の声に送られて和歌山市砂山のわが家を出る。大阪・堺市金岡の陸軍輜重隊(しじゅうたい=通称・中部第34部隊)に応召入営したことをいう。
 当時を振り返ると、1937年(昭和12年)に日中戦争が始まり、翌年には国民の自由や権利を法律によらず、勅令で自由に制限することができる「国民総動員法」が成立。国民生活はネオンやパーマは廃止され、国民を軍需工場に動員することができる「国民徴用令」が出された。そして1940年(昭和15年)には砂糖やマッチも切符制になり、農家の米は供出制度(強制買い上げ制)となった。さらに隣組制度が始まり国民服が制定され、政治的には国会議員の大政翼賛会が組織され、政治活動の自由が封殺されるに至った。次いで1941年(昭和16年)には米の配給(通帳)制度が導入され、その年の終わり頃からは米の遅配・欠配が始まる。ガソリンも民間での使用は困難となり、バス・トラックはガソリン車から木炭車に替わっていった。そしてモンペは大人子どもを問わず、すべての女子の普段着となる。
 一方、戦火は中国大陸全土に拡大し1941年(昭和16年)には、陸軍がフランス領インドシナ(現ベトナム)に進駐。日米交渉は行き詰まり、対英米蘭の戦争準備は9月に完成したとし、ついに同年12月8日、真珠湾を奇襲。太平洋戦争に突入するに至った。開戦当初、ハワイその他で大戦果を上げたものの翌42年(昭和17年)4月18日には、本土が艦載機による初空襲を受け4月から6月のミッドウエー海戦で、海軍が早くも壊滅的な大敗を喫し南方への補給路が絶たれた。12月にはガダルカナルからの撤退を余儀なくされ、翌43年(昭和18年)5月にはアリューシャンで全軍玉砕を遂げるという状態となる。
 このような戦争の経過の中で、中学生は1938年(昭和15年)頃から集団勤労作業が義務化され、40年(昭和15年)からは年間30日の学徒勤労動員が行なわれるようになるとともに、大学・専門学校の修業年限がその年中に3ヶ月短縮され、さらに次年度から6ヶ月短縮されることになる。すなわち3月卒業が前の年の9月卒業という事態になった。そして1943年(昭和18年)、学徒の勤労動員は年間120日(3ヶ月)になるとともに、同年10月、学徒出陣という事態に至った。 (次号につづく)

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【「九条の会」憲法セミナー・講演発言要旨・3】
  愛国心 かつては悪い人が運用した
伝統も運用次第で想像の源
  マスコミ九条の会・呼びかけ人  辻井 喬 (文芸家協会理事)

 護憲派は圧倒的多数

 いま政治とか経済の世界にいる指導者はどう考えてもおかしい。今度の国会でも強引に教育基本法改正を成立させようとしていますが、いままでの基本法を読んでみても、一つも変なことは書いていない。どうして改正しなければならないのか。たしかに日本の社会にはかなり退廃、堕落してきている兆候がみられます。たとえば、基本法について国民の意見を聞こうという場で政府が事前に話をして、政府案に賛成の発言をしろという。こういう人を教育しなおさなければなりません。首相は5年で憲法を変えるといいますが、私は無理だと思います。でも、もし教育基本法を変えたら、20年くらいして「愛国心」や「日の丸・君が代」の強制で教育され、主体性をなくした大人が育つ。そこで、国民投票法で投票をさせれば、改憲は完成するかもしれないと、彼らは計算をしているのではないか。彼らは長期戦です。私たちも長期戦で取り組まないといけません。情勢はきびしい。でも決して悲観していないんです。「九条の会」も全国でたいへんな勢いで増えています。可能性はまだまだ残されています。昔のような日本にすることが可能だと思っている政治家は、狂信的で国粋的で排外的な日本ができると思っているようですが、それがいかに幻かはっきりさせなければいけない。世の中は世界的規模で変わってきている。国民投票法案も共謀罪もすべて噴飯ものの極悪の法律です。なかには、日本は唯一の被爆国なのに、核保有を論議すべきであるなどという愚かなことをいう人がいる。おそらく彼らは高校で世界史を勉強しなかったのではないでしょうか。憲法もよく説明すれば本当は圧倒的多数が護憲派です。われわれはメディアのハカリにのせられていないでしょうか。「大きな政府か小さな政府か」。「社会主義化自由主義か」こういった二項対立は一種の脅迫です。これに惑わされてはいけないと思います。憲法を守っていく良識の側も、タブーをなくしていかなければならない。たとえば「ナショナリズム」といっても、排外的狂信的なナショナリズムだけではなく、平和的なクリエイティブなそれもある。新しい、いい「共同体」をどうやってつくったらいいかという議論もあります。
 日本の伝統についても、悪い人が悪用したからいけないのでありまして、いい人が善用すれば伝統ぐらい創造の源になるものはないのです。

 将来は若者に託す

 将来は若者に託するしかありません。若者に潜んでいる可能性を少しでも見つけて、対話を深めていくことがいま求められていると思います。  (このコーナーは完結)

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(2007年1月2日入力)
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