「九条の会・わかやま」 3号を発行(2006年8月10日)

 今号の、呼びかけ人レポートは牧宥恵さん。一面は大久保立命館教授です。
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[本文から]

軍事力による「国家の安全保障」より
一人ひとりの「人間の安全保障」を

世界が求める「平和の中で生きたい」
「人間の安全保障」は平和的生存権(九条)の具体化

立命館大学教授・大久保史郎

 今日、憲法改正についての議論が喧しくなっています。今後の日本の将来をどうしていくのかが問われています。
 私は、憲法改正を唱える方々には、日本をどこに導こうとしているのか、これを明確にして議論していただきたいと思っています。というのは、自民党は昨年新憲法草案を公表しましたが、そこには、現状に都合が悪い、現状にあわ せる主張だけがあって、将来の日本のあるべき姿、構想がないからです。
 これに対して、現行の日本国憲法は、前文で、日本の過去・現在・未来を明確に語っています。明治以降の日本は戦争に継ぐ戦争の時代であったことを明確にし、戦争のない日本にするための希望を示しています。つまり、戦前の天皇主権をやめて国民主権とし、民主主義の国家・社会にして、そして、国際的な協調の中で平和を求めることにしたのです。過去をふまえて、未来を構想し、現在をどう生きるかを示しました。
 ところが、自民党の新憲法草案は、この日本国憲法の根幹の考え方を否定し、「現状」に合わせるだけです。その「現状」とは、国と国は、所詮、経済、政治、そして軍事であい争い、それを凌いでいく以外にはないのだと認識されています。結局、それは力ずくの抗争―戦争への道ということになります。
 今日の日本社会の過去と現状を分析するとしたら、その出発点をどこか。それは第二次世界大戦直後ということになると思います。第二次世界大戦直後、日本の求めたものが前文にある「恐怖と欠乏からの自由」―「free from fear and want」でした。これは日本だけではなく、世界が求めるものでした。「free from fear」は戦争やファシズムなどの恐怖をなくすことです。「free from want」はいわば貧困を克服するということです。この言葉は、チャーチルとルーズベルトによって一九四一年の大西洋憲章に盛り込まれ、ここで、ファシズム・軍国主義とたたかう民主主義勢力はこの考え方で団結しようと呼びかけたのです。米英はこれによって世界の支持をえました。
 戦後も、この考え方が国際連合の結成の基本になりました。当時、日本を占領統治した連合国最高司令部GHQの人たちの間では、この「free from fear and want」が常識になっていて、当然のごとく、日本国憲法の原案に盛り込んだのです。この考え方が、戦後日本において、九条の基礎にある平和的生存権の思想として確立したのです。
 戦後の日本社会は、保守の考え方の人たちも含めて、この平和的生存権の思想を重視してきました。今日、私たちは、この思想を守るのか、ひっくりかえすのかという岐路に立っているのだと思います。

 人間の安全を広く積極的に守る

 この 「恐怖と欠乏からの自由」の考え方を現在の社会に具体化するものが「人間の安全保障」です。「国家の安全保障」ではなく、一人ひとりの「人間の安全保障」という考え方は、一九九四年に国連の国連開発計画(UNDP)の提 唱に始まります。当初、この考え方はあまり広がりませんでしたが、一九九〇年代の終わりごろから、二十一世紀を展望する考え方と位置付けられるようになりました。二〇〇〇年のミレニアム(新世紀)宣言では、その原点として、 国連創設期の「恐怖と欠乏からの自由」が指摘されています。「人間の安全保障」は、人間の経済的な生活、食料、医療、環境、犯罪・暴力からの保護、地域社会の安全、政治的自由などの人権保障など、「人間」の「安全」を広く積 極的に守るもので、そのためのいろいろな努力が進められています。
 「人間の安全保障」という考え方は、包括的な観念ですから、時には悪用され、西欧諸国による発展途上国に対する「人道的介入」を軍事的に進める論拠にもされるのですが、今日の世界の大きな動きとしては、世界各地の貧困の解 決をはかるための「人間の安全保障」のとりくみが重要になっていることです。いま、発展途上国の貧困な人々からみれば、富める国、とりわけアメリカに対する憎悪が強くなり、「テロ」がおきる状況があります。アメリカはこれに 軍事的な攻撃をするだけで、間題の根本「恐怖と欠乏からの自由」をどのように実現するかの立場に立っていません。むしろ、イラク戦争のように、事態を悪化させています。日本政府は、「人間の安全保障」を外交政策のひとつに位置づけているのですが、その一方で、アメリカに深く追随しており、国内外から、日本の基本政策と理解されるにはほど遠い現状です。

 伝えないメディア

 いま、アメリカは 「9・11ショック」 の中で極端な軍事国家になり、イスラム社会を敵だととらえて、軍事力で倒そうと躍起になっています。
 ここ5年のアメリカの変わりようは凄まじいものです。アメリカは、すでに、第二次世界大戦後のような自由・民主主義の輝きを失いました。
 世界全体がアメリカはおかしい、とんでもないと考えています。日本では、この世界の動きが伝わっていません。
 南アメリカの国々がこぞってアメリカに抵抗するようになり、イスラムの人々の抵抗も激しくなっています。アジアでも、ヨーロッパでもそうです。これに対して、日本はアメリカと同じ道を行くしかないという雰囲気に陥っています。最近のマスメディアが流す情報にはひどい偏りがあり、多くの人たちがそれを信じ込まされる状況にあります。
 世界各地では、紛争の軍事的な解決ではなく、その原因―根本に取り組む貧困の解決など、「人間の安全保障」のための努力が行われています。そこに目を向けていかなければならないのです。
 ぜひとも多くの方々に世界の大きな動きの中で日本の将来を考え、また様々な情報について注意深く考えていっていただきたいと思っています。
 (法学館・今週の一言より転載)

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牧宥恵さん(画僧)「九条の会・わかやま」呼びかけ人
軽妙・重厚に憲法9条を語る  リポート 花田惠子

 去る6月24日と25日に紀州・根来の里で仏画を描いておられる牧宥恵さんの三味画展とお話の会が「9条ネットわかやま」により開催されました。テーマは『三味画・その心をほぐす秘密。そして9条』。両日とも県内各地から宥恵ファンを自任する老若男女や、「三昧画」と「憲法9条」をセットで語られるということに興味を抱いた好奇心旺盛な方々、そしてもちろん平和間題を真摯に考えている方々が多数来場されました。三昧画のゆったり、ほっこりとした観音様に癒され、それぞれの画に添えられた一言、一言に深く頷く人や、宥恵さんの優しい、まあるいお顔に 「まるで、画の中の仏様と一緒のお顔だわ」と感激し、握手を求める人など、場内は終始あたたかい雰囲気に充ち、特に二四日・夜のお話の会場は満席となり熱気に包まれました。先ずは宥恵さんの軽妙な語り口で、若き日の印度への旅から今日に至るまでが聴衆の爆笑を誘いつつ語られ、いよいよ佳境に入ったと思われるや、日頃の、シャイな宥恵さんからは想像できないほど、彼の精神構造、「核」と呼ぶべきかもしれないとても硬質な部分での9条についての「宥恵さん」の想いが誇られました。
「この国は一体どこに向かって舵をきっているのだろう…」「仏教の教えでは、殺生をしてはいけないということは最も大切な事。生命は繋がっているのだという観点からも、自分の生命は誰にも奪われたくはない、まして他人の生命を奪うなど…。」
最後に、加川良さんの反戦歌のビデオ映像が流され、胸に熱いものがこみあげる中での閉会となりました。拍手、拍手
      (九条ネット・花田)

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私たちの志を引き継ぐ人を育てよう
  澤地久枝さん 母親大会で記念講演

 「二度と戦争はあってはならない。しっかり九条を守りましょう」七月二三日、第五二回日本母親大会が長野市・エムウエーブで開かれ、作家で「九条の会」のよぴかけ人、澤地久枝さんが「地球の母であること」と題して記念講演しました。二四歳のときに第一回母親大会(一九五五年)に出席した体験を語り、「『こんなつらい苦しい体験は、わが子にも孫にもさせたくない。二度と戦争はあってはならない』との、血をはくような母親たちの叫びを聞いた」と語りました。
 澤地さんは、憲法や教育基本法が危機にさらされている現状を話し、政府や小泉首相を批判。「九条は譲れないという、たくさんの人がいます。こういう人と手をつなぎ、次の首相にレッドカードを出そうじゃありませんか。この母親大会がより広がり、私たちの志や思いを引き継いでくれる人たちを育てていくことを願っています」とのべると、拍手は長く続きました。

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[映画紹介] 蟻の兵隊  監督 池谷薫

戦争は、終わっても無数の深い傷を残します。15年戦争も、私たちの知らないことは多い。この映画は「棄てられた兵隊」を描いたドキュメントです。ポツダム宣言に従って武装解除されることなく、また、平和憲法を享受することなく、中国との戦争が終わってから4年間も、中国の山西省に残り戦争を続けた残留兵2600名。蟻のようにただ黙々と戦って550余名が戦死。
生き残りは捕虜になり、戦後9年たってから帰国。彼らは命令に従って.共産党軍と戦わされていた。残留兵たちは、日本軍の司令官と中国国民党軍の間の密約で残留させられたと訴えました。しかし日本政府は「彼らは逃亡兵であり、自らの意思で残り、勝手に戦った」として黙殺し、軍人恩給を支給しません。彼らはこれを不服として国を相手に提訴。映画に登場する奥村和一さん(81歳)も原告の1人。終戦間近の昭和2O年、奥村さんは「初年兵教育」の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられる。自らも体内に無数の砲弾の破片を抱える。束京高裁では敗訴、最高裁に上告。未だに恩給さえ支払わないことは、国や裁判所がやっているのではなく、私たち自身がやっていることではないか、という自責の念を強くする映画です。
ぜひ観てほしい映画です。

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【9条噺】 呼びかけ人 藤藪庸一さんの活動

 「九条の会・わかやま」の呼びかけ人、藤薮庸一さん(白浜在住)の活動が、毎日新聞地方版トップで紹介されています。
藤藪庸一さんは白浜バプテスト教会の牧師ですが、NPO法人「白浜レスキューネットワーク」の代表でもあり、前任牧師の意思を継いで自殺防止活動に打ち込んでいます。白浜には自殺者が絶えない三段壁があります。藤藪さんは三段壁の崖っぷちに教会の電話番号を書いた看板を立て、電話が鳴れば深夜でも駆けつけて説得に当たっています。その藤藪さんがこれまでの活動の経験から、自殺を選ぶ背景には、子どものころに教育の機会に恵まれなかったことや、社会性を身につけることができなかったことなどがあるのではないかとの思いを募らせて、「自殺防止には、子どもの時から自立に必要な学力、意思、協調性などを培うことが大事」だと、県の支援も取り付けて七月に自殺予防プログラム として「生活体験型・学習支援塾」を立ち上げたというニュースです。

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(2006年8月12日入力)
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