「九条の会・わかやま」 4号を発行(2006年8月25日) 今号の、1面は第2回「憲法フォークジャンボリー」。2面は、呼びかけ人紹介に藤藪庸一さんが登場、そして牧宥恵さんの随想、編集子の取材で「平和と憲法を守りたい市民の声」の終戦記念日の取り組みです。 | |
町内会の集会所で、憲法九条を語り合おう
今年もユニークに、第2回「憲法フォークジャンボリー」
突然ですが、蓮根の穴って、ふつう何個空いているか、ご存知ですか。通常は9個
です。8個とか10個以上のものもたまにありますが。 多様な切り口で同じ思いを広げる
茨城県では、町内の集会所で「若船町憲法フォーク・ジャンボリー」と町内版で取
り組まれました。考えてみたいのは、よく市民ホールなどで何百人、千人単位の学習会
や講演会を催すと、だいたい「憲法を守ろう」という思いの人が周辺市町村から集まっ
てきますが、町内の集会所が会場になると数十人単位で「憲法九条って中味は何だ?」
という人も近所のよしみでやってきます。当然町内ですからみんな歩いて来れます。区長さんにあいさつしてもらって、歌をとおして九条のことを考えるきっかけをつくることができるんです。これからのたたかい方として、この取り組み方は、重要なポイン卜になると思います。 全国に「九条の歌」創作を呼びかけ みんなで作曲 今年の「06年フォーク・ジャンポリー」は、8月18(金)、19日(土)の 2日間、上野の水上音楽堂で行われます。今回は全国のフォークグループが地域で新たに「九条への思い」を歌にして、持ち寄って参加することを条件に準備を進めています。同時に「蓮根の会」では、全国に「九条のうた」の創作を呼びかけています。「九条への思い」の詩を募集し、入選した詩にみんなで曲をつけ、入選曲を今年のジャンボ リー会場で発表します。今年は「伝えよう!この憲法を」「丸腰でいこうぜ」「グッド モーニング」「地球のみんなに」という歌が全国に発信されます。初演となるジャンボリーのステージは必見です。憲法フォーク・ジャンボリーのテーマソングにもなってい る「ピース・ナイン」が今、全国でじわじわと浸透しています。この歌には、振り付け もあってみんなで歌って踊るとホン卜に平和な気分になれます。今年の一月にはレコー ディングコンサートが開かれCD「ピース・ナイン 憲法九条と生きる人々の歌」が発 表され好評発売中です。ぜひ一度聞いてみてください。
九条守るためには 固い決意と覚悟がいるかも
白浜レスキューネットワーク代表 「九条の会・わかやま」呼びかけ人 藤藪庸一(教会牧師)
一九四五年八月六日。広島に原爆が投下され、世界で初めて核兵器が使用された日です。私は戦争を知らない世代です。戦争がどういうものか、ドキュメント番組や本で知るしかありません。しかし、実は八月六日は私の誕生日なのです。私は小さい頃から誕生日の朝には必ず黙祷していました。私は広島を忘れたことがありません。おかしく聞こえるかもしれませんが本当です。毎年、誕生日の朝、平和を願う思いを心に留めてきました。誕生日の朝、新鮮な新しい気持ちで起きて、テレビをつければ広島。原爆が投下きれた時刻には必ず町内放送で黙祷が呼びかけちれる。六日は、日本中、いや世界中で、一日中広島の話題が絶えません。そんな日に私は生まれました。だから、自然に、ごく当たり前のように、平和を願い平和を求め続ける者になりたいと思ってきました。 いま、声を出さねば声の出せないときがきっと来る そんな私は今、キリスト教会の牧師をしています。第二世界大戦の時に、多くの牧師が天皇を神と認めず獄中で殉教しました。また、多くの牧師が迫害の恐怖と戦いました。同時に、国家や権力者の前に屈してしまった牧師が多くいたことも否めません。恐怖や痛みに耐えかねて信じた道をまっすぐに進めなくなってしまった人もいました。私はその歴史を振り返る時、自分自身に任されている責任の重さを感じます。もし、私が当時の牧師だったら。もし、目の前でわが子にまで迫害の手が迫ったら…。私はそれでも平和のためにたたかうことができるだろうか。武力に拠らず、権力に拠らず、能力に拠らず、立ち向かえるだろうか。私たちの九条を守ろうという活動には、固い決意と覚悟が求められる時がくるのではないでしょうか。いや、そんな時が来ないように今、声を上げ続けなければならないのかもしれません。「今、声を上げなければ、声を発するこ とのできない時が来る」ある戦争体験者の確信は、私の心にずっと突き刺さったままです。
不思議な試合だった
多くの災害ををもたらした長い梅雨が明けたと思ったら、もう高校野球が始まって暑い夏が入道雲と一緒にやって来た。今年の長梅雨は僕の仕事のペースをも狂わせ、いつもは終わっている来年のカレンダーの原画描きが、七月の終わりまでかかってしまった。この時期はここ根来も「行」の夏でもあり、僕の京都の本山の修行僧たちも精進潔斎(しょうじんけっさい)で挑んでいるはずで、九月中旬まで、暑さと自身との闘いでもある。闘いと言えば、ここにきての亀田現象である。亀田親子の言動に眉をひそめる人もあれば、その反対もあるのだろうと、一歩距離を置いて見てきたのだが、ボクシング好きの僕も世界戦(八月二日・横浜アリーナ)はある意味楽しみにしていた。結果はもう出ているので仕方がないところだが、明らかに減量からくるパンチの軽さと、初の世界
戦との緊張で普通の精神状態ではないのは素人目にも不安を抱かせた。案の上、一回終了間際に相手の右フックを浴びてのダウンを喫した。全ラウンドを通しても減量苦からくる亀田興毅の精彩の無さは、これまでのビッグマウスと対照的だった。対戦相手のランダエダのボクシングのうまさにやられているという印象しか残らない不思議な試合だった。試合のあと、僕なりに今回の亀田現象を三つのことで考えてみた。
終戦記念日
61回目の終戦記念日。各地でいろいろ催しがありました。
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(2006年8月29日入力)
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