「九条の会・わかやま」 41号を発行(2007年7月27日付)

 41号が7月27日付で発行されました。1面は、60歳の憲法と私・土井たか子さん(社民党名誉党首)、県民大署名駅前行動、龍神の会第3回総会、九条噺、2面は、楠本熊一さん(当会よびかけ人・和歌山県立医大名誉教授)の「異見」②、事務局南本勲さんの「ストップ集団的自衛権行使容認」①です。
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[本文から]

60歳の憲法と私  土井たか子さん(元衆議院議員・社民党名誉党首)
「不断の努力」 9条支持される今こそ

 「憲法は日本さえ平和であればいいという一国平和主義じゃないか」とよく言われる。前文の読み方が悪いか、読みが足りないのである。われらは全世界の国民が平和のうちに生存する権利を確認する、と書いてある。憲法が施行された時、世界の新たな歴史への扉が開いたと国際的に評価されたのだ。
 私はよく「憲法に指一本触れてはいけない」と主張するガチガチの護憲派だと誤解される。しかし、現憲法は改正手続きを認めている。ただ私は、例えば地方自治の保障を今以上に打ち出すといった方向に変えようとするなら、現憲法をまず尊重して生かしていくことが先決ではないかと思うのだ。
 重要なのは憲法の「改悪」は認められないということだ。憲法の3大原理は言うまでもなく平和主義、国民主権、基本的人権の尊重。前文はこれらに反する一切の憲法を排除すると宣言していることを忘れてはならない。
 憲法は権力にしばりをかけるためにあるという基本認識に照らせば、権力者にとって都合のいい変え方は国民にとって間違いなく改悪なのだ。
 イラク戦争で日本は特措法までつくって自衛隊を派遣したが、その後、開戦時の理由だった大量破壊兵器もなかったことが明らかになった。米国も過ちを認めているのに、日本の首相は一言も言わない。
 世論調査を見ても、最近は、9条を変えては良くないと思い直す人がますます増えてきたのではないか。9条を平和の原理として支持する人びとは世界中で増えている。
 3月に亡くなられた城山三郎さんは「戦争であれほど犠牲を払って得たものは憲法だけだ」とおっしゃっていた。何もしないで平和は訪れない。憲法が国民に求めているように、一人一人の不断の努力が今こそ求められている。
 (6月18日付朝日新聞より)

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県民大署名 駅前行動
憲法9条を守ろう 署名呼びかける

 「9条ネットわかやま」「憲法九条を守るわかやま県民の会」のメンバーら約50人が7月7日、JR和歌山駅前で改憲に反対する署名を呼びかけました。憲法9条の条文と「守ろう憲法9条 今できることから始めましょう!」と書かれたビラ約1千枚を配りました。最後の方で少しパラパ ラと小雨が降り出したものの、何とか無事街頭署名を行うことができました。合計212筆の署名が集りました。次回は9月9日の予定です。

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「輝け9条龍神の会」が第3回総会

 梅雨の晴れ間で、山間の龍神でも蒸し暑い6月30日。「輝け9条龍神の会」第3回総会を開きました。28名の参加でした。
 最初、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の由良登信先生に「平和憲法をまもりぬくために!」という演題で、『憲法とは、改憲勢力の本当のねらい、色々な考え方に対してどう答えるか』など盛りだくさんな内容をわかりやすく語っていただきました。
 その後、総会では、昨年7月以降の活動のまとめと今年度の方針を決定しました。
 120名の賛同人の方のエネルギーをくみつくし、龍神の中に9条の風を吹かせるため、ポスターを貼りめぐらすこと、 「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の署名を広げること、会員を増やすこと、学習会を開くことなど、あと一歩を踏み出した活動をしようと話し合いました。
 由良先生の言われた「主権者としての責任感を持って」村民の過半数の人たちに、9条の心を伝えていかなくてはと思いました。
    (「輝け9条龍神の会」赤石克子さんより)

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【九条噺】
 哲学者梅原猛氏が自ら初代所長を務めた「国際日本文化研究センター」の創立20周年記念の講演をおこなった(朝日新聞6月2日付)。梅原氏は講演で「今はナショナリズムの危険がある」「それは『戦前のナショナリズム』『小さい日本のナショナリズム』だ」「日本文化は本来、好戦的でなく、平和的なものだ。これから世界が必要としている、この普遍的な思想を世界に広めていくことこそ課題だ。明治以後の戦争中、はやったナショナリズムはまずいといわなきゃならない」と力説したという。この梅原氏の主張は重く、深い▼「これから世界が必要としている、この普遍的な思想」こそまさに憲法九条の指し示す方向であり、今や「靖国派」ともいうべき偏狭な人々に占拠された感のある安倍政権に対する警鐘だとも理解できる▼その安倍政権はといえば、「ナントカ還元水」「宙に浮いた年金」などと国民を愚弄し続けながら「強行採決」の連続技。内閣支持率の低下も当然だが、「右傾化」への波は止まらない。遂に、戦前の「特高」「憲兵」を彷彿とさせる陸上自衛隊情報保全隊による許しがたい国民監視活動も明るみに出た▼中国や「北朝鮮」を叩いて、「戦前のナショナリズム」を煽ることで怒りや不満をかわすという「得意技」も益々露骨に・・・。      (佐)

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憲法九条についての私の「異見」
  「九条の会・わかやま」呼びかけ人・楠本熊一(和歌山県立医科大学名誉教授)

②侵略に備え、ある程度の武力は必要。それは憲法を改正しなくてもできる

 今、憲法改正反対を言う人の多くは、戦争の悲惨さ、無意味さのみを強調して、侵略された場合の、無抵抗主義者の悲惨さ、惨めさ、或いは種族が滅亡させられるかも知れないと言う危機感について、語らないのは、侵略される戦争なるものを想像することさえ出来ないからであろう。沖縄の悲劇を自分の悲劇として認識できないからであろう。無抵抗者を己等と価値観、慣習が違うからと言って虐めるのはいま、小中学校で行われているではないか。軍隊を持たない国が何処からも侵略されないと言う保証はあるのか。あの南米のインカ帝国が戦争したから滅ぼされたのではないことを歴史が明らかにしている。北米の原住民(アメリカインデアン)が戦争をしたから、白人に土地を奪われたのではないことも、歴史が明らかにしている。中でも北米のモヒカン族が北米東海岸にたどり着いた白人によって無惨にも滅亡させられたのである。それも、西部開拓者の英雄的行為として。私は国の安全と郷土の平穏を他の国に任せている国は日本以外には何処にもないと思っている。その意味では、日本は完全な独立国ではない。残念ながら昔からあった貢ぎ物を差し上げる属国と言う制度に近い関係に今の日本とアメリカとの関係があるのではないかと思う。それでも私は仕方がないと今は思っている。戦争に負けてから60年以上も経っているのではあるが。
 しかし、それは恥ずかしいことだ思う人のために私見を述べよう。私は日本の国を守る(郷土としての日本列島を護ることではありません)のは現行の自衛隊に任せて自分達の郷土を守る自衛組織を早急に組織すれば、侵略者の侵入を思いとどまらせることは可能であると思う。これは憲法を改正しなくても出来ることである。(つづく、見出し編集部)

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ストップ「集団的自衛権行使容認」①
 「九条の会・わかやま」事務局・南本勲

 安倍首相の「集団的自衛権懇談会」が5月18日に始まった。「行使容認論者」ばかりで固め、「始めから結論ありきの出来レース」と揶揄されている。自衛隊をイラクに海外派兵した小泉前首相ですら容認を口にしなかった「集団的自衛権」である。「集団的自衛権行使」を阻止するため、その問題を検証したい。

「集団的自衛権」とは何か
個別的自衛権といえども、その行使には条件がある

 自衛権とは、国際法上、国家が自国または自国民に対する急迫不正の侵害を除去するため、やむを得ず行う防衛の権利である。自国を防衛する権利を個別的自衛権という。しかし、個別的自衛権の発動といえども、それが正当化されるのは、①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)の3要件が満たされなければならない。また、自衛権発動の是認は国連憲章51条が「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」と規定しており、例え自衛のためでも「先制攻撃」は認められないと解さなければならない。

集団的自衛権とは「他衛権」であり、海外で戦争することである

 他方、集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある他国に対して第三者による武力攻撃があった場合、自国が攻撃されていなくても、第三者による武力攻撃を実力で阻止する権利」と定義される。本来的な自衛権ではなく、いわば「他衛権」なのである。国連は戦争を制限しようとする流れの中で武力の行使等を原則として違法とした。国連憲章2条4項は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国連の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」としている。この原則に対して加盟国に違反者が出た場合は、他の加盟国が制裁を加える集団的安全保障の体制をとっている。この集団的安全保障に対する例外として国連憲章51条が「この憲章のいかなる規定も、国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と、初めて米国が押しつけた集団的自衛権を認めたが、安保理の措置が取られるまでの時限的な権利とされる。
 日本政府は従来から「わが国が国際法上、集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下で、集団的自衛権を行使することは憲法上許されない」という見解を採っている。
 集団的自衛権の核心は海外で戦争をすることである。国内なら個別的自衛権になるからだ。集団的自衛権は、それを根拠として、かつてのNATOやワルシャワ条約機構のような軍事同盟が正当化され、アメリカのベトナム戦争では南ベトナム政府の「要請」を受けて北ベトナムを攻撃した。旧ソ連のチェコ侵攻やアフガニスタン侵攻も集団的自衛権が口実であった。日本政府はベトナム戦争やアフガニスタン侵攻を集団的自衛権の軍事行動の例としてあげている。このように、集団的自衛権は常に戦争を拡大する理論として機能しているのである。

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(2007年8月15日入力)
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