「九条の会・わかやま」 44号を発行(2007年8月25日付)

 44号が8月25日付で発行されました。1面は、本多立太郎氏「戦争展わかやま」戦争出前噺①、「よみきかせ九条の会・和歌山」結成1周年記念講演会、九条噺、2面は、終戦の日の取組(みなべ九条の会、平和と憲法を守りたい市民の声)、ストップ「集団的自衛権行使容認」③です。
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[本文から]

戦争とは何か、それは 「別れ」「死」である
本多立太郎氏の「戦争展わかやま」戦争出前噺 ①

 8月5日、「戦争展わかやま」で本多立太郎氏(93歳、みなべ町)が「戦争出前噺(戦争体験談)」を話されました。その大要を2回に分けてご紹介します。

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 1914年に北海道で生まれた。20歳で兵隊検査を受け、第1乙種補充兵役となった。現役兵ではないので、1934年に上京し朝日新聞社に勤めた。昼働き、夜学ぶという、苦学生であった。

 別れのボレロ
 1939年5月に電報が着た。当時戦争はすでに始まっていた。1931年9月18日に満州事変が始まり、戦火はどんどん拡大していた。南京大虐殺から1年半ほど後の頃であった。やがて第1乙種の自分のところにも召集が来るのではと思っていたが、実際に来ると体中の血がどっと下に落ち、真っ青になって震え上がった。そして、はっと気づき、別れを言わなければと思った。銀座裏の小さな喫茶店の娘さんに会いにいった。その娘さんは坊主頭の私を見てビクっとした。それは明日は兵隊であるということを表していた。今でなければ言えないことを言おうとするのだが、言葉が胸に支えて出てこない。当時、出征風景として建前で「おめでとう」といいながら、本音では他人には見せられない心の中の慟哭が日本中にあった。「何時発つの?」と尋ねられ、「今夜7時、上野」と答えた。娘さんは奥に駆けて行った。そうしたら、レコードで私の好きだったラベルの『ボレロ』が何回も何回もかけられた。「ありがとう。もういいよ」と言ったら、「これはあなたへのプレゼントです」と言われて、涙が溢れて止まらなかった。戦後、東京に行ったら、その店は1945年3月10日の東京大空襲で一家全滅していた。私にとって戦争とは何か、それは「別れ」と「死」である。

 声もかけられない別れ
 1939年に中国に送られることになり、軍用列車に乗っていた。ホームにはロープが張られ、見送る人で騒然としていた。隣にいた戦友が一点をみつめていた。それは母親と妹であった。列車が動き出したら母親と妹が狂乱してロープをくぐって列車に跳びつこうとした。とたんに警官に突き飛ばされ、押さえつけられた。それでも二人は叫び続けた。はらわたがちぎれるような光景であった。軍人は手を振っても、声を上げてもいけない。戦友は涙を流しながら姿勢を正し敬礼をした。これは国家権力への抵抗の姿勢であったかもしれない。その戦友は再び帰ることはなかった。

 骨のない骨箱
 戦争では無数の死を見た。小休止をしている時、隣にいた戦友が撃たれた。即死状態であった。でもこれはまだ運がよい方である。葬式をし、骨を国に送り返すことができた。作戦中に戦死し、連れて帰れない時は小指を切り取り、遺体はその場に埋める。インパール作戦では3週間分の食 糧で3ヶ月間彷徨し、10万人中3万人が死んだ。ほとんどが餓死である。それでも「遺骨」は帰ってくる。村の合同慰霊祭の後、家で蓋を開けると石や砂、或いは何も入っていない骨箱である。遺族にとって戦争は終っていない。これが戦争である。(つづく)

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「よみきかせ九条の会・和歌山」結成一周年記念講演会
「みんわ、平和そして9条」
日本子どもを守る会顧問・民話作家 中村博さんを迎えて

 「よみきかせ九条の会・和歌山」の結成一周年を記念して、講演会がおこなわれます。講師は、日本子どもを守る会顧問で、童話・民話作家として著名な中村博さん。民話が語り継いできた民衆の願い、平和であってほしいと願う庶民の心、子どもたちの健やかな成長を願い、生命を引き継いで欲しいと、民話や童話を通して語りかける活動で指導的役割を担うとともに、日本子どもを守る会の会長として長年活躍されてきました。
 なお、講演会終了後、「和歌山よみきかせの会」の別院清さんが「エプロンおじさん」として、全国の学校などで子どもたちに読み聞かせをされ、その27年間の集大成としてまとめられた「エプロンおじさんのよみきかせ~子育てを楽しむために~」の出版を祝い、「茶話会」が開かれます。「茶話会」は1000円で事前の申込みが必要です。
●9月2日(日) 午後1時~
●貴志川町・中貴志コミュニティセンターホール
●参加費無料
●主催:「よみきかせ九条の会・和歌山」「和歌山よみきかせの会連絡会」
●共催:「九条の会・貴志川」他
●申込み:三浦和美 0736-77-2659

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【九条噺】
 産経新聞によると、8月10日にアメリカを訪問した小池百合子防衛大臣は、チェイニー副大統領やライス国務長官らから大歓迎を受け、親しく懇談した。小池大臣は、ライス長官に「私たちは固い絆で結ばれた姉妹関係よ」などと挨拶したという。大臣はまた、ワシントン市内で「私はライス長官を尊敬しており、彼女と同じ道を歩みたい。私を『マダム・スシ(=米=ライス)』と呼んでもらえますか」などと講演したともいう▼小池氏はもともと「核武装容認論者」であり、「新しい歴史教科書を考える会」メンバーとして、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」を否定し、「村山首相談話」や「河野議長談話」の取り消しを求め、ブッシュの戦争を一貫して支持してきた政治家だから、アメリカで有頂天になるのも不思議ではないが「マダム・スシ」には嗤う。何はさておき恥ずかしい▼小池氏はまた「渡り鳥」としてもよく知られる。時々の力ある政党(政治家)にとりいり、日本新党・新進党・保守党・自由民主党と渡り歩いてきた無節操さゆえに、自民党内部でも防衛大臣抜擢に眉をひそめる人も少なくないと聞く。このたびの防衛省人事をめぐるゴタゴタも見苦しい▼安倍首相は、支持率低落のなか、「小池抜擢」に期待をかけたのだろうが、「世の中それほどあまくない」のですよ。(佐)

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戦後62年 8・15終戦の日

みなべ「九条の会」が街頭宣伝
 62年前の終戦の日と同じぐらいにうだるような暑さの中、それもあまり冷房効果のないワゴン車を借り出し、みなべ「九条の会」は会員3人で、街頭宣伝を終日実施しました。(もちろん正規の道路使用許可を取って)みなべ町内は海側、街中、山間部と大変広い地域ですが、全33箇所のポイントで九条の必要性を「わたしをほめてください」(ジェームス三木作詞、きたがわてつ作曲)の歌に託して訴えました。「暑い中ご苦労さん」と励まされると嬉しくなりました。5月3日と8月15日は是非街頭宣伝に取り組まなければと決意しました。
 歌はテープで、街宣文は車内のマイクで、歌詞と文は印刷して家々のポストや通りがかりの人達に配布しながら夕方5時半まで終日訴えました。身体は暑さのため、くたくたでしたが、気分はすっきりの一日となりました。(みなべ「九条の会」・平野憲一郎さんより)

「天啓の宙」の前で冥福を祈る
 8月15日、「平和と憲法を守りたい市民の声」が、1945年7月9日の和歌山大空襲で多くの人が亡くなった和歌山市雑賀町の堀詰橋のたもとの「天啓の宙(そら)」像前で黙祷をささげ、犠牲者の冥福を祈った。
 「天啓の宙」(彫刻家・橋本和明氏制作)は和歌山大空襲から50周年の1995年に、平和を願う市民により堀詰橋のたもとに建てられたもの。その後もこの場所で追悼行事が行われている。(「九条の会・わかやま」リーフレット参照)
 この後、JR和歌山駅前で「あなたは憲法9条をどうしますか」という緊急アンケートを実施し、駅前地下で憲法9条がどうして生まれたかなどを紹介する「戦争をしない国 日本」(本紙31号参照)を上映し、憲法や平和を巡る討論会も催した。

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ストップ「集団的自衛権行使容認」③
    「九条の会・わかやま」事務局・南本 勲

安倍首相が容認を目指す「集団的自衛権の4類型」の問題点

すべて日米同盟強化のためのテーマ
 集団的自衛権有識者懇談会は「4類型」に絞って「研究」をすることになっている。この「4類型」は、いずれも日米同盟強化のためのテーマとなっているもので、「わが国に対する武力攻撃」とは言えないものばかりである。それは米国側から「集団的自衛権の行使の制約が日米同盟の障害になっている」と、集団的自衛権行使の要求が強まり、その要求に応えて、「海外で米国と一緒になって武力行使をする前の段階で、憲法解釈に関する障害を取り除いていくこと」に目的があるからである。そのために、まず、集団的自衛権の限定的な行使を可能にして、将来の全面的行使に道を開こうとするものである。

参議院の「自衛隊の海外出動は行わない」決議
 集団的自衛権の核心は海外で戦争をすることである。国内で武力行使をする場合は、個別的自衛権の発動になるからである。1954年、参議院が「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を行っている。それは、「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の各章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動は、これを行わないことを、茲に改めて確認する」と明快に述べている。憲法の精神を踏まえる限り、海外出動はありえない。これが素直な憲法解釈ではないだろうか。

どんな「小さな」集団的自衛権も行使できない
 政府は従来から「集団的自衛権の行使は自衛のための必要最小限を超えるものであり、許されない」としている。ところが安倍首相は「『必要最小限』は『量的概念』であり、「自衛のための必要最小限の集団的自衛権の行使はありうる」と主張している。しかし、自衛権発動には3要件が必要であり、そのひとつである「わが国に対する急迫・不正の侵害がある」を満たしておらず、どんなに「小さな」「限定的な」集団的自衛権でも行使はできないのである。集団的自衛権は「量的概念」ではなく、「質的概念」である。内閣法制局も集団的自衛権は憲法に明文化しない限り無理だと言っている。

集団的自衛権懇談会の4類型とは ①
(1)公海上で共同訓練などで行動をともにする米艦船への攻撃に対して自衛艦が応戦する

 安倍首相は「共同訓練などで公海上において、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船と近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても、我が国自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてよいのか」と言う。(5月18日の有識者懇談会における冒頭発言)
 しかし、共同訓練中であっても、米艦船への攻撃は米国と第三国が交戦しているのであって、わが国が攻撃されているわけではない。従って、自衛隊が応戦するのは、海外における武力行使となり、明らかに集団的自衛権の行使となる。海外での武力行使を否認する憲法に違反する。そもそも、わざわざ戦闘があり得るような公海へ共同訓練に出かけない限り、世界第一の軍事力を持つ米艦船と太平洋第二の「海軍力」といわれる自衛艦に攻撃してくる事態は考えられないのである。これは、共同訓練などと、もっともらしい状況を設定して、集団的自衛権行使に道を開こうとするものだ。

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(2007年9月3日入力)
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