「九条の会・わかやま」 45号を発行(2007年9月5日付)

 45号が9月5日付で発行されました。1面は、本多立太郎氏「戦争展わかやま」戦争出前噺②完結、九条の会全国交流集会に向け「会」についてのレポートを、九条噺、2面は、9月9日和歌山市と各地の取組予定、「守ろう9条 紀の川 市民の会」が第4回憲法フェスタ、「和歌山障害者・患者九条の会」の憲法学習会、ストップ「集団的自衛権行使容認」④です。
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[本文から]

死より怖いこと、それは「戦場の狂気」
本多立太郎氏の「戦争展わかやま」戦争出前噺 ②

 8月5日、「戦争展わかやま」で本多立太郎氏(93歳、みなべ町)が「戦争出前噺」を話されましたので、その大要を2回に分けてご紹介しています。今回は2回目。

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 死ぬことより怖いこと
 戦場には死ぬことより怖いことがある。あるとき、飯を炊くために、ある兵士と水を汲みにいったら、その兵士は中国兵の8人の死体が浮き、血や脂の浮いた水を手で掻き分けて、水を汲んで飯を炊いた。これは普通の人間のすることではない。しかし、その兵士は特別異常な男という訳ではない。ごく普通の人間が、一旦戦場に行くと、とても考えられないようなことを平気でやってしまう。私はこれを「戦場の狂気」というが、死ぬことより怖いことではないかと思う。

 殺さなければ殺される
 ある日、10人の捕虜を連れて歩いていたら、突然周囲から弾丸が降ってきた。とても捕虜を連れて歩くような状況ではない。隊長はひとこと「処分せよ」と言った。銃剣で刺し殺す。いくら戦争といえども罪は罪。人間のすることではない。そういうことをやらされるのは一番階級の下の兵隊だ。軍隊には陸軍刑法があり、最も重い罪は「抗命罪」その中で最も重いのは「敵前抗命罪」。私が断ったら、私が殺される。中国兵の命の極限の表情は60年経っても私の目から消えない。実に恥ずかしく、悔しく、無念である。
 私にそれを命じたのは隊長であるが、その最も上の責任者はただ一人である。自分に罪がないとは言わないが、その人にも罪を犯させた責任を果たしてもらわねばならない。当人が死んで、息子がその位置を継いだのなら、その責任も果たしてもらわねばならない。そういう制度はやめてもらわねばならない。

 憲法を守ろう
 今日の社会をどう見るか。70年前の2・26事件である。あの反乱軍に襲撃された朝日新聞社の前であの反乱を見る「沈黙の群衆」があった。腹の中では「我々を守る軍隊がなんということをするんだ」と叫びたい。でも、自分の周りに私服の警官や憲兵がいないという保証はない。治安維持法の下では声を上げたくても上げられない群衆であった。50年後に、朝日新聞阪神支局銃撃事件が起った。私は今なら声が上げられる。声を上げようと思えばいくらでも上げられる時に声を上げないのはむしろ罪というべきではないかと言った。それからまた15年、その間にだんだんと世の中が変わってきた。はっと我に返った時、声をあげたくてもあげられない群衆のひとりにされてしまっているのではないか。1936年と同じ道を歩かされているのではないか。そうなってからではもう遅い。今ならまだ抵抗ができる。絶対にそうさせてはならない。そのためには憲法を守らなければならない。

 話題を豊富に=本を読む
 憲法を変えるには2つの段階がある。ひとつは国会の3分の2の賛成で提起する。その次の国民投票過半数。これは我々が一票を投ずる。その時にNOという仲間を自分の周囲に作っていく。そのために、普通の人にできることは日常の生活の中でNOという人を作っていくことだ。どうするか、それは「話題を豊富にする」ことだ。いろんな話題の中で憲法を話す。「話題を豊富にする」ためにどうするか、「活字に目を曝す=本を読む」ことだ。閑になったら読もうでは読めない。忙しい時に寸暇を惜しんで読むのがこつである。  (終り)

本多氏が推薦する本
 吉野源三郎(岩波文庫)
  『君たちはどう生きるか』
 日高六郎 (岩波新書)
  『戦後思想を考える』
 鶴見俊輔 (岩波単行本)
  『教育再定義の試み』

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九条の会全国交流集会に向け
  「会」についてのレポートを   [九条の会]
 「九条の会」は今秋11月24日、第2回全国交流集会を開きます。この交流集会をお互いの運動を交流し、より豊かな実践を重ねつつ迎えるため、各地域・分野の「会」の運動と組織についてレポートを募集します。レポートは「九条の会」ニュースもしくはメルマガで随時公表します。なお、交流集会に参加を予定できない「会」からのレポートも歓迎します。レポートの様式は「九条の会」の公式サイトで。

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【九条噺】
 東京裁判で唯一全員無罪の少数意見を書いたパール判事のことはよく知られている▼そのパール判事の顕彰碑が靖国神社などに設置されていることはご存知だろうか。パール判事はA級戦犯を免罪したのだろうか▼NHKは8月14日、NHKスペシャル『パール判事は何を問いかけたのか』を放映した。パール判事は「私は正しいことをしたかったのです」と言う。正しいこととは、東京裁判所憲章が「平和に対する罪」「人道に対する罪」を新たな戦争犯罪と規定したことに対して、法律を後から作って裁くのは不当である。「罪刑法定主義」に反するという法律論にすぎない▼それでは被告らに罪はなかったのか。パール判事は「バターン死の行軍は実に極悪な残虐である」「南京大虐殺は一般民衆はたまた戦時捕虜に対し、犯したものであるという証拠は圧倒的である」「アジア太平洋地域での日本軍の残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない」等々と言う▼日本の侵略戦争を反省しない「靖国派」はパール判決から自分たちに都合のいいところだけをつまみ食いし、侵略行為を正当化してきた▼パール判事は「自分の判決によって日本の侵略行為が支持されることがあってはならない」「英国であれ、米国であれ、日本であれ、侵略戦争は悪いことだ」「武力はもはや何の役にも立たない、無意味になった」と言う。憲法9条こそパール判事の意思だと言ってもいいのではないだろうか。(南)
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~~ 9月9日(日)「ダブル9の日」~~
一斉署名宣伝行動を実施

─── 和歌山市内の中学校区単位で ───
 和歌山市では地域9条の会と「憲法9条を守る和歌山市共同センター」に参加している団体がタイアップして、9月9日に和歌山市内の中学校区単位で一斉署名宣伝行動を実施することになりました。これは、「国民投票法が成立した中で9条を守る運動を強める」「和歌山市内での過半数署名(県民大署名)を達成する取り組みを全市な運動にする」「地域9条の会の力を結集するとともに、地域9条の会がない地域でも取り組みを立ち上げる」などを、その目的としています。  当日は午前中、次のような中学校区単位で署名、宣伝活動が行われます。☆西和中学☆西浜中学☆明和中学☆紀ノ川中学☆有功中学☆楠見中学☆日進中学☆貴志・河西中学☆伏虎・城東中学 また、午後からはJR和歌山駅前で、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」などとともに署名宣伝活動を行う予定です。

 全国各地でも
 この日は全国各地でも様々な工夫をこらした活動が行われます。「日本の青空」の上映会、のぼりを立てて電車に向かってのアピール、風船とばし、そして署名、宣伝活動。9月9日午前9時9分9秒から午後9時9分9秒まで活動する団体もあるようです。

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えがこう平和への道
「守ろう9条 紀の川 市民の会」が
第4回憲法フェスタ 「守ろう9条 紀の川 市民の会」は会員の親睦、会員の拡大と活動の強化を目指して、「第4回憲法フェスタ」を開催します。

9月16日(日)
河北コミュニティセンター
【メインプログラム】   13:30~15:40
  ●詩舞
  ●リレートーク1
  ●みんなで歌いましょう
  ●リレートーク2
  ●マジック
【会員の文化作品展示】  10:00~16:30
【戦争と憲法を考える映画】10:30~17:00
  「戦争あかん・2」
  「9 NINE 憲法9条は訴える」
問い合わせ先:073-455-6144 萩田

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「和歌山障害者・患者九条の会」の
    憲法学習会

と き:9月16日(日)13:30~15:30
ところ:和歌山市ふれあいセンター 3F研修室
      (和歌山市木広町5-1-9 073-433-8866)

講 演:主権者がつくる憲法と暮らし
講 師:弁護士・山﨑和友氏
問い合わせ先:和歌山県難病団体連絡協議会
         東本喜佐子 073-427-8149

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ストップ「集団的自衛権行使容認」④
     「九条の会・わかやま」事務局・南本 勲

安倍首相が容認を目指す「集団的自衛権の4類型」の問題点

集団的自衛権懇談会の4類型とは ②
(2)米国に向けて発射された弾道ミサイルを自衛隊のMDシステムで迎撃する
 安倍首相は「同盟国である米国が弾道ミサイルによって甚大な被害を被るようなことがあれば、我が国自身の防衛に深刻な影響を及ぼすことも間違いない。それにもかかわらず、技術的な能力の問題は別として、仮に米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合でも、我が国は迎撃できないという状況が生じてよいのか」と言う。(5月18日の有識者懇談会における冒頭発言)
 これは、「弾道ミサイルが日本向けか、米国向けかを区分することなく、日本のMD(ミサイル防衛)システムで迎撃せよ」という米国の要求に応えるものである。しかし、米国に向けて飛行する弾道ミサイルは、わが国への武力攻撃とは無関係である。従って、これを迎撃するということは、明らかに集団的自衛権の行使となる。
 MDシステムの導入に当り、当時(03年12月)の福田官房長官は「MDシステムは、わが国を防衛するものであって、第三国の防衛に用いられることはないから、集団的自衛権の問題は発生しない」と述べている。本年7月10日、政府は「米国に向かうミサイルの迎撃は極めて困難である」という答弁書を決定している。技術的に無理なものを「研究」するということは、将来への下地を今から作っておこうという意図に基くものであると言わなければならない。
 そもそも、米国に向けて弾道ミサイルを発射したら、その国がどんな事態になるのかは、容易に想像できることである。そんな事態を本気で考えている人は、防衛省や自衛隊にはおそらくひとりもいないだろう。この類型の「研究」は「為にする」議論と言わなければならない。また、米国に向かうミサイルを日本が迎撃するのなら、発射する国は、まず日本を攻撃するに違いない。いやでも日本が武力衝突に巻き込まれることになってしまうのである。そして、日本近辺を米国に向けて通過する艦船や航空機への攻撃を認める議論に発展するのである。

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(2007年9月6日入力)
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