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「九条の会・わかやま」 5号を発行(2006年9月10日)

 今号は、澤地久枝さんの「九条の会全国交流集会」での「挨拶全文」が1面から2面にかけて。「へ〜」と驚く、爆笑問題・太田光さんの中沢新一氏との対談。そして「九条噺」「映画紹介」です。
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[本文から]

最後の一人になっても意志は変えない
 澤地久枝さん 全国交流集会で強い決意を語る

     第1回全国交流集会での澤地久枝さんの挨拶を紹介します。マスメディアが「九条の会」を報道しないという話題は、「5・13輝け!…」で来県したさいにスタッフと多いに語り合った話題です。「5・13…」についても、毎日新聞和歌山版だけが報道しましたが、澤地さんは当日控え室に訪ねてきた毎日新聞記者に丁寧に掲載のお礼を述べました。

挨拶全文――――――――――――

 皆さんよくいらっしゃいました。とても盛会で嬉しいです。
 はじめに一冊の本からの引用をちょっと申し上げたいと思います。隣にご本人がいらっしゃいますけれども、藤原書店から出た対話集『まごころ』という本があります。それを見ていましたら、随筆家の岡部伊都子さんが、鶴見俊輔さんに京都の言葉で質問なさるんですね。本の終わりの方です。「どないしたら、日本はまともな考えの政治をするのかな?」これは、今日、ここへ集まっている私たち皆が、本当に手探りで一所懸命考えていることですよね。それに対して、鶴見俊輔さんはしばらく沈黙です。「…、後は継げないね。後を継いで話をするのは難しい。ううん、いやあ、参ったな」というのが、鶴見さんの言葉です。私はね、ここで鶴見さんが「こういう道があるよ」っておっしゃっていないのがとっても正直で、リアルでいいと思いました。もし、ここに、こうやれば政治は良くなるなどと断定する人が現われて、その人が非常に弁舌巧みで、美女もしくは美男で(笑)、皆が「そうだ」 っていうことになったら本当に恐いと思います。鶴見俊輔さんは、慎重で答えをなさらなかった。その答えを生み出す母体みたいなものが、この九条を巡って集まっている私たちの日々の中にあると思っています。

 日ごとに増える九条の会が私たちの希望

 政党も駄目だ、野党第一党も信用ならない、駄目だ、駄目だって×マークをいっぱいつけていったら、自分の心にも×をつけることになりますよね。私たちはやっぱり希望を持たなければ、一日として生きていられない。希望を持ち続けることが困難な時代が来たようですけれども、だから、いっそう私たちは希望を高く掲げたい。かつては日本には存在出来なかった名もない、また名のある市民も含めて、市民たちが集まって、知恵を絞っている。それぞれの地域や職域において、ともかく憲法九条を守るということで、平和への努力を重ねておられる。燎原の火という表現がありますが、事務局から発表があったように、日に日にそういう集まりが全国で増えている。このことが、岡部伊都子さんが問われたことへの、たぷん答えなのだと思います。

一人ふたりと広がれば、それは確実なカに

 この市民のカ、連帯というか、気持ちの結び合いの中から、私たちの新しい知恵も生まれてくるに違いない。「ベトナムに平和を!市民連合」という運動が、かつて小田実さんや鶴見さんを中心にしてあり、脱走兵を助けて国外へ送り出すというような実に大胆なこともやられた。日本人は駄目になったと言われながら、そのあたりから、市民としては素晴らしい存在が生まれつつあった。今、私たちは、新しい世紀、新しい曙に、もしかしたらいるのかも知れません。
 市民の多<は、状況が困難だからと言って気持ちを変え、やっぱり戦争は仕方がない、軍隊が出来るのもしょうがない、外国に行って殺しあうのもしょうがないという人間には絶対にならないと思います。そういう思いを隣にいる人、あるいは同じ仕事をやっている人たちと語りあいながら、−人では揺らぐこともあるかも知れないけれども、一人が二人になり、四人になりと、いうふうに広がっていけば、それが確実なカになるだろうと私は思います。
 私は最後の一人になっても、今の意志を変える気持ちはないです。最近の商業マスコミを見ていると、よくこんな嘘っぱちが言えるよというようなことを、大きな声で言う人ばっかりですね。そういう人でないとマスコミには出てこない。志ある人は、いま、テしピやくだらないマスコミには出てきませんよね。出さないんですね。

 事実を報道しないマスメディアは「犯罪」

 もう一つ、私は、例えば、和歌山とか大阪とか東北や北海道の会合に行って、そこで昨日までは知りあいでなかった人たちが、九条の会の呼びかけに応えて会をつくったり、会を運営してらっしやるのを見てきました。この人たちの集まりについて、地元の新聞や大きな新聞の地方版は、ちゃんと、「大勢の人が参加して入場を差し止めたほど」とか、「熱気があった」とかって報じています。しかし私が東京に帰ってきて、東京の新聞を見ると一行も書いてないんです。地方にいらっしゃる方はご存じないと思う。私は、これは報道を担当する人たちの犯罪行為だと思います。犯罪という言葉はきついですが。テレピもあるけれども、テしピはもっと弱体だからなおのことです。九条の会の全国での集会が大変な盛況で、いろんな人がいろんな知恵を傾けてやっている。例えば、私がここにつけているこのバッジも知恵の一部分ですね。そういうことを報じない。新聞は、せめて新聞であるならば、論評をしなくてもいいです、我々も賛成だなんて書かなくていいけれども、どの町で、何人集まって会をしたというような事実を、なぜ書かないんですか。普通の人にとっては、報道されない、新聞記事にならない事柄は、なかったことと同じなんです。

 締め付けず、緩やかに、そして漬さず…

 でも、今日こうやってこれだけの人が集まれば、私も心の中に本当に温いものが伝わってきます。元気が出てくるなって思うんですね。こんなひどい世の中で、日本人は何も声も上げない人間になってしまったのかと絶望する人間を作り出している商業マスコミの態度を、私は犯罪的だと思っています。でも私たちが新聞を出すというわけはいきません、すごくお金のいることですし、みんな貧乏だからね(笑)。でもね、この会を一つでも多くしていって、そして潰さないことですね。あんまり厳しくしないこと。出来る人はいろんなことをやったらいいけれども、緩やかな、締め付けがあんまりきつくないような繋がり方で、しかし、一人ひとりの志は、誰からも奪われないという強いものにする、そういう会でありたいと私は思っています。

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不戦貫いた日本人の誇り
   爆笑問題 太田 光 (中沢新一氏との対談から)

 戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。(中略)日本人の十五年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰がつくったとかいう次元を超えたものだし、国の境すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だなと感じたんです。(中略) この憲法はアメリカによって押し付けられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそうは思わない。この憲法は敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり生き方なんだと思います。
 改憲すべきだと言う人が、自分の国の憲法は自分の国でつくるぺきだと、よく言います。でも僕は、日本人だけがつくったものではないからこそ価値があると思う。(中略)あの憲法をアメリカが持ち帰って、自国の憲法にしようとしても、アメリカ人が守れるわけがない。価値があるのは、日本人が曲がりなりにも、いろんな解釈をしながらも、この平和憲法を維持してきたことです。あの憲法を見ると、日本人もいいなと思えるし、アメリカ人もいいなと思える。その奇跡の憲法を、自分の国の憲法は自分でつくりましょうという程度の理由で、変えたくない。少なくとも僕は、この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。僕は生まれたときから四一年間、あの憲法の中で生きてきたわけです。それを簡単に変えるな。
 俺の生きてきた歴史でもあるんぞと。憲法9条は、たった一つ日本に残された夢であり理想であり、拠り所なんですよね。どんなに非難されようと、一貫して他国と戦わない。二度と戦争を起こさないという姿勢を貫き通してきたことに、日本人の誇りはあると思うんです。他国からは弱気、弱腰とか批判されるけれど、その嘲笑される部分にこそ、誇りを感じていいと思います。(書籍より)

    太田光(おおたひかり)
    一九六五年五月一三日生まれ。血腋型O型。埼玉県ふじみ野市出身。日本大学芸術学部中退。
    一九九〇年九月二六日、松永光代(現・太田光代/タイタン取締役)さんと結婚。
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【九条噺】

 七月、尊敬する鶴見和子さんが亡くなられた。八十八歳。社会学者として国際的に著名だった。欧米の真似でなく、アジアの、日本の、そしてそれぞれの地域独自の歴史や文化、資源に依拠した多様な発展を説いた「内発的発展論」。その学説は、様々な研究者によって継承発展され、例えば湯布院や宮崎県綾町に、あるいは長野県栄村や川上村、和歌山の旧南部川村、さらには近年各地で発展する様々な地域づくりの背骨となり生きている。この「内発的発展論」は、鶴見さんの南方熊楠研究から生まれたとされる。熊楠が「東洋の真言密教と西洋の近代科学とを格闘させて結びつけ、森羅万象の相関関係を示す『南方曼荼羅』という創造的な理論を生み出した」「曼荼羅は万物が共存する世界」つまり「内発的発展論」に通じると鶴見さんはいう。そして「現代のグローバリズムは、世界中にアメリカ流のやり方を押し付ける排他主義」と批判し、熊楠が曼荼羅の中心に据えた「悴点(すいてん)」の発想を重視した。そして何よりも異なる文化や価値観、理論の、対話を通じた共生の大切さを説いた。憲法9条もまた、人権やくらし、教育、文化、平和、地域と産業、あらゆるものの発展を可能にする基本という意味において、まさに今日の「悴点」であろう。鶴見和子さん、また一人、凛として群れない生き方を貫いた、時代を背負う偉大な思想の人の旅立ちを悼む。(S)

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【映画紹介】

黒木和雄監督
「紙屋悦子の青春」
戦下のラブストーリー

 庶民の日常の平和な生活のいとおしさを優しい眼差しで描きながら、反戦への深いメッセージを伝え続け、今年4月に急逝した黒木和雄監督の最後の作品です。劇作家松田正隆氏がその母をモデルにした同名の戯曲を映画化したものです。
 物語は、戦争末期、1945年3月末から4月にかけてのほんの10日あまりの出来事です。舞台は基地に近い鹿児島県の田舎。3月10日の東京大空襲で両親を失ったばかりの娘・紙屋悦子 (原田知世)は、軍需工場に勤める技師の兄とその妻の3人でつましい日々を送っていた。突然、兄の後輩である海軍航空隊明石少尉から、同少尉の親友の永与少尉との縁談が持ち込まれる。しかし、悦子は密かに明石少尉に想いを寄せていました。明石は、戦争も緊迫し、自分の命はあと僅かであることを知り、整備担当で戦場に赴く可能性の少ない永与に、悦子を託したかったのです。悦子もそれを察し、明石に対して想いを直接伝えることはできません。4月、明石は沖縄奪還のため飛び立ち、帰らぬ人となります。
 この映画には戦場や兵舎や軍需工場が出てくるわけではありません。出てくるのは、桜の木がある質素な1軒の家とその庭先だけ、登場人物は5人です。至ってシンプルですが、味わい深い画面になっています。古びた茶箪笥を背景に、丸いちゃぶ台に乗ったおかずは、酸っぱくなりかけたさつま芋の煮付けと漬物だけの夕食。米軍機の空襲を警戒しつつも、一杯のお茶を「美味しいね」とゆっくりすすりながら、お互いを思いやる生活。人間関係は、現代とどちらが豊かなのか? つくづく考えてしまいます。登場人物のユーモラスな対話に思わず笑いを誘われつつも、戦争とは、生命だけでなく「愛する」という人間にとって最も大切なものを奪うものだ、というメッセージを明確に伝えてくれる逸品です。
 "ユーモアと愛"は、名作と言われる前作「父と暮らせば」の中でも存分に示されていました。本当に惜しい監督をまた失いました。

 主な出演者:原田知世/永瀬正敏/松岡俊介/本上まなみ/小林薫

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(2006年9月8日入力)
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