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「九条の会・わかやま」呼びかけ人のメッセージ(順不同)
新テロ特措法で思うこと ― 国際と民際 ―
元和歌山ユネスコ協会事務局長・エスペランチスト 江川 治邦 さん
07年は新テロ特措法で国会はねじれの中で紛糾した。自衛隊のインド洋上での多国籍艦への燃料補給は国際貢献であり、他国から評価されていると政府与党は胸を張った。アフガンの国情がむしろ悪化しているにもかかわらずである。日本は無償で補給するのだから関係各国からリップサービスを受けるのは当然であり、政府発言は我田引水である。こんな中、前防衛庁事務次官守屋武昌が収賄容疑で逮捕された。防衛専門商社や防衛族議員が寄り合う日米・平和文化交流協会が温床の一つとも言われている。私達には上記の「国際貢献」や「平和文化交流」という甘い字句を再吟味する必要がある。
20世紀後半から国際理解、国際交流、国際貢献、異文化交流、などが世界平和を達成するキーワードとして使われてきた。こんな言葉が武器調達にかかわる贈収賄事件の中で平然と使われていること自体が異常といえる。いや、欺瞞である。国連の機能には、平和維持活動と平和構築活動がある。日本政府が胸を張る国際貢献に関し、憲法論議を一歩譲ったとしても、紛争地域での当面の平和を維持する平和維持活動にすぎない。しかし、紛争地域や低開発諸国の多くは貧しく、教育や人権などの基盤が弱く、それが原因での紛争であり、この基礎的要因の除去にこそ先進諸国は寄与すべきである。この行為が平和構築活動であり、憲法九条を持つ日本こそが他国に率先すべきである。アフガンやイラクにかかわる国々の関係事案を国際貢献と呼び、武器調達の温床になっている場を平和文化交流協会と名乗ることに、多くの国民は違和感を覚えているだろう。私達九条を守ろうとする者が考える国際貢献や異文化交流と、彼等が考えるそれらと中味に落差がある。
1873年、英国から伝わった international law を箕作麟祥は「各国間交際法」と訳
し、その後「国際法」となった。このように「国際」とは国と国の関係であり、国益を意識する外交である。近年になって、環境・人権・資源配分・地域紛争など地球レベルの共通問題に対処するには、従来の国益追求型国家間外交(国際)だけでは問題解決が出来なくなってきた。国家も国際機関も、NGOもNPOも、あらゆる人々の創造的参加が求められる。すなわち、公(パブリック)の概念が国から世界に拡大しつつあるからである。そこで私達には、国境を超えた市民間交流や情報の交換が、自立した個として求められる。このような市民間の交流を「民際」と名付けよう。民際は、国益という名のもとで、実は特定組織の得権益を守ることにすり替えられるような国内および国際案件に対し、このような国家エゴを監視し牽制できる。現在でも、国家とは個人を超越したものであり、個人の論理で許されなくとも国家のためには必要とされる国家観がある。国家とは誰のためにあるのか、と問いたくなる。戦前には、学校や家庭で「人をあやめてはいけない」と教える一方で、国は「敵国人を多く殺せ」と強要した。人権が国際的に重要視されてきた根拠がここにある。間違った国益を振りかざした国家観は排他的民族主義(ショビニズム)を助長し、軍需産業を肥大化させ、人類にとって不要な武器開発おこない、イラクやアフガン紛争といったものが仕立てられる。現在、世界全体の軍需費は年間138兆円とも言われる。これは世界で貧困で苦しんでいる人々を救済できる金額に相当する。この意味では、21世紀は民際による平和構築活動が益々重要な時代となろう。地球市民の目線で、国際でなく民際で、日本国憲法第9条を世界に発信し続け、それこそ9条が世界遺産になるように国際連帯を高めるべきだ。
私が関係する「憲法前文と9条を世界に広める・エスペランチスト9条の会」は、どの民族にとっても中立・公平で易しい世界共通語エスペラントで、民際交流を行っている。各国の市民からは、「日本の憲法9条はすばらしい」、「わが国の憲法にも9条を取り入れたい」とエールが送られてくる。このことは、九条の会の励みになると同時に、九条は世界平和への日本の贈り物ではないのか、信頼すべきは自国や他国の政府ではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義」だと気付かされる。
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【九条噺】
映画「北辰斜(ほくしんななめ)にさすところ」(監督・神山征二郎)を観た。「北辰斜・・」は七高(現鹿児島大学)の寮歌である▼五高(現熊本大学)と対抗野球戦百周年の記念試合をすることになる。実際に試合をするのは鹿大と熊大の野球部だ。七高のエースだった上田(三國連太郎)は、現在は開業医を引退し東京郊外で悠々自適の生活をしている。その上田に記念試合応援の誘いが来るが、頑なにそれを固辞する。故郷に足を向けられない理由があった▼それは、学徒出陣で特攻兵となった弟は沖縄戦で戦死し、軍医として南方に送られた上田は戦場で重傷の尊敬する先輩に再会するが、激しい爆撃で置き去りにせざるを得ず、心に深い傷を負っていた▼応援を楽しみにしていた親友の死で、その意を汲んで鹿児島に向かった上田は、指宿の海で孫に「南方の島々にも、この先の海の中にも、帰ってこれん者がいっぱいいるんだよ」と語る▼記念試合が始まる。現役の選手はいつのまにか若き日の上田や戦死した仲間に代わり、七高対五高の試合になっていく▼旧制高校の生徒たちはエリートであったが、私利私欲に走る者は誰もいない。現在の「エリート」の何とか次官とは訳が違う。この映画は太平洋戦争で命を落とした人たちへの鎮魂であり、不条理にも優秀な若者の命を奪った者に対する静かだが、痛烈な心からの抗議である▼この映画は今のところ和歌山で上映予定がないのが残念だ。[ http://hokushin-naname.jp ] (南)
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戦争の後に何が生まれ、何が残るのか
フォトジャーナリスト 郡山 総一郎 さん
2月15日、和歌山弁護士会主催「憲法施行60周年記念市民集会PARTⅡ」で行われた郡山総一郎さんの講演(要旨)をご紹介します。
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郡山総一郎氏の講演は、氏自らが撮影した写真をプロジェクタで写し、それを解説しながら進められた。氏は「戦争の後に何が生まれ、何が残るのか」を自分のテーマとして活動しているという。氏の今回の講演で紹介された戦争・紛争はタイとカンボジアの例である。────
タイは仏教国家と言われるが、マレーシア国境付近にはイスラム教徒が多い地域がある。そこではイスラム教徒と仏教徒の対立が続き、04年より3000人が殺された。銃や爆薬でテロ攻撃を行なっており、まさに戦時下の様相である。仏教徒が殺されるだけでなく、イスラム教徒も殺されている。無差別攻撃で、目についた人が殺されている。イラクやアフガンと同じで、誰が敵か分からない、目撃者が表れない、目撃を通告すると明日は自分が殺されるという状況だ。軍も警察もあてにならない。
カンボジアでは600万発の地雷が残っており、世界で3番目に多い。農村部に集中しており、農民の被害が多い。畑を耕すことが難しく、それがますます貧困を生んでいる。対人地雷は殺さず障害者を作るのが目的で、働ける人を減らして、経済的圧力をかけるものだ。子供の被害も多い。遊んでいる時に被害に遭う場合と「地雷を踏まされる」場合がある。地雷原を先に歩かされる「生きた地雷探知器」だ。プノンペン周辺ではホームレスやストリートチルドレンが多い。尋ねてみると地雷が多い地域の出身者だ。最近、雨が少なく農作物ができないことも相まって農村地帯から貧しさが広がっている。よほどのコネと金がないと就職はできない。ゴミ捨て場でリサイクルできるものを拾い集め、やっと食いつないでいる状況だ。児童労働や人身売買も多い。月に500~800人ぐらいが1人8000円程度で田舎で買われて働かされている。もちろんタダ働きで、男子は荷物を運ぶ仕事、女子は表向きはマッサージとなっているが売春だ。売春婦の3~4割は人身売買によるものだ。HIVも感染率は2・9%といわれるが、実質はその3~4倍で、親が亡くなる子が増え続けている。
地雷から貧しさが生まれ、その後に何が生まれているのか。戦争が起こってしまうと、止めるのも大変だし、二度と元には戻らない。日本も含めて世界的に軍備に金をかける国が増えている。それどころか、「正義の戦争」という理屈がまかり通る時代だ。そうした中で一番被害を受けているのは、私たちの世代ではなく、次の世代だ。戦争は最大の環境破壊でもある。地球上の話だから、私たちは関心を持たなければならないし、知らなければならないし、何とかしなければならない。次の世代にこんな環境破壊と戦争だらけの地球を手渡すわけにはいかない。今、憲法9条改悪や国会で一方的に通っているものは国民のためにならないものが非常に多い。元々憲法は国家権力を縛るもの、縛られる方が変えるのはおかしな話だ。一人一人はできることは違うが、いろんなやり方で、みんなががんばらなければ手遅れになる。
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恒久法制定、自民党部会始動
新聞報道(2・14「朝日」「東京」)によれば、自民党は13日、自衛隊の海外派兵を随時可能にする恒久法制定を検討する「国際平和協力の一般法に関する合同部会」の初会合を開いた。山崎拓座長は「憲法解釈も従来の解釈を踏襲することを前提に議論を進めたい」、「今国会の会期中に成案を得て、国会で審議を行なうところまで進めたい」と語ったというが、衆院テロ防止特別委員会の中谷元・自民党筆頭理事が早速、鉢呂吉雄・民主党筆頭理事に、前国会に提出された「民主党対案」の審議入りを打診したという。「案の定」だ。「従来の解釈を踏襲する」と言っても信用する訳にいかないのである。
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「真宗大谷派・九条の会」設立
鶴見俊輔さん講演/京都で
平和憲法の理念は不殺生をうたう釈迦の教えに通じるとして、真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の僧侶や門信徒らが中心となり、「真宗大谷派・九条の会」を設立した。9日午後2時半からは同寺境内の視聴覚ホールに哲学者の鶴見俊輔さんを招き、設立集会を開く。
同派は戦後50年の95年、宗議会・参議会の全議員が共同で「すべての戦闘行為を否定する」などとした「不戦決議」を採択。浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)には既に「念仏者九条の会」が設立され、大谷派側でも昨年9月から設立準備を始めた。約320人が賛同し、同11月に発足。今後は地方集会などを通じ「不戦決議」の精神と平和憲法の理念を広めていく考え。
世話人の久保山教善さんは「9条改悪に反対するため立ち上がらない宗教者は座して死を待つようなもの。親鸞聖人の教えに背くのと同じ」と語気を強める。当日は鶴見さんの講演のほか、「念仏者九条の会」代表の信楽峻麿(しがらき たかまろ)・元龍谷大学長がメッセージを送る。(「毎日新聞」2月8日付より)
真宗大谷派「不戦決議」とは
95年6月に真宗大谷派宗議会、参議会で決議された。「私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。この懺悔の思念を旨として、私たちは、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに『不戦の誓い』を表明するものであります。・・・・」と述べる。
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