「九条の会・わかやま」 8号を発行(2006年10月10日) 今号は、1面には、九条の会・わかやまの「第2回呼びかけ人交流会」、そして「9月の各地九条の会」。2面には、呼びかけ人で建築家の中西重裕さんの「まちづくりと憲法九条」、和歌山市共同センター誕生、そして呼びかけ人牧宥恵さんの随筆です。 | |
「九条の会・わかやま」が2回目の「呼びかけ人交流会」
「呼びかけ人の寄り合い」は、13名が出席。まず事務局を代表して柏原氏から「リーフレットが大好評を得たこと、『5・13平和のつどい』は、県下の『九条の会』46団体による共同開催を実現し、多くの人に勇気と感銘をもたらしたこと、ホームぺージを立ち上げて、全国や県下の様々な情報を提供してきたことなど、「会」の取組みが九条を守る県下の活動を励ますうえで大きなカを発揮し、今、安倍内閣が改憲と教基法改悪を緊急の課題とするなど激しい動きもあるが、他方では『九条の会』が全国的に急速に広がっているが県下でもさらに取組みを強めるため、皆さんの意見を聞かせてほしい」と挨拶。参加し
たよぴかけ人全員から、それぞれの立場や、若者・婦人層に対する働きかけを重視する取組み、日々の<らしの中で平和の大切さや戦争の残忍性・愚かさを考えていくような取組み、音楽など文化分野の役割を生かした取組み、宗教者への働きかけなど、積極的な意見が出されました。今後の取組みとして、県下の九条の会の交流集会や、戦争展と共同したシンポやフォーラムの取組みなど、の提案がありました。さらに「もし、北朝鮮に若狭の原発が占拠された場合も戦うことはないのか」という意見も出され、これについて多くの
皆さんから様々な意見が出されましたが、「『九条の会・わかやま』は、9条を守る一点で一致する会であり、一定の結論を出したり、特定の見解を押し付けたりするような会であってはならないし、どんな意見でも由由に議論しあえるような会」という基本スタンスのもと真摯に意見交換が行なわれました。
◆憲法改悪反対共同センターが東京で
憲法改悪反対共同センターは、9月2日「第4回交流決起集会」を東京で開催し、26日から開催される臨時国会の国民投票法案阻止を初めとする当面のたたかいの意思統一と、憲法改悪反対の国民過半数世論の結集に向けた行動強化の方針を確認しました。 職場「九条の会」が千百を超える
全労連の調査では9月1日現在、職場「九条の会」が32都道府県で1114結成されていることが明らかになりました。地方毎に多いのは、大阪235、青森148、東京127、北海道・岡山83などです。
【九月・全国各地の動き】
2 憲法改悪反対共同センターが「第4回全国交流決起集会」四一五人。
まちづくりと憲法九条
過去の戦争をどう伝えていくか。大きな課題である。戦争は遠い昔のことではない。私たちにとっては父母の世代であり、子どもたちにとっては祖父母の時代のことである。もし戦争が40日早く終わっていたら、昔の伝統の残る重厚な町として和歌山市は存在していただろうし、街並みのみでなく人々のコミュニティーも存在していたと思う。今の和歌山市はアイデンティティーをつくることから始めなければならない。空襲によって和歌山市の受けた傷は深く、六一年たった今でもボディーブローのように効いている。焼夷弾で焼ける街と恐怖の中で逃げまどう人々。家族や友人や恋人が戦地で倒れる。大切な人の命が絶たれる。そんな悲しい時代がわずか61年前に存在した。今はその時代を知らない多くの世代がいる。しかし世界ではまだテロとの戦いや地域紛争という名の戦争が繰返されている。
和歌山市に 憲法9条を守る共同センター誕生 9月16日(土)和歌山市勤労者総合センターで憲法9条を守る和歌山市共同センターの結成集会が100人の参加で開かれました。準備会を代表して和教組和歌山市支部の佐々木真理子支部長は「教え子を戦場に送らないためにも9条改悪を許さない運動を強めよう」と挨拶。「憲法9条を守るわかやま県民の会」の坂本文博事務局長が講演し「…改憲の目的が、イラク戦争などのアメリカの無法な戦争に日本を参加させるためであることがますますわかりやすく なっている。今年の世論調査で改憲賛成が減少傾向を示すなど、私たちの運動は世論を動かしつつある」と強調しました。集会は役員を選出して市民過半数署名達成に全力を挙げることなど 取組方針を決めました。(県民の会HPより)
[宥恵の心のおき処] 9月16日の主な全国紙は、僕にとって興味ある記事が一面を飾った。「オウム真理教、松本被告死刑確定」と「高松塚古墳壁画解体前公開」である。この二つをコラムで論じようとは思わないが、仏教徒であることと仏画師である自身の立場からすると、それなりに整理しておかないといけないだろう。共通するのは、宗教の持つブラックホールというのか、詳しく書けないのが残念なくらい「救い」とは何かを訴えてくることだ。高松塚古墳の場合は、被葬者が誰なのか問題ではなく、黄泉の国へ送る棺の周りに埋める装飾品や壁画であったりする不思議を考えるところの「救い」というものだ。余談になるが、壁画の劣化がひどいので保護せざるを得ないというのもどうかな、と考古学を得意としない僕は少しいぶかっている。逆説だが、「『死』がなければ宗教はいらない」とどちらも言えるかもしれない。となれば、「生の中 に宗教(救い)というブラックホールは潜んでいる」ともいえる点が難しいところなのかも知れない。高松塚古墳の壁画修復で思い出すのは、15年程前、仏画を描くというだけで、奈良にある大寺の三重の塔内に描かれている祖師像(8体)に剥離している個所が見つかり修復を頼まれ、何の修復技術も持たない僕が、門前町の旅館に2週間泊って悪戦苦闘したことだ。三重の塔は昭和に入ってから建造され、板絵にするには硬すぎるケヤキの類の板が使ってあった。その時は一目見て、立派過ぎる板で、絵の具が板に定着していないのと、閉めきりのお堂の湿気がその板との間に入り込んだのが原因と分かった。しかし、「ではどうすれば?」という段になって技がついていかない。膠を強くすることでピンセット、針などを使いながら修復を終えた。よほど懲りたのか、片付けてほっとして荷物を持ち上げたとたんにギックリ腰になった。いまはもう苦い思い出だ。高松塚古墳はカピが原因なので、いままでにない大掛かりな修復技術を要すると思う。だが、34年前の発見時、今の空気に触れるとどうなるのか予見できたはずなので、思慮が浅かったと言わぜるを得ない。これも逆説的なことを言うと、今の空気と古代の空気が違うことが棺を発掘することで分かったのだから、古代人からの戒めかも知れない。 (毎日新聞より転載)
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(2006年10月9日入力)
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