「九条の会・わかやま」 83号を発行(2008年11月5日付)

 83号が11月5日付で発行されました。1面は、反戦語るノーベル物理学賞の益川敏英さん、横井久美子コンサート&トーク、九条噺、2面は、毎日新聞記者の目(伊藤和也さんの死と給油法延長論義)、日弁連が「平和的生存権・9条」に関する宣言を採択 です。
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[本文から]

反戦語る気骨の平和主義者・・ノーベル物理学賞、益川敏英さん

 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。
 作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の1人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。
 原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。
 05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。
 1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その1人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。
 受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。(毎日新聞 10月8日)

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平和を歌おう!平和を語ろう!
横井久美子コンサート&トーク


 10月27日(月)夜、カトリック屋形町教会(和歌山市)で、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が主催して「平和を歌おう!平和を語ろう!横井久美子コンサート&トーク」が開かれました。シンガーソングライターの横井久美子さんが、170名以上の参加者を前に、歌と楽器の演奏に語りをまじえながら、「9条を守ることは、生きて立っている場所を守ること」「周りが間違った方に流れても言うべきことを言った人はいた」と平和の大切さを訴えました。
 途中のトークタイムで、登壇した金原徹雄弁護士、長岡健太郎弁護士との軽妙なやりとりの中で横井さんは、日本の弁護士の中に9条の運動や原爆症・公害・薬害・人権などの問題で弱者の立場で行動する集団的な力があることは世界的に見ても素晴らしいと指摘し、これに新人弁護士も加わっていることを称賛しました。歌では、自らのギター・ハープ・ドラム伴奏による独演とともに、参加者とともに歌う場面もありました。途中に「里の秋」を一同で歌ってから、戦前に戦意高揚の歌だった「里の秋(星月夜)」を悔やんだ作詞者が、復員歓迎の歌に改作したというエピソード(「きれいな きれいな 椰子の島/しっかり護ってくださいと/ああ父さんのご武運を/今夜もひとりで祈ります」が、「さよなら さよなら 椰子の島/お船に揺られて帰られる/ああ父さんよ ご無事でと/今夜も母さんと祈ります」に変わった)を、横井さんのホームページの内容から紹介しました。そして、9条世界会議ピースウォーク・テーマソング「どこでも」を参加者の子供一人と歌いました。最後は「アメイジンググレイス」のメロディーに峠三吉原爆詩集の「人間を返せ」を乗せて「人の世の続く限り崩れぬ平和を返せ」と皆で歌い、感動の中に終わりました。あたたかい雰囲気の会でした。

「里の秋」は http://www.asahi-net.or.jp:80/~fg4k-yki/report/0410/f041002.htm

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【九条噺】

 清原和博選手の引退セレモニー。23年間、まさに〝栄光と挫折〟をそのまま体現したような彼の壮絶な野球人生にふさわしいものだった。かねてから親交のあった歌手の長淵剛さんもかけつけ、感きわまる表情の彼の目前で「とんぼ」を熱唱、やがてドーム球場につめかけた3万人の大合唱となった▼この「とんぼ」は、ことばを飾らない、不器用で無骨ともいえる彼にとり最適の歌ではないか。長淵さんもまた、つねに自分の率直な思いを歌にして、全身で表現してきた。なかでも01年9月の「同時多発テロ」の翌年に発表した「静かなるアフガン」は衝撃的だった▼長淵さんは歌った。♪海の向うじゃ戦争がおっぱじまった(略)アメリカが育てたテロリスト ビンラディンがモグラになっちまってる ブッシュは(略)アフガンの空 黒いカラスに化けた  ほら また戦争かい(略)戦争に人道なんてありゃしねぇ 戦争に正義もくそもありゃしねぇ 黒いカラスにぶらさがるニッポン人(略)空爆に両足ふっ飛ばされた少女の瞳から真っ赤な血がしたたりおちる 日の丸と星条旗に僕は尋ねてみたい 戦争と銭(カネ)はどうしても必要ですか  広島と長崎が吠えている 「もう嫌だ」と泣き叫んでいる(略)あぁ早くアフガンの大地に 平和と緑よやどってくれ!(略)僕は祈る 静かなるアフガンの大地♪▼このトップシンガーの勇気を大いに称えたい。メディアはこの歌を敬遠しつづけたが、彼の叫びのような願いは今も多くの人々の胸に新鮮に響くはずだ。(佐)

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毎日新聞  記者の目
伊藤和也さんの死と給油延長論議
問われる日本の国際社会観 アフガンの心を大切に


 インド洋給油活動を1年延長する新テロ対策特別措置法改正案が、衆院の解散時期と絡めた与野党の駆け引き材料になっている。アフガニスタン支援の先駆者である非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)を取材してきた一人として、私には武力行使を支える給油活動がテロ根絶につながるとは到底思えない。が、それ以前に、混迷を深めるアフガン支援や、対テロ戦争への日本のかかわり方を見直す機会が、そんな政局絡みの審議で片付けられることが残念でならない。新テロ特措法の期限切れまで、あと2カ月半。選挙を挟んでも議論を尽くすべき課題だと、私は思う。


 写真を見てほしい。8月にアフガンで拉致・殺害されたペシャワール会職員、伊藤和也さん(31)のお別れ会の模様だ。会によると、地元の有力者をはじめ約800人の住民が弔問に訪れたという。私も昨年末、取材で現地を訪ね、会が掘り進める農業用水路(当時全長13キロ)沿いを歩き、伊藤さんが耕した緑の畑も目にした。草の根の農業支援がいかに感謝されていたか、悼む人々の気持ちが、あの光景と共に胸に迫る。
 アフガンは深刻な干ばつが戦乱に追い打ちをかけており、英国のNGOは「今冬約500万人が飢餓に陥る」と警告する。畑は干からび、5歳以下の5人に1人が主に栄養失調で亡くなる。食うに困った若者の一部は武装組織に加わり、盗賊同然に日銭を稼ぐ。貧困と無政府状態が生む、この不幸な連鎖を、伊藤さんらは断ち切ろうとしていた。それが着実に成果を上げていたことは、用水路の周囲に多くの難民家族が舞い戻り、思い思いに家屋を建てる様子で明らかだった。
 翻って、米国がアフガンで関与を強める「テロとの戦い」はどうだろう。治安回復どころか、今年8月の多国籍軍兵士の犠牲は過去最悪の43人。一方で米軍の誤爆などで亡くなった民間人は今年700人を超える最悪ペースで、外国勢力や政府に対する民衆の憎悪は深まるばかりだ。
 共に「アフガンに平穏をもたらす」ことを目的としながら、伊藤さんらの活動と給油活動の間には決定的な違いがある。それは、現地住民の感情に寄り添っているかどうかだ。麻生首相は「給油活動は国際社会の一員として当然の責務」と言うが、泥沼化した現実を顧みない口ぶりは、まるで「国際社会」の中にアフガン国民は存在しないかのようだ。遠いアフガンの現実を我が身に引き寄せて考える態度が欠落している。対テロ戦争の行き詰まりを直視できないのも、そのせいに思えてならない。
 私はかの地を思うとき、63年前の日本と重ね合わせてみる。《アフガンと同様に焦土に親米政権が立てられ、国際社会の監視と支援を受け入れて復興が図られた敗戦後の日本。もしあの時、米軍が「戦犯掃討」と称して各地で空爆を続けていたら。そしてそれが、子供を含む多くの「巻き添え死」を生んでいたら》。果たして日本国民は敗戦を受け入れただろうか、と。  アフガンでは今も逃げ散った旧支配勢力タリバンが戦闘を続け、貧困や憎悪などから自爆テロも辞さない「兵士」が次々に加わる。その心情を宗教の違いに帰して「テロリストは理解できない」と言い切れるだろうか。テロは決して許されないが、国際的非難より、苦難に寄り添ってきた伊藤さんの死が、アフガン民衆にテロの非人間性を刻んだ事実を忘れてはならない。
 アフガン問題は今、大きな潮目を迎えている。本紙の取材で、アフガン政府がタリバンの最高指導者オマル師との和解交渉を進めていることが明らかになった。国民的な怒りの代弁者として勢力を広げるタリバンを武力で鎮圧することに、当の政府が限界を感じている。一方で米国は今後、新大統領が新たな「テロとの戦い」を構築する。このときに、日本の政治は本質的な論議ではなく、解散を巡る駆け引きで審議日程を決めようとしている。
 ペシャワール会の中村哲・現地代表はかつて、会の活動の原点は「命を尊び、人としての一致点を探る努力」だと語った。それはそのまま、政治が果たすべき役割に置き換えられる。だが、新テロ特措法がよって立つ「国際社会」観からは、戦乱と干ばつにあえぐアフガン民衆の姿は見えてこない。与野党はなお一致点を探り、テロの背景にある貧困や憎しみの連鎖を断つ努力を尽くしてほしい。
 「現地の人たちと一緒に成長していきたい。子供たちが将来、食料で困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になりたい」。亡くなった伊藤さんが5年前、入会申込書に記した言葉だ。遺志を無駄にしてはならない。(阿部周一・西部報道部)(毎日新聞10月28日東京朝刊)

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日弁連が「平和的生存権・9条」に関する宣言を採択

 日本弁護士連合会は10月3日、第51回人権擁護大会で「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」を採択しました。「平和的生存権と9条」の今日的意義を打ち出し、憲法改悪の動きに対抗するものです。
 宣言は「当連合会は、憲法9条改正論の背景と問題点について研究と議論を重ねた上、平和的生存権および憲法9条が、次に述べる今日的意義を有することを確認する」と述べ、①平和的生存権は、すべての基本的人権保障の基礎となる人権であり、今日の国際社会において、全世界の人々の平和に生きる権利を実現するための具体的規範とされるべき重要性を有すること②憲法9条は、一切の戦争と武力の行使・武力による威嚇を放棄し、他国に先駆けて戦力の不保持、交戦権の否認を規定し、国際社会の中で積極的に軍縮・軍備撤廃を推進することを憲法上の責務としてわが国に課したこと③憲法9条は、自衛隊の組織・装備・活動等に対し大きな制約を及ぼし、海外における武力行使および集団的自衛権行使を禁止するなど、憲法規範として有効に機能していることを指摘し、当連合会は平和的生存権および憲法9条の意義について広く市民の共通の理解が得られるよう努力し、責任ある提言を行い、21世紀を輝かしい人権の世紀とするため、世界の人々と協調して基本的人権の擁護と世界平和の実現に向けて取り組むことを決意すると表明しています。

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(2008年11月5日入力)
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