「九条の会・わかやま」 88号を発行(2008年12月25日付) 88号が12月25日付で発行されました。1面は、新テロ特措法 再議決で成立、NHK・ETV特集 加藤周一1968年を語る①、九条噺、2面は、雑賀9条の会が講演会・総会、九条の会全国交流集会 呼びかけ人の挨拶①、学生九条の会が交流集会 です。 | |
新テロ特措法、再議決で成立
閉塞感漂う現在、〝68年〟は過去ではない ☆
加藤さんは「今、どうしても語り伝えたいことがある」と7月17日にNHKのインタビューに応じた。〝40年前に世界を揺るがした若者たちの叛乱〟。1968年は世界中の若者たちが同時多発的に体制への異議を訴えた年。加藤さんはその年、アメリカ、フランス、チェコスロバキアなど、激動の震源地を訪ね、若者たちと語り合い、変革の波を体感した。ベトナム戦争、ソ連軍のプラハ軍事介入。今、あの当時と同じ閉塞感が漂いはじめているという。今の世の中にも閉塞感はあると思う。だけど表現の方法を見出していないし、仕方がないみたいになっている面が大きいと思う。気分の問題だから、ある時点で爆発すると論理的でないものが出てくる。それが閉塞感で、しかも非常に広く、大勢の人が参加させられている。それが現在の状態で68年は過去ではない。 加藤さんは、68年という年は20世紀の歴史の中でも重要なターニングポイントだという。68年について書いた評論集『言葉と戦車』はその年に見聞きした世界の激動を考察した文明批評だ。プラハの春と弾圧に触発され、戦車に象徴される権力と市民が発する言葉について考えている。その後の重要なテーマとなった。 オバマの「Change」という言葉に注目する。何を変えるかではなく、ただ変えるということがシンボルになった、なり得たことが面白いと思う。彼が直感し、見抜いたのは、みんな変えたいということだ。あれだけの反応を引き起こせるのは、どこかで深い現実に触れているからだろう。68年フランスの街のスローガンにも「Change」があった。「Changer la vie !(シャンジャラヴィー)」(=生活・生き方を変えよう)。似ているが、フランス、ドイツの方が批判的で鋭かった。 68年のフランスの5月革命は学生と当局のささいな衝突からに始まった。カルチェラタンにバリケードが作られ、街中に解放区が生れた。ゼネストで鉄道、飛行機などの交通機関が止まり、ドゴール政権に打撃を与えた。サルトルと対話をしてひとつの言葉に出会った。「engagement(アンガージュマン)」(=自ら責任をもって政治に参画すること)、この時代の標語だ。バリケードの中では社会の根底を問い直す議論が交わされ、「素晴らしい何ものか」「想像力が権力を掌握する」「君は社会の歯車になっていくのか」などとともに「これはまだ序の口!」があった。 それは直接に革命の「序の口」ではなかった。しかし、長い眼で見た「世直し」の「序の口」ではあるだろうと思う。どうして懲りもせず、私は誰にも分からぬ将来を考えようとするのか。しかし、「素晴らしい何ものか」には将来があると信ずる。 68年の他の世界の動きは、アメリカのヒッピーズ、ベトナム反戦運動、 中国の文化大革命。加藤さんが注目したのはチェコの「プラハの春」。チェコでは68年1月、ドプチェクが第一書記に就任し、大胆な改革に着手する。検閲廃止、報道規制緩和など、人間の顔をした社会主義の実現を目指した。 全く新しい世界が成立したことへの熱狂的な支持はプラハを中心にあり、大変な希望に満ちていた。その希望は〝自由〟。「『何を書いても大丈夫』という時がついに来た!」という感じで、プラハで会った作家たちは、これで自由だと喜んでいた。 「2千語宣言」が発表され、チャスラフスカ、ザトペックら多くの人が署名した。「プラハの春」ではまだ完全な自由は生れていなかった。自由を実現することが目的であった。 「どんなに社会主義国を批判しても誰も何とも言われない。いわんや逮捕されることはない。資本主義も社会主義も同じ街で自由に批判できるのは、全世界でただ一つプラハだけだ」。精神的にはほとんど「踊り」「祝祭」に近いような感じで、「人類は初めて完全なる〝自由〟をプラハで経験しつつある」と言っていた。「どのくらい続くのか分からない」という不安の声もあった。(つづく)
【九条噺】
9条をかえると貧困が広がる | |
始めに代表の引地秀世さんのあいさつがあり、続いて由良弁護士が「くらしと憲法」と題して記念講演を行いました。由良弁護士は「九条の会は全国で7000をこえ草の根で広がっているので、憲法を変えにくい状況になっている。しかし国会では改悪案を作るための憲法審査会を始動させようと動きが強まっている。「9条とくらし」では、9条を変えられると軍事費が増え、一方で貧困が広がる。だから「9条を守ろうという国民が過半数になるということを目標に持ち続けることが大事。特に若者が生き生きと参加してくれる運動をどうつくるか。9条を守ろうという訴えを、魅力をもって聞いてくれるよう語り拡げていくことが大切」と熱く語りました。1部と2部の間にリラックスタイムとして、キーボードの伴奏で「紅葉」や「里の秋」など、会館いっぱいに歌声を響かせました。
生きる規範が『 九条の会』に ☆
沖縄戦の集団死について書いた本の第二審の判決について、質問に答えるときに気付いたことがありました。それは、原告側は第二審の最終弁論にあたって、「これは名誉棄損の裁判だが、むしろ自分たちは政治的に大きな目的を持っている」と明言しました。しかし、私の方は政治的目的はあまり考えず、38年前に書いた本を守り続けようと考え、この裁判が自分の日常生活の中に深く入り込んでいたという事実です。そういう態度が浸み付いたのは、「九条の会」のおかげだと思います。最近、物理学者フリーマン・ダイソンの本を読み、同じ論文を20年前に読んだ時とは違う感銘を覚えました。それは非暴力抵抗の概念を一国の国家政策にする国が必要だという内容です。私は去年から今年にかけて何度か「九条の会」の地方の会に出していただき、そこで個人が生きていく規範として「九条の会」の人間であることを続けている人たちにあい、静かな、確信に満ちた規範を感じてきました。ある地方では、お子さん、お孫さん、ひ孫さんの代まで「九条の会」に入っている方がおられる。4代にもわたる平和主義の個人的な規範としての伝統が国家の伝統になれば、日本が国際的に平和主義を本当に樹立する大きな手がかりになるのではないでしょうか。(見出しは編集部)
学生九条の会が交流集会 | |
「九条の会」の呼びかけ人・井上ひさしさんと2人の学生が、小森陽一さん(東京大学教授)の司会で「学生の未来と憲法九条」と題したトークセッションをしました。井上さんは2人の学生の質問に、ユーモアたっぷりに、江戸時代の剣客と呼ばれた人たちの兵法にふれ、剣の道を究めた達人たちは、「人を討たない、人から討たれない」ために、「どうしたら剣を使わないですむか、という結論に達した」と紹介しました。 集会では「学生九条の会のつながりをさらに広げて平和な未来を築きたい」とのアピールを確認しました。
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(2008年12月25日入力)
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