「九条の会・わかやま」 87号を発行(2008年12月25日付)

 88号が12月25日付で発行されました。1面は、新テロ特措法 再議決で成立、NHK・ETV特集 加藤周一1968年を語る@、九条噺、2面は、雑賀9条の会が講演会・総会、九条の会全国交流集会 呼びかけ人の挨拶@、学生九条の会が交流集会 です。
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[本文から]

新テロ特措法、再議決で成立

 12日の参院本会議は新テロ特措法(補給支援特措法)延長法案を反対多数で否決しましたが、同日の衆院本会議で再び与党の「3分の2」以上の多数で再可決され、成立しました。再議決を行った福田・麻生の両内閣はともに国民の信任を得ておらず、法案を提出する資格があるかすら疑問で、暴挙と言わなければなりません。
 自衛隊をインド洋に派遣し、アメリカの報復戦争を支援することは憲法9条に違反することは明らかです。アフガンのカルザイ大統領はタリバンと政治的和解の交渉を始め、ペシャワール会・中村哲氏の陳述のようにアメリカ自身がタリバンとの対話を検討している中で、日本がしなければならないことは、憲法違反の給油活動ではなく、和平交渉・人道支援の促進でなくてはなりません。

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閉塞感漂う現在、68年≠ヘ過去ではない
NHK・ETV特集「加藤周一 1968年を語る・『言葉と戦車』ふたたび」@

12月5日に亡くなった加藤周一さんを偲び、12月14日に放映されたNHK・ETV特集で語られた内容(要旨)を、4回(予定)に分けてご紹介します。

 加藤さんは「今、どうしても語り伝えたいことがある」と7月17日にNHKのインタビューに応じた。40年前に世界を揺るがした若者たちの叛乱=B1968年は世界中の若者たちが同時多発的に体制への異議を訴えた年。加藤さんはその年、アメリカ、フランス、チェコスロバキアなど、激動の震源地を訪ね、若者たちと語り合い、変革の波を体感した。ベトナム戦争、ソ連軍のプラハ軍事介入。今、あの当時と同じ閉塞感が漂いはじめているという。

 今の世の中にも閉塞感はあると思う。だけど表現の方法を見出していないし、仕方がないみたいになっている面が大きいと思う。気分の問題だから、ある時点で爆発すると論理的でないものが出てくる。それが閉塞感で、しかも非常に広く、大勢の人が参加させられている。それが現在の状態で68年は過去ではない。

   加藤さんは、68年という年は20世紀の歴史の中でも重要なターニングポイントだという。68年について書いた評論集『言葉と戦車』はその年に見聞きした世界の激動を考察した文明批評だ。プラハの春と弾圧に触発され、戦車に象徴される権力と市民が発する言葉について考えている。その後の重要なテーマとなった。

 オバマの「Change」という言葉に注目する。何を変えるかではなく、ただ変えるということがシンボルになった、なり得たことが面白いと思う。彼が直感し、見抜いたのは、みんな変えたいということだ。あれだけの反応を引き起こせるのは、どこかで深い現実に触れているからだろう。68年フランスの街のスローガンにも「Change」があった。「Changer la vie !(シャンジャラヴィー)」(=生活・生き方を変えよう)。似ているが、フランス、ドイツの方が批判的で鋭かった。

   68年のフランスの5月革命は学生と当局のささいな衝突からに始まった。カルチェラタンにバリケードが作られ、街中に解放区が生れた。ゼネストで鉄道、飛行機などの交通機関が止まり、ドゴール政権に打撃を与えた。サルトルと対話をしてひとつの言葉に出会った。「engagement(アンガージュマン)」(=自ら責任をもって政治に参画すること)、この時代の標語だ。バリケードの中では社会の根底を問い直す議論が交わされ、「素晴らしい何ものか」「想像力が権力を掌握する」「君は社会の歯車になっていくのか」などとともに「これはまだ序の口!」があった。

 それは直接に革命の「序の口」ではなかった。しかし、長い眼で見た「世直し」の「序の口」ではあるだろうと思う。どうして懲りもせず、私は誰にも分からぬ将来を考えようとするのか。しかし、「素晴らしい何ものか」には将来があると信ずる。

 68年の他の世界の動きは、アメリカのヒッピーズ、ベトナム反戦運動、 中国の文化大革命。加藤さんが注目したのはチェコの「プラハの春」。チェコでは68年1月、ドプチェクが第一書記に就任し、大胆な改革に着手する。検閲廃止、報道規制緩和など、人間の顔をした社会主義の実現を目指した。

 全く新しい世界が成立したことへの熱狂的な支持はプラハを中心にあり、大変な希望に満ちていた。その希望は自由=B「『何を書いても大丈夫』という時がついに来た!」という感じで、プラハで会った作家たちは、これで自由だと喜んでいた。

 「2千語宣言」が発表され、チャスラフスカ、ザトペックら多くの人が署名した。「プラハの春」ではまだ完全な自由は生れていなかった。自由を実現することが目的であった。

 「どんなに社会主義国を批判しても誰も何とも言われない。いわんや逮捕されることはない。資本主義も社会主義も同じ街で自由に批判できるのは、全世界でただ一つプラハだけだ」。精神的にはほとんど「踊り」「祝祭」に近いような感じで、「人類は初めて完全なる自由≠プラハで経験しつつある」と言っていた。「どのくらい続くのか分からない」という不安の声もあった。(つづく)

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【九条噺】

 本宮の知人から貴重な文書が届いた。本宮町が田辺市などと合併する半年前、町議会で全会一致で議決した「『大逆事件』の紀南の犠牲者達の名誉を回復し、顕彰する宣言」である。自治体が100年近い昔の「事件」をとりあげ、犠牲者の「名誉回復」をはかるということ自体極めて稀なことだと思う▼「宣言」は、「大逆事件」(1910年)そのものが弾圧のために仕組まれた架空の事件であり、この事件に連座した「紀州・新宮グループ」の6名も冤罪で死刑や無期刑に処せられたと明言。「彼らはここ、紀南の地において、進取の気風、自由・平等・博愛の精神に命を捧げた郷土の先覚者であった」と、反戦・反差別の生涯を称え、「わが町は、暗黒の闇に眠る成石兄弟はじめ紀南の先覚者たちの名誉を回復し、顕彰する」と謳っている▼町が「宣言」するに至ったのは、あげて「本宮町『大逆事件』犠牲者の名誉を回復する会」(丹羽達宗会長)の長年にわたる地道な活動による。事件に連座したのは、新宮の大石誠之助・高木顕明・峯尾節堂・崎久保誓一と本宮の成石勘三郎・平四郎兄弟であり、本宮町でも知る人は少なくない。だが、この「事件」がいわばでっち上げで、彼らは冤罪による犠牲者だと早くからわかっていても、なお公式に名誉を回復するには100年近くも要したのだ▼冤罪の恐さを今に思い知る。同時に、郷土の誇るべき先覚者のためにコツコツと努力を重ねてこられた知人たちに頭が下る思いだ。(佐)

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9条をかえると貧困が広がる
「雑賀9条の会」が講演会・総会開催


 12月6日、雑賀9条の会は「第4回総会と記念講演・歌の集い」を西浜自治会館で催し、37名が参加しました。

 始めに代表の引地秀世さんのあいさつがあり、続いて由良弁護士が「くらしと憲法」と題して記念講演を行いました。由良弁護士は「九条の会は全国で7000をこえ草の根で広がっているので、憲法を変えにくい状況になっている。しかし国会では改悪案を作るための憲法審査会を始動させようと動きが強まっている。「9条とくらし」では、9条を変えられると軍事費が増え、一方で貧困が広がる。だから「9条を守ろうという国民が過半数になるということを目標に持ち続けることが大事。特に若者が生き生きと参加してくれる運動をどうつくるか。9条を守ろうという訴えを、魅力をもって聞いてくれるよう語り拡げていくことが大切」と熱く語りました。1部と2部の間にリラックスタイムとして、キーボードの伴奏で「紅葉」や「里の秋」など、会館いっぱいに歌声を響かせました。
 第2部の総会では事務局から初めてとりくんだ「雑賀9条まつり」には、家族連れなど予想以上の500人が集まり、地域との交流となったことや賛同者が974人うち会員は298人となったことが報告されました。また、1月18日(日)の全県一斉署名行動日に雑賀9条の会もとりくみを計画、協力を訴えました。最後にあらたに加わった世話人など役員選出をして終わりました。(事務局長・府中裕子さんより)

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生きる規範が『 九条の会』に
「九条の会」全国交流集会呼びかけ人の挨拶 @ 大江健三郎さん

九条の会第3回全国交流集会が11月24日に開かれました。呼びかけ人の挨拶を「九条の会ニュース」から順にご紹介します。

 沖縄戦の集団死について書いた本の第二審の判決について、質問に答えるときに気付いたことがありました。それは、原告側は第二審の最終弁論にあたって、「これは名誉棄損の裁判だが、むしろ自分たちは政治的に大きな目的を持っている」と明言しました。しかし、私の方は政治的目的はあまり考えず、38年前に書いた本を守り続けようと考え、この裁判が自分の日常生活の中に深く入り込んでいたという事実です。そういう態度が浸み付いたのは、「九条の会」のおかげだと思います。
 最近、物理学者フリーマン・ダイソンの本を読み、同じ論文を20年前に読んだ時とは違う感銘を覚えました。それは非暴力抵抗の概念を一国の国家政策にする国が必要だという内容です。私は去年から今年にかけて何度か「九条の会」の地方の会に出していただき、そこで個人が生きていく規範として「九条の会」の人間であることを続けている人たちにあい、静かな、確信に満ちた規範を感じてきました。ある地方では、お子さん、お孫さん、ひ孫さんの代まで「九条の会」に入っている方がおられる。4代にもわたる平和主義の個人的な規範としての伝統が国家の伝統になれば、日本が国際的に平和主義を本当に樹立する大きな手がかりになるのではないでしょうか。(見出しは編集部)

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学生九条の会が交流集会
「Peace Night 9」に1000人が集う


 「世界の窮状に、私たちは九条を選びたい」。早稲田大学大隈講堂(東京都新宿区)で12月12日夜、「ピースナイト9実行委員会」と「早大九条の会《Article9》」が主催した学生九条の会の交流集会・第2回「Peace Night 9」が開かれました。首都圏や各地から千人の参加者が会場を埋め、戦争の放棄や軍隊の不保持を掲げた憲法九条の価値を生かそうとの思いがあふれました。
 九条を守りたい思いを自分自身の言葉で語った「九条とわたし」では高校生や学生が発言し、朝日新聞記者の吉岡一さんがイラクの状況について語りました。

 「九条の会」の呼びかけ人・井上ひさしさんと2人の学生が、小森陽一さん(東京大学教授)の司会で「学生の未来と憲法九条」と題したトークセッションをしました。井上さんは2人の学生の質問に、ユーモアたっぷりに、江戸時代の剣客と呼ばれた人たちの兵法にふれ、剣の道を究めた達人たちは、「人を討たない、人から討たれない」ために、「どうしたら剣を使わないですむか、という結論に達した」と紹介しました。  集会では「学生九条の会のつながりをさらに広げて平和な未来を築きたい」とのアピールを確認しました。

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(2008年12月25日入力)
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