「九条の会・わかやま」 90号を発行(2009年1月20日付)

 90号が1月20日付で発行されました。1面は、海賊対策を口実に自衛隊派兵は許されない、九条の会全国交流集会 呼びかけ人の挨拶③、九条噺、2面は、NHK・ETV特集 加藤周一1968年を語る③、近著紹介 です。
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[本文から]

海賊対策を口実に自衛隊派兵は許されない

 麻生首相は16日、海上警備行動を発令して3月にもアフリカ・ソマリア沖に海上自衛隊を派遣する方針を固め、与党の「海賊対策等に関するプロジェクトチーム(PT)」は20日までに自衛隊派遣の行動基準をまとめる方針です。PTは「海賊対策新法」制定、武器使用の対処要領や外国船を保護対象とする議論までしています。与党は今国会で新法案提出を目指しています。
 しかし、海賊行為は犯罪であり、海賊対策は海上警察機関である海上保安庁の責務です。自衛隊の海上警備行動は海上保安庁では対応が困難な場合に職務を代行するものです。法的な性格は警察活動で、日本周辺海域で日本国民の生命や財産を守るための任務であって、国際活動へ適用するためのものではありません。海上警備行動での派遣はインド洋派兵などに加えて、自衛隊の海外派兵をなし崩しで拡大するものであり、外国船保護は集団的自衛権行使の既成事実化の危険があると言わなければならないでしょう。
 「海賊対策新法」は憲法が禁ずる海外での武器使用を認めようとしています。集団的自衛権行使や海外派兵恒久法早期制定を方針とする「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」(自民・民主など)は「海賊対策全般への対応を定める恒久法制定」の方針を示しており、「新法」は「自衛隊海外派兵恒久法」に道を開くものと言えます。
 海賊の背景には20年以上続くソマリア内戦で「困窮した漁民らが身代金目的に海賊行為に走っている」という問題があります。また、米誌『ニューズウィーク』9月1日号は、「米国の対テロ戦争がソマリアの政変を招き、それが海賊を横行させた」と指摘しています。「自衛隊派兵先にありき」ではなく、内戦終結・復興のために、アフリカへの漁業支援や海上保安庁による警備技術支援・資金援助などの国際協力こそ日本の海賊対策ではないでしょうか。

国民投票の実施に向け 予算47億円

 09年度予算財務省原案には、国民投票法に基づく国民投票実施に向けた予算が46億9千万円も盛り込まれています。(総務省要求は52.7億円)08年度予算は0.7億円でしたので、67倍にもなります。
 総務省は投票人名簿の作成など新たなシステム開発をする費用などに充てるとしています。
 国民投票法成立時、付帯決議で投票年齢の設定、最低投票率の是非などの検討が義務付けられており、その課題もそのままにして、国民投票の実施の準備だけは先行させるという姿勢を示すものです。

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いま考えたいのは、次の世代以降にどういう社会を残すかということ
  「九条の会」全国交流集会呼びかけ人の挨拶 ③ 澤地久枝さん

 11月24日に開かれた九条の会第3回全国交流集会での呼びかけ人の挨拶を「九条の会ニュース」から順にご紹介しています。


 田母神という人は航空幕僚長という非常に高い地位にありながら、いかがわしい団体の募集に応じて「日本が侵略国家というのは濡れ衣」と書いて問題になった。そしてこの論文の審査委員長は私とまるで立場の違う渡部昇一さんです。
 それだけではなく、自分の部下を大勢応募させたし、自衛隊の中で非常にゆがんだ歴史観を教えていることが明らかになりました。講師の中には、櫻井よしこさんなど、私たちが平和国家として生きようと言えば反対の方向から攻撃をかけてくる人もいます。そういう教育の中で、自衛隊が戦争のできる集団になろうとしている。この幕僚長をなぜ首相は懲戒免職にしないのか。
 しかし、私たちが代われば世の中は変わる。そして私たちは、9条を守る運動を広げてきました。最近地方などに行って感じることは、大学生、中高生、小学生からもっと小さなお子さんまでみえている。全国の九条の会に参加した人数は確実に増えたし、質的にも広がってきた。
 いま考えたいのは、自分たちがどう生きていくかというだけではなく、次の世代、その次の世代にどういう社会を残すかということ。参加者が重層的になってきたこと、これはやたらなことでは崩されないし、崩させてもなりません。
 さしあたっては、経済不況でくらしの問題が迫っています。9条と25条を一つのものとして立ち向かっていく時だと思います。(見出しは編集部)

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【九条噺】

 あまりの〝放言〟連発で周囲から〝発言を慎め〟と諌められ、麻生総理が一時期やや口を閉ざした感もあった頃、つい「歌を忘れたカナリア?」と皮肉るつもりでいたが、サテ、そのカナリアは結局どうなったかと調べるうちに、この童謡は軽々しくこんなことに使ってはいけない歌だと思い知らされた▼「歌を忘れたカナリア」は「裏の山に捨てる」のも「背戸の小藪に埋める」のも「かわいそう」、「象牙の舟に銀のかい」で「月夜の海に浮かべれば」「忘れた歌を思い出す」・・・西条八十は子どもの頃見た情景を思い浮かべて、例え皆から取り残されてしょげている子どもでも、元気よくなる場所はきっとある、今は傷つき悩んでいても、すべての子どもたちが輝く日はきっとくる、と、人を思いやる優しい心と希望を子どもたちに託してつくったという▼こんな心優しい歌は今の総理にはまるでふさわしくない。何しろ、初めての街頭演説で「下々のみなさん」とよびかけて以来、この感覚を貫いて総理まで上りつめた〝筋金入り〟、連夜の一流ホテルのバー通いなんて〝軽い軽い〟。地球サミットで訪米した際も、オバマ次期大統領に電話して「おまえと真の人間関係の確立をはかりたいと言ったんだ」(記者会見)とか。〝恥〟ももはや国際級か?▼かくいう小生も「たらたら飲んで」身体を壊し病院通い。「なんで私がおまえの医者代を」と総理に叱られております、ハイ。(佐)

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21世紀に積み残した閉塞感は根本的に変わる必要がある
NHK・ETV特集「加藤周一 1968年を語る・『言葉と戦車』ふたたび」③

12月5日に亡くなった加藤周一さんを偲び、12月14日に放映されたNHK・ETV特集で語られた内容(要旨)を紹介しています。今回は3回目。


 私のプラハの結論は、あそこで「言葉」と「戦車」が対立した。「言葉」に関する限りチェコスロバキアは100倍の力を持っていた。弾圧があるのは「暴力」の側の敗北のしるしだ。銃弾だけで行われる戦争はない。戦争は言葉と弾丸と2つの組み合わせから成っている。ヒトラーでさえ、自分自身を正当化することをやめなかった。言葉の力がだんだんと、ある程度大きくなると、軍事的に愛国心、膨張主義を押し付け、国のために他の人権を蹂躙し、一般市民の権利をどんどん狭めていくことが戦争になれば起こる。そういうことは「言葉」によって刈り取ることができる。「言葉」による戦いで抑えることができる。政府が戦争をするために作った言葉を使わないとか、無理に使わされた時だけ使うとか、そういうことで大いにラジオ、テレビの言葉が大きな力を持ってくると思う。テレビで働いている人の力は「言論」だと思う。「言論」というものをあまり馬鹿にしない方がいい。それなりの力を持っている。

 「プラハの春」で生れた自由を求める言葉は戦車によって押しつぶされたかに見えた。しかし、プラハで発せられた言葉は国境を越えて広がっていった。68年8月、シカゴのベトナム戦争反対運動で「Cze-cago(チェカゴ)」というスローガンが叫ばれた。これは「Czechoslovakia+Chicago」で、〝シカゴを西のプラハへ〟と呼んだ。警察に対して若者は「あなたは何故ここにいるのか?」と叫んだ。


「Cze-cago!」(NHKテレビより)

 68年8月末、ソ連の戦車がプラハの舗道の上を走り廻っていたとき、シカゴでは警察が無防備の青年男女を殴りつけ、蹴倒し、半殺しにしていた。シカゴの青年男女は一体何をしたのだろうか。要するに権力が用いる言葉、題目と化した言葉に、別の意味を、現実的な中身を与えようとしていたのである。

   日本での若者たちの異議申し立ては68年の200大学32万人の学生運動であった。学生たちは何に憤りを感じていたのか。
 
 学生運動の底の方によどんでいるものは「社会正義」あるいは「傷つけられた社会正義」。どこかで正義と係わりながら働く可能性がないことへの不満が学生運動として噴出した。

   学生運動はベトナム戦争に反対し、軍産学協同体制を批判した。ベトナム戦争に日本の大学も協力しているのではないかという疑惑が起きていた。東大理学部、医学部をはじめ全国の大学に米軍の資金が入っていることが発覚した。

   東大の組織そのものが軍産体制に組み込まれている。だから、日本の学生運動の中には「正義の実現のために」があった。現在でも軍産体制があり、68年の学生運動は死んではいない。世界に先がけて「軍産体制」をはっきりと言ったのは日本の学生の名誉だと思う。  68年に相次いだ画期的な事件はすべて直接または間接に「戦車」または組織された暴力と、「言葉」または人間的なるものとの対立に係わっている。

   68年の意味は、第1次世界大戦後の20世紀の歴史を見渡すと、その意味がより際立って見える。およそ1000万人の死者を出した第1次世界大戦はヨーロッパ文明への強い疑問が生れた。戦後、既成の価値観に対する反発が起こる。その象徴がダダイズムと呼ばれた芸術運動で、10年代以降、世界各地に広がった。このダダイズムと68年の若者の叛乱は閉塞する時代への抵抗という意味でつながっているのではないかと加藤さんは言う。


現在(2007年)のバーツラフ広場

 パリの5月革命は何故あれだけ盛り上がったのか。第1次世界大戦は社会的問題でも、芸術的問題でも主要な転換点になった。しかし、充分には変わらなかった。現状全体を変えたいという雰囲気が両大戦間にだんだんと高まっていき、それがまずパリで爆発する。他のヨーロッパの国でも同調する。あれほど違うアメリカでも、パリでも似たような閉塞感が漂っていた。それで生活を変えようとなった。どういう構造を、どういう政策を変えようというのではなく、生活全体が変わらなきゃいけない、このまま惰性で行くのはまずいという閉塞感が共通だった。20世紀から21世紀へ積み残した閉塞感。このままではうまくない、根本的に変わる必要がある。(つづく)

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【ご紹介】
宇江敏勝さん、自伝的エッセー『森とわたしの歳月』

「九条の会・わかやま」呼びかけ人・宇江敏勝さんが『森とわたしの歳月』を出版されました。毎日新聞(12/27)の記事をご紹介します。


 宇江敏勝さん(71)が自伝的エッセー『森とわたしの歳月─熊野に生きて七十年─』を新宿書房から出版した。山で生まれ育ち、山仕事に刻まれた70年が回想して描かれている。  宇江さんは、炭焼きをしていた両親と山中を移動しながら子ども時代を過ごし、県立熊野高校を卒業後は、造林作業に従事した。作家を目指して山仕事の傍ら日々の記録をノートに書きとめ、42歳の夏にそれまでの体験を『山びとの記』(中公新書)に著して出版、これを機に、著述活動に入った。
 『森とわたしの歳月』は、古希の節目に自らの人生を振り返った作品。昨年10月から10カ月で書き上げた。3部構成で、「わが出生の地 尾鷲」「わが少年期 沖平」「造林小屋の青春 広見川」「最後の窯出し 高尾隧道(ずいどう)口」など17編が収められている。1冊2200円。
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(2009年1月21日入力)
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