「九条の会・わかやま」 90号を発行(2009年1月20日付) 90号が1月20日付で発行されました。1面は、海賊対策を口実に自衛隊派兵は許されない、九条の会全国交流集会 呼びかけ人の挨拶③、九条噺、2面は、NHK・ETV特集 加藤周一1968年を語る③、近著紹介 です。 | |
海賊対策を口実に自衛隊派兵は許されない ☆
国民投票の実施に向け 予算47億円09年度予算財務省原案には、国民投票法に基づく国民投票実施に向けた予算が46億9千万円も盛り込まれています。(総務省要求は52.7億円)08年度予算は0.7億円でしたので、67倍にもなります。 総務省は投票人名簿の作成など新たなシステム開発をする費用などに充てるとしています。 国民投票法成立時、付帯決議で投票年齢の設定、最低投票率の是非などの検討が義務付けられており、その課題もそのままにして、国民投票の実施の準備だけは先行させるという姿勢を示すものです。
いま考えたいのは、次の世代以降にどういう社会を残すかということ ☆
田母神という人は航空幕僚長という非常に高い地位にありながら、いかがわしい団体の募集に応じて「日本が侵略国家というのは濡れ衣」と書いて問題になった。そしてこの論文の審査委員長は私とまるで立場の違う渡部昇一さんです。 それだけではなく、自分の部下を大勢応募させたし、自衛隊の中で非常にゆがんだ歴史観を教えていることが明らかになりました。講師の中には、櫻井よしこさんなど、私たちが平和国家として生きようと言えば反対の方向から攻撃をかけてくる人もいます。そういう教育の中で、自衛隊が戦争のできる集団になろうとしている。この幕僚長をなぜ首相は懲戒免職にしないのか。 しかし、私たちが代われば世の中は変わる。そして私たちは、9条を守る運動を広げてきました。最近地方などに行って感じることは、大学生、中高生、小学生からもっと小さなお子さんまでみえている。全国の九条の会に参加した人数は確実に増えたし、質的にも広がってきた。 いま考えたいのは、自分たちがどう生きていくかというだけではなく、次の世代、その次の世代にどういう社会を残すかということ。参加者が重層的になってきたこと、これはやたらなことでは崩されないし、崩させてもなりません。 さしあたっては、経済不況でくらしの問題が迫っています。9条と25条を一つのものとして立ち向かっていく時だと思います。(見出しは編集部)
【九条噺】
21世紀に積み残した閉塞感は根本的に変わる必要がある ☆
私のプラハの結論は、あそこで「言葉」と「戦車」が対立した。「言葉」に関する限りチェコスロバキアは100倍の力を持っていた。弾圧があるのは「暴力」の側の敗北のしるしだ。銃弾だけで行われる戦争はない。戦争は言葉と弾丸と2つの組み合わせから成っている。ヒトラーでさえ、自分自身を正当化することをやめなかった。言葉の力がだんだんと、ある程度大きくなると、軍事的に愛国心、膨張主義を押し付け、国のために他の人権を蹂躙し、一般市民の権利をどんどん狭めていくことが戦争になれば起こる。そういうことは「言葉」によって刈り取ることができる。「言葉」による戦いで抑えることができる。政府が戦争をするために作った言葉を使わないとか、無理に使わされた時だけ使うとか、そういうことで大いにラジオ、テレビの言葉が大きな力を持ってくると思う。テレビで働いている人の力は「言論」だと思う。「言論」というものをあまり馬鹿にしない方がいい。それなりの力を持っている。 「プラハの春」で生れた自由を求める言葉は戦車によって押しつぶされたかに見えた。しかし、プラハで発せられた言葉は国境を越えて広がっていった。68年8月、シカゴのベトナム戦争反対運動で「Cze-cago(チェカゴ)」というスローガンが叫ばれた。これは「Czechoslovakia+Chicago」で、〝シカゴを西のプラハへ〟と呼んだ。警察に対して若者は「あなたは何故ここにいるのか?」と叫んだ。 | |
「Cze-cago!」(NHKテレビより) | |
68年8月末、ソ連の戦車がプラハの舗道の上を走り廻っていたとき、シカゴでは警察が無防備の青年男女を殴りつけ、蹴倒し、半殺しにしていた。シカゴの青年男女は一体何をしたのだろうか。要するに権力が用いる言葉、題目と化した言葉に、別の意味を、現実的な中身を与えようとしていたのである。 | |
現在(2007年)のバーツラフ広場 | |
パリの5月革命は何故あれだけ盛り上がったのか。第1次世界大戦は社会的問題でも、芸術的問題でも主要な転換点になった。しかし、充分には変わらなかった。現状全体を変えたいという雰囲気が両大戦間にだんだんと高まっていき、それがまずパリで爆発する。他のヨーロッパの国でも同調する。あれほど違うアメリカでも、パリでも似たような閉塞感が漂っていた。それで生活を変えようとなった。どういう構造を、どういう政策を変えようというのではなく、生活全体が変わらなきゃいけない、このまま惰性で行くのはまずいという閉塞感が共通だった。20世紀から21世紀へ積み残した閉塞感。このままではうまくない、根本的に変わる必要がある。(つづく)
【ご紹介】 ☆
宇江敏勝さん(71)が自伝的エッセー『森とわたしの歳月─熊野に生きて七十年─』を新宿書房から出版した。山で生まれ育ち、山仕事に刻まれた70年が回想して描かれている。 宇江さんは、炭焼きをしていた両親と山中を移動しながら子ども時代を過ごし、県立熊野高校を卒業後は、造林作業に従事した。作家を目指して山仕事の傍ら日々の記録をノートに書きとめ、42歳の夏にそれまでの体験を『山びとの記』(中公新書)に著して出版、これを機に、著述活動に入った。 『森とわたしの歳月』は、古希の節目に自らの人生を振り返った作品。昨年10月から10カ月で書き上げた。3部構成で、「わが出生の地 尾鷲」「わが少年期 沖平」「造林小屋の青春 広見川」「最後の窯出し 高尾隧道(ずいどう)口」など17編が収められている。1冊2200円。 | |
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(2009年1月21日入力)
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