「九条の会・わかやま」 91号を発行(2009年1月30日付)

 91号が1月30日付で発行されました。1面は、全県宣伝・署名行動 実施、「田辺9条の会」第4回総会開催、九条の会全国交流集会 呼びかけ人の挨拶C、九条噺、2面は、NHK・ETV特集 加藤周一1968年を語るC、「九条守ろう」ここにも です。
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全県宣伝・署名行動 実施

 1月18日、和歌山県「全県宣伝・署名行動」が県下の8郡市(伊都、那賀は17日)で行われました。
 伊都・橋本地域は橋本、かつらぎ、高野口で43名参加、234筆。「9条の会」入会7名。那賀地域は岩出、粉河、打田、貴志川、桃山の旧5町で48名参加、483筆。海南・海草地域は52名参加、227筆。有田地域は250筆。御坊・日高地域は美浜で53名参加、388筆。西牟婁地域は田辺、白浜で27名参加、196筆。東牟婁地域は新宮、那智勝浦、串本で42名参加、235筆の成果がありました。
 和歌山市は8地区で114名参加、538筆を集めました。午後のJR和歌山駅頭では雨のため署名活動はできませんでしたが、本会呼びかけ人・月山桂弁護士を始め27名で宣伝活動が行われました。
 和歌浦地区では、「ビラを配ってくれてた人ですか。署名します」と道を歩いている人が署名してくれた話や、「前日にビラを配ってあったので反響がよかった」「9条を知らない人が減ってきた」「いや、若い人の中に知らん人がある」等々活動後の感想が出されました。そして原爆が落とされた後の広島にいたという元看護師さんが「いい運動ですね」と署名してくれた話に参加者一同励まされたとの声が寄せられています。

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「田辺9条の会」第4回総会開催

 1月24日、厳しい寒波のなか集まったのは会員の1割の30名。08年度の会務・会計報告と09年度活動計画・役員体制を満場一致で承認し、総会を終えました。
 記念講演は大阪の中学校・社会科の教員・平井美津子さんの「戦争体験を継承し、平和認識を深める若者たち」。平井さんは、荒れた中学校で、管理主義の渦中にあって、徹底して生徒たちの立場で彼らを守り、真実を伝える授業でこそ「ワルガキ」を変革することができるとの信念で、修学旅行と連動させた戦争・沖縄学習を歴史の授業のなかで追求した。そして、最悪と評された学年を連れて沖縄に向かう。そこで、最悪といわれた「ワルガキ」が平井授業で引きつけられかけていたものを、現地の体験者の証言を聞き、大きく変革を遂げ、それを文化祭の劇にすることで、沖縄の証言者との約束「事実の継承を図る」を果たそうとした。
 その子ども達も今は高校生。他校からきた生徒達との学びの違いを見て、自らの学びにさらに確信を持って着実に進んでいる。また、平井さんを中心とした教員集団が管理主義と対峙し、多 数を占める管理主義の教員達に事実を示しながら、徐々に変えていったことを、「大江・岩波・沖縄裁判」にもかかわって、ユーモアをまじえ語っていただきました。(田所顕平さんより)

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戦後の原点と広島・長崎の被爆
  「九条の会」全国交流集会呼びかけ人の挨拶 C 鶴見俊輔さん

 11月24日に開かれた九条の会第3回全国交流集会での呼びかけ人の挨拶を「九条の会ニュース」から順にご紹介しています。


 同じ「戦後」といっても国会議員や大臣がもっている「戦後」のイメージは違う。「戦後」について、あの人たちが持っているイメージは、朝鮮戦争を杖として経済復興した日本、そしてもう一度世界の大国になろうという意欲が盛り上がった日本だと思います。オリンピックのあたりでそれは非常にはっきりとします。こう変わったのが「戦後」だと思っている。その前あった原爆の投下や、大都会へのじゅうたん爆撃があった時の日本人の感情から出発することができなくなっている。
 田母神論文などは、まさにそれを踏まえて、朝鮮戦争以後の復興の空気を通って、戦前の日本にまったく無反省に帰っていく道を開いている。しかし「戦後」とは戦争が終った時という意味なのです。その時の我々の気分はどうなのか。ぐうぜん「二重被爆」という資料を手に入れたのですが、4人の人たちの話が残っています。その中の一人が「もてあそばれたような気がする」と書いていますが、これが戦争が終ったときの原点なんです。
 アメリカは日本にすでに連合艦隊がないこと、また高層部から撮った写真をみて、もう日本が兵器の補充ができないことを知っていたが、原爆投下の決断をした。アメリカの兵隊の生命を助けるためと言っていますが、ウソです。アメリカは二つの原爆をもっていた。長崎についてはその違いを確認したかった。「二度もてあそばれた」という言葉の意味だと思います。(見出しは編集部)

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【九条噺】

 オバマ米新大統領の就任演説を聴いた。建国以来初めて黒人の大統領の誕生であり、しかも 史上最悪≠ニも評されるブッシュ氏に変わって登場したのである。期待は累乗に広がり、就任式は200万を超える人々が押し寄せて、歓呼の嵐に包まれた▼オバマ氏は意外にも冷静かつ穏やかな表情だった。そしてアメリカの直面する深刻な危機について語り、国際関係・経済・社会保障などあらゆる面での変化の必要性とアメリカ再生に向けた責任と団結を訴えた▼演説を聴きながら思った。例えば軍事優先から対話による国際協調へと本当に変わるのだろうか。悪評高いグァンタナモ基地の閉鎖やイラク撤収はともかく、他方で「アフガンに平和構築」のため、さらに3万人の米兵を増派する予定だとか。ちなみに、イギリスの政府首脳は「武力でテロはなくせない」と明言、フランス国防相も「増派など問題外」と批判する▼20分ほどの就任演説で気になったことがいまひとつある。「我々のために彼らは戦い犠牲になった」と先人たちを称えたなかで、「コンコード」「ゲティスバーグ」「ノルマンディ」「ケサン」と歴史的な激戦≠あげた。しかし「ケサン」は残虐極まるベトナム侵略戦争の一端であり、独立戦争、南北戦争、ナチスとの戦いと同列にはしてほしくない▼大旱魃・無差別爆撃で荒廃し、瀕死にあえぐアフガンと、かつてのベトナムの惨劇を重ね合わせ、ぜひほんまもんの変化を≠ニ思う。(佐)

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戦う前に何が敵なのかを理解することが大事
  NHK・ETV特集「加藤周一 1968年を語る・『言葉と戦車』ふたたび」C

12月5日に亡くなった加藤周一さんを偲び、12月14日に放映されたNHK・ETV特集で語られた内容(要旨)を紹介しています。今回は4回目で、最終回です。


 2001年の同時多発テロ以降、世界中で自由を抑圧する力が強まってきていると加藤さんは感じている。今年起きた世界的金融危機は未だその出口は見えていない。不透明な時代の中で、日本では秋葉原通り魔事件などの衝動的な殺人事件が相次いで起きている。事件を起こした若者の携帯電話には社会への憎悪が書き込まれている。

    殺すのは特殊な人だけれど、彼らを殺すように招いた力は、漠然とした定義しがたい閉塞感だと思う。働いたってもっと良くならない。月給は増えてもそれ以上にはなるはずがない。彼らの心理が分かるということではないが、天から降ったような気はしない。そうではなく、下の方によどんでいたものが急に爆発した。絶望的爆発だ。

   日本はどこへ行くのか。加藤さんはその行く末を憂い、発言を続けてきた。2004年呼びかけ人として「九条の会」の結成に尽力する。加藤さんは市民の勉強会にも積極的に参加していた。組織に縛られない若者と老人が歴史を見つめなおし、対話を深めることが必要だと感じていた。

若者との勉強会での加藤さん(NHKテレビより)

 老人の力とは、事実はどういうものであったか、どういうことが過去に起こったか、過去にどういう事実があったかということを、よく見定めて話すことができるということだ。過去に何があったかを見定めることが老人の任務だと思う。それを伝える、聞きたい人には学ぶことができるような用意をすべきだと思う。

   生涯を通じて、人間が人間らしく生きることを許さない社会に対して怒りを持ち続け、時代を覆う閉塞感を越えて生きていくにはどうすればよいか、透徹した眼で世界を見続けてきた評論家・加藤さんの最後の言葉。

    だんだんシステム・組織の力が強くなって個人の影響力が後退する。専門分化が進み、細かい話になって、全体として人間的に大きな方針、行く先を指示できる人がいない。もうそれは始まっていて容易に覆らない。だんだん難しくなってくる。明治よりも大正、昭和の方がまだ人間が活動する余地があった。それがだんだん少なくなっているということが恐ろしい。ある意味で、明治維新以来の日本は非人格化、非個人化、非人間化を進めてきた。代価を支払って経済発展や軍事的な力を持つようになったが、何を犠牲にしてきたかというと、そういうことだ。

 広い意味で知識人は思想的影響を及ぼすことが大事だ。思想の第1部は「事実認識」。何が起っているかを理解する。第2部は「だからどうしようか」。第1部は「どうなっているか」と、事実の収集と整理を言っているだけだが、整理をするにも「どうしようか」は必要になってくるが、「どうしようか」という考えは、人間的感情や空想などを混在した一種の感情的・人間的感覚による世界の解釈の仕方・考え方だ。何とか人間らしさを世界の中に再生させるためには、そのことを意識しなければならない。戦う前に何が相手なのか、敵なのか理解することが大事だ。(おわり)

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「 9条守ろう」ここにも
常寂光寺


 京都・嵯峨野を散策した。落柿舎は改修工事中で見学ができず、近くの常寂光寺に行ってみた。常寂光寺は藤原定家の「時雨亭」があった場所と言われ、寺の名は「静寂の永遠の浄土・常寂光土を思わせる」ところから名づけられたという。真冬の水曜日、午後4時頃、私たち以外には訪れる人もいなかった。山門をくぐると、まず目に飛び込んできたのは、掲示板に大きく掲げられた憲法9条の墨書である。そして、その下にやや小さく聖徳太子の17条の憲法の一節が掲示されていた。境内には79年に建てられた「女の碑」があった。碑文は市川房枝さんの揮毫により「女ひとり生き こゝに平和を希う」とある。それは「第2次世界大戦で2百万にのぼる若者が戦死し、その若者と結ばれるはずであった多くの女性が独身のまま自立の道を生きることになった。ここにひとり生きた女のあかし≠記し、戦争を二度と繰り返してはならないと希う」と説明されていた。
 17条の憲法は「彼是(かれよみ)すれば我は非(あしみ)す。我是(われよみ)すれば彼は非す。我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず。彼必ず愚(おろ)かに非ず。共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ」とある。「他人が是認すれば自分は否認し、自分が是認すれば他人が否認する。自分は聖人ではないし、他人は愚者ではない。ともに欠点の多い凡夫にすぎないのだ」といった意味であろうか。
 「二度と戦争はしてはならない」「争いをせず話し合って解決せよ」という常寂光寺のご住職の決意表明のように思えてうれしくなった。そこで、嵯峨野に住む友人に携帯電話をかけてみた。住職は、今はご子息に譲られているが、長尾憲彰老師が9条の会の呼びかけ人もされており、昨年6月に常寂光寺で嵯峨・広沢・嵐山の3学区の「9条の会」の集いが行われ、老師から「戦争と女性」というお話を伺ったとのこと。「ここにも9条を守ろうという人が」と勇気づけられた散策であった。(南)

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(2009年1月31日入力)
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