「九条の会・わかやま」 92号を発行(2009年2月8日付)

 92号が2月8日付で発行されました。1面は、海賊対策に武器使用容認、「守ろう9条 紀の川 市民の会」第5回総会開催、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」第5回総会開催、九条噺、2面は、益川氏 覚悟の反戦 です。
    ――――――――――――――――――――――――――――――
[本文から]

海賊対策に武器使用を容認

 2月5日の新聞報道によれば、政府は今国会に提出予定の海賊対策新法で、自衛隊武器使用権限を拡大し、海賊の船体を射撃する「任務遂行のための武器使用」を認め、日本と関係のない外国船も保護対象とする骨格を固めました。
 これまで自衛隊の海外派兵での武器使用は正当防衛と緊急避難のみに認められ、「任務遂行のための武器使用」は、憲法が禁じる武力行使にあたるとして認められていませんでした。いくら海賊対策と言い張っても、国際的には軍隊による「武力行使」以外のなにものでもありません。さらに外国船も保護対象とすることは集団的自衛権行使の既成事実化の危険もあります。
 海賊対策というのなら海上保安庁が対応しなくてはなりません。それを、最初から海上保安庁の巡視船を除外して自衛艦派遣というのは、「海賊対策より自衛隊の海外派兵が本音」「自衛隊海外派兵恒久法に道を開くため」と言われても仕方がないでしょう。

    ------------------------------------------------------

「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」第5回総会 開催
会員は和歌山県の弁護士の過半数を超える


 1月30日、和歌山弁護士会館で、司法修習2期の月山桂さんから、昨年12月に弁護士になったばかりの新人(司法修習61期)まで21人の会員が参加して、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の第5回総会が開かれました。08年度の活動報告、09年度活動方針提案などが行われ、話し合いの結果、事務局提案通り、次の活動方針が承認されました。
①会員間の意見交換を活発に行えるような工夫を行う。
②会員拡大に引き続き取り組む。
③当会設立の原点に立ち返り、当会が諸団体の仲立ちとなり、9条を守る運動を拡げる活動を一層活発に行う。
④引き続き講師派遣活動に力を入れ、さらに新たな講師陣の形成に努力する。
⑤県民大署名運動を一層活性化するために努力する。
⑥5年連続「九条連」を結成し、100人以上で紀州おどりに参加する。
⑦若い世代に対する訴求力を持つ企画を実施する。
⑧楽観を戒めつつ、希望を失わず、憲法9条を守る活動に全力を傾注する。
役員は、顧問に月山桂さん、鈴木俊男さん(お2人とも「九条の会・わかやま」呼びかけ人)ら4名、代表世話人に山﨑和友さんら3名、世話人に石津剛彦さんら3名、事務局長に金原徹雄さん、事務局次長に岡田政和さんが選出(全員留任)されました。若干名の事務局次長を増員することも決められました。
 なお、1月30日現在、和歌山弁護士会会員103名中、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」会員は57名、55.3%となっています。(金原徹雄さんからのご連絡による)

    ------------------------------------------------------

「守ろう9条 紀の川 市民の会」が第5回総会 開催

 「守ろう9条紀の川市民の会」は2月1日、和歌山市・河北コミュニティーセンターで53名       の出席で第5回総会を開催しました。まず、山﨑和友弁護士が「イラク自衛隊派兵違憲名古屋高裁判決と私たちの課題」と題して記念講演(要旨別掲)を行いました。続いて、08年度の活動報告・会計報告、09年度の、「署名宣伝活動強化・地域9条の会作り・憲法フェスタ開催・ニュース発行・会員拡大」などの活動方針が提案され、事務局体制強化などの議論の後、報告・方針を承認し、9名の運営委員(代表委員・原通範和歌山大学教授)を選出して終了しました。

権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である
山﨑和友弁護士の講演(要旨)

 名古屋高裁判決主文は「本件控訴を棄却する」というもので、原告は「負けたけれど勝った」、国は「勝ったのに困ったことだ」と言っている。国は「全部勝っている」から上告できない。原告は負けたけれど「勝った」ので上告しない。そこで判決は確定した。
 判決にはいろんな重要なことが書かれている。我々は「戦争ができる国にすることを阻止しよう」と運動をやっているが、裁判所は「憲法を変えなくても、日本は既にイラクで戦争をしている」と言った。空自はイラク人に弾丸を撃ってはいないが、撃っている米軍を運んだ。本来、米軍がやることを自衛隊がやっていた。だからアメリカと一体で、イラク戦争に加担して重要な役割を果たしたので憲法9条1項違反、バグダッドは戦闘地域なのでイラク特措法違反と認定した。これは以前なら内閣総辞職という大変なことだ。しかし、残念ながら大きな国民の運動にはならなかった。判決は国民に対して大事なことを伝えるものであったが、それを受け止めなければならない国民の方がきちんと反応をしなかった。今後の問題として危惧する問題だ。改憲しないで戦争をした日本の自衛隊をどうしたらいいのか、考える必要がある。
 平和的生存権を憲法上の権利として認めたことは非常に大きい。憲法前文の「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」からきているが、一般論ではなく、具体的な権利として、それが侵されたら救済を求められる。つまり、あなたが戦争に行かされるような場合には、それを差し止める権利として使うことができるということだ。
 「加害者にはならない」。これが日本国憲法の基本精神・誓い・心だと思う。様々な権利の底にあるのが平和的生存権だ。基本的人権も戦争になると奪われる。権利を守るとは、守るようにお願いすることではない。主権者の権利とは、主権者の権利を守らない政府や行政を変える権利だ。権利を守る人に投票しただけでは、権利者の責任を果たしたことにはならない。そういう人が多数になり、平和な、みんなが幸せになる政府をつくるところまでやらないと自己責任を果たしたことにはならない。
 世界中が貧困の時代。欠乏が戦争に結びつくこともありうる。最後のセーフティネットは刑務所と軍隊になる可能性もある。こういう風潮は極めて危険だ。規制緩和の野放しではなく、20年前の経済成長期にどう戻すかではなく、心豊かに生きるという新しい価値観を指し示し、広げる必要がある。
 権利はあるだけでは何にもならない。使って、育てて、大きくして始めて権利だ。先輩が勝ち取ってくれた権利を役立つものとして、次の世代に渡していかなければならない。イェーリングは「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」と言っている。

    ------------------------------------------------------

【九条噺】

 たいへん短いけれど、何時聴いてもとても心が安らぐ演奏がある。「20世紀最大のチェリスト」   といわれたパブロ・カザルス(1876~1973)が94才の時、国連本部で演奏した「鳥の歌」である▼演奏に先立ちカザルスは短く語っている。英語がまるでダメなものでも、「故郷カタルニア(スペイン)の鳥たちはピース!ピース!と啼くのです」という、そのあまりにも有名な一節だけは何とかわかる。「PEACE!」は3回繰り返されるが、その一言一言は凛として力強く、しばらく耳を離れない▼スペインの内乱で故郷を離れてフランスに亡命、諸国で演奏しながら反戦・反ファシズムを訴え続け、スペインでフランコ独裁政権誕生の際は、これを各国が容認したことに抗議して一時期演奏活動を停止したことも。この優れた音楽家の一貫した平和への姿勢が高く評価され国連での演奏実現となった。この日もアメリカのベトナム爆撃は続いており、「PEACE!」にはカザルスの渾身の願いが込められていたのではないか。やがて「鳥の歌」は静かに、ゆるやかに奏でられ、その重厚かつ繊細なチェロの音色が心の奥底まで響くようで、深い感動に包まれる▼折に触れ、心穏やかならぬ時、静かにこの演奏に耳を傾けて、例えば、「最後まで平和のための希望を持つことをやめない」と「九条の会」に精励された加藤周一さんなどを思い浮かべて背筋を伸ばし、深い呼吸をこころみる。(佐)

    ------------------------------------------------------

ノーベル賞受賞講演 触れた戦争体験
益川氏 覚悟の反戦
9条危機なら運動に軸足


1月31日朝日新聞夕刊に掲載された記事をご紹介します。


 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)は昨年12月にストックホルムで臨んだ受賞講演で自らの戦争体験に触れた。そこに込めた益川さんの思いを聞きたくて、インタビューした。

 受賞講演では「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した。開戦前年の1940年生まれ。父は当時家具職人。5歳のとき名古屋空襲に被災した。

 焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、おやじやお袋と逃げまどう。そんな場面を断片的に覚えている。焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。こんな経験は子や孫に絶対させたくない。戦争体験はぼくの人生の一部であり、講演では自然と言葉が出た。
 敗戦翌年に国民学校入学。校舎は旧日本軍の兵舎跡。銭湯の行き帰り、父から天体や電気の話を聞かされ、理科や数学が得意と思い込んだ。
 祖父母は戦前、植民地下の朝鮮で豊かな暮らしをしていた。ぼくが高校生のころ、小学生だった妹が母に、朝鮮での暮らしぶりをうれしそうに尋ねるのをみて、「そんなの侵略じゃないか」と怒鳴ったことがあったそうだ。戦争につながるもので利益を得るのは許せないと思っていた。
 58年春、名古屋大理学部に入学。日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の弟子の坂田昌一氏が教授を務める素粒子論教室で学んだ。
 家業の砂糖商を継ぐことを願っていた父に、1回だけの条件で受験を許してもらった。その坂田先生は「素粒子論の研究も平和運動も同じレベルで大事だ」と語り、反核平和運動に熱心に取り組んでいた。科学そのものは中立でも、物理学の支えなしに核兵器開発ができないように、政治が悪ければ研究成果は人々を殺傷することに利用される。「科学的な成果は平和に貢献しなければならず、原水爆はあるべきでない」と熱っぽく語られた。私たち学生も全国の科学者に反核を訴える声明文や手紙を出すお手伝いをした。
 67年、名古屋大理学部助手に。大学職員の妻明子さんと結婚した。学生運動全盛の時代。ベトナム反戦デモに参加したり、市民集会に講師として派遣されたりした。
 とにかく戦争で殺されるのも殺す側になるのも嫌だという思いだった。ぼくのやるべき仕事は物理学や素粒子論の発展で、平和運動の先頭に立って旗振りをすることじゃない。でも研究者であると同時に一市民であり、運動の末席に身を置きたいと考えていた。
 作家大江健三郎さんらが設立した「九条の会」に賛同して、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足すると呼びかけ人になった。
 日本を「戦争のできる国」に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのに、ほっとけない。いろんな理由をつけて自衛隊がイラクへ派遣されたが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。まだおしりに火がついている状態とは思わないが、本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す。
 ノーベル賞授賞式から約1カ月後、黒人初のオバマ米大統領が誕生した。
 ぼくは物理屋でいるときは悲観論者だが、人間の歴史については楽観的。人間はとんでもない過ちを犯すが、最後は理性的で100年単位で見れば進歩してきたと信じている。その原動力は、いま起きている不都合なこと、悪いことをみんなで認識しあうことだ。いまの米国がそう。黒人差別が当然とされてきた国で、黒人のオバマ大統領が誕生するなんて誰が信じただろう。能天気だと言われるかもしれないが、戦争だってあと200年くらいでなくせる。
    ――――――――――――――――――――――――――――――
(2009年2月8日入力)
[トップページ]