「九条の会・わかやま」 98号を発行(2009年4月10日付) 98号が4月10日付で発行されました。1面は、「きのくに9条まつり」開催、NHK「今をどう生きる・“知の巨人”加藤周一が残した言葉」②、九条噺、2面は、9条を世界へ95歳単身渡仏、、県立図書館長に副島昭一さん、県民大署名 です。 | |||
「きのくに9条まつり」開催 |
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戦争を止めようとしなかった知識人を批判 |
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(澤地) 加藤さんは自分の生き方はこうだと決めた、ひとつの主軸みたいなものがあると思う。若い時から物を客観的に見る、自問自答を繰り返すことで、他人との関係においても、己との向き合いも、生きる主軸というものがブレなかった、めずらしい人だと思う。容赦しない激しさも持っていた。人に対して容赦しない批判を加えることは、自分の責任が逃れ難くなるということで、己にも厳しくならざるを得ない。加藤さんは少数派であることをどこかで自覚せざるを得なかったと思う。少数派はどこからつつかれても戦えるように防備を持ち、毅然としなければならないという辛さがある。加藤さんがあれだけの仕事をしたのは、少数派を自覚し、少数派だからといって、そのことで揺らいだり、それを変えようとしない。「私はこれで行く。そのためには漫然としては自分の志は貫けない」ということが早くに分かっていた人だと思う。 |
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「近代の超克」(NHKテレビより) |
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あの「近代の超克」というのは、御用学者と御用文学者の集まりだ。戦争を理屈で肯定する座談会だ。「近代の超克」は第一次大戦以後、ヨーロッパの没落という考え方が強く出てきた。ヨーロッパ近代に対する批判を含んでいる。代表的にはシュペングラーの『西洋の没落』の本の中などで、沢山の議論があって、座談会に参加した人の中にはその本を読んでよく知っている人がいて、ヨーロッパ人自身が近代は下降線と言っている。だから、その代わりに新しくアジアから日本が指導者になって、近代の先の新しい文明を作るという議論だ。その議論は私を説得しなかった。その理由は簡単で、確かにヨーロッパ人は、近代は行き詰まりに達していて何とかしなければならないとは言っていた。しかし、誰一人として「我々のところでは大変困っている。日本に助けを求める」と言っている人はいない。日本の方は近代の先に出ると言っても、国内の状態を見渡すと、いろんな点で近代以前だ。憲法の中に人権は書いていない。人権どころか国民という言葉さえない。臣民は近代以前の用語。我々には、近代の中からどう日本の近代以前の名残を処理するかということが大きな課題としてあった。個人の人権を認めることの方が日本の社会の圧倒的な目的で、その先に、それではだめだ、新しい思想だと言われても、それは空理空言だと思った。
【九条噺】
平和の行脚 |
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足腰は丈夫だが、18年前にぼうこうがんを患い、人工ぼうこうを付けている。家族は心配しているが、本人は「昔から何事も相談せずに決めてきたから」。同行を申し出る人には「組織に頼るのは嫌い。出前噺のように一人でやりたい」と断った。すると「せめてカンパで協力を」と、10日間で約60万円が寄せられたという。
県立図書館長に副島昭一さん
「県民大署名」駅前行動 | |||
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(2009年4月12日入力)
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