「九条の会・わかやま」 102号を発行(2009年5月24日付) 102号が5月24日付で発行されました。1面は、「和歌山市ひがし九条の会」総会、「九条の会・かつらぎ」総会、We Love 憲法 浅井基文氏講演①、九条噺、2面は、フリージャーナリスト斎藤貴男氏講演②、3面として、WBS和歌山放送・特別番組「憲法を考える」② です。 | |
「和歌山市ひがし9条の会」が総会 |
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5月10日、東部コミュニティーセンターで「和歌山市ひがし9条の会」第2回総会が開かれました。日野のぞみさん、神谷米子さんの歌唱指導でオープン。総会では、呼びかけ人の舩橋利理さんから北朝鮮のロケット発射やソマリア沖の海賊行為に対し、国民的な論議がないまま自衛隊が出動することの危険性が話され、事務局から「戦争体験を聴く会」が48名の参加で成功したことや地域署名が7回取り組まれたことが報告され、活動方針では会員を現在の5割増しにする、他の9条の会との交流に参加する、独自に講演会や「9条まつり」に取り組むことが確認されました。
「九条の会・かつらぎ」が総会
5月の風に We Love 憲法 |
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オバマ政権の世界戦略、対外政策がどうなるのか、日本との関わりでどういう方向に行くのか、その中で日米関係をどのように位置付けようとしているのかが重要な意味を持つ。その点を正確に見極めないと、日本はアメリカを含む国際社会とどう関わるかという方向性を考えることもできない。
【九条噺】
平和と平等をあきらめない ② |
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軍産複合体を目指す日本何故そうなるのか。アメリカが世界戦略の一環として属州としての日本を基地として有効活用することが、完成に近づきつつあるということだ。また、日本にも戦争をしたいという意思もある。日本の製造業は人件費が高く競争力が低下し、工場を海外にシフトし、海外に権益が拡がった。そこは後進国で政治が不安定、国内なら考えずともよいリスクに外交努力と企業努力で対抗するだけでなく、何かあれば軍隊に戦ってほしいということだ。この考えは90年代から高まり、00年代より経団連も言い出した。軍産複合体、軍事力と産業が一体となり国力を増進させるという考え方が定着してきた。何のことはない、帝国主義だ。戦前はまず軍隊が出て軍事支配をし、そこに企業が後から出て行った。順序は異なるが、自由経済ではグローバル企業が出て行き、問題があれば軍事力で鎮圧する。この発想は公には語られないが、アメリカもヨーロッパもやってきた。その中に日本も入りたい、大国になりたいということだ。 計画的に作られる格差・貧困 格差・貧困は計画的につくられている。95年に日経連が作った「新時代の日本的経営」は問題を全て人件費に絞った。人件費は世界最高水準になり、人件費を抑える必要がある。本当は人件費より前にバブル放漫経営があった。高収益を株や土地の投機に注ぎ込み、バブル崩壊で不良債権になった。それを埋めることに追われて業績が悪化したが、経営責任は棚上げされ、経営者は居座った。この時、日経連は国内の雇用の階層化を強調した。終身雇用・年功序列から、①長期能力蓄積型従業員②高度専門能力活用型従業員③雇用柔軟型従業員の3通りに分け、③は「雇いたい時に雇い、不要になったらクビにする」が問題にならない働かせ方で、非正規雇用の自由化が進み、勤労人口の35%になった。彼らは給料が安いだけでなく、人間として下の身分の存在だとされてきた。これが雇用改革の実態だ。非正規労働者だけでなく正社員も「名ばかり管理職」など人件費削減対象になっており、自殺、過労死も増えている。 今の教育改革の発想は、「企業に入れば、その時から身分が分かれている。子どもの時からあまり平等だと思ってもらっては困る」「ガキの頃から分をわきまえて生きよ」を子どもの時から叩き込めというものだ。これも構造改革の中で出てきた「競争原理、市場原理、自己責任原則」だ。スタートラインは同じではない。最初から恵まれた人が勝つシステムが構造改革だ。 格差が広がり、貧困への国民の認識が広がった。しかし、「かわいそうな人をどうにか」に矮小化されてはならない。構造改革の差別性をどうにかしないと、どうにもならない。格差・貧困と戦争ははっきり結びついている。就職ができないので自衛隊に入隊する人が激増している。アメリカでも貧しい家庭の若者は軍隊に行くしかない。徴兵制より、格差社会を広げて貧しい人が自発的に戦場を志願する方が早いと思っている。 本当の意味の平等を考えよう 自民党新憲法草案は国民の責務がやたら多い。憲法はいつから国民の責務を定めるものになったのか。民間憲法臨調は「国民論の視点を持とう」という。どういう国民であるべきか、これは憲法の視点に真っ向から対立する考え方だ。憲法は近代立憲主義に導かれている。国家権力は強大だから憲法でタガをはめて、暴走を防ぐものだ。自民党草案は、「国家権力の下でいかなる国民になるべきか、理想の国民像を定める憲法にしたい。国民主権は強制するのではなく、ひとりひとりの国民が自発的に考えるべきだ」というものだ。 どうすればよいか。大事なことは人間の命。戦争を否定することから出発する。「経済成長優先」という手段からではなく、目的から考える必要がある。戦後の日本は全て正しかったか。それも違う。9条によって自衛隊は海外で戦闘行為はしなかったが、日本は戦争と無縁であったか。戦後の復興、世界第2位の経済大国をもたらしたのは、朝鮮戦争やベトナム戦争ではなかったか。今こそ9条の精神を本物にしよう。本当の意味で平等ということを考えようではないか。そうすることによって、今までよりもっとハードルの高い厳しい道を選ばないと、私たちは人間としてどうなのかと思わざるをえない。(おわり)
戦時中全てが戦争遂行のために統制 ☆
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(月山) さらに、主計とすれば無条件降伏で、武器、弾薬その他の軍需物資を全部きれいに引き渡さなければいけない。そのための準備が大変だったんです。終戦処理の時に、私は自分の家が船戸の方にあったんですね。それで丸栖を通って御殿山をショートカットするような格好で自分の家に帰っておったんですけれど、その帰る途中、真正面には紀泉国境の山が、右の方には金剛山、葛城山、左の方には高積山の方になっていくんですけれども、その間に紀の川が一本流れている訳ですね。流れていると言いましても、あるところでは広くて、あるところでは狭くなって、紀の川だということが分かる程度に白い帯が流れておる。それ以外は全く真っ暗闇なんです。それがその当時の紀の川の状況だったんですね。それを毎晩毎晩見ながら家に帰ったものです。ところが終戦になりましてからね、2日経ち、3日経ちする間に、それまで真っ暗に沈んでおった紀の川平野が、町並みが2つ、3つ、こちらには3つ、4つというふうに灯火が蘇ってきたのです。まったく驚きだったですね。 |
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(2009年5月23日入力)
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