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「九条の会・わかやま」 104号を発行(2009年6月20日付)

 104号が6月20日付で発行されました。1面は、加藤周一さん追悼講演会、講演@井上ひさしさん、九条の会7443に、今年の交流集会は地域ごとに、九条噺、2面は、衆院「憲法調査会規程」強行採決、We Love 憲法 浅井基文氏講演B です。
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[本文から]

加藤周一さんの追悼講演会に2千人

 「平和憲法を守る一点で手をつなごう」と作家の大江健三郎さんらと「九条の会」を結成し、昨年12月に89歳で亡くなった評論家、加藤周一さんを追悼する講演会が6月2日、東京都千代田区の日比谷公会堂で開かれ、2000人以上が参加した。
 呼びかけ人の一人で作家の井上ひさしさんは「私にとって憲法9条や(生存権を定めた)25条は親友中の親友。彼らを裏切ることはできないことを加藤さんの本から学んだ」と語った。大江さんは、「核保有国と非核保有国の信頼関係をつくらなければ何も始まらないというのが加藤さんの考え方だった」と振り返り、「不戦を誓う憲法を本気で守り、それを周辺国に認めてもらえるなら私は未来に生きることができる」と話した。(毎日新聞ウェブサイトより)

講演会では、よびかけ人の井上ひさし、大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の各氏が講演されました。講演の要旨を「九条の会ニュース」から順次ご紹介します。今回は井上ひさしさん。

憲法9条、25条を裏切ることはできない
井上ひさしさん


 私は昭和9年、山形県南部の山あいの小さな町に生まれました。昭和19年に、東京の国民学校の4年から6年生約150人が学童疎開でやってきました。私たちの町では一軒一軒が、その一人ひとりの仮親になりました。私の家が仮親を引き受けた少年は、本をたくさん読んでいて、絵も上手で、都会の子どもはすごいなと思っていたのですが、実家のご両親がまず空襲で亡くなります。そして彼自身も3月に、国民学校卒業のためにいったん自宅に帰ったのですが、空襲で死んでしまいました。大変ショックでした。
 さて、加藤周一さんの『私にとっての20世紀』(岩波現代文庫)の中に、こういう文章があります。「私が徴兵を受けなかったのは肋膜炎のおかげもあるのですけれど、医者だったからでしょう。若手の医者はどうしても病院に必要でした。学校の同級生や友人はかなり大勢死んでいる。自分はやっと生きのびたけれど、別に理由があって生きのびたわけでなく偶然です。何の理由もなく、私の友人は戦争のために死んでしまった」「私の友だちを殺す理由、殺しを正当化するような理由をそう簡単に見つけることはできない」、「だから戦争反対ということになるのです」 加藤さんは、「彼〔亡くなった友だち〕が決して言わなかったことであろうことを自分が言ったり、彼が黙っていなかったろうことを沈黙したり、ということはしたくないという気持ちが私の中にはある」。たとえば戦争で死んだ彼らは戦争を肯定しない。それを生きのびた自分が肯定してはいけない。「もしそういうことを私がしゃべれば、それは友だちに対する裏切りのような気がするのです」。これからが素晴らしいところです。「国家への忠誠? しかし国家が主張する良し悪しは、10年もすれば逆転します。たとえば15年戦争は聖戦から侵略に変わった」。だから国家に合わせて自分が変わるのは無理だとお考えです。
 「これは友人関係と全く違う話です」といいます。本当の友人関係というのは、喧嘩したり、ちょっと離れたりすることはあっても一生変わらないわけです。おそらく生きのびた者よりも、いろんなことがよくできた者が、戦争で誰かの号令で、誰かの道具になって死んでいく。そういう友人を裏切らない。ですから最後の引用になりますが、「私の良し悪しの判断の一つは、裏切りということです。友だちを裏切ることはしたくない」。これに私は少年時代の記憶を重ねて、まったくそのとおりだと思います。そしてこじつけかもしれませんが、この友だちは日本国憲法だと思っています。とくに9条、25条は親友中の親友です。彼らを裏切ることはできない、ということを加藤周一さんのご本から学びました。(表題は編集部)

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九条の会7443に
 2日、「九条の会」は地域・職場・分野別などの草の根の「会」は7443に達すると発表しました。昨年11月の全国交流集会の時は7294でしたので、約6ヶ月で149増加したことになります。

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今年の交流集会は地域ごとに

 講演会に先立って開かれたよびかけ人会議では、「九条の会」としておこなう当面の取り組みとして、次のことを確認しました。
◎今年は全国1箇所でおこなう「全国交流集会」とはせず、かねてから要望が出ているブロック別の交流集会として、活動の濃密な交流をめざす。具体的には、「九条の会」と都府県の「会」が協議しながら、合意ができたところから順次開催する。
◎「九条の会」よびかけ人とゲストが講師をつとめるこれまでの「憲法セミナー」を引き続き開催する。当面の予定として11月に福井での開催をめざすが、その後については、地域的条件とよびかけ人の都合なども考慮して決定する。

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【九条噺】

 今にして思えば、漢字の読み違え≠ネど大した問題ではなかったようだ。かつて「下々のみなさん」と演説した感覚≠ヘ、首相になっても失せず、そのうえ相次ぐ失言に多くの国民があきれた。そして盟友≠フ一人がG7直後のとんだ「酩酊会見」で財務大臣の席を追われ、さらに今度はいま一人の 盟友が公務用のJR無料パスを使い知人女性と熱海に旅行をしたのが発覚、副官房長官を辞任した▼この間、支持率下落に歯止めを≠ニばかりに、定額給付金、「千円高速」など、税金をばらまいてもみた。しかし、期待した効果は少なく、皮肉なことに民主党党首が企業献金がらみで辞任するという、いわば敵失効果≠ナ救われたか、と思いきや、日本郵政社長問題でさらに盟友≠ェ去るという、イヤハヤとんだおともだち内閣≠ナはある▼派遣切り、急増する生活保護、相次ぐ倒産・・・「危機的」ともいわれる状況にはまるで無頓着な政権のように思うが、「情熱」を注ぐことが決してないわけではない。そのひとつがソマリアの「海賊対策」に海上自衛隊を派遣しようとするもので、護衛艦に加えて5月にはP3C哨戒機まで。まさになし崩し的な「解釈改憲」の極みではある。紙上にも「海賊に追われて九条崖っぷち」との川柳が▼民主党の新代表も新憲法制定議員同盟(中曽根康弘会長)の顧問。キャッチコピーの「友愛」の意は「大連合」とか。それこそ「改憲大連合」にご用心!ご用心!(佐)

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衆院憲法審査会規程与党強行採決

 衆院憲法審査会の「規程」が6月11日の本会議で、自公が採決を強行し、賛成多数で可決しました。同規程の制定は、改憲案づくりを含む国会での本格的な改憲論議の始動を狙うもので、改憲のたくらみを新たな段階に進めるものと言えます。
 規程の内容は@委員数は予算委と同規模の50人A国会閉会中でも審査会を開会できるB出席委員の過半数で議決C改憲案は公聴会を開く――などです。与党は国民投票法成立を口実に「立法不作為」を採決理由にしていますが、国民投票法自体が強行採決されたものであり、また、憲法審査会規程がないことが国民の権利を侵害するものではなく、この理由は成り立ちません。

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5月の風に We Love 憲法
世界に貢献できる日本の3条件
アメリカの世界戦略と憲法9条 B


 5月9日、プラザホープ(和歌山市)で「憲法9条を守るわかやま県民の会」主催で浅井3文・広島平和研究所所長が「アメリカの世界戦略と憲法9条」と題して講演されました。講演の要旨を紹介しています。今回は2回目で最終回です。

広島平和研究所所長・浅井基文氏

 日本には3つの条件が備わっている。1つ目は平和憲法。日本国憲法9条は21世紀の人類の進むべき方向を示している。二度と戦争をしない不戦の誓い、戦力を持たない公約。9条は原爆体験に基礎をおいている。国連憲章と日本国憲法の違いは、原爆投下の前に出来た国連憲章と原爆投下を踏まえて出来た日本国憲法の違いだ。国連憲章は平和を守る手段として武力行使の可能性を明確に認めている。広島・長崎の後、もはや戦争は国際問題解決の手段にはなりえないことが明らかになった。人類は核兵器と共存できない。戦争は政治の継続と言われたが、もうそれは成り立たない。それを示しているのが憲法9条だ。どちらも恒久平和を目指す点では一致しているが、達成手段として武力行使を認める国連憲章と、それを一切否定する日本国憲法とは全く違う。国連憲章は力による平和という考えに立つが、日本国憲法は徹底して力によらない平和という考えに立つ。力による平和は暴力だから必然的に人間の尊厳を脅かす。人間の尊厳を根底に据えるなら力による平和はありえない。
 2つ目は核戦争体験。戦争で核兵器を経験したのは日本だけだ。その日本が抑止とかの考えは受け入れられない。私たちは核による安全保障は選択しない。それは国際政治を突き動かすエネルギーを持つ。我々が自覚していないだけ。自覚するとエネルギーになる。
 3つ目は日本が大国であるという事実。大国が持つ国際社会での責任や役割から逃げるべきではない。憲法9条に則って、「私たちは軍事的には国際社会には関わりませんが、それ以外のことでは積極的に国際社会の平和のために関わります」という大国のあり方を示したら、これまた世界を揺り動かす。これまでの大国は全て軍事大国。そこへ日本が平和憲法を携えて平和大国として臨むと、国際社会は喝采となる。軍事費を全て世界の貧困や環境問題の解決に差し出しますと言うだけで、国際社会は激震に見舞われると思う。
 平和憲法、核戦争体験、大国の3つはどの国にもない。日本だけの条件だ。憲法を生かしきる決意を持ち、私たちが多数派になれば、日本を変えられる。日本を変えられれば、日米関係や国際社会のあり方も根本的に変えることができる。小さな国だったら志があってもやれないが、私たちは志さえ持てばやれる客観的条件を3つも備えている。これを生かさないのは怠慢だし、自分たちの力を自覚していないと思わざるを得ない。
 克服すべき課題として国家観がある。私たちが健全な国家観を持たないと何事も始まらない。例えば、今、ベネズエラ、ブラジル、イランなどの大統領は、堂々と発言し注目されている。アメリカが潰そうとしても、それが理屈に合うから、彼らは潰されることはない。つまり、自らの頭で考え、自らの言葉で話し、自らの足で行動することをやっている国だからだ。ところが、日本はアメリカの言うまま。これでは国際社会は聞くわけがない。何故国家としての主体性がないのか。それは私たちが健全な国家観を持てていないか、戦前の国家を個人の上におく国家観だからだ。憲法は個人を国家の上におく国家観だ。国家はあくまで私たちに奉仕する存在で、国家が私たちの言うことを聞かない場合は、それを取り替える国家観でなくてはいけない。
 いまひとつは平和観の問題。朝日新聞世論調査では、「9条は変えない」が多数派だが、「憲法全体を変える方がよい」も多数派だ。この矛盾はどこから来るのか。ひとつの層は、9条は変えたくないが、新しい人権・制度を折り込むことは必要だという人、今ひとつの層は、自衛隊も日米安保もOK、しかし、これ以上軍事大国にならないでほしい、歯止めとして9条をいじらないでほしいという人だ。私たちが曖昧な平和観を持ったままだと、その人たちとどう関わるかという問題に積極的な答えが出ない。曖昧な平和観は90年代のなし崩し的な憲法解釈や90年代以降の保守政治による軍事的国際貢献論、国連協力、国連中心主義とかの議論に私たちが対抗できなかったことから生れた。また、「9条があったから日本は平和であれた」とか「日本を攻めてくるものに身構えるのはやむを得ない」とか「拉致問題」とか、様々な問題を直視し、我々の平和観を鍛えることができないと、本当の9条の原点に立ち返ることが妨げられる。自信をもって国際平和と安定のために憲法を生かしていく、そのために日本の主人公になるという考えが必要だ。来るべき衆院選挙は重要だ。(おわり)

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(2009年6月28日入力)
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