「九条の会・わかやま」 109号を発行(2009年8月17日付) 109号が8月17日付で発行されました。1面は、09平和のための戦争展わかやま 開催!、「平和のたねプロジェクト」子どもと一緒に平和を学ぶ、九条噺、2面は、戦争の真実を知り日本を戦争しない国に(西谷文和さん)、近畿ブロック・ ブロック別交流会の意義を討論 、自民党の「提言・新防衛計画の大綱について」の問題点② です。 |
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09平和のための戦争展わかやま 開催! ☆
展示は8つのコーナーに分けて行われました。「①戦争中のくらし・教室」では、戦争中の庶民の部屋を再現。防空頭巾、焼夷弾用の火消し、防火用水、戦死者の写真、「撃ちてし止まむ」などのポスター、暗幕に覆われた電灯などが目立ちます。教室には「ススメススメヘイタイススメ」の国定教科書、樺太・朝鮮半島・台湾・太平洋諸島まで領土とした「最新大日本地図」が掲げられ、「教育勅語の図解」や「皇軍万歳双六」なども置かれています。 |
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「1945年7月9日、和歌山大空襲・・・あの日この街は消えた」という、その夜の紅蓮の炎を思わせる真っ赤なパネルが置かれた「②和歌山大空襲」では、米軍の写真偵察機が和歌山市を、大空襲前の45年6月22日に撮影した写真と大空襲後の7月22日に撮影した写真の2枚の大きなパネルが目を引きます。大空襲後の写真では、焼け落ちた和歌山城を中心に寺町通辺りから紀ノ川までが完全に焼野原となっている写真に息を呑みます。これらの写真は米国・カンザス州で見つけたネガフィルムから再現したとのこと。和歌山大空襲は、7月9日午後11時過ぎから約3時間半、109機ものB29が焼夷弾803トンを投下、焼失率52.5%、死者1101人という甚大な被害をもたらしました。この空襲で焼失した小学校(国民学校)は12校にもおよび、戦後に名前を残すのは大新、広瀬、新南の3校のみ。始成、番丁など9校は名前ごと消えてしまいました。 |
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![]() 空襲後の和歌山市(中央は和歌山城、右に紀ノ川) ![]() |
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「③現物展示」では、飯盒、水筒、軍靴、鉄カブト、機関銃、高角砲弾、手榴弾、集束焼夷弾、遺言状などの現物も展示されていました。 |
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「④20年の歩み」では、90年7月28日~8月1日に開催された第1回から、今回までの20年の歴史を、過去のパネルも展示して紹介しました。
「平和のたねプロジェクト」開催! |
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「楠見子連れ9条の会」などでつくる実行委員会は8月1日、「平和のたねプロジェクト・イラクのいま、わが子のみらい」を和歌山市河北コミュニティーセンターで開催し、約120人の親子連れらが参加しました。
【九条噺】
戦争の真実を知り日本を戦争しない国に |
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劣化ウラン弾は、使用されると放射線が空中を漂う。イラクではガンを発生させ、80%は白血病だ。原発などの核のゴミをリサイクルした安くて破壊力抜群の兵器だ。クラスター爆弾は広範囲の殺害を狙う。2~3割の不発弾があるように作られ、わざと不発弾を残すことによって、人を殺し、場所も殺す。アフガンの地雷は500万個以上。地雷撤去での犠牲者は年間800人にのぼる。地雷は片足がなくなる程度の爆発力だ。相手を殺した時は強力に反撃されるが、負傷の場合はその人への対応に人手がかかり、残された人は心理的に戦う意志を失う。それでわざと殺さないようにしている。
「九条の会」近畿ブロック・ ブロック別交流会の意義を討論
自民党の「提言・新防衛計画の大綱について」の問題点② |
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(2009年8月18日入力)
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