「九条の会・わかやま」 114号を発行(2009年10月27日付)

 114号が10月27日付で発行されました。1面は、「アメリカばんざい」に321人、『憲法9条の歌』あれこれ、九条噺、2面は、ピース9の会『パープルの集い』、イラク特措法による自衛隊空輸の情報開示、「近畿ブロック交流集会」分科会・分散会内容決定 です。
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「アメリカばんざい」に321人

 10月17日、和歌山市民会館で「アメリカばんざい crazy as usual」が上映され、321人が鑑賞。藤本幸久監督が講演しました。講演の内容を3回に分けて紹介します。


大学に行くために海兵隊へ

藤本幸久監督講演①

 どうしてもアメリカに行って撮影しなければならないと思ったのは沖縄・辺野古に行ったからだ。辺野古にはキャンプ・シュワブという海兵隊基地があり、米軍が訓練しているのを目にする。海兵隊員たちの顔を見ると、実に若いというか幼い顔をした若者が軍服を着ている。それを見て疑問に思ったのは、10代後半か、20代そこそこの若者が何故沖縄にいるのか、何故海兵隊員になったのかということだ。海兵隊というのは日本を守るための部隊ではなく、沖縄から外国に出かけて一番厳しい戦場に送り込まれる部隊だ。イラク戦争でもファルージャを包囲し数千人のイラク人が殺されたが、その最前線を務めたのも沖縄から行った海兵隊だ。だから沖縄から行った海兵隊員の中にも多数の死者が出ている。半旗が掲げられている時があり、それは海兵隊員たちが亡くなった時だ。戦場に行って死ぬかもしれない、今、戦争の時代に何故高校を出たばかりの若者が兵士になったんだろうということを知りたくてアメリカに行った。
 アメリカのサウスキャロライナにある海兵隊のブートキャンプという新兵訓練所に、毎週6~700人の若者が入隊してくる。1年間に2万人ぐらいが卒業して、早い人は半年ぐらいでイラクやアフガンの戦場に行く。沖縄にも来る。そういう人たちに何故海兵隊員になったのかを聞くと、一番多いのは「大学に行きたいから」だ。大学に行く資金がほしい、多くは貧困層に生れた若者たちだ。アメリカは日本よりもずっと格差の激しい社会で、大学の学位がないとサラリーマンになれない。つまり、年俸とか月給とかを貰うような仕事につくには、大学を卒業して学位をもっていないとなれない。ところが、すごく学費が高い。UCLAの学費は2万ドル(約200万円)、コロンビア大学やハーバード大学では5万ドルが1年間の学費だ。ちょっと貧乏な家に生れた子はとても大学に行くチャンスがない。唯一のチャンスがあるように思えるのは軍隊に入って奨学金を貰うことだ。奨学金を貰って大学に行き、自分の人生を切り開きたいというのが軍隊に入るほとんどの若者の志望動機だ。80~90%の若者が大学に行くためという理由で軍隊に入る。
 これらは今に始まったことではない。ずっとアメリカではそういう社会が続いている。今の米軍は志願制で、自分で志願して軍隊に入る。ベトナム戦争の時までは徴兵制があって、みんな軍隊に入ることになっていたが、その時代も貧乏で何とか自分の人生を変えていきたいと思えば、やはり軍隊に入るしかなかった。アレン・ネルソンさんもニューヨークのスラムに生れて、自分の人生を変えたくて海兵隊に入った人だ。沖縄にもいた。それからベトナムに行くことになった。日本も戦後60数年たち、軍隊も戦争も縁遠くなっている。軍隊というところは本当にどういうところなのか、身近に考えられるようにしたいと思う。(つづく)

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「憲法9条の歌」あれこれ
  「九条の会・わかやま」呼びかけ人・江川治邦さん


 最近、憲法9条に関係する歌が作詞・作曲されたり、それらのカセットが発売されたりしている。9条の会・鹿児島では、「九条賛歌」(第九歌謡曲・日本国憲法前文・願い・地球星・ヒロシマのある国で、の5曲)をカセットで売り出した。頒価は1200円である。私の友人で、大利根・9条の会(群馬県)会員の堀泰雄が、平和の歌「ピース・ナイン」を世界共通語エスペラントに訳して郵送してくれたので、以下日本語で紹介することにしたい。彼は前書きに、「戦後60年間、日本人は戦争で他国の人を殺しませんでした。日本人も死にませんでした。これは憲法9条のおかげです。今、日本を戦争のできる国にするために憲法9条をなくそうとする動きが強まっています。これに反対して9条を守ることは平和を愛する人びとにとっては緊急で重要な課題です。こんな運動からこの歌が生まれました」と述べ、「平和の象徴の鳩は、漢字で[九]+[鳥]と書くため、9条を守り平和に貢献する象徴にしたい」と主張している。この笠木透作詞の「ピース・ナイン」は1番しかないので、掘泰雄はこれに2番を追加作詞したものです。


平和の歌「ピース・ナイン」

一、鳩は平和を運ぶ鳥
    九の鳥と書くのだから
  カタルニアの鳥も、日本の鳥も
  ピース、ピース、ピースとさえずる
  この世は九で十分なのさ
  鳩は世界の空で鳴け
  ピース、ピース、ピース、ピース、ピース・ナイン
二、九条は平和を運ぶ花
  戦争放棄を謳ってる
  コスタリカの花も、日本の花も
  ピース、ピース、ピースと咲いている
  この世は九で十分なのさ
  九条よ世界の庭で咲け
  ピース、ピース、ピース、ピース、ピース・ナイン


    *カタルニアの鳥
      スペインの有名なチェロ奏者パブロ・カザルス(1876~1973)はフランコ政権の独裁の中でフランスに亡命し、後にプエルトリコに移住。71年に「国連の日」のコンサートに招かれ、カタルニアの民謡「鳥の歌」を演奏。その時彼は「カタルニアの鳥は、ピース、ピースと鳴くんだ」と言ったそうである。「ピース・ナイン」の歌詞「カタルニアの鳥」はそんな逸話を元にしている。
    *コスタリカの花
      中米の小国コスタリカは49年公布の新憲法21条に「常置機関としては軍隊を置かない」と定めた。これによりコスタリカは、福祉・教育にお金を割くことが出来るようになった。コスタリカの人びとは平和を愛し、誰も軍隊を持たない事を残念に思っていない。
 鳩山新総理も自己の苗字に恥じないように憲法9条を守ってもらいたい。

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【九条噺】

 「はたらけど/はたらけど猶わが生活/楽にならざり/ぢっと手を見る」「垢づける首うち低れて道ばたの石に腰かけし男もあるかな」▼ほぼ百年前、石川啄木はうたった。2首目はホームレスと思われる。当時の状況について幸徳秋水は「平民新聞」で「労働すといへども質朴なる者は困す、不徳の人にあらざるも業(職)を得ること難しくして飢餓す、罪悪の行いあるに非ざるも職を失ふて流離す・・・我等多数の平民は唯、職を要求す・・・」と書く。まるで100年後の 〝今〟を書いているようで驚かされる。何しろ非正規の労働者が全体の三分の一を超え、まじめに一生懸命働いても年収200万円にも満たない人々が1000万人をはるかに超えるという。年の瀬に、しかも首都のど真ん中で、職も住まいも奪われたひとびとが〝炊き出し〟に長い列をなし、震えながら順番を待つのである▼この悲しい光景を見ながら、政治の罪を思う。「構造改革」の名でやたら規制をとっぱらい、何もかも民間にまかせて、ひたすら競争をあおり、派遣がもはや当たり前の社会になった。そして〝為政者〟たちは相次ぎ去っていったが、誰一人として罪を問われたこともこともなく、それどころか謙虚に反省の弁を述べた者すらいない▼そのあげく、人々のガマンの緒が切れて誕生した新政権である。長年積もり積もった弊害を突き崩すのは容易ではなかろう。だから拙速は戒めたい。ただ、いつも〝民〟のために誠実な実行者であり続けてほしい。(佐)

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ピース9の会「パープルの集い」開催

 10月3日、午後2時から4時過ぎまで、カトリック屋形町教会で、ピース9の会「パープルの集い」が開かれました。
 会の田村悠紀栄さんによれば、「ピース9の会・パープル」は02年に結成、今年が7周年とのこと。東京の「九条の会」でも04年6月ですから、非常に先駆的な取組みをされたわけです。
 当日のゲスト講師は、05年7月16日から8月9日までの25日間、灼熱の2500㎞の旅をして「トリニティーサイト」(最初の原爆実験の地。米国ニューメキシコ州)のゲートを開き、日本から運んだ「原爆の火」を戻して消し去ることで、負の連鎖を断とうとした日本の僧侶たちを追ったドキュメンタリー映画「GATE」にも登場された(つまり実際に「原爆の火」を運んで歩かれた)宮本惠司さんでした。
 宮本さんは、田辺市で曹洞宗の僧侶をされていますが、僧侶として修行をされた長崎の晧臺寺(こうたいじ)では、奇跡的に原爆から生き延びた本堂や山門などが残っているそうです。
 宮本さんのお話で印象深かった点を何点かご紹介します。
▼「原爆の火」は、「火」そのものが何万人もの人を殺そうとしたのではない。また、「火」そのものが平和を願っているのでもない。殺戮の「火」とするのか、平和の「火」とするのかは、人間が決めることである▼大義とか殉教ということが言われ、「自分の命よりも大事なものがある」と信じて人は戦争を起こす。ところが、「命よりも大切なものはない」と言って戦争を止める。この矛盾をどう考えれば良いのか▼平和への祈りに宗派・国境はない▼核の問題は、「広島」と「長崎」だけのことではない。49発もの模擬原爆が日本に投下されている。(模擬原爆は、何と45年7月29日に現・有田市初島町の東燃社宅の裏山にも落とされている!)
 さらに多くの人に(特に子どもたちに)映画「GATE」を観てもらうにはどうすれば良いかなどが話し合われ、予定時間を超過して懇談が続きました。

(右端が宮本さん)
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06年7月以降、米兵が67%、バグダッド空輸47%
イラク特措法による自衛隊空輸情報開示


開示前(左)と開示された情報

 イラク特措法に基づき、空自の輸送機3機が04年3月から08年12月まで、クウェートを拠点にバグダッド空港などイラクの空港に国連や多国籍軍の兵士、物資を空輸しました。名古屋高裁は昨年4月、「バグダッドはイラク特措法でいう『戦闘地域』に該当し、多国籍軍を空輸することは他国の武力行使と一体化し、武力行使を禁じているイラク特措法と憲法9条に違反する」と違憲判断を下しました。
 防衛省は情報公開法に基づき、空自がイラクで行っていた空輸活動の週間実績を開示しました。10月6日付の東京新聞によると、開示された実績は06年7月から08年12月までの124週分で、陸自が撤収して以降の空輸活動で、名古屋高裁が憲法違反としたバグダッドへ米兵空輸を行っていた時期にあたります。運航日数は467日あり、うち218日がバグダッド空輸に充てられていました。空輸した人数は2万6384人。米軍は1万7650人で67%を占め、他国の軍も含めると71%が兵士でした。一方、国連職員は2564人で1割に止まっています。
 自公政権は「空自は人道復興支援を行っている」と説明していましたが、武力行使を行う兵士の空輸数が圧倒的に多いことが改めて確認され、名古屋高裁の判断の正しさを証明し、イラク特措法による自衛隊の活動は憲法9条に違反することが、いよいよ明白になりました。

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「九条の会」近畿ブロック交流集会、分科会・分散会内容決定
以下の通り確定しました
第1分科会 東北アジア・世界の平和と憲法9条
第2分科会 9条改憲の動向とわたしたちの課題
第3分科会 青年学生と憲法9条
分散会
  各地の9条の会の経験を少人数単位で交流していただきます。

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(2009年11月3日入力)
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