「九条の会・わかやま」 139号を発行(2010年8月5日付)

 139号が8月5日付で発行されました。1面は、映画『GATE』上映と宮本恵司師講演会、私たちの方も巧妙で おおいにしたたかに(澤地久枝さん)、九条噺、2面は、「平和のたねプロジェクト」第3回「戦跡めぐり・加太編」(楠見子連れ9条の会)、DVD紹介 ドキュメンタリー映画 「しかし それだけではない~加藤周一 幽霊と語る~」 です。
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[本文から]

『平和』は努力のないところでは維持できない
映画『GATE』上映と宮本恵司師講演会

 私(金原徹雄さん)は7月17日、信愛女子短大附属中・高校内で開催された映画『GATE』と曹洞宗僧侶・宮本恵司師(田辺市在住)による「平和のために今できること」と題した講演会に参加しました。「カトリック紀北ブロック平和旬間の集い」として開催されたものです。
 映画『GATE』は、二度と原水爆の悲劇を起こさないと願った日本の僧侶たちが05年7月、平和を祈る様々な人々と共に、サンフランシスコから、世界最初の核実験が行われたニューメキシコ州のトリニティサイトまで、灼熱の中、2500㎞の旅をして、広島の原爆投下から採取し、60年間祈りと共に燃やし続けた原爆の火を悲劇の原点、グラウンド・ゼロ(爆心地)に戻し、負の連鎖を絶ち永遠に眠らせるため、60年間一度も開かれなかったトリニティサイトのゲートを開かせた映画です。宮本師は、修業した長崎の皓臺寺の導師の命により、「原爆の火」をトリニティサイトに戻して円環を閉じるための旅に出たのでした。
 宮本師は、生徒さんたちに、「平和とは何ですか?」とか、「私たちは何のために生きているのですか?」という、宮本師自身も「答えはない」と明言される問いを次々と投げかけられました。
 私が(宮本師も)感心したのは、「平和とは何ですか?」という問いに対する生徒さんたちの答えが、「助け合うこと」「理解し合うこと」「毎日笑顔で過ごすこと」などというもので、「戦争がないこと」という答えがなかったことです。日本の平和教育は、戦争の悲惨さを強調し、そのような悲惨を招かないために平和が重要であるという風に行われており、いわば戦争教育となっているのではないか、戦争の悲惨さを教えることの重要性は否定するものではないが、「平和」についての肯定的・積極的なイメージは形成されにくい。いかにして「平和」の具体的イメージを持ち得るようにするのかは、すぐれて現代的課題だと思いました。
 宮本師は、「火には意思はない。それを使う人間の側にその責任がある」「『恨み』からは『恨み』しか生まれない。世界の平和は許すことから生まれるのでは」「一人一人の心の『ゲート』を開き、平和のために『自分に何ができるのか』を考えてみて下さい」「戦争に勝者はない。『平和』は何もしないところに生まれるものではない。努力のないところでは維持できないものなのでしょう」と語られました。(金原徹雄さんより)

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私たちの方も巧妙で、おおいにしたたかに

 「九条の会」は6月19日、「井上ひさしさんの志を受けついで 九条の会講演会『日米安保の50年と憲法9条』」を東京・日比谷公会堂で開催し、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さんが講演しました。その要旨を「九条の会ニュース」から順次ご紹介しています。今回は澤地久枝さんです。

澤地久枝さん(作家)

 井上さんの生涯最後の作品は、小林多喜二を描いた「組曲虐殺」です。その芝居のなかで、「後に続くものを信じて走れ」と井上さんは言わせています。私は走れないのですが、ちゃんと井上さんの気持ちを継いで生きていかなければならないと思っています。
 あらためて考えると、日本は首のあたりまで軍事国家になっている。陸海空軍をもたないはずだけど、3軍あるじゃないですか。そしてこの頃は、幕僚長というトップにいるような人が、「日本が侵略国家であったことはない」などと世間に向けて公言して、そしてそれを「そうだ」と思うような部下がいる世の中になってきました。
 沖縄の基地について考えたい。沖縄の基地が始まったのは、1945年8月―日本が敗けた年です。その年の4月1日に米軍は本島に上陸し、6月の23日に組織的な抵抗は終ったといわれますが、しかしアメリカは沖縄を占領すると同時に、日本本土爆撃のための飛行場をつくりました。米軍の基地は、その日いらい今日まで続いていて、基地が無くなった日は一日もありません。だから、いまの沖縄の米軍基地は、沖縄戦の延長上にあるんです。いま新しい基地をつくるということは、永久に沖縄に基地を置くということです。
 腐りきった日本をなおすには自民党ではダメだ、と民主党に投票した人は多いと思います。しかし菅さんは昨日、消費税10パーセントを考えるといいました。マニフェストというのは約束ですよね。政権とったとたんにクルクル変わっていくような約束は、しなければいいのです。ところが私たちが望まないような約束は必ず実行するんです。
 私たちはあまりにも大変な時代の当事者として生きている、と思います。しかし日本にはまだ言論の自由はあるし、執筆したり、抗議行動をする自由もある。ところが締め付けられていなかったものの締め付けをだんだん強め、どこかの方向に持っていこうとする、そういう野心をもった経済人が、政治家がいて、この人たちはなかなか巧妙で、したたかです。だから私たちの方も巧妙で、おおいにしたたかにならなければならないと思います。

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【九条噺】

 今年は弁護士布施辰治の生誕130年(1880~1953)である。「生きべくんば民衆のために、死すべくんば民衆のために」を信条に、「世の中に一人だって見殺しにされていい人類がないと同時に、正しい文化には一人だって置き去りにされていい人類がないのだ」と主張。戦前戦後を通じて一貫して弱者・朝鮮の人びとの立場にたち、人間としての権利と尊厳を守るために、ただひたすらにたたかい続けた。国民救援会をはじめ借家人組合、自由法曹団の産みの親としても知られる▼宮城県石巻生まれ。21歳の若さで判事検事試験に合格し、法曹の道に踏み出すが、足尾銅山鉱毒事件等を経て「検事の仕事は虎や狼の行為だ」として、弁護士の道へ。トルストイの「日露非戦論」に共鳴し、人道主義に心酔、やがて「弁護士活動を前進させて社会運動の一兵卒に」と明言してその後の度重なる弾圧にも毅然と立ち向かっていく。1919年には、朝鮮独立運動に対する大弾圧の弁護で奮闘、23年には関東大震災下での朝鮮人らの大量虐殺事件の真相追及、その後も小作人等弱者の権利を守るために奔走するが、治安維持法に違反した等の理由で弁護士資格を剥奪され、投獄される▼戦後布施はいち早く朝鮮建国憲法私稿を作成。三鷹事件の弁護団長を務め、松川事件・メーデー事件の弁護等にも関与、終生その信条がゆらぐことはなかった。布施辰治、偉大な大先輩としていつまでも心にとどめおきたい。(佐)

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「平和のたねプロジェクト」第3回「戦跡めぐり・加太編」開催
楠見子連れ9条の会

 「平和のたねプロジェクト」の第3回は、7月25日の「戦跡めぐり・加太編」でした。野田淳子さんコンサートや西谷文和さん講演会にとりくんだ一昨年、昨年と比べたら、事前の取り組みは甚だ不十分で、おまけに1週間前には大雨による土砂崩れで遊歩道が立ち入り禁止となるなど、不安だらけでしたが、直前には遊歩道もOK。参加者も当日の朝には総勢25名となりました。さらに、9時という早朝に全員がちゃんと来るだろうかと、これも大きな心配でしたが、無事クリア。強烈に晴れた夏の陽ざしの中、遊歩道を歩き始めました。
 ガイドをお願いした松田長敬さんは、坂本龍馬と和歌山の関わりから始まって砲台の特徴など、分かりやすく話して下さいました。加太の山は、戦後になるまで軍用の土地であり、松田さんも子どもの頃は「入ったらあかん」と言われていた、など、戦争の歴史を身近に感じるお話でした。一方、子どもたちは、道端の虫や友だちとのおしゃべり・追いかけっこなどちょろちょろしつつ、真っ暗な弾薬庫跡に入ったり、伝声管から声を聞いてみたり、にぎやかに参加していました。
 その後、「休暇村紀州加太」の会議室で、松田さんの和歌山大空襲の体験談を聞きました。今度は子どもたちもしーんと集中していました。元は小学校の先生をされていた松田さんが、小さい子どもたちにも伝わるようにお話をして下さったので、大変ありがたかったです。
 「貴重なお話ありがとうございました。ハイキング中はなかなかお話を聞けない我が子でしたが、和歌山大空襲の体験談は心に響いたようです。『怖かったなあ、顔パンパン(に腫れて)青い服の人死んだ』などをポツリと話す二人です。戦争はダメと確認しました」「ついつい、日常に追われ忘れる日々。今が当たり前の気持ちを本当に心から安心出来るようにしなくては、やっぱり頑張ろうと夏に思う私でした。この気持ちを持続するのが課題です」との感想文も。
 今年はかなりこじんまりなイベントでしたが、それはそれで私たちにも無理なく取り組めて参加しやすく、内容も松田さんのおかげで意義深いものとなりました。感想文にもあるように、踏み出した最初の一歩を「持続する」ことが私たちの課題だと思っています。(楠見子連れ9条の会・馬場潔子さんより)

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DVD紹介
ドキュメンタリー映画
しかし それだけではない
~加藤周一 幽霊と語る~

発売:2010年6月23日
価格:4,700円+消費税
制作:加藤周一映画製作実行委員会
   矢島翠/桜井均
購入:http://disney-studio.jp/ghibli/

「野心的な作品。私は一冊の書物を熟読するかのように、これを『熟視聴』しない訳にはいかなかった」アニメーション映画監督 高畑 勲

 この作品のタイトルでもある「しかしそれだけではない」は、加藤周一が生前多用したフレーズです。物事を一つの視点だけによらず、常に多方向から、多面的に捉えることでその本質を見極めようとする彼の一貫した姿勢を象徴しています。
 08年12月に惜しまれつつこの世を去った彼が最後に試みたのは〝決して意見が変わることのない〟幽霊たちとの対話でした。戦時中に、自らの運命との共通性を感じた源実朝(鎌倉幕府三代将軍)、自由な言論が失われた中でも意見を曲げることのなかった神田盾夫(言語学者・聖書学者)、渡辺一夫(フランス文学者)といった恩師たち、そして、学徒出陣で戦地に向かい若い命を落とした友人。近年では「九条の会」の呼びかけ人としても知られた加藤が、一貫した反戦的姿勢によって「〝意見の変わらない立場〟から〝変わっていく世界〟を分析して理解することが重要である」と幽霊たちに語りかける言葉の中から、日本の今と未来が浮かび上がります。
 幽霊たちとの対話だけでなく、「日本の社会が危機を脱する」ために、若い世代への期待を語った講演会や、世界が抱く「閉塞感」を打破するために、世界で何が起こっているのかをしっかりと理解することが必要だと語った生前最後のインタビュー(08年8月収録)なども合わせて構成されたこの作品は、加藤周一の言葉に示唆を与えられてきたすべての人だけでなく、加藤周一という人物をこれから知ろうとする人にとっても、最良の出発点となる貴重な機会となります。

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(2010年8月9日入力 11日修正)
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