「九条の会・わかやま」 146号を発行(2010年10月23日付)

 146号が10月23日付で発行されました。1面は、財界とアメリカの力で出来た菅政権(渡辺治さん講演 ①)、「さいか9条まつり」開催、今国会で憲法審査会規程議決を狙う、九条噺、2面は、本多立太郎さんを偲び語る会 みなべで来月7日、向陽高校門前で署名活動  です。
    ――――――――――――――――――――――――――――――
[本文から]

財界とアメリカの力で出来た菅政権

 10月16日、プラザホープ(和歌山市)で「憲法9条を守る和歌山市共同センター結成4周年記念・秋の情勢学習会」が開催され、一橋大学名誉教授・渡辺治さん(「九条の会」事務局)が「民主党政権の新段階と構造改革、憲法の行方」と題して講演されました。その要旨を4回(予定)に分けてご紹介します。今回は1回目。

渡辺治さん講演 ①

 菅政権の下で政治はどのように変わるのか、構造改革や憲法、私たちの暮しはどのようになるのか、そもそも昨年8月の政権交代は何なのだろう、「九条の会」など私たちの運動はどんなことをすればいいのか、について考えていきたい。
 菅政権とは何なのだろうということだが、それを理解するためには鳩山政権を理解しないとよく分らない。鳩山政権がやったことを元に戻そうとして菅政権は登場したので、鳩山政権は何だったのかから考える必要がある。
 2つの大きな力が鳩山政権を作った。第1の力は、小泉政権の構造改革で大企業は大儲けをしたが、格差、貧困、餓死、自殺、ネットカフェ難民など社会の大きな矛盾が爆発して、もうこんな政治はごめんだと、特に地方は構造改革で公共事業投資が削減され大きな衰退となったので、これを何とかしてもらいたいという声だ。だけど、これだけだったら、あんなには勝たなかった。第2の力は、大都市圏で、自民党の利益誘導型政治をやめて、大企業に対する税金を安くし、自分たちの給料を引き上げるために構造改革を進めるよう求める大企業の中間管理職や一部サラリーマンなどの力だ。民主党は1998年に自民党と政権を競い合う政党として、構造改革はやる、憲法改悪もやるという形でスタートしたが、07年頃から変わってしまった。突然、構造改革反対、軍事大国化や憲法の問題も曖昧にして、「国民の世論次第で考える」に変わったため、構造改革に苦しんでいる人たちの期待を集めることになった。何故、反構造改革の党になったのか。06~07年頃に構造改革の結果、様々な矛盾が爆発し、国民の怒りが巻き起こっていたので民主党はそっちに行ったと考えられるが、その背後には「九条の会」「後期高齢者医療制度反対の運動」など、私たちの大きな運動が圧力をかけ、民主党の方針を変えていったという側面があった。特に08年の「年越し派遣村」は多くの国民に日本にこんな貧困があるのだということを明らかにした。「後期高齢者医療制度」は実施された後も大きな反対運動が起こり、ついに民主党を巻き込んで4野党の廃止法案が参議院で通り、民主党はこの段階から即時廃止をマニフェストに書かざるを得なくなった。憲法も05年までは改正賛成だったが、「九条の会」の発展で世論が変化し、08年には改憲賛成と反対が逆転してしまった。民主党は改憲では票が取れないと、07年のマニフェストから憲法改正は「国民の世論に従って判断する」に変わった。民主党がどんどんマニフェストを変えたため、反構造改革を民主党に期待する力が、元々の構造改革を民主党に期待する大都市部の人たちの声をも集めて、言わば呉越同舟で鳩山政権を誕生させた。
 中でも鳩山政権は特に構造改革をやめてほしいという声を集めて政権を担い、過去の保守政権がやらなかった「普天間基地国外移転」「子ども手当2万6千円」「農家個別価格保証」「高校無償化」を言い、財源に「消費税を上げる」とは言わず、保守政党の政治を一歩逸脱した。
 びっくりしたのは財界とアメリカ。自民党と民主党でキャッチボールをして、構造改革と軍事大国化を安心して進める体制を作るために民主党を育ててきたのにと、大いに焦って圧力をかけた。ここから鳩山政権のジグザグが始まる。だが鳩山氏は屈服しなかった。それは自分が何故総理大臣になれたかを肌身で分っていたからだ。さらにそれを支えたのは運動だった。特に9万人の県民大会を始めとする沖縄県民の運動が鳩山氏の背中を押した。しかし、最後の最後になって「日米同盟」「構造改革」を認める方向にどんどん後退した。それが国民の倍する怒りを買い、鳩山政権を追い詰めた。しかし、もっと重要なことは鳩山政権に不信を持ったのは、「このままにしておいたら日本は滅亡だ。日米同盟が大変だ」という財界やアメリカからの力だ。そこで出てきたのが菅政権だ。(つづく)

    -----------------------------------------------------------------

「さいか9条まつり」開催

 10月17日、秋空の下、和歌山市高津公園で「第2回さいか9条まつり」が開催され、約360人が参加しました。中央舞台では、ミニ講演(深谷登氏)、腹話術、南京玉すだれ、ハワイアンフラ、健康体操など、楽しい中に平和の願いをもりこんだプログラムが進行しました。会場内では食べ物、フリーマーケット、遊び、健康などのコーナーも開かれ、多くの人が訪れました。

 







    -----------------------------------------------------------------

今国会で憲法審査会規程議決を狙う

 新聞報道によれば、参院民主、自民両党の国会対策委員長が19日、改憲原案の審査権限を持つ参院憲法審査会の規程を参院議院運営委員会で近く策定作業に入ることで合意したとのことです。
 憲法審査会は07年の国民投票法の強行成立を受けて衆参両院に設置され、衆院では09年6月に自民、公明両党などの賛成多数で規程が制定されましたが、参院は制定されず、直後の政権交代もあり、憲法審査会は衆参両院を通じて一度も開催されていません。参院で規程が議決されれば、衆参の審査会がそろって始動する条件ができます。始動を許すわけにはいきません。

    -----------------------------------------------------------------

【九条噺】

 何年か前、和歌山大学経済学部の橋本卓爾教授(農業博士)にご案内いただいて紀和町(三重県熊野市)の〝丸山千枚田〟を見に行った。日本最大規模の棚田だという。まさに絶景だった。教授によれば、かつて田は2200枚余あったが、年々減って一時は530枚にまで落ち込んだという。しかし、地域の人々の粘り強い努力を基礎に、あらたにオーナー制度導入による都市との連携もすすめ、今は1340枚まで回復したとのことだった▼この「棚田見学」を契機として、紀和町に関するいろいろな資料に目を通すようになり、はじめて「紀州鉱山」のことも知った▼かつてこの町には全国屈指の産銅量を誇る鉱山があり、現在はその鉱山跡地に「紀和鉱山資料館」(市立)が建てられている。その市の資料ではまったくふれられていないが、紀和鉱山(石原産業)には忘れてはならない悲しい歴史がある。1940年頃から総数にして1300人もの朝鮮の人々が強制連行され、この鉱山で働かされていた。そしてずいぶん多くの命が失われたが、懸命な調査にもかかわらず、名前が判らない遺骨が大半で、辛うじて判ったのはわずか32名にすぎなかったという▼昨年、鉱山資料館の近くに、多くの市民の募金によって、死亡した朝鮮人を追悼する慰霊碑が建立され、今年3月には追悼碑除幕式がおこなわれたという。こんな悲しい歴史を繰り返さないためにも〝九条〟はあるのだと今更ながら思ったのだった。(佐)

    -----------------------------------------------------------------

本多立太郎さんを偲び語る会
〝遺言〟さらに広げよう みなべで来月7日

 第二次大戦で中国などに出征した体験を「戦争出前噺」として約1300回、全国で話し、今年5月に96歳で亡くなったみなべ町の元日本兵、本多立太郎さんについて「偲び語る会」が11月7日、同町芝の南部公民館で開かれる。憲法9条を考える活動を共にし、遺志を継いで9条のフランス語訳を駐日仏大使に送った同町の市民団体「みなべ『九条の会』」が、「子や孫に2度と戦争体験はさせたくない」と願った本多さんの生き方を振り返る。
 北海道小樽市出身の本多さんは中国で終戦を迎え、シベリア抑留を経て47年に帰国した。金融機関を退職した後の86年、近所の銭湯で、子どもに戦争体験を話したことがきっかけで、「うちでも話して」と声がかかるようになり、出前噺を始めた。体験を語りだしてみると、「死者は話したくても話せない。体験を話すのは生かして国に返してもらった者の義務」との気持ちが強まり、晩年まで全国に出向く原動力となった。
 本多さんは、上官の命令で中国人捕虜を刺殺した体験も話した。同じ部隊の仲間たちも戦死し、多くの死者に対する負い目を戦後ずっと感じて生きてきたとも漏らしていた。生き物の命に敏感になり、ゴキブリも殺そうとしなかった。
 海外を訪れ、憲法9条の翻訳を街角で人々に配り、語り合おうと決めた翌年の09年6月。本多さんは京都市の龍谷大での講演で、「おれが死んで、彼ら(戦死者)が生きていても不思議でない。たとえ倒れても、平和を掲げた憲法9条を守り、輸出したい」と学生に決意を語っていた。
 みなべ「九条の会」のメンバーは、主に同町での出前噺に携わった。平野憲一郎事務局長(68)は「物腰が柔らかく上品な好々爺(こうこうや)なのに、子どもの前で出前噺をする時は背筋がぴっと伸び、誰にでも分かるように語っていた」と振り返る。今年1月の同会世話人会などでは、本多さんは「国内で『9条を守ろう』とだけ言えば良い時代ではないのではないか。9条の良さを直接外国にも知らせるため、今年はフランスに行く」と語ったという。
 9条の訳文とともに同会が仏大使に送った本多さんのメッセージには、9条に対する静かで熱い思いがにじんでいる。こうした〝遺言〟を地元の人にも広く知ってもらいたいと、偲び語る会が企画された。(10月5日付毎日新聞和歌山版 )


   (本多さんのフランス語訳憲法9条)

◆本多さんが書いたメッセージ  私は日本人、95歳です。私の国は「憲法9条」という非武装不戦の法律を持っています。第2次世界大戦後60年、この法律のお陰で若者が軍服を着て死ぬことはありませんでした。世界中の国々がこの法律を持てば、平和な地球、本当に蒼く美しい地球という星になります。貴方はどう思われますか。


本多立太郎さんを偲び語る会
と き:11月7日(日)13:30~15:30
ところ:南部公民館(みなべ町芝530)
連絡先:0739-72-2555(平野憲一郎さん)

    -----------------------------------------------------------------

向陽高校門前で署名活動

 定期テストの10月1日、向陽高校門前で署名活動を行いました。登校時間帯に事前ビラを配布し、下校時に署名を訴えました。事前ビラの受け取りは悪く、40分で50~60枚しかはけませんでした。下校時の署名がどうなることかと心配でしたが、10時40分からの署名活動では約40分間に71筆の署名が集まりました。一旦通りすぎてから戻ってきて署名をしてくれたり、クラブ活動でランニングを終えて息を切らしながら署名をしてくれたりと感動の場面もありました。(ひがし9条の会ニュースより)

    ――――――――――――――――――――――――――――――
(2010年10月23日入力)
[トップページ]