「九条の会・わかやま」 151号を発行(2010年12月17日付)

 150号が12月17日付で発行されました。 1面は、「なちかつ・たいじ9条の会」結成 「憲法学習講演会」を開催、アフガニスタン 永久支援のために~中村哲 次世代へのプロジェクト~②、九条噺、2面は、なぜいま衆院比例定数削減か?これとどうたたかうか―改めるべきは小選挙区制― 小沢隆一さん ② です。
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[本文から]

「なちかつ・たいじ9条の会」結成
「憲法学習講演会」を開催


 12月8日午後6時30分から、那智勝浦町体育文化会館で約30人が集まり、「なちかつ・たいじ9条の会」結成総会が開かれました。総会では、「戦争のない平和な世の中をつくろう」と呼びかけ、「『九条の会』アピールの賛同者を広げる」ことなど4項目の活動内容が確認されました。
 引きつづき、午後7時から、同会の主催で「憲法学習講演会」が、約80人の参加で開かれました。これは、同会が12月8日の「太平洋戦争開戦の日」に二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないという意思表示のもと、同会の発足を記念して開いたものです。
 講演会は、森 正氏(名古屋市立大学名誉教授)が「日本人の平和意識と憲法9条」という演題で約1時間半の講演をされました。森氏は和歌山県新宮市の出身で、この紀南では、明治時代の大逆事件の冤罪で犠牲者となった大石誠之助ら紀州グループの名誉回復運動に取り組んでこられました。森氏は「平和の原則」は、武力紛争のない状態に「人権と民主主義が保障されていなければならない」として、日本人の憲法意識の危うさを訴えられました。予定されていた時間を越えての講演に、参加者も聞き入り、「この講演会で憲法9条を守る行動にやっと打ち込める意義を感じた」と話される参加者もありました。

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アフガニスタン 永久支援のために
~ 中村哲 次世代へのプロジェクト ~ ②


 11月24日、NHK教育テレビの「ETV特集」で標題の番組が放映されました。その番組の要旨を3回に分けてご紹介します。今回は2回目。(青字は中村さんの発言)

 水路建設には専門家の方もお入りになったのですか?
 専門家はいなかったですね。
 江戸時代の百姓は沢山の技術を持ち、自分たちで暮らしに関することは何でもやれる。
 今のアフガンがそうなんですね。現地の人は石が好きであらゆるところに石を使う。石は無尽蔵にあって上手に使う。百姓すべてが優秀な石工だと言っていい。水路は「蛇籠(じゃかご)」という日本の伝統技術と向こうの嗜好が合わさった形でできた。
 日本は近代になってコンクリートを護岸に導入し、生物が棲めなくなった。
 住民にもコンクリート信仰があって、新しいものに憧れる感覚はある。しかし、「蛇籠」を使うとこんなに強かったのか、生物が棲みやすいということでは非常に優れた方法だと感じている。古いものにはそれなりの根拠があって続いたと見直す時代だと思う。
 ものを採るときにどんな節度を守るかは大事な課題。
 自然は人間がコントロールできるものではないという考え方が根底にあって、取水にしても洪水がくると流れてしまうような堰を造ったりする。それは洪水を取水口に入れないためだ。人間の取り分を欲張らないという意味では共通するものがあるかもしれない。
 今、中村さんは新たな課題を抱えています。水路は絶えず補修をしなければ、やがて涸れて、無用の長物と化します。この先いつまでここにいられるか分からない。自分が去った後、水路の維持・管理を誰に託するのか。支援を一時的なものでなく、永続的なものにする方法を中村さんは模索していました。
 20㎞にわたる用水路の維持というものは容易ではなく、絶えず改修、補修を繰り返してやっと完成していく。気候変動、集中豪雨などでしょっちゅうメンテナンスが必要で、おそらく数十年単位でケアしないと保全できないという事実がある。おそらく今の政府では難しいだろう。
 その解決策として中村さんは新しい村を作ることを思い立ちました。建設予定地は水路最下流のガンベーリー砂漠。アフガンの慣習法では未開の土地は最初に耕した者が使用することができます。計画では村の面積はおよそ200㌶、砂漠を開墾して耕地にし、そこに80家族、1000人ほどの農民を定住させる予定です。村には試験農場が作られ現地に適した作物の研究が始まっていました。
 その水を利用して作れるものは作る。単に食べ物だけでなく、衣食住に必要なものを。棉(わた)も植えられます。水路は農業が栄えるためにもってきた訳ですから、これが最終ゴールに近くなったということでしょう。
 中村さんは新しい村にもう一つの役割を担ってもらおうとしています。中村さんは治水の技術を習得した農民たちをこの村に定住させ、水路を維持してもらおうと考えているのです。用水路と運命を共にする村、中村さんは水路建設で苦楽をともにした農民たちに未来を託そうとしています。
 用水路の最後のところに村を作ると伺ったのですが。
 水路の末端に集落を造って農耕生活ができるようにすると、末端の村を維持するためには水路全体の25.5㎞を保全しないと彼らは食えない訳です。そういう意味で水路全体を管理する特殊な使命を帯びた村になるのではないか。
 水路は何時も手を入れて使っていれば永遠に続くかもしれない。そうするとそこに人が住みついている必要がありますね。
 今年はとりあえず200町歩の内22町歩で農業ができような状態になり、そこに水稲、豆類、小麦、菜種などが植えられる状態になった。
 砂漠に水田ができる?
 水田はもうできているのです。昨日まで武器を向き合わせていた人たちが一緒になって田圃をつくっているのです。そういう姿を見ると健全なみんな一緒に生きているんだというのを感じます。そうして少しずつ開墾地が広がるにつれて、ひとつの共同体ができていくのではと思います。
 江戸時代の村もアフガンの村も明日どうして生き延びようかと、そのために今日何をするのかを考えていくのだと思う。
 ひとりでは、ひとつの家族だけでは生きられない。そこに何がしかの協力関係がないと村は成り立たないという切羽詰った事情でコミュニティが出て来るのではないかと思う。(つづく)

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【九条噺】

 上方演芸の〝爆笑王〟といえば、筆者には落語なら桂枝雀、漫才ならダイマル・ラケットだった。今でもどちらも〝姿〟を想像するだけで頬がだらしなくゆるむから不思議なものだ。ゆったりと好きな音楽に浸るのも素敵だが、できのいい漫才や落語に抱腹絶倒するのも限りなく幸せなひとときだ。こうして気兼ねなくバカ笑いができるのも、少々おおげさな言い方だが、何より平和であればこそだと思うのである▼その大好きな漫才も、悲惨な過去をもっている。8月にNHKテレビで「戦場の漫才師たち」という特集番組をみた。日中戦争当時、吉本興業と朝日新聞が共同で漫才師らによる日本兵慰問団を結成し、戦闘機部隊「荒鷲隊」をなぞって「わらわし隊」と名付け、中国戦線へ派遣した。エンタツ・アチャコをはじめ当時の一線級の漫才師や講談師が活躍 したが、「おもろうて やがて悲しき一夜かな」・・・悲劇はすぐにやってきた▼「わらわし隊」も、中国人捕虜を並べて首を切り落として喜ぶ日本兵の姿をはじめ、侵略戦争の残酷で悲惨極まる光景をいやでも目にすることになった。人気漫才師ミスワカナもこうして次第につのる厭戦気分を〝ヒロポン〟(覚せい剤)でごまかし、遂には中毒で廃人同様となり38歳で死んだという▼番組で「戦争は絶対ダメ。ワカナも優しい人だったから人一倍感じていたと思う。戦争は決して人を幸せにはしません」と語る女優森光子さんの目はいつになく厳しかった。(佐)

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なぜ、いま衆院比例定数削減か? これとどうたたかうか
―― 改めるべきは小選挙区制 ――


 『月刊憲法運動10年12月号』に東京慈恵会医科大学教授・小沢隆一氏(「九条の会」事務局)の学習会での「なぜ、いま衆院比例定数削減か?これとどうたたかうか ―改めるべきは小選挙区制―」と題する「報告」が掲載されました。要旨を4回に分けてご紹介します。今回は2回目。

小沢隆一さん ②

2.有権者の政治への関心、政治参加を阻害する小選挙区制

 小選挙区制の害悪は、「選挙結果」に及ぼす悪影響だけではない。小選挙区選挙は、各党が1議席をめぐって、候補者を立て、当選の見込みが少なくとも「選挙宣伝」や「政治的アピール」の必要上候補者を立てる、あるいは擁立を断念するという具合に戦われる。小選挙区選挙が、「政治のプロセス」に対してどのような影響を与えているのかも、視野に入れる必要がある。従来から、「小選挙区制は2大政党化を促進する」と論じられてきたが、その「効果」は、小選挙区制が当初から予定している「効果」である。ここでは、小選挙区制の「意図せざるマイナス効果」について考えてみたい。それは、国民の、選挙で政治に参画するという意欲を削いでしまう、国民の政治参加を阻害するというマイナス効果である。
 小選挙区選挙で、「投票したい候補がいない。いても当選はかなりむずかしそうだ」とか、「事前の予想によれば『勝敗』がはっきりしている」という場合、有権者は、投票する意欲が起きるであろうか? 起きないほうが、「フツウの有権者」の感覚だ。かくして、投票するかしないかに有権者は悩むことになる。小選挙区制は、こうした「悩み」と「選択」をあえて国民に強いているのである。
 94年に衆議院に小選挙区制が導入され、最初の96年の総選挙では、有権者全体の投票率は60%を割り、93年の67%、90年の73%の総選挙を大きく下回った。こうした投票率の低迷は、03年の総選挙まで続いている。
 この原因をすべて小選挙区制のみに帰すことは適切でないとしても、小選挙区制には投票所に行く有権者の足を鈍らせる効果があると考えるならば、96年総選挙以降の投票率の落ち込みには、小選挙区制の導入も寄与しているということができるだろう。この時以降の投票率の低下は、すべての世代で生じている。すべての世代に共通して影響を与えるのは、政治情勢や政策動向などよりも、制度の変更、すなわち小選挙区制の導入の方であると推測できる。このように、小選挙区制導入は、国民の選択肢を狭め、政治への関心、参加意欲を、一定程度削いだと見ることができる。
 小選挙区制導入以後、20~30歳代の「若者」層の投票率が他の世代に比べて大きく落ち込んだことも見逃せない。「若者」層の投票率は、「政治の季節」と呼ばれた大学紛争期にあたる60年代後半を含めて、40~60歳代と比べて一貫して低い。労働や社会生活への参入の度合いが未だに低い「若者」層は投票意欲が低調である。問題は、90年代における「若者」層の投票率の急激・大幅な落ち込みである。急激・大幅に投票率が落ち込んだのは、彼らが不況による就職難や非正規雇用の拡大、教育の荒廃、「若者向けの福祉」の欠如などによって社会の周辺に追いやられ、政治に絶望して参加意欲を持てずに無関心に陥ったことを示しているように思う。
 一方、最近の05年、09年の総選挙では、投票率が上昇傾向にあり、09年は69%と、投票率はずいぶんと持ち直しており、とくに「若者」層の投票率が急上昇している。都市部の若年層・中年層は、07年の参議院選挙や09年の総選挙では、自民党に投票しなかったと分析されている。投票率は、すべての年齢層で上昇しており、期日前投票の容易化や投票時間延長という「制度変更」が一定の影響を与えていると推測できる。その中での「若者」層の投票率の急上昇には、政治参加意欲の向上として積極的意味を見いだすことができるとともに、この間の「若者の貧困」の拡大に対する「悲鳴」が聞えてくる思いがする。
 ともかくも、小選挙区制は、国民を選挙から遠のかせ、政治的無関心をまん延させる制度といえる。09年の総選挙は、投票率がかなり持ち直したとはいえ、中選挙区制時代にはなお及ばないのである。(つづく)

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(2010年12月26日入力)
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