「九条の会・わかやま」 152号を発行(2010年12月26日付)

 152号が12月26日付で発行されました。 1面は、戦争を語る品や映画会・すいとん料理など多彩に 美浜「平和のための戦争展」開催、アフガニスタン 永久支援のために~中村哲 次世代へのプロジェクト~③、九条噺、2面は、農芸高校門前で署名活動「九条の会・かつらぎ」、「戦う自衛隊」へ変貌 新防衛大綱「動的防衛力」へ大転換 です。
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[本文から]

戦争を語る品や映画会、すいとん料理など多彩に
美浜「平和のための戦争展」開催

 12月11~12日、「九条の会・美浜」が中心となった実行委員会主催で「平和のための戦争展」が美浜町地域福祉センターで開催されました。美浜町教育委員会・紀州新聞・日高新報・朝日新聞和歌山総局・毎日新聞和歌山支局・読売新聞和歌山支局が後援し、案内や当日の取材など広く県民に知らせることができてよかったという声が多くありました。実行委員長の尾浦浩巳・元教育長が、「戦後65年がたち、戦争を体験した人は少なくなっている。今こそ悲惨な戦争を子や孫に伝え、平和な世の中を続けていかなければならない」と挨拶されました。
 11日は映画「日本の青空」を上映。約40人が憲法が生まれた真実の物語を熱心に鑑賞しました。12日は戦時下のすいとん料理を30人が味わいました。召集令状、軍服、鉄かぶと、出征兵士の幟、戦地からの手紙など戦争を伝える品約300点や美浜町の空襲被害を記した資料などを展示しました。昭和20年6月、アルミの兵器製造工場近くで米軍B29の空襲で51人が亡くなったなど、終戦までの半年間に美浜町内で6回の空襲があったことも知ってもらうことができました。
 2日間で和歌山市や日高川町などからも、また、子どもや孫をつれた若い人や年配の人なども含む約300人の来場者がありました。(「九条の会・美浜」大谷眞さんより)

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アフガニスタン 永久支援のために
~ 中村哲 次世代へのプロジェクト ~ ③


 11月24日、NHK教育テレビの「ETV特集」で標題の番組が放映されました。その番組の要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目(最終)。(青字は中村さんの発言)

 オバマ大統領は来年7月までにアフガンの治安を回復させるために3万人の増派を決めました。この増派によって戦闘地域は拡大、アメリカ軍の死者数は過去最悪のペースで増えています。一方テロ掃討作戦が活発化するにつれ、自爆テロや誤爆による市民の犠牲も相次いでいます。民間人の死者数はこの10年でおよそ1万人に上っています。戦争に対する人々の苛立ちは頂点に達しようとしています。中村さんが帰国する目的はこうした実情を日本人に伝えることです。今回も全国を回り講演しました。
 アフガンは、アメリカ対テロリストの戦いだというのは一種のフィクションだということを知っていただきたい。戦争で何か解決するというやり方はもう行き詰っているということを、口を酸っぱくして述べたいと思う。
 こうした中村さんの発言はテロリスト寄りだと批判にさらされることもあります。普通のアフガン人のことを知ってほしい、その思いを伝えることは容易ではありません。対テロ戦争が始まって以降、アメリカ支持を表明し、自衛隊による給油活動を続けてきた日本政府。しかし、今年1月新テロ特措法の期限切れにより給油活動を停止しました。代わりに5年間でおよそ4000億円を拠出し、民生分野の支援に充てることを決定しています。政府は具体的な使い道について検討するためアフガン支援室を設置。中村さんはメンバーとして参加を求められました。
 国民の100%近くが百姓ですから、まず砂漠化した農地の回復、これが最も効果があるということを是非伝えなければならない。
 巨額の資金を今後どのように実効性のある支援につなげていくのか、中村さんはここでも農村の再生こそがアフガン復興の基礎だと訴えました。何をすべきかなかなか定まらない祖国にもどかしさがつのる日々です。
 アフガンでは9年になります。この間話題になるのは政治現象ばかりで、実際は普通の庶民が生活している訳です。普通の人はどう思っているかというと、まず、食っていかなければならない。このことはほとんど報じられない。まず、命を保障してくれと、こういったムードが全体に広がってきているのが現実です。
 日本に帰って違和感を感じるのは、普通の人の暮らしを伝えると反米的だとか、政治的な意見に置き換えて見られる。政治的に正しいかどうかは問題ではない。みんなを食わすことが問題なのだと言うのだが、それを中立的でないような妙な捉え方をされてしまうことがある。この戦争は道義の上では敗北したと言っていい。アフガン人は何か悪いことをした訳でなく、アメリカに攻めていった訳でもない。テロリストといわれる人たちを一部の人たちがかくまったというだけで、あそこまでしなくてもと誰でも思う。
 目立たず生きている人たちを支援しているのだということ以外にない。その人たちはタリバンシンパかもしれないし、アメリカ寄りかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいというのが我々の立場だ。どちらが勝つかには関心がない。普通の人が普通の暮らしをしてくれればそれでいいと思っている。アフガンの自給率はかつてほぼ100%近かったのが、現在は60%以下に落ちている。自給自足の人が40%減るということは、耕さずに食える食糧が少ないからそれだけ飢えが広がるということなんだ。これがなかなか日本に伝わらない。
 本当の実態を「知る」ということはあまり抽象的な議論をしないで、現場でやることをやるいうことだと思う。日本人にそういう追体験の機会を増やせば多少は変わってくるのではないかと思う。

 10年10月、アフガンに中村さんの姿がありました。アフガンの国土から見ればまだわずか1本の用水路。農村の再生により復興を図るこの試みが全土に広がることを夢見ています。
 この地域が豊かな平和な地域になれば、これがモデルになって、アフガン中に広がっていけばそれでいいのではないか。これでやっと本来のあるべき目的が見えてきたという感じがする。
 新しい村の開墾地では初めての収穫が行われました。来年は更に多くの作物を植える予定です。
 (おわり)

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 今年も大変お世話になりました。来年も憲法9条を守る活動にともにがんばりましょう。よいお年を。 「九条の会・わかやま」事務局一同

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【九条噺】

 先頃、朝日新聞夕刊に連載された「ニッポン人・脈・記 語り継ぐ戦場」を読んだ。なかでも、「撫順の奇蹟」を伝える記事は印象深いものだった。中国遼寧省撫順の戦犯管理所には1959年まで約1千人の日本兵が収容されていた。そこで会計係を務めていた中国人女性(現在81歳)は「私たちがトウモロコシの粉のかゆなどしか食べていないのに、上からの指示で、戦犯には三食、白米が与えられました。多くの中国人を殺した戦犯をなぜ厚遇するのか、内心、怒りをこらえるのがたいへんだった」と語る。こうして、声を荒げることなく、温かい態度で接してくれる管理所職員らの姿勢に、戦犯たちは「戦争中の自己を照らし、どれほどの非道を繰り返してきたか、深い反省に到達して」いったのだという。その後「戦犯」の大半は釈放され、双方の親しい交流が今日も続いていると伝えられる▼ふと、いつかテレビで見たノルウェーの刑務所を思い出した。それは、学校か文化施設と見間違うような、およそ刑務所らしからぬ建物で、立派な図書室や音楽室もあり、窓にも鉄格子などはいっさいなかった。「独房」には、トイレやシャワーはもちろん、机や本棚、ミニ冷蔵庫やテレビなども備え付けられており、新緑の芝生や湖を見渡す大きな窓もあった。何よりも収容者の心を大切にする施設の有り様が、罪の自覚と再犯防止の最大の力になったという▼まるで異なる二つの話だが、どこか通じるものもあるような。(佐)

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農芸高校門前で署名活動
「九条の会・かつらぎ」


 「九条の会・かつらぎ」の主な取り組みは、原則毎月の9の日に行う署名活動です。この4年間で、会員533名、署名はもう少しで2000筆を超えようとしています。しかし、最近ややマンネリ化傾向にあり、どう打破するかを模索中です。今、論議していることは、もっと若者をこの運動の仲間として参加してもらうにはどうするかということです。昨年、今年と開いた「9条祭り」にはできるだけ多くの高校生の参加をということで、高校生の和太鼓演奏、ソーラーカーの展示と説明、ポップコーン・綿あめの販売などに参加をしてもらいました。高校生たちの参加は大好評で、私たちは大きな勇気をもらいました。
 11月23日「勤労感謝の日」は、紀北農芸高校の「農芸祭」でしたので、宣伝・署名活動を行いました。朝10時、8名の仲間が集結し、校長先生に許可を頂きにゆくと「敷地外だし、結構ですよ」と快諾をいただきました。顔見知りの人も多く、世間話をしながら署名をお願いしました。「尖閣列島や北朝鮮の問題があるやろ。軍備がなかったらどうするんよ」と署名を拒む人もいましたが、大半は「この孫らのために平和やないと」と老若男女を問わず署名をいただきました。もちろん生徒も。重い大根を何本も抱えた人がそれを地面において署名してくれました。2時間で119筆、私たちは、さわやかな気持ちで会場を後にしました。(草田信行さんより)

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「戦う自衛隊」へ変貌
新防衛大綱、「動的防衛力」へ大転換


 政府は12月17日、「防衛計画の大綱」を閣議決定しました。新防衛大綱は、「専守防衛」などの原則を完全に空洞化し、中国や北朝鮮の脅威をあおり、軍事的に対抗する姿勢を打ち出すという、憲法9条や前文の理念に反する内容になっています。
 新防衛大綱は、「従来の『基盤的防衛力構想』によることなく」「『動的防衛力』を構築する」と述べています。95年の改定以降、日本はPKO法、周辺事態法によって海外派兵への道をひらき、04年の改定では、インド洋、イラクへの派兵を公然とおこない、自衛隊の海外での活動を本来任務とするところまで進みました。しかし、この間も最初にうちだされた「基盤的防衛力(自衛隊の役割を日本防衛に限定し、防衛設備が『存在する』ことそのものに意味を見出す)」構想が維持され、「専守防衛」がうたわれてきました。新防衛大綱は、その建前すら投げ捨てようとしています。
 「動的防衛力」構想は、「中国の脅威や朝鮮の情勢」などの「東アジアの安全保障環境の悪化」を口実にイージス艦や潜水艦などの軍備を増強し、必要に応じて自衛隊をどこにでも緊急に展開できるようにしようというものです。
 今回の改定は、政府がいうアメリカ軍による「抑止力」に加え、自衛隊が米軍との共同作戦をいっそう強めつつ、攻撃的軍事力を発揮し、戦う自衛隊に変貌するものといわなければなりません。
 新防衛大綱は、アメリカと財界が強く求めている武器輸出3原則の「見直し」を明記していませんが、武器の「国際共同開発・生産に参加する」ことを「検討する」として、「見直し」の早期実現をめざしています。
 新防衛大綱は「軍事には軍事を」という軍事的緊張の拡大と悪循環をもたらします。いま、日本に必要なのは、東アジアに平和的環境をつくる外交力です。軍事力で対抗する思考からの脱却こそ求められるものではないでしょうか。

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───── お知らせ ─────

 小沢隆一さんの報告「なぜ、いま衆院比例定数削減か? これとどうたたかうか」の第3回は次号(153号)に掲載します。

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(2010年12月26日入力)
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