「九条の会・わかやま」 153号を発行(2011年1月8日付)

 153号が1月8日付で発行されました。 1面は、孫には銃をかつぐことのない人生を(俳優・三國連太郎さん)、南部高校生116人の署名集まる(みなべ「九条の会」)、今年もみんなで励ましあって九条を守る活動を進めましょう、 九条噺、2面は、なぜいま衆院比例定数削減か? これとどうたたかうか ― 改めるべきは小選挙区制 ― 小沢隆一さん③ です。
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[本文から]

孫には銃をかつぐことのない人生を
俳優・三國連太郎さん

 弾は撃たなかった
 ――中国で終戦まで、各地を転々とされました。
 静岡の34連隊に配属され、中国に送られました。そのあと部隊はガダルカナルと中国に分かれたのです。ガダルカナルに行った人には(その後)会ったことがありません。ほとんど全滅したと思います。
 ぼくは、純粋に「生きたい」という考え方で、危険なことには参加しなかった。「突撃!」といえば遅れて突撃し、実弾を一発も撃たなかった。弾を一発も撃たないということは、弾を捨てなければいけない。捨てて帰ってきて、「よく撃った」ということで(上官から)殴られずに済んだ。だから人を殺めたことがない。人を殺すのが怖かったんですね。
 戦争は狂気
 ――孫たちを同じ目にあわせたくない、憲法9条を守りたいと発言されています。
 ぼくの実感として、兵隊は 生きているわら人形 だということです。魂を抜かれてしまい、いつの間にか銃を撃つ。引き金を引かないと自分が殺されると思うわけです。自分の意思をもっていたら引き金は引けない。
 戦争というのは人間が人間を殺すことが許される。やはり狂気です。
 (戦争のように)一部の人たちの利益のために犠牲者を出すというのは、ぼくには意味がわからない。
 今後、そういうことを国家権力が押しつけてくるかもしれない。孫は中学2年生になりましたが、どんな非難を受けてもいいから弾を撃つようなことがないように、銃をかつぐことのない人生を送ってほしいと思います。(全国革新懇ニュース325号・1月10日付より抜粋 )

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南部高校生116人の署名集まる
みなべ「九条の会」

 みなべ「九条の会」は15日、南部高校門前で同高校生を対象に以前から同会独自で実施している「日本国憲法を変えないで九条を守り、平和のために生かすことを求める請願」の一斉署名活動を行い、116人の署名が集まった。
 署名は衆参両院の議長に提出する請願に添えるもの。平和へのタペストリーやのぼりを会場に設置して、会員20人が正門と裏門に分かれて、登校する生徒に署名を呼びかけた。9日には日本国憲法九条を守る意義や徴兵制について掲載したチラシを同校生徒に配布した。
 請願では「戦争の悲惨な体験と反省から、日本は二度と戦争はしないと誓った。が、自衛隊を政府の意のままに海外に送り出せるようにし、日本を再び『戦争ができる国』にしようとする動きが強まっている。私たちは受け入れることはできない」としている。
 同会では「朝鮮半島情勢不安定な中、国防をしっかり、力には力でという空気を感じる。この風潮から徴兵制が復活し、若い人たちへ影響しないようにとの思いを込めて活動した」と話している。(12月17日付「紀州新聞」)

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今年もみんなで励ましあって、九条を守る活動を進めましょう

 新年おめでとうございます。
 一昨年の民主党政権成立後は、安倍元首相のような、露骨な「明文改憲」の動きは影を潜めていますが、昨年だけを見ても、「内閣法制局長官の国会答弁禁止」「民主党憲法調査会復活」「衆議院比例定数80削減」「武器輸出3原則の見直し」「非核3原則の見直し」「PKO5原則の見直し」「憲法審査会始動」などへの動きがあり、「普天間基地の辺野古移設を決めた日米合意」「新安保懇の報告書提出」、そして12月の「新防衛大綱の閣議決定」など、憲法9条をないがしろにし、改憲への手続きを進め、「解釈改憲」に進む動きなどは自民党時代以上に深刻な事態ではないでしょうか。
 一方、4月の9万人の普天間基地の県内移設に反対する沖縄県民大集会の成功、また、「改憲反対59%、賛成38%」(朝日3月24日)、「9条変えない67%、変える24%」(朝日5月3日)などの世論調査の結果もありますが、昨年10月16日に和歌山市で、渡辺治さん(一橋大学名誉教授・「九条の会」事務局)は、「『九条の会』は国民世論を大きく変えたが、この1年間は40しかできていない。私たちが運動の主体・主人公から若干観客の状態になっていたのではないか」「その結果、連続的に改憲賛成が落ちていた世論が09年4月に逆転して、再び60%台の賛成になった。改憲世論は減る一方という状態ではなくなった。これも『九条の会』がもうひとつ大きな輪が広げられていないからだ」「『改憲の動きが大丈夫だからちょっと一服するか』と、このような状態が『九条の会』の伸びの鈍化や運動の停滞になっているのではないか」と指摘し、「私たちがもう一度エンジンをかけ直してがんばる」ことを訴えられています。
 6月19日の「『九条の会』(東京)呼びかけ人会議」では、「各地域の段階で、それぞれの『九条の会』が意識的に相互のネットワークを結んでいくことを大切にし、お互いに協力し合いながら日常活動を展開していくこと」を訴えています。
 この1年間、和歌山県内でも、「講演会」「地域署名・高校門前署名・駅頭署名」「総会&学習会」「まつり・フェスタ・集い」「コンサート」「展示会」「戦跡巡り」などの様々な活動が展開され、素晴らしい成果も残されました。新たな「九条の会」も2つ(御浜9条の会、なちかつ・たいじ9条の会)結成されました。ここで、「もう一度エンジンをかけ直して、大きな輪を広げる」ために、「ネットワークを大切にし、お互いに協力し、励ましあって活動を展開すること」を訴えたいと思います。励ましあうためには、各会の具体的な活動を互いに知り合い、学び合うことではないでしょうか。みなさん、日頃の活動(成果、苦労したこと、アイデア等々)をお知らせ下さい。県下の「九条の会」でそれらを共有し、みんなが励まされ、活動が展開できるよう、当会もその一端を担いたいと思います。
 「九条の会・わかやま」事務局  (wakayama9jou@yahoo.co.jp)

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【九条噺】

 「ベターベターとカネを辺野古にくっつける」と朝日川柳。「よくできました!座布団一枚!」と言いたい▼菅首相は12月18日、沖縄を訪れて仲井真知事に「(普天間基地の辺野古沖移転案は)沖縄の皆さんにはベストではないが、実現可能性を含めてベターの選択だ」「交付税も特段の配慮をする」などと〝アメ付き〟の説得を試みたが、知事からは「沖縄側の感覚は、県内移設はすべてノー。(首相提案は)ベターどころか、バッドだ」と一蹴された。この結末はすでに会談前からわかっていたこと。菅首相が沖縄訪問に先立って「沖縄の人々に負担をおかけすることをおわびしたい」と記者発表したとき、仲井真知事は「わびてもらう話ではない。県内移設はダメだということだ」と明言していたからである。しかもこの間には仙石官房長官の「(辺野古移転での日米合意を)沖縄の方々に甘受していただく」という〝失言〟もあった▼結局、首相らには、〝沖縄〟がさっぱり見えていないのではないだろうか。普天間基地の県内移設に反対する県民集会(4月)には9万人もの人々が集ったのである。つい先頃の知事選挙でも、県内移設を主張するような候補など一人もいなかった。県民の総意を誠実にくみとり、辺野古への移転に係る日米合意を速やかに白紙撤回するとともに、この際、〝米軍基地=抑止力〟とするような首相らの安易な考えそのものを根本的に見直すべきではないか。(佐)

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なぜ、いま衆院比例定数削減か? これとどうたたかうか
―― 改めるべきは小選挙区制 ――


 『月刊憲法運動10年12月号』に東京慈恵会医科大学教授・小沢隆一氏(「九条の会」事務局)の学習会での「なぜ、いま衆院比例定数削減か?これとどうたたかうか ―改めるべきは小選挙区制―」と題する「報告」が掲載されました。要旨を4回に分けてご紹介します。今回は3回目。

小沢隆一さん ③

3.小選挙区制は「ムダ」の温床 比例代表制こそ「ムダ」が少ない(1)

 今の定数480は「ムダ」という理屈があるが、国会の予算は、国の財政全体の中では微々たるもので、議員定数を80削減しても54億円程度の節約にしかならず、財政的効果は大してない。今の議会政治のパフォーマンスのレベルを低下させないで議員を少なくしようとすれば、議員1人当たりの活動費や秘書などの人件費は増やさざるを得ず、財政削減効果自体も簡単には期待できない。「ムダをなくす」という理屈で、議員定数を論じること自体に無理とすりかえがある。
 いまの国会には、別のところに「ムダ」が潜んでいると思う。その根源は小選挙区制である。私が言う「ムダ」とは、「税金をどれだけ使っているか」という点のみに着目したものとは視点が違う。政治には、税金を原資として選挙費用や政党助成金などの公的資金が投入されている一方で、個人献金、党費や募金、機関紙誌の購読料など、民間の資金も投じられている。問題は政治に投入されている資金が有効に使われず、金をかけている割には政治の質の向上に役立っていない。主権者国民が本来問題とすべき「ムダ」とは、こちらの方である。「税金がどれだけ使われているか」という視点からの「ムダ」論は、政治に自らは参加しない立場と親和的である。しかし、国民は、政治に参加する権利を有し、権利行使を期待されている存在である。国民にとって、政治に投入されている公的・私的資金が、適正によりよき政治の実現のために役立てられているかこそ、関心事であるべきである。
 こうした観点から、高額な供託金と没収の制度は主権者国民の政治参加を阻害するものとして、改革を提起していくことが重要である。自民党は、08年11月に、衆参両院選挙で支払う供託金を引き下げ、没収の基準も緩和する公選法改正案をまとめたが、民主党内で「反自民票を散らすための愚かな目先の選挙対策だ」との反発の声が強まったという経緯がある。しかし、ある政党が全有権者を対象にして衆議院選挙で訴える場合、すべての選挙区や比例ブロックで候補者を擁立することは常道である。ところが、多くの党員や支援者から寄せられた資金で多額の供託金を積んでも、没収されて国庫に入れられてしまうのでは、これほど「ムダを強制させられる」仕組みはない。
 政治に投じられた資金が有効に活用されずに消尽する仕組みは、小選挙区制にも組み込まれている。小選挙区制は、平均して「2回に1回」の割合で落選する制度である。かつての中選挙区制の当選倍率はもっと低かった。立候補者の総数を議席数で割った数字は、最大は93年の総選挙で1.86であった。これに対して、小選挙区制導入後の当選倍率は、最大で96年の4.20、最小でも05年の3.29と跳ね上がった。小選挙区制導入後、衆議院選挙での立候補者数は確実に増加した。小選挙区制だけを念頭に置いた場合、かつての中選挙区制時代に比べて、議員の当選確率は低下した。
 要するに、小選挙区制は議員の「多産多死」のシステムである。小さな政党の候補は、落選覚悟で立候補するか、当選のために操を捨てて2大政党のどちらかと「選挙協力」するかの途しかない。かくして、議員が当選を重ねて政治に習熟することがおぼつかなくなる。私は、小選挙区制の導入にともなう衆議院議員に新たに生まれたリスクであると考える。議員を、医師や法律家などのような専門職種と同様に扱えるかはともかくとして、長年月の経験に裏付けられたある種の熟練が必要とされ、議員が「交代」する場合でもスタッフに支えられながらのノウハウの継承が求められることは間違いないだろう。ところが、「落選リスク」の高さは、議会内での活動の中断により、それ自体として熟練を阻害すると同時に、どうしても「選挙での当選」に活動の主眼が向きがちで、議員として本来担うべき政策形成、法案作成、行政監視などの活動がおろそかになる傾向は否めないだろう。(つづく)

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(2011年1月8日入力)
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