「九条の会・わかやま」 167号を発行(2011年6月30日付)

 167号が6月30日付で発行されました。1面は、「和歌山市ひがし9条の会」第4回総会&講演会開催、(告知)小森陽一氏講演会、法学館憲法研究所HPが「紀州九条せんべい誕生物語」掲載、九条噺、2面は、「九条の会」7周年への呼びかけ人のメッセージ、当会呼びかけ人・宇江敏勝さん初の短編小説集『山人伝』出版  です。
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「和歌山市ひがし9条の会」第4回総会&講演会開催

 6月12日、「和歌山市ひがし9条の会」総会が東部コミュニティセンター(和歌山市)で、40名の参加で開かれました。オープニングは、「読み聞かせ9条の会」の別院丁子さんが「おかあさんの木」を朗読されました。7人の子供を次々と戦地に送り出し、誰一人帰ってこない。死んで手柄を立てよと言わなければならなかった時代の母親の気持ちを切々と語られました。
 主催者挨拶で小林民憲・和歌山大学名誉教授は、原爆はウランなどを一気に分裂させ、原発はコントロールしながら反応をさせているもの、使われているものは同じだからコントロールが利かなくなると福島第一原発のような大惨事になる、今回の講演も核の恐ろしさを考えてお願いしたと挨拶されました。朝日新聞の世論調査では「憲法9条を変えない方が良い」が昨年より9ポイント減少していますが、これは中国漁船による巡視艇への衝突事件や東日本大震災で救助・復旧に取り組む自衛隊の姿をみて憲法上も何とかしてあげたいと思う人が増えているのではないかと提起し、自衛隊の位置付けを憲法上もスッキリさせるには、武器を持たない災害救助隊に改組することが一番ではないでしょうかと訴えられました。
 記念講演では元朝日新聞広島支局員で、昨年、朝日放送を専務取締役で退職された北畠宏泰氏が原爆とその被害について説明された後、メディアは毎年8月になると広島・長崎を取り上げるが秋には消えている、阪神淡路大震災の時の報道も3カ月後に起った地下鉄サリン事件に打ち消されてしまった、地震についてもっと根本的な世論形成ができるまで、報道が続けられていたら今回の福島原発の事故も防げたのかもしれない、忸怩たる思いがある。『一人ひとりの戦争・広島』という本をまとめているが、その中から9歳で被爆し韓国へ渡った少年の話や、広島で被爆し、その後水俣へ帰り水俣病を併発した方の話をした後、その方が「真っ正直に生きてきた私たちに苦労を押し付け、戦争を始めたのは国であり、チッソも責任を放棄した、2つの手帳を持っているが、被爆と水俣2つの烙印を押された者として声を上げ続ける」と言われたと紹介されました。  「核抑止論」があるが、何時何処で偶発的に核が発射されるか分からない、核戦争を止めるのは核廃絶しかない。平和を望むなら戦争になった時の悲惨さをイメージすることが大切だと指摘され、村上春樹氏の発言にも触れ、核廃絶への夢を持とうと締めくくられました。(事務局長・石垣保さんより)

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(告知)小森陽一氏講演会

新「現代日本の開化」と憲法9条
7月30日(土)13:00~
和歌山商工会議所4階大ホール
主催:9条ネットわかやま
協賛:九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会

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法学館憲法研究所HPが「紀州九条せんべい誕生物語」掲載

6月27日、法学館憲法研究所(伊藤真所長)は、素晴らしい活動だとして「紀州九条せんべい誕生物語」(「紀州九条せんべいの会」中北幸次事務局長執筆)を研究所のHPに掲載しました。

TOPページ  http://www.jicl.jp/index.html
詳細ページ  http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110627.html
チラシ  http://home.384.jp/kashi/9jowaka/tirasi/senbei.htm
歌    http://www.youtube.com/watch?v=39Rw0eVjnx0

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【九条噺】

 永田町は例によって首相が辞める辞めないのという騒ぎで、外国からも「国民は一級だが政治は三流」などと揶揄される始末。懸案の普天間移設問題も依然先行きがみえない。先頃北沢防衛大臣が沖縄県庁を訪れ、「辺野古案」と新型輸送機オスプレイの配置を通告したが、県知事にも「絵空事だ」といなされた。もっとも、大臣自らも「実現できるわけがない」と断言していたぐらいだから、アメリカ向けの単なるポーズかも▼大震災の前にはケビン・メア米国務省日本部長の「舌禍事件」もあった。同部長は「沖縄の人はごまかしとゆすりの名人」であり「怠惰でゴーヤーも栽培できない」などと、沖縄の人々をひどく貶め、また「問題の基地はもともと水田地帯にあったが、沖縄がその施設を囲むように都市化と人口増を許したからだ」などと、強奪に等しい戦後の土地収用を正当化、さらに沖縄の基地は軍事的に重要な位置にあり、その高額な経費(「思いやり予算」)まで日本政府が負担して「米軍は日本で非常に得な取引をしている」とも発言した▼これにはさすがの米政府もあわてたのか、早々と部長を更迭した。当面する移設案件への悪影響も懸念して、その対応を急いだのであろう。そして日米両政府は21日に話し合い、辺野古への移設で合意した。しかし、両政府の思惑はどうあれ、普天間基地撤去を求める県民の総意は変わらず、固い決意も揺るぎそうもない。(佐)

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「九条の会」7周年への呼びかけ人のメッセージ
ともに生きる仲間 (鶴見俊輔さん)


 九条の会の発起人の人選に、私はかかわっていません。ある日、電話がかかって、こういう会をはじめるが、その発起人になってくれませんか、ということで、即座になりますと答えました。
 発起人の会に行くと、そこではじめて9人の顔合わせがありました。
 そのうち3人は亡くなりました。加藤周一、小田実、井上ひさしです。
 亡くなった人の仕事を読み返して、こういう人たちをよくぞ選んだと思います。
 はじめて読んだ井上ひさしの『日本語教室』には、言語についての理論をよく消化し、自分の言葉で語りなおすところがすごい。小説『吉里吉里人』と通底し、その裏づけの役を果たしているように感じます。
 小田実の作品では『オモニ太平記』にほとほと感心しました。かつて彼が開高健と共に書いた『世界カタコト辞典』(1966年)を、一つのところに焦点を定めてくわしく書いた本だと思いました。小田実には、智恵がある。その智恵が、残されたメンバーの肉体の中によみがえってくることを望みます。
 そして加藤周一。彼の『日本文学史序説』を読み返すと、日本文学を通して日本思想史を書いた作品として、新しい刺激を受けます。日本思想史を、日本文学史のかたちを借りずに書く道は、あるとは思えません。
 ここに、故人と生き残りと、あわせて9人の呼びかけ人から、新しい世代へと声を届けたいです。

世直しのとき(澤地久枝さん)

 3月11日、東京の自宅で思ったことは、自然の力の大きさと、人間存在の小ささだった。自然災害は逃れがたい。しかし「戦争」はそうではない。今日までの自分の生き方、選択を思い、ほかに選びようがなかったと改めてつよい気持をもった。
 つづけて原発の事故である。チャイナ・シンドロームといわれる炉内溶融をすぐに連想し、子どもたちの集団疎開が必要ではないか、と考えた。しかし、どこへ、いつまで。大津波到達の予想図は、北海道から沖縄まで、それが日本列島なのだ。地震列島の上でいとなむ日本人の生活。いま、「運命共同体」の船に乗り合わせて、この国の姿を根本から変える方向へ舵を切るべく、原点というべきものが日本国憲法だと思う。
 戦争放棄の第9条と生存権にかかわる第25条に力をもたせ、それを砦として世の中を変えてゆきたい。まず、全原発廃止の方向を目ざす意思表示から。小田実は「一人からはじめる」と書いたそう。しかし、「一人」ではない。

変革めざす全市民的議論を、いま(奥平康弘さん)

 トンデモナイ事態に陥りましたね。でも、考えようによっては、こういう目に遭わなかったならば、私たちは国家社会の変革という契機をつかめないままで、リーマン・ショックから抜け出して旧来秩序に戻し、〝一等国〟に成り果せようと、あらぬ路線にしがみついていたのではないでしょうか(ちなみに、先日、4月28日、超党派「新憲法制定議員同盟」の大会で、「大規模自然災害にも即応出来る憲法をつくろう」というスローガンが付け加えられたという。「憲法を新しくする絶好の機会だ!」とあいさつする政治家もいたという)。
 復興、復興と草木もなびく勢いですが、〝被害〟の多くは――原発積極策が典型であるように――過去の政治経済の誤算に由来します。過去をきちんと清算しつつ、新しい変革途上にある世界に向けて日本いかにあるべきか、議論を起そうではありませんか。日本国憲法は、全市民が自覚的にこの議論に参加し、おのおの応分の役割り分担を担うよう要請しています。

決意した、ということ(大江健三郎さん)

 森のなかの新制中学で、先生が教育基本法を読み上げました(いまの、改正されたものより、文章がずっと良い)。……この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 ――よし! と私がいったので、みんな笑い、自分も笑ったものです。
 しかし、長い人生の時、私は子どもの自分の声を思い出すことがありました。加藤周一さんから、憲法九条の会を呼びかけないか、と伝言があった時も、――よし!と……
 呼びかけた私らの数は少なくなるけれど、会はそれぞれの活動によって、勢いを大きくしています。やがて私も居なくなった時、思い出してもらうきっかけをひとつ、と考えて、憲法前文②の一節を声に出しておきたい。「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、その決意した、というところ。

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当会呼びかけ人・宇江敏勝さん初の短編小説集『山人伝』出版

 エッセイストとして活躍している田辺市中辺路町野中の作家、宇江敏勝さん(73)が初の短編小説集『山人伝(さんじんでん)』を出版した。収録作品は15編。熊野川の大水害をイメージした「月夜なり」▽熊野古道の茶店を舞台にした「夫婦(めおと)」▽明治30年代の新宮の宿で働く女と猟師の物語「鈴の音」など。
 いずれも宇江さんが72~82年に文芸同人誌「VIKING」や月刊誌「現代林業」に発表した中から選び、加筆、修正した。自然、民俗、人情をテーマに、江戸から昭和初期の吉野熊野地方の山中で暮らす人たちが描かれている。
 宇江さんは県立熊野高校を卒業後、長年、山仕事に従事。かたわらで文筆活動を続けてきた。一昨年、エッセイ集「宇江敏勝の本」(12巻)を完結した。
 宇江さんは「これまでは林業の現場ならではのことをあるがままに書くことに徹してきた。これからは年1冊、自由気ままに書いていきたい」と話していた。全国の書店で販売している。2000円。(毎日新聞和歌山版6月19日付)

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