「九条の会・わかやま」 169号を発行(2011年7月28日付)

 169号が7月28日付で発行されました。1面は、日本国憲法は世界憲法だ(池辺晋一郎さん)、自衛隊の海外派兵強化を狙うPKO懇 武器使用権限の見直し提言、九条噺、2面は、「原子力の平和利用」は世紀の4大詐欺のひとつ(アーサー・ビナード氏②、書籍紹介『二つの憲法』 大日本帝国憲法と日本国憲法   です。
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[本文から]

日本国憲法は世界憲法だ

 7月22日、堺市民会館(大阪)で「I LOVE 9条・合唱とトーク」が開催され、1066名が参加しました。女声合唱団が与謝野晶子の詩やポップス、平和の歌などを歌いました。トークでは作曲家・池辺晋一郎さんが、憲法への熱い思い(別掲)を語られました。エンディングでは会場の全員で「ふるさと」を合唱して終了しました。

池辺晋一郎さん

 明治憲法は明らかに誤りで、その欠陥が戦争、侵略の時代を作ってしまった。それを反省して新しい憲法が出来た。
 この憲法は日本のことだけを考えて作られたものではなく、世界憲法だと思う。世界のあるべき姿を日本が先取りしている。誰が作ったかなどは末梢的なことで、何が書かれているかが大事だ。戦争を放棄したのに、たった3年でアメリカは日本に軍隊を作らせたが、その憲法を守ってきたのは私たち日本人だ。日本語訳がおかしいという人もいるが、そうは思わない。私は前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という一節が好きだ。名誉ある地位とは、世界を率いるとか、どこかにくっついて行くとかではなく、平和に対して世界で自信を持っていられる日本であってほしいという願いが込められている。憲法は理想と崇高な理念を持っていると思う。我々、地球人は日本国憲法を宝と思わなければならない。
 私は、「世界を平和にしたい」という曲を書いた時、多くの人に歌われるのはうれしいが、もっとうれしいのは、そういう歌が必要でない時代が来ることだと思っている。
 戦後66年が経ち、これだけ長い戦後が経ったのだから、もうそろそろ憲法も変えなければダメだという意見が出てきた。80年代に当時の西ドイツのシュミット首相が国連演説で「戦後長い時間が経った。しかし、ドイツが再び過ちを犯さないと確約できるには、まだ短い」と言った。憲法を変えるということは「長い時間が経った。日本が再び過ちを犯さないと確約するには十分だ」と言うことだ。「十分に長い時間が経った」という浅はかな考えで憲法を変えてしまったら、世の中はどうなるのかと恐ろしくなる。我々の未来はどこにあるのか、どのようにこの星を支えていくのか、を考えて国際社会の名誉ある地位にいたいと思わなければならない。一人の力は小さくても、その力を集め、それぞれの得意分野で、それぞれのやり方で、自分たちの未来のために訴え、関わりあっていくことが大事だと思う。

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自衛隊の海外派兵強化を狙う
PKO懇、武器使用権限の見直し提言


 7月4日の読売新聞は、「政府の『PKOの在り方に関する懇談会』(座長・東祥三内閣府副大臣)は4日午前、国連平和維持活動(PKO)への貢献を強化するため、PKO参加5原則や武器使用権限の見直しを検討する必要があるとの『中間取りまとめ』をまとめ、枝野官房長官に提出した。『中間取りまとめ』では、PKO5原則や武器使用権限を変更するにはPKO協力法の改正が必要なため、『政治の関与とリーダーシップなくして解決し得ない』と指摘している」と報じています。
 そもそも自衛隊が海外で武力行使をするのは憲法違反のはずです。92年のPKO協力法の制定時、憲法上の制約をすり抜けるためにPKO5原則を定めたものです。
 とりわけ武器使用権限の拡大は重大です。武器の使用は、PKO協力法、イラク特措法、海賊対処法などでも、日本の要員(日本部隊の管理下の他国の要員を含む)の生命防護に限ります。日本の要員は攻撃を受けていないのに、他国が攻撃を受けている場所に駆けつけて他国の要員を防護できるように拡大するのは、集団的自衛権の行使です。今回の「中間報告」は海外でアメリカとともに戦う自衛隊を求めるものと言わなければならないのではないでしょうか。
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  PKO5原則
①当事国の停戦合意の成立
②当事国の活動の受入れ同意
③中立的立場の厳守
④以上の原則が崩れた場合の独自撤退
⑤武器使用は生命防護に限る

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【九条噺】

 茨木のり子さんのエッセイで尹東柱(ユン・ドンジュ)という若者のことを知った。彼は、詩を詠むことがとても好きだった。彼が生きた時代は、不幸にも日本による植民地支配が続いていたが、彼は祖国民としての誇りを失うことはなかった。だから、禁じられたハングルで、家族や身の回りの小さな生き物などへの愛に満ちた詩をいっぱい詠んで、密かに保管した。彼の詩には、若者ならではの清冽さと同時に凛としたものを感じる▼死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/わたしは心痛んだ。/星をうたう心で/生きとし生けるものをいとおしまねば/そしてわたしに与えられた/道を歩みゆかねば。(「序詩」より以下略)▼尹東柱は1943年に同志社大学に入学。ある日、彼が京都の下宿屋の二階で友人らに祖国の文化を語り、独立への願いを口にしたことが運悪く下賀茂署の特高警察にかぎつけられて検挙されるハメに。8カ月余もの未決勾留の後、治安維持法違反で起訴され、福岡刑務所に送られた。そして45年2月、彼は獄中で正体不明の注射を幾度も打たれて「何やらわけのわからないことを大声で叫んで息絶えた」という▼尹東柱は祖国を愛したが故に命を絶たれた。その加害の国は戦争に敗れ、二度と過ちは繰り返さないと九条の旗を掲げて世界に誓った。なのに、60余年を経て、〝立て歌え軍事教練現代版〟などという川柳が紙上に躍るような光景はかなり恥ずかしい。(佐)

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「原子力の平和利用」は世紀の4大詐欺のひとつ

 7月9日、和歌山地域地場産業振興センターで核戦争防止和歌山県医師の会主催の平和講演会が開催され、詩人・アーサー・ビナード氏が「夏の線引き ― アメリカからピカドンを見つめて ― 」と題して講演されました。講演要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は2回目。

アーサー・ビナード氏 ②

 戦争が終っても米政府は世界支配のための兵器開発を進め、50年代にはプルトニュームを使った水爆を開発した。ソ連も原爆、水爆を開発し、もっと大きいもっと恐ろしい核兵器が増えて、核開発はアメリカの一般国民にも見える形で進んだ。予算を正当化し、軍需産業で儲けるためにはソ連の恐怖を煽る必要があったが、恐怖を煽ると核兵器の情報を一般国民が知るようになり、核戦争になれば人類は終わりだということが分るようになった。そして、核兵器を敵視し始め、核兵器廃絶の流れが出てきた。アイゼンハワー政権は一般国民が核兵器を悪魔の兵器と見ることに危機感を強めていた。軍にとっては、核兵器ほど便利なものはない。核兵器の保有と非保有には凄まじい格差がある。使わなくても脅かすだけですごい効果がある。核保有国をあまり増やさないで「核持ちクラブ」で世界の美味い汁を吸い取って、ぼろ儲けできる。軍需産業と国防総省にとっては夢の兵器だが、核分裂物質は核兵器以外に使い道がないから国民にとっては何のメリットもないことははっきりとしている。そこで、米政府は53年12月に新しいPR作戦を大々的に始めた。
 このままでは選挙に負けて核兵器を取り上げられるかもしれない。どうやったらアメリカの一般国民や世界の人々に、「大量虐殺以外に使い道のない核を売り込む」ことができるのか。これはかなり難しい課題だったが、「Peace」を使って「Atoms for Peace」と、国連総会で発表した。原子炉はプルトニューム製造機だが、派生的にできる蒸気で電気が作れる。その付随的な「湯沸し機能」を、さもそのための機械であるかのように偽って、「平和利用」を売り込む。本当のコストを全部隠し、湯水の如く税金を注ぎ込み、さも安く電気ができるようにPRし、電力会社にやらせ、いろんなメディアを総動員してPRをした。日本でも「原子力の平和利用」というキャッチコピーが作られ、PRキャンペーンが始まった。
 これは世紀の4大詐欺のひとつと思う。1つ目は「原爆投下で戦争が終った」という宣伝。2つ目は、47年に米政府の正式名称を「War」から「Defense」にしたこと。国防と呼べば戦争に面倒な手続きは必要がない。45年以降200回の戦争をやったが、宣戦布告は一度もない。3つ目が「Atoms for Peace」。第5福竜丸事件は時代が「平和利用」とぴったり重なる。「平和利用」を打ち出しながら、3カ月足らずで水爆実験をやっていた。水爆実験の爆発力は広島原爆の1千倍であった。それだけで「平和利用」は噴飯ものだということが分る。この事件によって広島、長崎の原爆では隠されていたもの、核兵器とは何か、核兵器と私たちの生活との関係、内部被曝の実態などが全部はっきりと見えた。そして核廃絶の流れが始まった。それに対して日本政府は第5福竜丸事件とほぼ同時に原発予算を組んでいる。それは偶然ではなく、第5福竜丸事件を迎え撃つ詐欺として予算を組んだものだ。予算を組んだ中曽根康弘氏は今年4月26日朝日新聞で、「原発予算を組んだのは先見性だ。エネルギーと科学技術がないと日本は農業しかない4等国家になる」と語っている。1等国家とは核保有国で、54年の時点でアメリカ、ソ連、イギリス、フランスという、ほんの一握りの国が1等国家であり、1等国家になるということは核兵器を持つということだ。突如予算委員会に2億3500万円の予算を提案し、成立させた。そして、「事前に一般に分ると無知の妨害が起こる可能性もあった。一部の新聞やジャーナリズムは中曽根が原爆を作る予算を作ったと大騒ぎした」と語った。「原爆を作る予算」というのは本質を突いたものだった。原発は原爆を作るということ。原発と原爆の違いは器だけで、同じものだ。それをちゃんと見抜いている人がいたということだ。今の日本の「御用マスコミ」にはこのような本質を突いた報道はできない。「由らしむべし知らしむべからず」という民主的手続きを踏みにじった予算作りであった。(つづく)

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書籍紹介『二つの憲法』
大日本帝国憲法と日本国憲法

著 者:井上ひさし
発 行:2011年6月7日
価 格:500円+税
発行所:岩波書店(岩波ブックレット№812)

 このブックレットは、1999年10月刊行の『the座 昭和庶民伝三部作特別号』(こまつ座発行)より「二つの憲法」を再録したもので、1999年8月13、14両日に行われた講座をもとにしたものです。
 1999年当時、「日米防衛協力のための指針(日米新ガイドライン)」を円滑運用するための周辺事態法などガイドライン関連法が5月に成立したところでした。それまでの防衛協力の枠組みを超え、米軍の後方支援として地方自治体や民間の協力までも規定した新法と、それをもたらした日米新ガイドラインについての議論がさかんでした。また、改憲の議論も起こっていました。改憲の焦点は、第9条の「戦争放棄」の条項です。こういう状況の中、井上さんは、日本国憲法の意義を再確認するために、その生い立ちを明確にしようと試みました。なぜ、どのような形で今の憲法が生まれたのか。新ガイドラインの問題とは何か。当時の出来事を念頭におきつつ、ご一読いただければ幸いです。(岩波編集部)

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(2011年7月29日入力)
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