「九条の会・わかやま」 171号を発行(2011年8月16日付)

 171号が8月16日付で発行されました。1面は、紀州おどり「ぶんだら節」 今年も九条連!、2011 平和のための 戦争展わかやま、【九条噺】、2面は、結局的開化は人間の尊厳が保障されていなければならない(小森陽一さん ②)  です。
    ――――――――――――――――――――――――――――――
[本文から]

紀州おどり「ぶんだら節」
「9条守って平和な世界を」今年も九条連!


 8月6日、和歌山城周辺で「第43回紀州おどり・ぶんだら節」が開催され、7年連続で「九条連」の約60人が正調ぶんだら節に参加しました。40番目にスタートした「九条連」は、主催者アナウンスで、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、・・・」と、憲法9条の全文が朗読され、「9条は世界の宝。9条を守り平和な日本を作りましょうと訴えています」と紹介されました。夏のひと夜、地震・津波・原発の被害に苦しむ東北の被災者に思いを馳せる訴えが行われました。







 

 

 
    ---------------------------------------------------

2011 平和のための 戦争展わかやま

 「2011平和のための戦争展わかやま」が、「戦争のない平和な社会へ」と願う広範な人たちに支えられ、今年も8月5日~6日、わかやま市民生協組合員ホールで開催されました。
 入口を入った左に米軍偵察機が撮影した2枚の巨大な和歌山市の写真、45年6月22日の「空襲前」と7月22日の「空襲後」が目を引きます(いずれも右半分が市内中心部)。向かい側に「和歌山大空襲」コーナーがあり、7月9日に和歌山市を焦土にした大空襲の猛威をパネルが示します。逃げまどい命を失った人々のことを考えさせられます。



(空襲前の和歌山市)



(空襲後の和歌山市)

 「原爆と人間」コーナーでは、原爆の惨状を描いた絵と詩、被爆者の写真などが多数展示されていました。これ以上の被爆 者を許してはいけないという厳粛な気持ちを起こさせます。戦後の核実験での被害の統計や写真パネルも多数あり、核兵器廃絶の課題を意識させます。
 「消えた小学校」コーナーでは、和歌山大空襲で消えた小学校ごとの資料や当時、小学生だった方々の思い出などがパネルになっています。自分の学校が消えた痛みが伝わります。

 「和歌山戦跡マップ」コーナーでは、友ヶ島地下壕、本脇トーチカ、和歌山城の防空壕、串本水上艇基地跡、湯浅米軍パイロットの墓などのパネル、付随して「朝鮮人強制連行」のパネルがあり、県内で実に様々な関わりがあったことを知らされます。

 これらのパネルや戦時中の品物を熱心に見入る人や経験を語る人の姿が場内あちこちに見られました。
 「折り鶴コーナー」には小さい子どもたちが集まって、お母さんやお父さんと一生懸命に鶴を折っていました。

 「平和川柳」は壁に張り出され、「九条があって平和の夏がある」といった大人の作品の他に、子どもの作品もありました。
 ピースライブでは、会場前方に設けられたステージと客席を使って、藪下将人さんと男女2人組・ToyBoxの歌が演奏されました。藪下将人さんは、和歌山放送・FM大阪・FMわかやま等のラジオに出演し、1月にアルバム集を出すなど活躍中です。ギター弾き語りで「来てくれよ」「アイラブわかやま」などを披露して拍手を受けました。ToyBoxの2人は戦争展の出演は2回目、結成以来23年ずっと平和をテーマに歌ってきたと話されました。グループのテーマ曲にはじまって、「折り鶴」「ヒロシマの有る国で」など平和の歌を歌って会場にしっかりメッセージを届けていました。最後は来場者と一緒に「翼を下さい」などを歌って終わりました。

    ---------------------------------------------------

【九条噺】

 広島の平和祈念式典。菅首相の挨拶がやや粗雑ではなかったか。〝退陣目前〟かどうか知らぬが〝これはないで、もうチョット何とかならんか〟と思った。しかも「究極的な核廃絶を」とまで言った。なぜ「究極」なのか。昨年のNPT再検討会議でも、「究極」という言葉は使われなかった。核廃絶は切実かつ緊急な願いであり、それを遥か未来に先送りするような言葉はふさわしくないからだ。この式典でも、松井広島市長は「2020年までに核兵器廃絶を」と明確に訴えている▼さて、自らの被爆体験をもとに「はだしのゲン」を描いた漫画家中沢啓治さんは「肺がんで死線をさまよったことと福島の原発事故が背中を押した。これが見納めになるかもしれない」「政治家らが核なき世界と脱原発をどう語るかをみたい」と所沢からかけつけた。で、感想は「首相は核廃絶も脱原発も中途半端であいまい、あらためて失望した」との由。韓国原爆被害者対策特別委員会事務局長で、被爆二世の丁基和(チョン・キファ)さんは「官僚が作った文章を棒読みする感じ。脱原発に踏み出すのではと期待もしたが、がっかりした」。湯崎広島県知事も「『原発に依存しない』と言いながら中途半端。国のリーダーとしていかがなものか」と手厳しい▼翌日、菅首相は、潘基文国連事務総長に「国連総会で原発について演説したい」と語ったという。ダイジョウブなのかなぁ。(佐)

    ---------------------------------------------------

結局的開化は人間の尊厳が保障されていなければならない

 7月30日、和歌山商工会議所で「9条ネットわかやま」主催、「九条の会・わかやま」「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」協賛の講演会が開催され、約300名が参加しました。「九条の会」事務局長・小森陽一さんが「新『現代日本の開化』と憲法9条 ─夏目漱石 和歌山講演から100年目に考える─」と題して講演されました。講演要旨を4回に分けてご紹介しています。今回は2回目。

小森陽一さん ②

 「開化」の定義は何か。漱石は「開化は人間活力の発現の径路である」と、人間のエネルギーをどのように現すのかという道筋の問題だと言う。積極的開化と消極的開化の2通りがあり、積極的開化とは何かをする場合に人間がいくらでもエネルギーを出すやり方、消極的開化とはなるべくエネルギーを使わずに楽をしてやろうという考え方。 他人から頼まれて何か義務を果たさねばならない場合は、なるべく手抜きでやりたいという消極的開化。他方、「道楽(自分の好きなこと)」は積極的開化で、この2つが絡まりながら人間の文明は進んできた。消極的開化からは、なるべくわずかな時間に多くの働きをしようと工夫する。その工夫が積もり積もって便法を開発するが、元を正せば面倒を避けたい「横着心(なまけ心)」の発達したものだ。便利さとはそういうものだ。「横着心」はやりたくないことをやるから起る。人間の尊厳が何者かによって踏みにじられているからやりたくない。人間の尊厳とは自由に関わる問題だ。私たちは、個人の尊厳が生かされているから生き生きと出来る。漱石が語っているこの問題は憲法13条の問題だ。「すべて国民は、個人として尊重される」。個人として尊重されるということはみんな違うということで、その違いを十分に生かしていきたいということだ。3・11以降の被災地、中でも福島は、まず生命が脅かされ、自由は根源的に脅かされている。福島第1原発は、憲法22条が今これほどまでに重要だということを改めて考えさせた。「何人も・・・、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。これはワンセットだ。つまり、居住の自由がなければ、農業・漁業・酪農などはやっていけない。職業選択の自由も奪われている。これらが全部揃っていないと個人として尊重されていないことになる。改めて漱石の言う積極的開化がどれだけ大事なのかが分る。それに対して消極的開化、便利なものを作り出していかざるを得なかった19~20世紀の文明は、人間が人間として尊重されていなかったことの帰結として、人間が金儲けの機械道具として扱われてしまった結果、全てを効率として考えるようになった。だから私たちは今こんなに辛いのではないだろうか。
 46億年前に地球が出来、何十億年もかけて、放射性物質がほぼ無害になった6億年前に生命は誕生した。その生命の進化を辿って人間がいる訳だから、私たち人間と放射性物質は絶対に共存不可能だ。それを人間自らが作って持ち込み、捨て場も分らないのは、これが科学で技術なのかと改めて問われてくると思う。私たちは原発に対して、100年前に漱石が「怪物の様に辣腕な器械力」と言った怪物性を、3・11以降はもっと痛切に感じることができるのではないだろうか。原発で作られる電力で距離と時間を縮め、効率よくコストを切り詰めろと、みんなが追いまくられ、挙句一生同じ会社で働き続けることが出来ない社会に、小泉政権時代にしてしまった。漱石が言う積極的開化が保障されるためには人間の尊厳が保障されなければならないし、「怪物的な器械力」で効率だけを優先する考え方がそれを潰してきたとつくづく思う。
 さらに漱石は「道楽」とは、人間が自分の知的能力を注ぎ込んで喜びを獲得でき、思想信条や学問研究の自由によって保障された、人間としての自由をあらゆる形で発現する積極的開化なのだと言う。消極的開化が先行したために、現在の自分たちは却って生きにくい状況にある。高度成長期はある程度貧しい家庭でもそれなりによくなっていた。それは科学技術の力だと思ってきたが、今私たちの生活は楽になっているか。競争だけが激しくなり戦々恐々としている。100年前の漱石と今の私たちの現状認識が一致するところに重要な問題があると考えざるを得ない。消極的開化が先行し、私たちも積極的開化を楽しんでいるかのように思いながらも、どんどん競争は大変になり、生活が苦しくなり、生存の苦痛は取り除かれない。そんな中、日本はどうだったのか。(つづく)

    ――――――――――――――――――――――――――――――
(2011年8月18日入力)
[トップページ]