「九条の会・わかやま」 172号を発行(2011年8月28日付)

 172号が8月28日付で発行されました。1面は、ピース・いのち・脱原発 憲法9条・25条を生かす政治を「紀南ピースフェスタ2011」開催、「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」開催(由良)、九条噺、広島・長崎の被爆者が教えてくれる放射能の危険(小森陽一さん③)、終戦記念日に街宣活動(みなべ)  です。
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ピース・いのち・脱原発、憲法9条・25条を生かす政治を
「紀南ピースフェスタ2011」開催


 8月5日~7日、紀南文化会館(田辺市)を主会場に、「紀南ピースフェスタ2011~つながるいのちのために~」を開催しました。このイベントはもともと、年に1回の平和のための講演会を企画していた紀南9条交流ネットワークが呼びかけたもので、今年で2回目となります。「平和」や「持続可能」といった言葉をキーワードに、自らがアクションを起していく場として、各9条の会以外にも、脱原発に関ってきたグループ、アムネスティ、フェアトレードの店、キリスト教会、自殺防止に取り組むNPOなど約20の市民の団体が参加し、展示、講演会、ワークショップ、人形劇公演、ライブ等を行いました。

 紀南9条交流ネットワークで取り組んだ講演会「日本の安全とアメリカ―このふしぎな『トモダチ』関係をどうするか―」(講師は、基地問題などにも取り組んでこられた弁護士の西晃さん)には70名を超える参加者がありました。西先生は、震災時の「トモダチ」作戦や原発問題の背景(軽水炉とウランを押しつけてきたアメリカに従属し、利権集団をつくってきた日本)に見え隠れする日米関係が、沖縄の基地問題と共通の構造の中にあることを指摘され、今こそ憲法9条、25条で掲げられた「いのち」を主軸にする政治を実現していくために声を上げていこう、と語られました。

 (西晃弁護士の講演会)

 今回の準備期間中に東日本大震災、原発事故が起り、自分たち自身の生存権やエネルギー問題が大きなテーマとなった今回のピースフェスタ。「3・11」や原発関連の展示以外にも、実行委員会では、これらの課題を象徴的に表現できることや実際にエコにつながるような工夫を考えてみました。例えば、再生可能エネルギーで作られたグリーン電力を購入したり、竹の造形による会場ゲート(放射能を避け関東圏から紀南へ避難されてきたアーティストによる作品)には、ソーラーパネルで電源を取ったスピーカーから音楽が聞こえたり、来場者には「マイカップ持参」を呼びかけたり、といったように。

  (竹のゲート)

 フェスタの中で私が印象的だったのは3日目の「ピース・いのち・原発」ワークショップに集まった顔ぶれ(若い親世代、孫を心配する祖父母世代、農業を営む方々など)でした。ヒロシマ、ナガサキから66年目に起った、70万テラベクレル以上とも言われる放射性物質を日本と世界に撒き散らした今回の福島原発事故・・・。私たち大人は、核廃絶の覚悟に足りなかったものが何かを、しっかりと見きわめ、これからを生きる子どもたちのために、できることは何でもしていかなければならないと改めて思った3日間でした。

(「私が見た東日本大震災」展示)

(東北物産展)

 最後になりましたが、このイベントのために県内の9条の会に関る方々がブログやホームページなどで紹介してくださったり、会場まで足を運んでくださったりとさまざまな形で支えてくださいました。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。
 (紀南ピースフェスタ実行委員会事務局・木川田道子さんより)

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「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」開催

 8月6日、「九条の会ゆら」主催の「第7回戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」が由良町中央公民館で、約70人の参加で開催されました。由良女声合唱団の合唱のあと、NHKが記録した郷里の国際的記者・楠山義太郎氏、ニューギニア戦線で救出作戦に参加した北村好太郎氏のビデオ映像をみて、愚かで無責任な最高指導者の実態と、前線に送られた兵士たちの無残さを知り、あらためて戦争放棄を定めている憲法を守ることの重要さをみんなで確認し合いました。
 (「九条の会ゆら」池本護さんより)



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【九条噺】

 今回は、当会のよびかけ人の一人でもある作家宇江敏勝さんの近著「民俗伝奇小説集『山人伝』(新宿書房)」の読後感想を書きたい▼『山人伝』にはすっかり魅了された。この本は、猟師・炭焼き・鉱山師・山伏・木地師など、山に暮らす人々にかかわる短編小説集で、自ら林業や山間地での農業に携わりながら文筆活動を続けられている宇江さんならではの魅力にあふれたものだ。奥深い山のふところに寄り添い、支えあいながら、自然と折り合い、あるいはまた時として厳しく、人知を超えるような現象にほんろうされながら暮らす人たちの織り成す物語の数々に、ふと心はあたたかくなる。同時に近代化の波の中で人のぬくもりさえ流されてしまいそうな冷たさや、あるいは、家族の絆そのものも奪い去る戦争の非情さなども織り込まれていて、時に胸迫る思いにも▼読みながら、一瞬、柳田國男の『遠野物語』にみるような世界が思い浮かんだ。しかし、これは単に過去からの「語り伝え」などではなくて、様々な〝せめぎあい〟の中で〝今〟を生きる人ならではの、平和や環境への思いもこめた作品集なのだと納得する▼かつて吉野から天川を経て洞川へと辿った。また、熊野川から紀和町まで行ったことも。新宮から熊野を経て北山村に行き、あるいは本宮から十津川まで行ったこともあった。そんな折々の山里の光景を思い出しつつ読めば、物語の人々はまるで近しくなったのだった。(佐)

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広島・長崎の被爆者が教えてくれる放射能の危険

 7月30日、和歌山商工会議所で「9条ネットわかやま」主催、「九条の会・わかやま」「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」協賛の講演会が開催され、約300名が参加しました。「九条の会」事務局長・小森陽一さんが「新『現代日本の開化』と憲法9条 -夏目漱石 和歌山講演から100年目に考える-」と題して講演されました。講演要旨を4回に分けてご紹介しています。今回は3回目。

小森陽一さん ③

 漱石は「西洋の開化(一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」という。内発的開化は内から自然に出て発展するもので、外発的開化は人から押しつけられた開化だ。日本の文明開化路線は欧米列強から押し付けられたもので、これが明治維新以降の近代化=西洋化であった。外国から押し付けられた論理でやるとどうなるか。日本が1853年、アメリカに「安政5カ国条約」を押し付けられた時、世界の中心は大英帝国であった。その大英帝国に何とか追いつきたいと日本は日英同盟を結び、アジアでロシアの南下を阻止して、イギリスの世界支配の片棒を担いで、何とかぎりぎり日露戦争に勝利し、1911年に「1等国」になっていった。 西洋では数百年かけてきたものを、日本では40~50年の間に全部短縮して一気にやろうとした。そこで、自己本位ではなくなってしまい、それまでの自分を捨てて、他人から押し付けられた方法を日本人は選んでしまったと漱石は分析している。ここに近代を生きる私たちの辛さがある。私たちが元々持っていた文化、習慣、生活様式とかを捨てて、捨てさせられて外から押し付けられたものでずっとやってきてしまった。もしかしたら、自分そのものも失ってしまったのではないだろうか。ある種暴力的な人格改造が明治の近代化の初期には生々しく進行していた。外からの力でやむを得ず己を切り崩さざるを得なかった。それが自己本位の能力を失った。だから自分の家に住んでいる実感がなく、空虚で軽薄になってしまった。今の私たちは、45年8月15日以降はどうだったのだろうと、問い直した時に、これは本当に克服し得ているのか、例えば、日本は軍国主義社会を克服しないまま原発主義社会にスライドしていった、それがこの大災害をもたらしたという発言もある。もう一度3月11日に起きたことから、100年前と66年前の8・15を、「災後」から「戦後」を見直してみると何が見えてくるのか。私は福島第1原発が爆発した時、広島、長崎、第5福竜丸の被爆者に申し訳ないとまず思った。今、私たちは、何故どれだけの被曝線量でどういう症状が出るかを知り得ているのか、それは広島、長崎に原爆を投下したアメリカが全てを管理して、一切情報が外に出ないように調査をやったからだ。どのように治療していいかも分らない人が、1日で命を落とした人は1日なりの、3年生きた人は3年なりの資料を残して、被爆者たちが自分の命で証明してくれたものが、放射線で人間がどうなるか、原爆症とはどういうものかということを私たちに伝えている。生き残った被爆者たちの1日の命、2日の命、それら全部を引き受けて、原発のような危険なものは作ってはいけないという反対運動も、そういうところから生まれてきた。原子力予算は54年3月だった。その時、第5福竜丸が死の灰に被曝した。乗組員はたった1人を残して全員原爆症で亡くなった。私たちが歴史を3・11から見直した時、今、私たちにもたらされている危険にはそれぞれきちんとした歴史的理由がある。それを取り除かない限り、私たちは被爆者たちに申し訳がたたない。(つづく)

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終戦記念日に街宣活動
みなべ「九条の会」


 みなべ「九条の会」(柳田孝二世話人代表)は終戦記念日の15日、みなべ町で街宣活動をした。
 終戦記念日の街宣活動は会の結成以来、毎年取り組んでおり、今年で6回目。
 会員は街宣車に乗り込み、町内全域を巡回。「今年もまた8月15日がやってきました。二度と戦争を起こさせないと決意する日です。かわいい子どもや孫たちに戦争のない平和な国を手渡しましょう」などと呼び掛け、平和の尊さや憲法9条の大切さをアピールした。(紀伊民報8月19日付)

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(2011年8月28日入力、29日修正)
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