「九条の会・わかやま」 174号を発行(2011年9月25日付)

 174号が9月25日付で発行されました。1面は、「9条署名全県総行動」実施 、「第4回九条の会全国交流集会」開催へ、九条噺、2面は、財界人が語り続ける戦争と9条 「人間の目」で見よ①( 品川正治さん)、書籍紹介『3.11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』、前原氏 「武器使用基準緩和」を主張  です。
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[本文から]

「9条署名全県総行動」実施

 9月11日、「憲法九条を守るわかやま県民の会」が呼びかけた第4回「9条署名全県総行動」が県下5郡市で行われました。日高、海南・海草の活動をご紹介します。

みなべ「九条の会」

 午前10時から1時間行動しました。みなべは、印南以南の10名の応援を得て、地元の会員15名との総勢25名で行動しました。事前にお願いのビラを投函していたので、スムーズに話の切り出しができたのですが、残念ながら夕方でないので留守の家も多く、署名は145筆でした。「9条に関する言い分はどちらが正しいのかわからん」「憲法9条の会、うちはあかん」「戦争は反対だけれども、中国の漁船の体当たりや竹島や尖閣列島の様子をみると今の政府のやり方はまどろっこしくて残念だ」など、さまざまな声を聞くことができました。また、事前にビラを配布したことは大きな宣伝効果を上げたと考えています。「この間ビラが入っていた、あの署名やな」とか作業の手を休めて協力してくださった方などの皆さんに支えられて署名行動が無事取り組めたのだと考えています。(平野憲一郎さんより)


「九条の会・美浜」

 「九条の会・美浜」は、過半数署名を取り組んで、町内を一周して第2ラウンドに突入しています。わが会より10名、日高共同センターより22名、合計32名で、15班を編成し、猛暑の中、汗を拭き拭き、午前10時より12時まで和田地区を中心にして、吉原地区の前回戸別訪問していない所を回りました。拒否された家も少数ありましたが、159筆を集めることができました。累計2484筆、有権者過半数の約73%、あと936筆に到達しました。これを力に県下で最初の過半数署名達成の九条の会になれるように、目標に向かって前進したいと思います。(大谷眞さんより)

「海南9条の会」

 海南・海草では15人が参加しました。今までやらなかった海南三中周辺を5班で回りました。署名をしてくれた家や留守の家にも「9条ティッシュ」を置き、集まった署名は全部で107筆でした。
 海南市では、これまでの行動を地図に赤マークをつけており、市内の中心部にかなり署名が行き渡ったことが分ります。今回の行動では、心安く署名をしてくれた人が多かったのですが、中にはずばり断る人もいたようです。一番苦労したのは、「海南9条の会」の説明だったようです。次回は会の説明をするパンフなどを用意して、少しでも地図に赤マークが増えるようがんばりたいと思います。(岡室さんより)

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「第4回九条の会全国交流集会」開催へ

 8月30日、第2回運営委員会が開かれ、実施要項が論議されました。会議では、原発問題と交流集会の関係について活発な議論がおこなわれ、九条の会は「よびかけ」に基づいて活動することを基本にしつつ、同時に、それぞれの立場を尊重して議論しあうことの重要性をあらためて確認しあいました。

実施要項
●開催日時:11年11月19日(土)10:30~16:30
●会場:日本教育会館(東京都)
●主催:全国交流集会運営委員会
●主な内容(予定)  ・全体会
   開会あいさつ/よびかけ人の発言/地域・分野の「会」からの報告(大震災、原発事故の被災地から、住民過半数署名の経験、宗教者のネットワークの経験など)
 ・特別分散会、分散会・分科会
 ・全体会
   まとめとあいさつ
●参加申し込み
  参加者は、いずれかの「会」に所属し、所属する「会」で相談のうえ、参加すること。参加申込書は「九条の会」ホームページにあり。参加費1000円/人

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【九条噺】

 先頃、北朝鮮の金正日総書記が中国、ロシア各地を歴訪するニュースを見ながら、辺見庸のエッセイ〝悲しみの地平〟(『水の透視画法』共同通信社)を思い出した。彼は「北朝鮮はどこまでも悲しい」「数かぎりない人びとが飢えと圧政に苦しんでいるというのに、いっさいの政治的たくらみ抜きで外から助けの手をさしのべようとする者はごく少ない」「いたいけない子どもたちが現在ばたばた倒れているのに、援助すべきではないという理屈が日本では主流であり、北朝鮮制裁は世界の趨勢である」と書いた。もちろん、単に「悲しい」だけですませられる問題ではない▼現代史の土台には、日本の植民地支配がかの国に与えた深い傷が未だに大きな口を開いて癒えることもない。例えば、創氏改名や強制連行、震災のさなかの大量虐殺など忌わしい暴虐の数々・・・。なのに、拉致事件や核実験等の愚行のなかで、かかる歴史的な加害と被害の関係が、いつのまにか逆転し、北朝鮮こそが悪であり、加害者だと、歴史的加害者側に一方的に都合よく捻じ曲げられ、果てはかつての暴虐の事実すら無視されつつあるのではないか▼政府は、高校授業料無償化に際しても、北朝鮮当局と在日コリアンの教育を混同して、朝鮮学校を長い間対象外にしてきた。「国公立大学受験を見よ、高校サッカーを見よ。恥ずかしくないのか」と思う。「悲しい国」も困るが、「恥ずかしい国」というのも同様に困ると思うのである。(佐)

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財界人が語り続ける戦争と9条
「人間の目」で見よ ①
品川正治さん(経済同友会終身幹事/87歳)

 米寿です。よくここまで生きてきたと思います。小学校に入った年は満州事変、中学入学で日中戦争が始まりました。20歳になれば、兵隊に行って死ぬものと思っていました。
 実際、迫撃砲の直撃で吹き飛ばされました。今でも、右膝には破片が入ったままです。

私の名呼びつつ逝った戦友胸に

 戦後、大学に入り、経済人となりましたが、この戦闘体験がずっと根っこにありました。戦争は二度と繰り返してはならないとの思いから、「人は殺せない」と明言する憲法第9条を守り抜くことを信念としました。
 全国の「九条の会」などで講演していますが、自分の戦闘体験を細かく話せるようになったのは、この数年のことです。
 ある高地の戦いで、分隊が全滅するかもしれないと思ったほど、激しい集中攻撃を受けました。十数㍍離れた壕にいた同期の戦友に敵弾が当たり、「やられた! 品川、助けてくれ! 品川、品川!」と連呼しています。助けに行こうと壕を出ようとすると、同じ壕にいた戦友がしがみついてきました。壕を出れば私も撃たれてしまうと、馬乗りになって止めるのです。
 結局、戦友は私の名を連呼し続けて戦死しました。あの声を忘れることはできません。
 さらに、復員して東大の学生になっていた時、下宿に突然その戦友の母親が訪ねて来ました。息子の最期を知りたいと、島根の山奥から出てきたのです。村役場や村民が一生懸命に私のことを調べ、切符の手配もしてくれたそうです。その母親を前に、顔を上げることさえできませんでした。これはものすごく大きなトラウマになりました。
 2008年に松江の講演会に行きました。山奥からバスが3台も来ていると聞き、ひょっとして戦友の村からではないかと思いました。壇上から見渡すと、ある一角にその村出身のもう一人の戦友の姿を見つけました。私はその人たちに向かい、手をついて謝りました。戦死した戦友の母親はもう亡くなっていましたが、一族の方はいたと思います。そして戦闘のようすを話しました。みなさん泣きながら話を聞いてくれました。
 この講演会からは自分の体験を率直に話せるようになりました。トラウマの大きなものが消えたのです。
 戦争体験の語り継ぎの必要性が言われます。その大切さは分かりますが、こと戦闘体験については至難のことでしょう。戦闘体験をした人でトラウマを持たない人はいないからです。(つづく)(毎日新聞9月13日)

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書籍紹介『3.11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』

 地震と津波といった天災と、人間が構築した国家によって遂行される徹頭徹尾人災である戦争とを、犠牲者の多さや惨状の大きさで同一視するわけにはいかない。国家の統治権者や権力者の意思を臣民として担いながら遂行した戦争を、あたかも自然災害のようにとらえてしまう意識と記憶の在り方が、かつての侵略戦争に対する国の責任を、その国の人間としてとらずに来たという事態をもたらしている。
 だからこそ、福島第1原発事故は完全に人災であるとして、徹底して責任を追及し、責任の所在とそのとり方を明らかにしたうえで、被害を受けた人々への補償と賠償が行われなければならない。(序文より抜粋)
編 者:小森陽一
発 行:2011年9月11日
価 格:1700円+税
発行所:かもがわ出版
●命を守れるのは誰か-放射能汚染の現地から
   江川紹子(ジャーナリスト、獨協大学特任教授)
●フクシマ後の日本をどうするか
   安斎育郎(放射線防護学、立命館大学名誉教授)
●3・11を生きのびるために
   暉峻淑子(生活経済学、埼玉大学名誉教授)
●震災復興と地域再生-「創造的復興」ではなく「人間的復興」を
   岡田知弘(地域経済学、京都大学教授)
●復興をめぐる2つの道の対決-新自由主義的復興構想から訣別し、民衆的・福祉国家的復興の道を
   渡辺治(政治学、一橋大学名誉教授)
●復興は新しい国づくりで
   辻井喬(実業家、詩人、財団法人セゾン文化財団理事長)
●反原爆、反原発の助け合い社会を
   梅原猛(哲学者)

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前原氏、「武器使用基準緩和」を主張

 民主党の前原誠司政調会長は9月7日、ワシントンでのシンポジウムで、自衛隊のPKO活動で、他国の軍隊を防護できるよう武器使用基準を緩和し、「急迫不正の侵害から防衛できるようにすべきだ」と主張しました。さらに、「集団的自衛権」は「未解決の課題」と指摘し、憲法解釈の見直しが必要との認識を示しています。また、「武器輸出3原則を見直さなければならない」と明言しました。
 たとえPKOであっても、他国の部隊を守るために自衛隊が武器を使うことは、憲法9条が禁じる「海外での武力行使」や「他国の武力行使との一体化」であり、「集団的自衛権」の行使です。「PKO参加5原則」では「武器使用は、日本の要員(日本部隊の管理下の他国の要員を含む)防護のための必要最小限に限定」としています。「集団的自衛権」は「未解決の課題」でも何でもなく、憲法が明白に禁止しているのです。
 「武器輸出3原則」は76年に武器禁輸国以外の国にも「武器の輸出を慎む」とし、事実上、日本の他国への武器輸出が禁止となり、武器技術や投資も武器と同じ扱いを受けるとしたものです。憲法9条の理念である「戦争の放棄」「国際紛争の平和的解決」「武力行使・威嚇の禁止」を具現化したものです。「見直し」は日本国憲法の平和主義の理念を真っ向から否定するものと言わなければなりません。

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(2011年9月25日入力)
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