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「九条の会・わかやま」 178号を発行(2011年11月25 日付)

 178号が11月25日付で発行されました。1面は、第4回「九条の会」全国交流集会開催! 、「国家百年の計」として原発をなくせ(安斎 育郎 氏 B)、九条噺、2面は、米国政府は事故当日 炉心溶融を知っていた(岩本 智之 氏 @)  です。
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[本文から]

第4回「九条の会」全国交流集会開催!

 08年11月に、第3回「九条の会」全国交流集会が開催されて以降、全国各地でブロック別交流集会が開催されていましたが、11月19日、日本教育会館(東京・千代田区)で3年ぶりに第4回「九条の会」全国交流集会が開催されました。
 当日はあいにくの雨天でしたが、東日本大震災の被災地や沖縄など全国各地の代表約750人が参加し、震災復興や原発問題と憲法のかかわり、新たに強まりを見せる改憲の動きにどう対抗するかなどをめぐって、経験交流が行われました。
 冒頭、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さんのよびかけ人3氏が挨拶を行いました。
 大江さんは、9月19日の「さよなら原発6万人集会」に触れ、「自民党は、原発は核抑止力だと言っている。広島・長崎を繰り返さず、核を持たないのが『憲法文化』だが、それに加わったのが原発事故で、福島で起きていることが二度と起きないように全力を尽くすことが、『憲法文化』の仕事です」と語りました。
 奥平さんは、憲法審査会が動き始め、改憲の動きが再び強まっていることに警告を発し、「9条だけでなく、13条(幸福追求権)や25条(生存権)から学び、吸収しないといけないのが『正義』です。『亡霊』のように出てきた憲法改正問題にあらためて気を引き締め直してたたかう必要があります」と語りました。
 澤地さんは、「『さようなら原発6万人集会』で感動して元気になりました。改憲の黒い野心をつぶせるかは、結局、私たちの手の中にある権利です。憲法を守ることは、原発への意思表示とつながっています」と話しました。
 そのあと、地域・分野「九条の会」から、「福島県九条の会」事務局長・真木實彦さんらが発言しました。
 午後は、特別分散会・一般分散会・分科会などに分かれて討議を深め、最後は大ホールで「九条の会」事務局長・小森陽一さんが「まとめと訴え」の発言を行い、12年9月29日(土)日比谷公会堂を予約した。「そこで再会しましょう」と締め括られました。

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「国家百年の計」として原発をなくせ

 10月22日、中央コミュニティセンター(和歌山市)で憲法9条を守る和歌山市共同センターの憲法学習会が開催され、立命館大学名誉教授・安斎育郎氏が「憲法九条、原発事故と放射能」と題して講演されました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目で最終回。

安斎 育郎 氏 B

 「アカハラ」とは何か。62年に東京大学に原子力工学科ができ、原子力への夢と希望に燃えて入った。卒業論文は「原子力施設の災害防止に関する研究」というもので、大学院では「尿の中のウランの分析法の開発」という修士論文を書いた。ちょうどその頃、アメリカとの軍事同盟関係が飛躍的に強化された。64年8月にはトンキン湾事件でベトナム戦争に本格的に参入し、日本はベトナムへの侵攻基地になっていた。枯葉剤などを開発した科学者の責任も問われた時代であった。日本は池田内閣の所得倍増計画で、公害、薬害、労働災害が起った。市民みんなが社会的責任に目覚めていった時代であった。66年に日本科学者会議に入ったら、原子力工学科を出た会員は自分だけだったので、直ちに原子力問題担当常任幹事になってしまい、全国の原発立地県から講演に呼ばれ、住民に徹底的に鍛えられた。その集大成が32歳の時の、72年の日本学術会議の基調講演での、6項目の点検基準という問題提起だった。基準に照らしてこの国の原発政策は落第であると烙印を押した。国家公務員が国の原発政策を徹底的に批判したから、マークされる。73年には国会に呼ばれて日本の原発政策は如何にあるべきかを諮問され、そこでも徹底的に批判したので許されるはずがなく、安斎は危険人物で反国家的、反原発のイデオローグと烙印を押されることになった。同じ年に福島原発の公聴会が初めて開かれ、そこで発言することになった。驚いたことは、今回の九州電力の「やらせメール事件」のように推進派は意見を述べる人を何千人も申込み、傍聴人も2万人以上を申し込んだ。もっと驚くことは、「原爆広島の広島商業が甲子園で優勝した。原爆放射能など、ましてや原発など恐るに足らず」という婦人会の代表の演説だった。その頃からアカハラ(アカデミック・ハラスメント=学問世界でのいじめ)が酷くなり、79年3月のスリーマイル島の事故までが酷かった。大学の研究室では「安斎を干す」との主任教授の方針が伝えられ、教育業務は外され研究費は来なくなった。あの手この手の、ネグレクト、脅迫、監視、尾行などいろいろ体験をした。信念を曲げて生きるのは嫌だというのもあったが、日本科学者会議に入っていたこと、学問的にもデタラメをやっている訳ではないという自負、家族の支えも大きかった。生き方としてはマルだと思うが、その果てにこんな事故が起り、申し訳ないという気分が非常に強い。
 今はまだ熱さは喉元を過ぎていない。収束後も、これから先も電力生産を原発に依存し続けるのかを国民がしっかりと考えて道を選ばなければいけない。関西電力圏では約4割が原発から来ている。我々は原発の恩恵に浴する人だが、原発はやればやるほど原子炉の中にとてつもない放射性廃棄物が溜まってくる。それを再処理してウランとプルトニウムを濾し分けた後、残りを低レベルと高レベルに分け、高レベルはガラス固化体にして鋼鉄製のボンベに入れ、地下2千mで何万年か市民生活から安全に隔離しなければならない。廃棄物の処理・処分はこれから子や孫や我々に続く何百世代の人たちが金と手間をかけて面倒をみることで、我々は楽しむだけ楽しんで、後はよろしくと、そんなことをやっていいのか、倫理的にも疑問がある。フランスでは廃棄物の20万年後が問題になっているが、20万年後などの議論は論外だ。議論は30年後までぐらい、千年後でも論じてはいけない。私は、原発は計画的に廃絶するのがいいと思っている。今日やめたら明日から安全になるといった代物ではない。とてつもない放射性廃棄物を溜めてしまったし、電力会社は100万KWの原発を動かすと1日億という金が儲かるが、止めたら一銭も儲からないだけでなく、冷却し続けるために1日何千万円の金がかかる。儲からないものに金をかけて安全管理を電力会社がするはずがないから、止めさせるなら国民の税金を使って安全管理をしなければならない。「国家百年の計」として原発をなくして、自然エネルギーを含む代替エネルギー開発を進めることが必要だ。電気は全体としては余っている。春と秋の余っている時に電気を貯めることができるように、電力貯蔵技術の開発も重要だ。電気をできるたけ節約できるような生産、消費、流通、廃棄の仕方を開発することも重要だ。自動販売機をやめただけで原発の3つや4つはなくなる。あの手この手を使ってやれば、原発の8割が止っているがこの国の生活が立ち行かないということはない。原発がなくてもやっていけるという雰囲気が漂い始めて電力会社は困っているかもしれないが、原発抜きでも電力はまかなえるに相違ないと思う。高速増殖炉「もんじゅ」は95年にナトリウム漏れ事故を起こし、15年かけて昨年やっと運転再開にこぎつけたとたんに炉心部に落下事故が起り止った。既に1兆数千億円を使っているが、それだけの金を使って太陽光発電、風力発電などの代替エネルギー開発をやっておれば、もっと違った局面があったに相違ない。予算の使い方も含めて原発のような危険な、将来に禍根を残すようなものはやめて、もっと安全な自然のエネルギーをどんどん開発していった方がいいと思っている。(おわり)

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【九条噺】

 敦賀市にある高速増殖炉が「もんじゅ」で、新型転換炉は「ふげん」。ブッソウな施設に菩薩の名をつけたりして仏教者は文句も言わないのかと、かねてから疑問に思っていた。どうやら命名に曹洞宗総本山の永平寺が関わったらしい▼その永平寺で最近「原発を選ばないという生き方」と題する反原発のシンポジウムがおこなわれた。福島第一原発事故を機に原発を見直すことになったようだ。「菩薩の知恵を借りて無事故を願ったのなら浅はかな考えだった。仏教者として懺悔することからはじめたい。便利さと引き換えに子孫に負の遺産をもたらすようなことがあっては」と西田正法事務局長。開祖の道元は求道の末に、人の生命の尊さや戦のない世を説いた仏教の原初に立ち返ったというから、今後もその心を見失うことがないようにと思う▼シンポジウムでの講演は明通寺(小浜市)住職の中嶌哲演師。高野山大学在学中に広島での原水禁大会に参加し、以来、今日までずっと反核平和活動に携わってきた。この間、小浜市では有権者の過半数を超える署名運動を三度やりとげて原発設置計画等を断念させてきた。こうした長年の幅広い市民運動が実り、今年6月には小浜市議会が「期限を定めて原子力発電から脱却」(脱原発)などを求める意見書を全会一致で採択した。それにしても哲演和尚、いやはや大変な活躍ぶりでただただ頭が下がる。(佐)

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米国政府は事故当日、炉心溶融を知っていた

 11月3日、河北コミュニティセンター(和歌山市)で「守ろう9条 紀の川 市民の会」の「憲法フェスタ」が開催され、元京都大学原子炉実験所教員・岩本智之(さとし)氏が「原発依存から脱して自然エネルギーへ」と題して講演されました。その要旨を3回(予定)に分けてご紹介します。今回は1回目。

岩本 智之 氏 @

 アフリカのケニアに「地球を大切にしなさい。それはあなたの親から授かったものではありません。それはあなたたちの子から預かっているものなのです」という諺がある。この青い地球は青いまま子どもたちや孫たちにお返しするのが我々の務めだということを、この大震災、原発事故、12号台風の被害の中でつくづくと思う。
 日本の原発はすべて海のそばにある。タービンを回した蒸気は海水で冷やして元の水に戻す。原発は現在の技術の中でジャンボジェット機とスペースシャトルとともに最高峰の技術であると言われたが、実際は「どんくさい」技術で、発生した熱の内、電気に変わるのはわずか30%だ。残りは海水を温めることで無駄に捨てている。だから海のそばでないといけない。海水は紀の川の平均水量の何倍かを使う。この温排水の影響も小さくはない。これは日本の原発の特徴だ。
 地震が起った3月11日の3日後、何度も水蒸気爆発、水素爆発を繰り返した。その時に大量の放射性物質を撒き散らして大気と海と大地を汚した。巨大地震発生時、原子炉は緊急停止したが、その40分後に巨大な津波がやってきた。地震と津波によって原子炉が崩壊した。日本国民にとってどうしても許せないことがある。3月11日の夕方に既にメルトダウンが起り最悪の事態に突入していた。その時に米国政府は日本国内にいる米国人は直ちに現場から80q以上離れよという指示をしていた。しかし、日本政府関係者は避難するのは半径2q、10q、20qだとおたおたしていた。実は米国政府は日本から受けていた情報を分析して、この日の夕方に既に炉心溶融という最悪事態に突入していたということを知っていた。ところが日本国民にこのことが知らされたのは実に2カ月経ってからだ。このことだけを見ても日本の政治は一体どこを見ているのかと思う。
 メルトダウンとは、炉心が溶けて落ちてしまうことで、さらにウラン燃料は通り抜けて下に落ちてしまったと考えられる。メルトスルーというが、保安院では更に地下深くまで溶けた燃料が達してしまうと想定をしていたそうだ。何回も爆発を繰り返したために、部分的に毎時10シーベルトの放射線を発する場所が何カ所も見つかっている。こんなところに1時間いると99%以上の人が死んでしまうという猛烈な放射線だ。事故から7カ月たった現在、落ち込んだ燃料の再臨界が始まったようだと言われている。これが大規模に発生すると大災害が発生する。年内に冷温停止と言っているが、それもうまくいくかどうか分らない。(つづく)

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(2011年11月25日入力、12月9日修正)
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