「九条の会・わかやま」 180号を発行(2011年12月20日付)

 180号が12月20日付で発行されました。1面は、第4回「九条の会」全国交流集会に参加して ①、自然エネルギーは原発の40倍のポテンシャル(岩本智之氏 ③)、九条噺、2面は、武器輸出3原則 人道目的や共同開発は「例外」、なちかつ・たいじ9条の会 「無言館」上映  です。
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第4回「九条の会」全国交流集会に参加して ①

 11月19日に東京で第4回「九条の会」全国交流集会が開催され、「田辺9条の会」から中田文子さん、勝本香里さんが参加されました。詳しいレポート(参加記)を送っていただきましたので、4回に分けてご紹介します。

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 この日はあいにく雨で、早々に会場に行くと、順番待ち。参加者が少ないかもと聞いていたが、800席の会場はいつの間にか満席になった。
 はじめに、よびかけ人の大江健三郎氏、奥平康弘氏、澤地久枝氏が挨拶を淡々と、だが、情熱を持って語られた。

大江健三郎氏の挨拶

 まず大江氏は、福島原発事故後の「さよなら原発集会」で感じた、物々しい警備の中で、身動きもできない、6万を超えた参加者のエネルギーの凄さと感動を語られた。そして、「私たちは、武装をしないと憲法で言っているが、原発を稼働することは核兵器の原料のプルトニウムを作ることであり、プルトニウムを持つことは、潜在的な核抑止力を持ち、他国を威嚇し、核戦争の武器を持っているということで、9条の精神と矛盾する。私たちは広島、長崎、東京空襲の経験から、こんなことを二度と繰り返させないと決意した。原爆を人の上には使わないと自覚していることは、文化の一側面であり、憲法文化とでもいうべきものだ。しかし、福島の事故が起った。これは原発を持つことのマイナスの遺産である。戦後築いてきた憲法文化を本当の文化にするためには、福島の事故を最初の段階で押しとどめ、復興につなげていかなければならない」と語られた。

奥平康弘氏の挨拶

 奥平氏も3・11に言及。「原発は素晴らしい、地球を汚さないエネルギーだと信じていた。原発があのような事故を起すということを知らなかったことが恥ずかしい。これを知った今、日本人の知恵と行動力を信じたい」と、さる文化人が述べたことを紹介。「原発と核兵器は表裏一体。9条との深い関りを確信できるようになった」「そしてこの時期に憲法改正の動きが亡霊のように出てきた。『今ならできる。今を逃してはならない』ということか。自民党は現憲法を『屈辱的押しつけられ憲法』といい、全面改正を党是としてやってきた。しかし、憲法とは単に政治的なものではなく、人間の生き方の根幹に関る問題、つまり、生き甲斐であり、正義であり、正に justice なのだ。3・11以降、こういう認識がようやくできてきた。今こそ憲法とは何かを問い、根本に哲学的意義を持っていることを認識するときである。その点で、今のアラブの状況も重大で、アラブの春とか言われるが、これからどんな憲法をつくっていくか、その行方を見据えなければならない」と。氏は、憲法学者として述べたいことが多すぎて、時間内に語りつくせないようだった。

澤地久枝氏の挨拶

 澤地氏は冒頭の「もうすぐ81歳です」の言葉が信じられない張りのある声で、明快に話された。
 「先日膝を骨折し、自由が利かず、一人で自宅にこもり、誰とも交流のない生活をしていると、落ち込んで鬱状態になった。しかし、あの明治公園でのさよなら原発集会の6万人もの人々に会い、元気づけられた。さよなら原発のためにあれだけの人が集まる。日本もまだ捨てたもんじゃない。読売、日経新聞も無視できず、紙面に載せた。
 先日は岐阜9条の会に参加した。岐阜には郡上一揆の伝統がある。各会が「むしろ旗」ならぬ幟を持って壇上に並び、圧巻だった。大勢の人が集まればマスコミも取り上げざるをえない。改憲の黒い野心を実らせるか否かは私たちの手中にある。9条を守ることと原発にどう取り組むかは別々の問題ではない。
 日本は今世直しを迫られている。革命が必要。それには市民の力あるのみ。あの党、この党ではない。違うところは違うところとして、共通する課題で、一つの意志として表すことが大切だ。それが政治を変える第一歩だ。福島の実態は憲法違反だ。この時期に戦闘機はいらない。
 利益の前には生命も無視される今の日本。こんな政治を変えるためには、それぞれの9条の会で勉強をしなければならない。でないと騙される。私は、「沖縄返還時の密約を公開せよ」という訴訟に関っており、その資料を勉強しているが、それを通じて、なぜ日本がアメリカにここまで卑屈なのかが分かった。行き着くところは敗戦と安保条約。諸悪の根源は安保条約だ。新しい日米関係についてみんなで話し合い、勉強し合うことが大事。各地に無数のつながりを作ろう。一つが潰されても、他の一つが代りになっていくような。そうでなければ、もはや、人権、生活権、生存権すら守れない」と。(つづく)

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自然エネルギーは原発の40倍のポテンシャル

 11月3日、河北コミュニティセンター(和歌山市)で「守ろう9条 紀の川 市民の会」の第8回「憲法フェスタ」が開催され、元京都大学原子炉実験所教員・岩本智之(さとし)氏が「原発依存から脱して自然エネルギーへ」と題して講演されました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目で最終回。

岩本 智之 氏 ③

 スリーマイル島でも溶け落ちた燃料を処理する段取りが始まったのは事故から10年後だった。それまでは危なくて近寄れなかった。福島では4機も同時に起したので、事態はもっと複雑だ。福島の事故は本当に想定外なのか。吉井英勝議員は5年前の国会で、地震や津波で電源喪失や機器が損傷したら、最悪の場合炉心溶融や水蒸気爆発、水素爆発が起る。津波で5mの引き波が発生したら日本の原発の8割は海水が汲み上げられないと追及した。当時の経産大臣も原子力安全保安院も原子力安全委員会も口を揃えて否定した。ところが今回吉井議員の質問通りのことが起った。あの時、この批判に対応しておればこういう事態にはならなかったかもしれない。その責任は重大で、決して想定外で逃げることは許されない。
 その結果、20㎞圏内はいまだに入ることも出来ず、もっと離れた飯舘村などはチェルノブイリより酷い放射能汚染でここも出て行けと言われている。さらに離れた伊達市でもホットスポットがいくつも見つかっている。被害は東日本の広大な範囲に広がってしまっている。この事故で放射性物質は政府試算でも広島原爆と比較してセシウム137は168倍、放射性物質トータルでは約20倍が放出された。フランス、ドイツなどからはこの3~4倍も出したのではないかと指摘されている。
 50歳台の酪農家がこの事故で牛乳の出荷が止められ、前途をはかなんで命を絶った。板壁にチョークで「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けないで頑張って下さい」と書き記してあった。どんなに無念であったろうかと思う。大気と大地と海が汚されたのは現実であって、風評ではない。
 一番分らない言葉は「直ちに健康に影響するものではない」だ。国際的には1ミリシーベルトなのに暫定基準として20ミリまで許そうとした。問題は晩発性影響で、将来発生するかもしれない癌の問題、遺伝的な影響の問題を考えなければならない。CTスキャンでもそれぐらいの放射線は当るから怖くないという人もいるが、それは大うそだ。その際、医師も患者も放射線は当ってもそれによって癌などの病気が見つかって早期に治療するメリットがあると納得して当る。しかし、福島県民にとって20ミリシーベルトの放射線に当るメリットは何もない。
 日本列島は大地震の巣だ。20年間のマグニチュード4・0以上の地震を地図に赤い点で示すと日本列島、千島列島、小笠原諸島、南西諸島は真っ赤だ。だから、日本には原発を作っていいところは1カ所もない。東海地震、東南海地震、南海地震は地震学者によると30年以内に必ず起る。福井県の若狭湾には断層による直下型地震が起る可能性が出ている。和歌山県民が日高にも紀南にも原発を作らせなかったのは誇るべき判断だった。関西電力は原発への依存度が高く00~09年度の平均で56%が原発だった。原発は30年で償却することで始まっているが、40年経っているものもある。福島1号機は今年40年。もっと古いのは美浜1号機で41年経っている。
 日本の電力供給能力は全部で2億3700万KW、内原発は4900万KWだ。それに対して自然エネルギーは、非住宅系太陽光は1億5000万KW、風力は18億KW、全部合わせると20億KWぐらいのポテンシャルがある。その内のいくつかを活用するだけで、現在の電力供給能力を遥かに上回る電力が作れる。反対する人は、夜は太陽が利用できない、風はいつも吹いている訳ではないなどと言うが、それはベストミックスで、いろんなものを組み合わせることで充分可能だ。どうしても足りない時は天然ガスなどの化石燃料を燃やすことも必要だ。熱効率70%の高効率の火力発電も開発されている。これらを組み合わせれば充分にエネルギー供給は可能だし、国民の意識を高めて省エネにもどんどん努力していく必要もある。自然エネルギー開発は新たな産業や雇用を生み出す可能性もある。この地球を子どもたちにどのように返すのか、私たちの世代が真剣に考えなければならないと思っている。(おわり)

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【九条噺】

 いま再び墨子の言を思う。墨子は、殺人行為について、「このことは天下の君子はみな知っていてこれを非とし、これを不義という。(然るに)いま大いに不義をなし、国を攻めるに至りては、すなわち非とするを知らず、従ってこれを義という・・・」と論じて侵略の正当化を批判した▼先だって、渡部良三氏の歌集『小さな抵抗』を読んだ。渡部氏は、アジア太平洋戦争の末期に学徒出陣で中国河北省の駐屯部隊に配属され、「新兵に度胸をつける」と称して無抵抗の中国人捕虜を銃剣で突くという刺突訓練を命じられた。しかし敬虔なクリスチャンだった彼はこれを拒否して凄惨なリンチを受けた。この歌集はその体験も含めて〝侵略者〟日本軍の残虐非道ぶりをリアルな歌に綴ったものである。例えば「朝飯を食みつつ助教は諭したり 〝捕虜突殺し肝玉をもて〝」「刺し殺す捕虜の数など案ずるな 言葉みじかし〝ましくらに突け〟」「〝やりなおし〟命うけ戦友は剣を引く 殺すおののき背に深し」「虐殺の咎は誰が負う あがないの兵ひとりにては足るはずもなし」等々すべて想像するだにおぞましい▼他国に踏み込んでかかる非道を山ほど積み上げた事実を覆い隠し、「自存自衛のための聖戦」などとする「新しい歴史教科書」を広める動きが近頃またもや盛んらしい。2500年余の時空を超えて、墨子の嘆きを今に聞く。(佐)

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武器輸出3原則 人道目的や共同開発は「例外」

 12月11日の朝日新聞は、「野田政権は、武器の輸出を原則として禁じる武器輸出3原則に、平和構築・人道目的(PKOなど)や、他国との共同開発・生産を例外とする新たな基準をつくる方針を固めた。米国以外との共同開発・生産の対象国の範囲や開発・生産のあり方を検討する」と報じました。これまでは米国とのミサイル防衛の共同開発は、武器輸出3原則の「例外」としてきましたが、今後は戦闘機などハイテク兵器の共同開発・生産も認めるものです。
 PKOが終ったらその武器は日本に返却されるとでも言うのでしょうか。共同開発・生産は日本の技術が他国に利用され、間接的に戦闘に加担するということではないでしょうか。「例外拡大」は昨年決定された「新防衛大綱」の、「国際共同開発・生産への参加を検討」を実現するものです。「武器輸出3原則」は憲法9条の理念、「戦争の放棄」「国際紛争の平和的解決」「武力行使・威嚇の禁止」を具現化したものです。「例外拡大」は日本国憲法の平和主義の理念を真っ向から否定するものと言わなければなりません。

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なちかつ・たいじ9条の会 「無言館」上映

 12月4日、「なちかつ・たいじ9条の会」はドキュメンタリー映画「無言館」の上映会を開催しました。紀南災害支援で準備が遅れましたが、当日は2回の上映で、120名の参加があり、大成功でした。昨年の講演会は90名でしたので、大幅増となりました。(事務局長・津本芳光さんより)

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(2011年12月21日入力)
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