内部被曝は2つの径路があり、空気と一緒に吸入するもの、もうひとつは食べ物と一緒に入るものがある。吸入の被曝は1日で0.0004マイクロシーベルト(μSv)、年間では0.15μSvとなる。食べ物からの内部被曝だが、福島の事故以前には食品に対する規制値は日本にはなかった。事故後に暫定基準値を決め1㎏当りセシウムで500ベクレル(Bq)を出した。この数値だと1年間の内部被曝は5000μSv(5mSv)になる。今年4月に主な食品は100Bqに引き下げ、1年間で1mSv以下になるように決まっている。厚労省の最近の放射性物質の検査結果を見ると基準を超えるのは主に魚。今は農産物より水産物の方が大変。農産物については福島の農家が非常に気を遣っている。そして流通業者、消費者も気を遣っているので、農産物の汚染は予想したよりも相当低いレベルになっている。地面の汚染は相当詳しく調べられているが、海の方はよく分らない。特に大変なのは底物で、今現在も福島県漁連は一切漁をしていない。海の汚染は海底でじんわりと拡がっている。三陸の漁業は津波で壊滅的な被害を受け、ようやく復活しようとした時に放射能汚染の問題でまた被害を受けた。魚でも回遊魚にはあまり蓄積しない。海の魚は取り込んだ塩分を排出しようとするが、淡水魚はなかなか排出しないので、セシウムを蓄積する可能性が高い。今回の新しい基準で食物を食べていると1年間で1mSv以下にはなる。セシウムを体内に取り込んだらどれぐらい被曝するかだが、1Bqを取り込んだら、大人で0.02μSv、子どもで0.01μSvということになる。私の印象では東京で流通している食品は規制値よりも相当低いのが実際だろうと思う。
我々は汚染の中で生きていくのだから、「Bq」と「Sv」に馴染んで、被曝に対する感覚を持たざるを得ない。私自身の感覚では1回の作業で「1μSvはほとんど気にならない」「10μSvはちょっと浴びたな」「100μSvはかなりの被爆」「1000μSvは始末書もの」「1Svはすぐ病院に行く」だ。胸部レントゲン撮影は50μSv、飛行機に乗ってヨーロッパを往復すると50~100μSvの被曝になる。基準以下だから安全だという訳ではない。放射線被曝はすればするほどリスクを背負うものだ。日本政府は基準を超えたものは流通させませんと言うが、基準以下だったら「安全です」と言っている。これはおかしい。
被曝の障害は一度にたくさんの放射線を浴びたら急性放射線障害が出る。広島・長崎の原爆被爆者は1㎞のところでは4~5Svぐらいだろう。急性放射線障害は身体の細胞が全部やられてしまう。特に敏感な臓器、例えば骨髄がやられて造血できなくなり死亡するということが起きる。一方、被曝線量が少ない時でも、細胞は傷を受けて、後々になって癌や白血病が出るというのが晩発性障害だ。広島・長崎の原爆から67年になるが、それでも被爆者の癌の発生率は他の人より多い。福島では枝野氏は「すぐには健康に影響がない」と言ったが、問題は後々になって現れる晩発的影響で、あの時点では晩発的影響を出来るだけ少なくするために最大限の措置をとらなければならなかったのに、ほとんど何もしなかった。晩発的影響の代表はチェルノブイリの甲状腺癌だ。チェルノブイリの事故は爆発で遠くまで飛んでいく揮発性の放射能が問題で、揮発性放射能の代表がヨウ素とセシウムだ。福島では水素爆発をしたが、炉心は爆発していないので、揮発性のものが出て行った。ヨウ素が圧倒的に多いのだが、事故初期に問題になるのは放射性ヨウ素による汚染なのだが、チェルノブイリでは子どもたちが放射性ヨウ素による被曝を受けた。子どもの甲状腺は大人に比べると10分の1ぐらい。そこに放射性ヨウ素が溜まり、甲状腺の組織が集中的に被曝する。ヨウ素131の半減期は8日間で、2~3カ月でなくなる。ウクライナの子どもたちが被曝を受けたのは86年の春、4年経って影響が現れ始めた。西側の医師たちはそれを否定しようとしたが、さすがに10年目からは子どもの甲状腺癌だけは事故の影響として認めようということになった。今でも増えている。事故当時に子どもだった人に甲状腺癌が増え、後で生まれた子どもには増えていない。ウクライナでは事故から25年経って6千人ぐらいの子どもが甲状腺癌になった。ベラルーシやロシアも含めて1万人ぐらいに甲状腺癌が出ているし、これからも出てくるので2万人になるだろうと思っている。(つづく)
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【九条噺】
70年前の1942年2月、「日本最大の海底炭鉱」といわれた長生炭鉱(山口県宇部)が崩壊・水没し、一瞬にして183人もの命が奪われた。もともと地盤がもろく採炭自体が危険な場所だが、戦争のためにエネルギー源確保を焦る政府が無理に操業を進めたことによる悲劇だった▼さて、戦時下の日本の労働力不足を補うために、植民地化した朝鮮半島からの強制連行は72万人を超え、その半数は日本各地の炭鉱で重労働を強いられたといわれている。この海底炭鉱の崩壊・水没事故の犠牲者183人のうちの137人も朝鮮人で、「強制連行労働者の悲劇」としても忘れてはならないと思う。しかし、事故が起きてから40年経過して炭鉱事務所跡に慰霊碑が建立されたが、朝鮮の人々のことは何一つ記されていない▼史実を隠蔽しようとする動きを許さず、事実をありのまま伝えようと努力してきたのは犠牲者遺族と彼らを支援する日本の心ある人々であり、それは今日まで地道に多彩に続けられてきた。筆者がこの惨劇を知るきっかけも「合唱」である。徳山(山口県)の女声合唱団がこの史実を合唱にして広げたいと考え、歌詞を詩人の芝憲子さんに、作曲は池辺晋一郎さんに委嘱、93年に女声合唱組曲「海の墓標」として発表された。強制連行を告発し、贖罪と平和へのレクイエムからなる鎮魂の曲である▼今年は70周年記念の犠牲者追悼集会が行われこの合唱曲も歌われた由。徳山の平和を求める地道な活動に大いに感謝したい。(佐)
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9条を現状に合わせようというのは本末転倒
WBS和歌山放送・特別番組「憲法を考える」 ②
5月3日憲法記念日の15時から20分間、WBS和歌山放送が「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の提供で特別番組「憲法を考える」を放送しました。その要旨を2回に分けてご紹介しています。今回は最終回。
谷口曻二弁護士が出演
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