「九条の会・わかやま」 192号を発行(2012年5月29日付) 192号が5月29日付で発行されました。1面は、5月の風にWe Love 憲法 3・11をテコとして改憲の動きが急に高まっている(名古屋大学名誉教授・森英樹氏 ① )、汚染にどう対応するかはそれぞれの人が判断するしかない(今中 哲二 氏 ③ )、九条噺、2面は、愛国と国歌斉唱 当会呼びかけ人・江川 治邦さん、言葉 「個別的自衛権、『集団的自衛権』」、3面は1面記事から続き です。 | ||
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5月の風に We Love 憲法 |
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4月28日は日米安保発効60年、5月15日は沖縄復帰40年だ。60年前、サンフランシスコで講和条約の中で沖縄の統治は当分の間アメリカが行うという約束が盛り込まれた。つまり日本は沖縄を切捨てる政策に同意したのだ。沖縄は祖国復帰運動を20年続け、ようやく40年前に日本に復帰した。占領軍として日本にいた米軍は看板だけを書き換えて、条約で認められた在日米軍として60年間居続けることになった。本土に捨てられた沖縄は憲法9条を持つ日本に復帰することによって新しい道を開こうとしたにも拘らず、沖縄だけに集中的に様々な軍事的負担が押し付けられ、本土政府は平然としていると関係が続いてきた。安保体制は60年間も憲法の上にのしかかり、復帰して40年も経つのに沖縄の有り様はだんだん酷くなってきているという残酷な現状から私たちは目を背けてはいけない。この節目に野田内閣は日米の軍事体制をより一層沖縄に押し付けるという合意をアメリカと平然とやってのけた。4月27日に、普天間に1万人の海兵隊を維持する沖縄米軍再編「見直し」を共同発表し、5月10日には騒音と墜落の危険があるオスプレイ12機の7月の普天間配備を共同発表した。野田首相は復帰の式典で「普天間の固定化は避けたい」と言ったが、「当分の間は使わせる」と聞こえた。沖縄復興予算は40年間に総額10兆円も支払われている巨額な予算で、今年度は2900億円も計上されている。それは主として「ハコモノ」に使われ、それで潤うのは本土のゼネコンだ。沖縄県民の生活が豊かになるようには回っていかない。過去の歴史は、沖縄、残留孤児、満州開拓民、ソ連抑留者を全て差別・抑圧・見捨ての対象としてきた。極めつけは広島・長崎の被爆者に対する差別と犠牲だ。その延長で東日本大震災の被災者を放ったらかして国政を進めようとしている。原発事故被曝者も全く非人道的な取扱いをされている。ここには一貫した日本の政治の、国民を国民とも思わない歴史を感じる。 |
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汚染にどう対応するかは、それぞれの人が判断するしかない |
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被曝は我々の細胞に対して放射線が当たることによって細胞を構成している原子や分子の結合が変化したりちぎれたりすることを起す。特に問題なのはDNAがちぎれることだが、一度にたくさん浴びると切断がいっぱい起きて細胞が死んでしまう。たくさんの細胞が死ぬことによって急性障害、確定的障害が起る。被曝が少なくても切れることがあり、癌・白血病という晩発的影響が起きる可能性がある。中にはDNAの修復作用があるから低レベル被曝では癌にならないと言う人もいるが、修復が完全なら元々癌にはならないだろうと思う。放射線被曝をすることによってどれだけ癌になるリスクが増えるかは、広島・長崎の被爆者をフォローした結果、癌も増えているという関係がある。自然放射線は非常に弱くて害もないものだと思われているかもしれないが、自然放射線も結構強く、影響を受けている。自然放射線からだいたい1年間で1ミリシーベルト(mSv)の被曝を受けている。今回の福島の事故はこれに上乗せされたものだ。福島の放射能は西日本にも飛んできたが、自然放射線被曝と比べた場合は気にしなくてもいいレベルだと思うが、東京辺りではなかなかそうはいかない。放射線施設では周りの人びとに被曝させても許される限度が法律で決まっており、それが年間1mSv、自然放射線が1mSv、医療被曝が2mSvというのが被曝環境だ。自然放射線も我々にリスクをもたらしており、日本では癌死が34万件で2%、6800件が自然放射線被曝によると考えられ、明らかに無視できるものではない。自然放射線量、癌発生率は地域によって異なるが、その相関は認められない。しかし、累積被曝線量に比例して癌は増えていることは間違いなさそうだ。
【九条噺】
愛国と国歌斉唱 |
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会紙「九条の会・わかやま」190号の「九条噺」は、国歌起立斉唱と口元チェックを座視できないと厳しく批判している。家庭、郷土、国、を愛する気持ちは、人それぞれに自己の環境から受ける恩恵によって異なるが、万人が多少は持ちあわせている。これはどの民族や国民にも共通し、その愛が異文化に出会うことで気付く個としての内的なものである。これを一方的・形式的に押し付けても、心の中に愛国が芽生えるものではない。入学式で出席者全員が「君が代」を歌い上げたから、全員が愛国者とも言えない。面従腹背は私たちの得意芸である。むしろ、自国の風土・歴史・文化等を学習し、他国と比較し、相互の歴史文化を認め合い交流する中で愛国が育まれるものであろう。また生活環境の向上、基本的自由・人権・教育・福祉の充実で社会が満たされた国家であるかどうかという、政治的な課題にもリンクする。形式的な愛国を押し付ける為政者が、平和で安全な社会の構築や福祉の充足を怠っては本末転倒になる。また一方的な国歌斉唱の強要は、国民に自国の歴史文化が優れているという誤った姿勢に向かわせ、世界を俯瞰し複眼的視野で思考し共生する態度を失わせ、遂に偏狭的愛国心や排外主義に陥らせかねない。
言葉 「個別的自衛権、『集団的自衛権』」 |
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(2012年5月29日入力)
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