「九条の会・わかやま」 199号を発行(2012年9月1日付)

 199号が9月1日付で発行されました。1面は、みなべ「九条の会」街宣車で町内回る 8・15終戦の日 戦争廃絶・平和訴え、九条の会ゆら「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」開催、九条噺、2面は、九条の会ゆら「戦跡巡りマップ」作成、安倍元首相 憲法改正へ「大阪維新の会」と連携、 「集団的自衛権」行使容認は自衛隊の否定
  です。

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[本文から]

みなべ「九条の会」、街宣車で町内回る
8・15終戦の日、戦争廃絶・平和訴え


 終戦記念日の15日、みなべ「九条の会」は、戦争廃絶、恒久平和を訴えて街宣車で町内を回った。
 「戦争はいやです」などの言葉を街宣車に掲げ、「今年も終戦の日の8月15日がやってきました。あの戦争での地獄の苦しみや悲しみを今一度思い起こし、二度と戦争を起こさせないと決意する日です。日本国憲法第九条には『戦争はしない』『軍隊は持たない』とはっきり定められています。かわいい子どもや孫たちに戦争のない平和な国を手渡しましょう」などとアナウンスを流しながら、町内全域を巡回した。
 同会事務局長の平野憲一郎さんは「朝から雨模様の中、堺の沿岸部から清川の山間部まで訴え続けました。手を振ってくださる方などに励まされました」と話した。
(「日高新報」8月17日付の記事を紹介)

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九条の会ゆら「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」開催

 九条の会ゆら主催の第8回戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会が4日、由良町中央公民館で開かれた。110人が参加し、戦後旧満州から日本に引き揚げた後藤順子さん(77)の特別報告を聞き、戦争のない平和な社会を守る決意を再確認した。
 主催者あいさつに続き、藤本民子さんの指揮で由良女声合唱団が平和を願い「涙そうそう」「童神」「島唄」の3曲を合唱。戦地から引き揚げた当時の日本の暮らしぶり、敗戦し帰ってきた兵士への野次など出征時とは全く違う対応に苦しんだ元兵士らの姿を描いたビデオを鑑賞した。
 この後、後藤さんが「私の引き揚げ体験」と題し特別報告。旧満州生まれの後藤さんは4人弟妹の長女で、小学5年生の時、汽車に乗って疎開。軍に召集されて家にいない父に代わり、幼い妹たちの手を引き母について駅へと向かい、途中下車した小さな村で終戦を知ったという。
 生活が落ち着いたと思ったらソ連兵に追い出され、食べる物は乾パンばかり。ある日、炭坑夫となって戻った父が広場に掘られた大きな穴を見せ「死んだらここに埋められる」と教えてくれ、今は死ねないと父にしがみついたこと、日本に辿り着くまでの苦労、やっとの思いで帰り着いた古里・由良で伯母ら親戚、祖母の温かい出迎えに喜んだそうだ。
 学校に通えるようになったものの、経済的に苦しく教科書、ニッカース(ブルマに似たもの)を自分で作り、卒業後は大阪に出て洋裁学校に通ったと引き揚げ後の生活を振り返った。終戦から50年後には当時80歳の母を連れ、旧満州の大連・旅順を訪れる船旅に参加した思い出にもふれ、苦労が多かった両親への想いも語った。
 来場者には、同会が平和学習に役立ててもらおうと作成した町内軍事戦跡巡りウォーキングマップが進呈された。
(「紀州新聞」8月7日付の記事を紹介)

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【九条噺】

 わざわざアメリカくんだりまで出向いて新型輸送機オスプレイに試乗した森本敏防衛相。「思ったよりもスムーズで、飛行は大変快適だった」とご満悦の様子だった。しかし、試乗の結果がどうであれ、このオスプレイ、過去5年間のトラブル&事故が58回という、すこぶる危ないシロモノであることに変わりはない▼しかも森本氏はかねてから一貫してオスプレイの沖縄配備を受け入れる姿勢を示しており、「オスプレイ配備は日米安保事前協議の対象外」「低空飛行訓練は日本の航空法の適用外」だとして、配備にも飛行訓練にも何ひとつ異論を唱えなかったのである。野田首相までも「米軍の配備計画にどうのこうの言う立場にはない」といい、かくて10月初旬に沖縄で運用するというアメリカの方針は揺るぎなし。やがて沖縄発の〝事故満載オスプレイ〟が日本各地の民家上空を轟音立てて飛び交うようなことにもなろう▼他方、沖縄は今かつてなく熱く燃え上がり、オスプレイ配備反対の県民集会も空前規模で開かれようとしている。沖縄では節目ごとに大規模な集会が行われ、「集団自決強制」を削除した教科書検定に抗議する県民総決起集会(07・9)には11万人もが集ったとされる。婦人会や商工会、県下の自治体関係者を含め文字通り県民あげてのもので、今般はこれを超える規模だともいわれる。なのに首相は普天間基地への配備方針に何も言えないなんて。(佐)

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九条の会ゆら、「戦跡巡りマップ」作成

 作成したのは、同町の有志団体「九条の会ゆら」(池本護事務局長)。2005年に結成され、語り部による戦争体験を伝える活動などを続けている。同町を訪れる人たちに、戦争の悲惨な歴史や命の大切さを学んでもらおうと企画した。
 マップはA3判でカラー印刷。雨でも持ち歩けるようラミネート加工した。町の空撮写真を掲載し、軍事施設跡など19カ所を示した。紀伊水道への敵の侵入を防ぐために配置された「紀伊防備隊」の歴史などの説明も添えた。
 マップでは、石灰岩の採掘場所だった白崎海岸のトンネル内に特攻兵器「回天」を隠し、発進基地として整備したことや、由良港周辺に、ベニヤ板製でモーターボートの特攻艇「震洋」の訓練場所があったことなどを紹介。また、潜水服を装着して海底で待ち伏せ、先端に爆薬が付いた竹やりで敵の船底を攻撃する「伏龍」の訓練場所があったことなども記した。
 池本事務局長は「戦時中の悲惨な歴史から目を背けることなく、平和を守り続けることの大切さを再認識してほしい」と訴える。同会は、8月4日の「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」の来場者にはマップを無料で配る。
(「読売新聞」和歌山版7月15日付の記事を紹介)

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安倍元首相、憲法改正へ「大阪維新の会」と連携

 8月25日の朝日新聞デジタル版は、「自民党の安倍晋三元首相は25日、大阪維新の会との連携について、『憲法改正には(国会で)勢力を構成することが必要。選択肢として考えるべきだ』と述べ、次の衆院選挙後に憲法改正に向けて連携したいとの考えを示した。『財税制政策は我々と違うものもあるが、個別政策で大きな障害にはならない』と、大阪市内で記者団の質問に答えた。それに先立って出演した読売テレビの番組では、自民党を離党して維新の会に合流する可能性について『私は自民党で総裁を務めた。基本的には考えていない』と否定した」と報じています。
 安倍氏は、改憲発議要件の緩和(憲法96条を改正し、3分の2の賛成から過半数の賛成へ)を目論んでいますが、安倍氏らの保守系議員グループがそれを主張しても、国民の賛同は得られないので、「(大阪維新の会とは憲法改正の)骨格部分で一致している。彼らが発信すると国民的な話題になり、彼らの力は大きな改革には必要だ」と、「大阪維新の会」の力を利用して、改憲へ弾みをつけたいと狙っているのです。そして、「次の衆院選だけではできないので、来年の参院選を視野に、そういう勢力を作っていく」とも指摘しています。

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「集団的自衛権」行使容認は自衛隊の否定

 自民党が「集団的自衛権」の行使を認める「国家安全保障基本法案」の国会提出を目指したり、政府のフロンティア分科会が「解釈改憲」による「集団的自衛権」の行使を提言したり、それを受けて野田首相が「集団的自衛権」の行使の容認に踏み込む姿勢を示したり、民主・自民が一体となって「集団的自衛権」行使容認に向かおうとしています。しかし、これは彼らにとってとんでもない論理の矛盾に陥ることになります。
 政府は「日本は独立国家であるため、憲法9条によっても自衛権は放棄しておらず、そのための必要最小限度の実力である自衛隊は合憲である」とした上で、「日本も国際法上、集団的自衛権を有してはいるが、これを行使することは、憲法9条の下で許容されている必要最小限度の自衛権の行使の範囲を超えるので、憲法上許されない」としています。実は「集団的自衛権の行使は憲法9条に反する」との政府解釈は、自衛隊の存在を合憲にするための大きな論拠となっているのです。
 「集団的自衛権の行使は必要最小限の自衛権の行使の範囲を超えるので違憲だ」と言うのですから、「集団的自衛権」を行使すれば、「必要最小限度の実力である自衛隊は合憲だ」という論拠が崩れ、「自衛隊は違憲だ」ということになってしまいます。政府が「集団的自衛権」の行使を憲法解釈上、許されるとすることは、自衛隊は合憲だという立場を放棄するに等しくなります。
 日本政府が解釈改憲をしてまで、「集団自衛権」の行使や自衛隊が外国で武器を使用できるようにしたいのは、日米軍事同盟の一体化・深化をとことん進めようとしていることの現れです。そして、米国が日本との軍事同盟の更なる一体化・深化を強める背景には、米国が世界的な軍事統制の在り方を転換しつつあることが関係しています。米国は第2次世界大戦終了後も、ベトナムなど20カ国以上に積極的に軍事介入を行ってきました。9・11テロ以降、イラク、アフガニスタンと戦争をし続け、大量の人的・物的資源を投入しました。しかし、軍事介入の結果評価が難しいことやその正当性への疑義、米国国内の経済的要因から、米国は対外的な軍事活動を縮小せざるを得ない状況になっています。そこで、米国の軍事戦略の一翼を日本に担わせるべくさまざまな要求をしてきているわけです。
  (法学館憲法研究所所長・伊藤真氏の解説を要約)

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(2012年9月1日入力)
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