「九条の会・わかやま」会紙発行200号、お祝い申し上げます。会の結成が05年9月16日ですから、7年で200号、月2回以上のペースで発行されていたのですね。事務局の努力には頭が下がります。
さて、人類共通の願いは、個人の生命、財産、安全の確保であり、差別や暴力のない安心した社会に住まいすることであります。
1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された「世界人権宣言・前文」には、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要である」とあります。
第2次世界大戦後まもなくに国連が、「一般の人々の最高の願望」として、世界の叡智を集め決議した人権宣言は、地球から一切の差別や暴力をなくすことであります。私は、この人権宣言の意義は、憲法9条の「戦争の放棄」「平和宣言」と同じ趣意であると考えます。
また、この人類の願望を叶えるための「法の支配」の法こそが、日本国憲法第九条ではないでしょうか。世界に冠たるこの九条は、世界人権宣言より2年早くできています。押しつけ憲法、時流に合わない憲法などの声が聞かれますが、中身は永久普遍の真理を謳ったものであり、全人類の願望であります。ここにおいて、差別や暴力のない平和な社会を願う者はこの法に従うべきであり、何人たりと雖も改変するものではありません。
さらに九条には、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とありますが、「永久にこれを放棄する」と宣言した国が、100年にも満たずして改変するとは、いかに軟弱な国家であるかを世界に表明するものであります。
人間の強さは力ではありません。他者への思いやりやいたわりを、命をかけて守り通すことが本当の強さではないでしょうか。すべてを破壊する戦争の愚行を繰り返してはならない。
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維新の会、改憲政党として国政に登場
9月9日の朝日新聞デジタルは「大阪維新の会は8日、大阪市内での全体会議で、新党『日本維新の会』を設立して次期衆院選で国政に進出する方針を決めた。原則として全小選挙区と比例ブロックに計350~400人を擁立し、過半数獲得を目指す」と報じています。国政に新たな改憲政党の登場です。
8月31日に発表された「維新八策」最終案は、「①憲法改正発議要件(96条)を3分の2から2分の1に」として憲法を変えやすくした上で、「②首相公選制」「③首相公選制と親和性のある議院制=参議院の廃止も視野に入れた抜本的改革・衆議院の優位性の強化」として、衆院定数を半減させ、参院を廃止し、民意を代表する国会議員を3分の1に減らすもので、まさに「民意不要」の暴論です。首相公選制で、内閣に対する国会のコントロールを弱めて、首相独裁につながるような首相権限強化を狙っています。「④地方の条例制定権の自立・憲法94条の改正」は法律を上回る地方の条例制定権です。そして「⑤憲法9条を変えるか否かの国民投票」は、「中立を装って」国民投票を行い、9条改憲のムード作りをするというのが彼らの魂胆です。橋下氏は実際には「自分の命に危険があれば、他人は助けないというのが9条の価値観」などと9条を攻撃しています。維新の会が憲法9条改悪勢力であることは明らかです。
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言葉「平和的生存権」
日本国憲法前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と、平和的生存権が謳われています。平和的生存権は、一人一人が平和的に生きることを妨げられない自由であり、政府に対して平和的な政策を採ることを要求できる権利です。憲法9条と一体となって、国民が政府に9条の徹底を求める権利と言ってもいいでしょう。
自民党憲法改正草案は平和的生存権を完全に削除しています。これは日本国憲法の特徴である平和主義を根底から覆すものであり、憲法の基本的人権条項が1つ削除されることを意味します。 実は世界的に見ると、憲法に平和的生存権が明記されている国は日本だけです。「平和」を「人権」として捉えることは、他国では「当り前」ではなく、日本のように平和的生存権の侵害を理由に裁判を起すことはできません。平和的生存権の侵害を主張することは世界的に見て先進的で貴重なことなのです。
73年の長沼ミサイル基地訴訟の札幌地裁判決では、理念や原則が書かれている憲法前文に書いてあるにも拘らず平和的生存権を憲法上の法的権利であることを認めました。08年の自衛隊イラク派兵違憲訴訟の名古屋高裁判決では、平和的生存権の憲法上の権利性を認め、救済可能な具体的な権利であることまで踏み込み、さらに平和的生存権の内容についても、「戦争に巻き込まれない権利」から発展させて「戦争行為に加担しない権利」にまで発展させています。
03年のイラク戦争は、「国連憲章」ではアメリカの暴走を阻止出来ませんでした。イラク戦争を不法なものとするために、「国連憲章」以外にもう1つ国際法の規範が必要だと、「平和への権利を国際的な人権として確立しよう」と06年から国連で「平和への権利宣言」が議論がされています。
日本の「平和的生存権」に世界が近づこうとしているのに、自民党憲法改正草案はそれに真っ向から反するもので、とても許せるものではありません。(日本国際法律家協会事務局長・笹本潤氏の論文より要約)
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