9月29日、東京・日比谷公会堂で1800人が参加し、「三木睦子さんの志を受けついで 九条の会講演会 今、民主主義が試されるとき」が開催され、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さんが講演されました。
大江健三郎さんは、三木内閣の時、防衛予算はGNPの1%以内と閣議決定した。この閣議決定は重い。しかし、「今、この国は民主主義の国だろうか?」と問いかけ、今回の「2030年代に原発ゼロ」という政府の意思が、「承服しかねる」とした米倉経団連会長やアメリカの圧力で閣議決定ができなかった。パブリックコメントも「ゼロ」が圧倒的に多い。沖縄のオスプレイについて考える人たち、原発再稼働反対の大きい運動は、2つとも憲法にかかわっている。こうした力に確信を持って9条を守りぬいていこうと話されました。
奥平康弘さんは、民主党、自民党、橋下維新の会などによって、防衛力の強化や集団的自衛権、憲法96条改定を正面に掲げて9条の改定を狙っている現状を指摘し、「九条の会立ち上げの時の魂が問われている」と強調。「九条の会」の活動を強めて、9条の魂を再び選ぼうと呼びかけられました。
澤地久枝さんは、「戦争はダメ」と言い続けた三木睦子さんの生き方を紹介した上で、民主、自民両党の党首選にふれ、非民主的なことが横行している。原発再稼働や集団的自衛権の問題など、まるでウソの世界を見ているようだ。加藤周一さんは、日本の土台は「安保条約」と言った。私たちは未来がどうなるか選択する場所に立っている。国民の声が通るよう選挙で勝ちましょうと訴えられました。
最後に小森陽一事務局長が、「九条の会」呼びかけ人のみなさんと事務局で相談した結果として、今年8月、消費税増税を決めた大連合は、憲法改悪の大連合につながる。九条の会全国交流会もしなければならない時期だが、今はそうしてはいられない情勢である。石原氏など右派勢力が領土問題で掻き立てている。今進んでいる集団的自衛権の問題、改憲の問題等で、全国で、憲法セミナーをどんどんやってほしい。講師については、「こんな講師を」と「九条の会」事務局に連絡してほしい、と話されました。
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「ぼんやり改憲」の空気に乗らない
201号で紹介した毎日新聞憲法世論調査について、早稲田大学教授・水島朝穂氏が、HPに「『毎日』憲法世論調査への疑問」を書かれています。抜粋してご紹介します。
水島 朝穂 氏
『毎日新聞』が憲法世論調査を公表した。メイン見出しは「改憲賛成65%」「国政停滞『憲法に原因』57%」「政治不信『改憲』強め」…と続く。
改憲賛成/反対を問う疑問
そもそも改憲に賛成か反対かを世論調査で問うこと自体について、私は疑問を感じている。こういう設問で世論調査を続けているのは日本だけだろう。どこの国の憲法にも改正条項がある。日本国憲法96条も憲法改正を予定している。一般的に「憲法改正に反対」ということは、少なくとも憲法を前提にすればあり得ない。問題は、憲法のどの条項を、どのように変えるか、にある。条文の特定と、改正内容の明示なしに、改正に賛成・反対だけを問う世論調査はもうやめるべきである。日本では長年にわたり、憲法改正と言えば9条改正と実質的に同義だったことが背景にああるものの、『毎日』憲法世論調査は、従来のものに比べ、設問にも公表のタイミングにも政局的香りが漂うと感じるのは私だけだろうか。
時代に合わないとは?
『毎日』調査は、一般的に改憲に賛成・反対を問うた上で、「憲法改正に賛成」と答えた人に理由を聞いている。その選択肢は5択で、「今の憲法が時代に合っていないから」60%。ここで注目したいのは、「時代に合っていないから」という実に抽象的な理由をわざわざ一番目に持ってきたことである。これは誘導ではないか。どの条文が、具体的に時代のどのような要請と合っていないのかなど、細かく聞けば意見は分かれてくるだろう。アバウトに「時代に合わないから変えるか、変えないか」と聞くことは、かなり安易な設問であると同時に、「合わない」の方向に導かれる傾斜角をもっている。
国政停滞は憲法のせい?
この調査の最大の問題点は、初めて、「国政停滞」と憲法との関係を問うたことである。「与野党の対立が続き、国政が停滞しています。国の統治の仕組みを定めた憲法に原因があると思いますか、思いませんか」。回答は、「憲法に原因があると思う」57%、「憲法に原因があると思わない」が36%だった。
「景気が悪いのは憲法のせいか」「自殺が多いのは憲法のせいか」「彼女にふられたのも憲法のせいか」…。「みんな憲法が悪いのよ~♪」なのか。
「ぼんやり改憲」促進許すな
多くの人が何かを変えた方がいいとぼんやり感じていることは間違いない。憲法も『何かを変える』対象となっているのではないか。こういう設問を立て、調査として発表することは、結果的に「ぼんやり改憲」を促進することにならないか。
今回の『毎日』世論調査は、その設問の稚拙さ(恣意性)と相まって、「憲法さえ改正すれば」的なシンプル思考と共振してしまう弱点をもっているように思う。「憲法とは何か」についてしっかり考え、「ぼんやり改憲」の空気に乗らないことが肝要である。(小見出し編集部)
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【九条噺】
9月16日、中国遼寧省(東北部)撫順市で「平頂山事件」の犠牲者追悼式がおこなわれた。この日は日本からの参加者も含めて約1000名が「事件」の犠牲者を悼み、「歴史の真実を知らせて日中友好の新たな前進を」と誓い合った▼旧日本軍は1931年9月、柳条湖事件を契機に中国東北部への侵略を開始した。各地で抵抗にあい、32年には撫順で日本軍の警備する炭鉱が抗日義勇軍の攻撃を受けて日本人の死者も出た。日本軍はそこで、平頂山に住む炭鉱労働者や住民の中に義勇軍と繋がる者がいると邪推、住民全員を「記念撮影」などと偽って平頂山崖下に集合させ、機関銃を一斉掃射した。そしてなお生きている者は銃剣でトドメをさして、約3000人もの死体の山にガソリンをかけて焼き、さらに崖を爆破して焼死体を埋めたという。「平頂山事件」は中国侵略における最初の無惨な大量虐殺事件である▼旧日本軍の中国侵略はその後37年7月、盧溝橋事件を契機に中国全土へと拡がったが、その実態は「三光作戦」という、文字通り〝殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす〟残虐なものだったと聞く。重い後悔の念と「日本と中国が二度と戦うようなことがあってはならない」という誓いを込めて「証言」をする兵士らのことばを信じたいと思う▼「尖閣諸島」問題は思わぬ波乱の様相だが、別に悲観することもない。これからもいくつも荒波は押し寄せ、絆も強くなって、やがては〝ホンモノ〟に育つと信じたい。(佐)
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自民・安倍総裁、次期衆院選で憲法改正を争点化の考え
10月1日の朝日新聞は、「自民党の安倍晋三総裁は30日、京都府綾部市で講演し、憲法改正について『(改正発議に)反対と思っているような横柄な国会議員には次の選挙で退場してもらいたい』と語り、次期衆院選で憲法改正を争点化する考えを示した」「安倍氏は、各社世論調査で過半数が憲法改正すべきだと答えていると指摘。憲法96条で発議要件が国会議員の3分の2以上となっていることについて、『たった3分の1ちょっとの国会議員が反対すれば(憲法改正が)できないのはおかしい』と述べ、96条の要件を2分の1に緩和するべきだとの考えを強調した」と報じています。
「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長は、自民党の安倍新総裁について、「安倍氏とは教育改革や憲法問題、公務員改革など、価値観ががっちり合うところがある」と評価し、「非常に期待している」とエールを送っています。
これに対して10月3日の「信濃毎日新聞」はコラムで「憲法とはそもそも何か。憲法は『個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とする』。憲法学の泰斗、芦部信喜さんは書いている。国民が生まれながらにして持つ権利が国家権力によって侵害されないよう守るのが憲法、というのだ。憲法99条は、この憲法を尊重する義務を負う人を列挙している。『天皇または摂政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員』である。国民はその中に含まれていない。憲法が国民を守るためのものである以上当然のことだろう。そう考えてくると、安倍氏の発言のどこがおかしいか分かる。政治家の行為を縛る憲法の制約を政治家自らが外そうとしていることだ」と厳しい批判を加えています。
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集団的自衛権「発明」の舞台裏
「集団的自衛権」行使容認の論拠のひとつに、「国連憲章が認めている」というものがあります。集団安全保障の理念に立つ国連憲章に、何故「自衛権」とは縁もゆかりもない、安保理の指揮下には入らない武力行使を認めるという「集団的自衛権」が書かれているのでしょうか。「九条の会」事務局・川村俊夫氏の論文からその部分の要旨をご紹介します。
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44年8月、米英中ソ4力国代表がまとめた「一般的国際機構確立に関する提案」では、「武力行使の一般的禁止」が謳われるとともに、「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極又は地域的機関によってとられてはならない」としました。現行の国連憲章では、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(第2条4)「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在」は安保理が決定し、必要な措置をとる(第39条)として具現化されています。
しかしこの時は現在の、憲章51条で定めている「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認める規定を盛り込むことは考えられていませんでした。他国からの侵略に対し、安保理が必要な措置をとるまでの間、各国が自衛権行使として武力行使をすることは、正当防衛のように、あまりにも当然と考えられていたからです。にも拘らず今日の51条の規定が設けられたのは、ひとえに、国際法にはない「集団的自衛権」という「権利」を憲章に登場させるためでした。
アメリカの裏庭と言われた米州機構に加盟するラテンアメリカの20カ国は、いずれか1国に対する攻撃は、「他の加盟国に対する侵略行為」とみなして共同して対処するという米州条約を結んでいました。しかし国連憲章の考え方だと、安保理が必要な措置をとるまでの間、自衛のための武力行使ができるのは侵略を受けた当事国だけで、アメリカは参加できない。ソ連の影響を恐れるアメリカは、米州機構加盟国は国連に加盟しないとの脅しをタテに、常任理事国の拒否権に縛られず、ソ連が影響を及ぼす国に自由に侵略戦争を仕掛けられる仕組みを残すことに知恵を絞り、「集団的自衛権」という概念を「発明」したのです。「『集団的』という名称を付けたが、国連の1加盟国が安保理の決定の前に行う個別的自衛権の一種だ」という理屈です。しかし、アメリカの行動を認めない決定を安保理が行おうすれば、アメリカは拒否権を行使することができます。事実上、アメリカは何の制約も受けず武力を行使し続けることができます。これは「ソ連など他の常任理事国にもあてはまる」と押し込んだものです。「集団的自衛権」は国家の「固有の権利」どころか、国連の集団安全保障機能に大穴を開けるものなのです。
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