「九条の会・わかやま」 203号を発行(2012年10月21日付)

 203号が10月21日付で発行されました。1面は、この国は民主主義の国か(大江健三郎さん①)、マスコミ報道と維新の会(当会呼びかけ人・作家・宇江敏勝さん)、九条噺、2面は、 政府の憲法9条解釈の変遷、日本青年会議所(JC)が驚くべき「憲法草案」発表   です。

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[本文から]

この国は民主主義の国か

 「九条の会」は9月29日、「三木睦子さんの志を受けついで 九条の会講演会 ― 今、民主主義が試されるとき」を開催しました。呼びかけ人の大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の3氏が講演されました。講演要旨を「九条の会ニュース164号」から、順にご紹介します。

大江健三郎さん ①

 05年7月の有明コロシアムの集会での三木さんのお話が、岩波ブックレット『憲法九条、未来をひらく』に載っています。戦争が始まった時のことで三木さんは22歳です。
 「いよいよ対米戦争が始まるというとき、私は身ごもっておりました。この子たちが将来、日本を背負って立つときのことを考えれば、どんな苦しい思いをしてでも、戦争を阻止しなければならない。できるだろうか? その戦争の大きい責任を、か弱い子どもたちに、負わせてもいいのだろうか。そう思いながら幼い子どもを育ててまいりました。戦禍が日本中を取り巻いて、バラバラ、バラバラと落ちて来る焼夷弾の下で、子ども抱いて逃げるわけにいかないんですね。子どもを乳母車に乗せて、若いお手伝いさんに託し、『子どもたちを連れて、どこかへ逃げて行ってちょうだい。そのうちに私が訪ねて行くわ』なんて頼りにならないことを言っておりました」という話から始まります。そして結びはこうです。「国民が少なくとも本当に平和で手をつなぎ合って暮らせるならば、大国でなくたっていいじゃないかと思うのです。静かで平和で楽しい世界にしていきたいと思います」。
 三木睦子さんは、戦前、戦中、戦後を通じ、三木武夫という政治家の脇に立っておられた。武夫氏は、田中首相によるロッキード事件という汚職を徹底的に究明し、日本の防衛費をGNPの1%以内に抑える方針を作った。こういう人を夫にその政治生活を保ちつづけることに協力した三木睦子さんでした。その人のことを忘れることはできない。
 とくに顕著なこととしていま考えていることを一つずつお話します。  第一は、この国は民主主義の国だろうか。民主主義とはどのようなものか、です。
 この9月15日から9月25日のあいだに、民主党のリーダーがあらためて政権を握るであろうことが決まった。それから自民党の新しいリーダーは、かつて病気で首相をやめたとき、集団的自衛権についての見解を見直すと言っていたが、その彼が、自民党の総裁選で憲法を改正する、とくに集団的自衛権は早急に実現する、と述べている。
 さて、その9月15日の新聞に、野田政権がその前日の14日にエネルギー・環境会議を開き2030年代に原発稼働ゼロをめざすという新しい政策を決めた、という記事が載っている。2030年代では遅いという声もありますが、しかしまず原発稼働ゼロを目標とすることを日本政府が宣言することは世界的に、また国内的に大きな意味があると考える。
 このことに期待をもったのは、それがいかにも野田政権らしい考えだからではない。民主党ですらも、野田首相すらも、この新戦略をまとめざるを得なかった。すなわち、民衆の意思が非常に強く示されたために、2030年代に原発稼働ゼロということを声明せざるを得なくなったという現実があったからだ。
 民衆の運動はなお続いており、毎週金曜日の首相官邸を包囲するデモも続いている。それがある以上、野田政権の約束は実際に確実になるだろう、という希望をもった。私は言いたい。現在の状況を見て、あれだけ大きい原子力発電所の事故があり、現在も16万人の方々がまだ自分の土地に帰れない。この間の政府の意見聴取会でも、パブリックコメントでも、原発ゼロが圧倒的に多い。そして私どもは原発の廃止を求め10数万人の大集会を開くことができた。それが日本の民衆の意思だということがはっきりして、野田政権は2030年代原発稼働ゼロをめざすといわざるを得なかった、と私は考えていた。
 その発表があった翌日から1週間、私はすべての新聞、英字新聞も買って、全部切り抜きました。その発表の2日目から、これに対する国内的、国際的な反論が盛大に噴き出した。一番大きな力はアメリカで、アメリカの政治家たちが日本にやってきて異口同音に、これまでの原発に対する政策をはっきりさせろと言った。国内では経済界がいっせいに反対した。経団連の会長が首相に電話でこう言った、「了承しかねる」と。野田政権は閣議決定を棚上げしました。原発を廃止するという彼らの新しいエネルギー政策を、一挙に取り消してしまう。原発の廃止については何一つ公式に言うことなしに、次の政権を担当しようとしている。これが日本なのです。(次号へつづく)

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マスコミ報道と維新の会
当会呼びかけ人・作家・宇江敏勝さん

 橋下氏はどんな人物なのだろう。若くて元気があり、発言も切れて挑発的である。そこをマスコミがもちあげる。知事や市長としての仕事ぶりには疑問が多かったが、国政にまで出てくることになった。
 これまでのマスコミ報道によれば、憲法九条の改定や集団的自衛権の行使を主張する安倍元総理と連携したい意向だという。九条改定は言わないが、改定の発議をする国会の議決をこれまでの3分の2から過半数にひきさげると主張する。めざす方向は明らかだ。靖国神社へは政府として参拝すべきだという。TPPへも参加する。
 これまでの保守党右派の主張とまったく変わらない。ちっとも新しくないばかりか、古色蒼然である。そのような考えの人々がまわりを固めているのだろう。
 しかも海の向こうでは竹島や尖閣諸島のさわぎがある。中国で日本人が殴られたり、製品の不買運動がおきれば、なにくそ、とこちらも感情的になる。九条改定や集団的自衛権にも心を動かされかねない。いっそのこと核兵器をつくろうとなるかもしれない。あぶない時代なのである。あまりむきにならないで冷静にかまえようとわたしは思う。
 橋下氏の言動を見ていると、歯切れはよいけれど、周囲の状況に乗っかって流されているように感じられる。困難にぶつかれば、あんがいもろく折れる人物のような気がする。

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【九条噺】

 尖閣諸島が日本の領土であり、どのあたりにあるのかということ以外は殆ど知らなかった。先日、朝日新聞で沖縄県石垣市の慶田城用武(けだしろ・ようたけ)氏へのインタビュー記事を読むと、多くの人たちが、この島での戦争中の悲惨な出来事を今も思い出して涙したり、不再戦を誓いあったりされている▼1945年6月30日、石垣港からの最後の台湾疎開船が出港した。慶田城氏(当時2歳)も母親、兄、妹の4人で乗っていた。しかしその満員の疎開船は3日目に米軍機の機銃射撃を受けて尖閣諸島の魚釣島に漂着した。その時すでに慶田城氏の兄を含めて死者は相当数に達していたという▼とりあえず島で死者は葬ったが、もとよりそこは食糧も何もない小さな島。たちまち一行は飢餓や病気にみまわれ、生存者たちが「忘れもしない悲惨な出来事、絶対に思い出したくもない」と口をつぐむような日々の中、8月18日に救助されるまでの45日間を奇蹟的に生き抜いたのである。いま、石垣島にはその時の犠牲者80人の名を刻んだ「慰霊の碑」が建つが、実際の犠牲者はもっと多いという▼「日本の領土を守れ」と叫ぶ政治勢力などから、尖閣列島戦時遭難者遺族会会長を務める慶田城氏への協力依頼も増えている。しかし慶田城氏は「政治目的に私たちの慰霊の思いを利用して欲しくはない」と拒絶する。「石垣は国境の島だからこそ『守る』のではなく、開いていった方がいい」とも。そのとおりだと思う。(佐)

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政府の憲法9条解釈の変遷

 日本国憲法9条は戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めており、素直に読む限り武力行使はできません。にも拘らず自衛隊が存在します。政府の公式見解はどのように変遷してきたのでしょうか。「九条の会」事務局・川村俊夫氏の論文からその部分の要旨をご紹介します。

●「個別的であれ、集団的であれ『自衛権』の名による武力行使を容認する余地はない」。これが日本国憲法制定当時の日本政府の公式見解でした。
●50年8月、マッカーサーの指示で警察予備隊が設置されました。このとき政府は、警察予備隊は、「日本の治安をいかにして維持するかということにその目的があるのであり、従って軍隊ではない」(吉田茂首相50年7月30日参院本会議)と言い逃れました。
●52年10月、警察予備隊が保安隊になり、政府は1回目の憲法解釈変更を行い、「憲法9条は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず『戦力』の保持を禁止している」と、一応「自衛」のためでも「戦力」は認められないとした上で、「保安隊等の装備編成は決して近代戦を有効に遂行し得る程度のものではないから、憲法の『戦力』には該当しない」と保安隊を「合憲化」しました。「戦力なき軍隊」という言葉が流行りました。
●54年7月、保安隊が自衛隊になり、本格的な軍備増強に乗り出すと、「戦力ではない」は通用せず、そこで2回目の憲法解釈変更を行います。「自衛権は国が独立国である以上、その国が当然保有する権利である。憲法はこれを否定していない」と2年前の統一見解を180度転換し「自衛権」を承認しました。その上で、「自衛隊のように自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」(54年12月22日、衆院予算委員会、大村清一防衛庁長官)と居直ったのです。論点はその戦力が「必要相当」かどうかに移され、やがて「自衛のための必要最小限度の実力」という言葉が定着します。
●問題はこの「必要最小限度」です。「日本も国際法上、集団的自衛権を有してはいるが、これを行使することは、憲法9条の下で許容されている必要最小限度の自衛権の行使の範囲を超えるので、憲法上許されない」というのが現在の政府の公式見解です。しかし、「必要最小限度」が、何ら自衛隊の戦力を制約するものでなかったことは、自衛隊がいまや世界有数の軍隊となっていることで明らかです。同時に、こうした言葉のもてあそびによる憲法9条破壊が国民の強い怒りを呼び起したため、これが、一面で自衛隊の行動に制約となっている事実も否定できません。「集団的自衛権」問題はその言い逃れの面と制約の面の双方とにかかわってきます。(おわり)
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 現在の公式見解では、「集団的自衛権」行使の主張は「必要最小限度」を超えるので、自衛隊存在の論拠がなくなります(本紙199号参照)。しかし、フロンティア分科会や自民党の「国家安全保障基本法案」は憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めるよう求めています。野田首相も自民党法案の「集団的自衛権」の一部を『必要最小限度』に含むのはひとつの考え方だと述べました。「『必要最小限度』は量的制限だから『集団的自衛権』も『必要最小限度』の範囲内だ」という理屈で3回目の憲法解釈変更の可能性も大いに考えられます。(編集部)

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日本青年会議所(JC)が驚くべき「憲法草案」発表

 日本青年会議所(JC)は10月12日、06年の憲法改正案に続き、「国家非常事態条項」を盛り込んだ新たな「日本国憲法草案」を発表しました。
 その前文は、「万世一系の天皇を日本国民統合の象徴として仰ぎ、…悠久の歴史と伝統を有する類まれな誇りある国家…。…日本国民は、和を貴び、他者を慮り、公の義を重んじ、礼節を兼ね備え、…独自の伝統文化に昇華させ、豊かな社会を築き上げてきた。…現在及び未来へ向け発展・継承させるために、五箇条の御誓文以来、大日本帝国憲法及び日本国憲法に連なる立憲主義の精神に基づき…」などとしています。その「解説」には上杉謙信まで飛び出すという、自民党草案以上に時代錯誤、古色蒼然。立憲主義の体をなしていません。
 天皇の元首化、国歌・国旗の押し付け、集団的自衛権行使の明文化、軍隊の保持、非常事態条項の制定、国民の憲法尊重義務など大問題の草案です。今後、次号以降で問題点を具体的に取り上げていきたいと思います。

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(2012年10月24日入力 25日修正)
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