「九条の会・わかやま」 205号を発行(2012年11月11日付)

 205号が11月11日付で発行されました。1面は、「第9回憲法フェスタ」開催 「守ろう9条 紀の川 市民の会」 、焦眉の問題は集団的自衛権(奥平康弘さん @)、九条噺、2面は、法とは役人・役所を縛るもの(吉田栄司さん @)   です。

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「第9回憲法フェスタ」開催
「守ろう9条 紀の川 市民の会」

 11月3日、和歌山市・河北コミュニティセンターで、「守ろう9条 紀の川 市民の会」が「第9回憲法フェスタ」を約100人の参加で開催しました。

 午前10時から、恒例となった「展示の部屋」では会員の絵手紙をはじめ、着物リフォームの作品や趣味の手作り小物、絵画など多彩な作品の展示が行われ、喫茶コーナーではコーヒーやお菓子などをいただきながらおしゃべりの輪ができました。隣の「映像の部屋」では、「辺野古不合意〜名護の14年とその未来へ〜」のDVDが上映されました。和室の「リサイクルひろば」では不要になった衣類などを持ち寄り、欲しい物を貰って帰るというやり方で、大勢の若いお母さんや子どもたちで賑わいました。

 午後1時からのメイン会場の第1部は、「楠見子連れ9条の会」の若いお母さんや子どもたちで編成した「紀の川スナメリ合唱団」が『スナメリ泳ぐ海』などを合唱しました。子どもたちも大きな声で歌ってくれて、感動的でした。

 第2部は、関西大学法学部教授・吉田栄司さんが、「改憲派は憲法を変えて日本をどんな国にしようとしているのか」と題して講演されました。(講演要旨は3回に分け別に掲載します)

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焦眉の問題は集団的自衛権

 「九条の会」は9月29日、「三木睦子さんの志を受けついで 九条の会講演会 ― 今、民主主義が試されるとき」を開催しました。呼びかけ人の大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の3氏が講演されました。講演要旨を「九条の会ニュース164号」から、順にご紹介しています。今回は3回目で、奥平康弘さんの前半部分です。

奥平康弘さん @

 寺島実郎さんが今年の『世界』6月号で、現今の最大の争点の一つである原発問題について書いています。自分は「原子力の基盤技術の維持と蓄積」こそ大事と考えているのに、今すぐ無くすなどというのはとんでもない間違いだと論じ、「私は、多くの『脱原発』の論調に、非武装中立論にも通じる虚弱さを感じる。敗戦国日本で、深い省察にたち、『二度と戦争に巻き込まれたくない』との思いで『非武装中立』を希求した人たちが存在したことも理解できる。しかし、峻厳な国際環境のなかで瞬く間に空虚な理想論にさせられていった。求められるのは、重層でたくましい構想力なのである」。
 私の学生時代には再軍備という政策指向が非常に警戒されて、それに対抗して「再軍備しない平和主義」という大きな枠組みで「非武装中立」という言葉が盛んに用いられていました。その言葉を彼は『世界』の論文で再び脚光を浴びさせ、「非武装中立」論が瞬く間に空虚な理想論になってしまったように、脱原発も空虚な理想論になる、というわけです。
 寺島さんは、瞬く間に空虚と化した、といいますが、60有余年の歴史のなかで、「非武装中立」あるいは「再軍備反対平和主義」などいろいろな言葉で言われてきた9条は、どのように闘われてきたか、闘われずにはすまされない状況のもとに置かれてきたか。  国際的に朝鮮戦争が起り、国内的に占領が終了する時期とほぼ重なり合って、50年の警察予備隊に始まって54年には自衛隊法ができる。そうすると政府としては、世論あるいは国会対策として、自衛隊法を正当化する課題に立ち向かわなければなりません。朝鮮戦争を経て占領軍がいなくなるという状況の中で、わが国をわが国だけで守る実力をもつことは、憲法9条第2項が禁止する「陸海空軍その他の戦力」に当らないと言い始める。そして集団的自衛権の対極にある個別的自衛権の理論として、内閣は今でもそう主張している。
 そして自民・社会の「二大政党制」を確立した「55年体制」の時には、憲法改正の手続きを定めている憲法96条の規定を乗り越えて、衆参両院の3分の2以上の多数を占める国会をつくろうと考える政治家たちが現れた。それが55年からずっと続き、憲法96条の規定、両院議員の3分の2以上の多数を得た後、国民過半数の賛成を得るという規定がその時以来ネックとしてのしかかってきている。
 初めは個別的自衛権だけだった。ところが湾岸戦争あたりから、アメリカが「旗を立ててやってこい」と言うようになり、だんだん自衛隊を海外に出す。しかしその頃に憲法改正を訴えたかというと、訴えても何の意味もない。国民の過半数はとれるかもしれないが国会で3分の2以上の多数をとれない。どうするかが問題になって、支配層にとって集団的自衛権が可能か可能でないかという議論と同じように、宿題になっている。
 さて今度は領土問題、なかんずく尖閣諸島が問題になっています。そうしたなかで、石原東京都知事は「憲法、憲法というというのはバカだと」と言わんばかりに、「憲法破棄」という言い方をしています。彼のレベルで何の学問的背景とか、それがもっている意味とか、それがもっている大問題とかを考えずに軽々しく「憲法破棄」という。
 橋下大阪市長はもっと怖い。橋下さんたちが「維新八策」の中で語っているポイントの1つに「憲法96条改正」がある。そして憲法9条に関しては2年間かけて議論し、国民投票をする。「日本人全体で9条をどうするか決めなきゃいけない時にきている。9条の改正内容については、政治家が論議し国民に決めていただく」、こう言っている。
 ところが国民の選択にまかせると言いながら、国民が9条を維持して、戦争はしないという「自己犠牲はしないことを選ぶなら、そういう国でやっていけばいい。それなら僕は、この国と別のところに住もうと思う」。つまり自己犠牲をしてでも戦うことを憲法9条は禁止している。それを国民が選ぶなら自分は日本を出て行く。そんなことを言う人がいる。(次号につづく)

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【九条噺】

 沖縄の普天間基地には、県民の猛反対を無視してオスプレイが12機も配備され、密集した市街地はなるべく飛ばない≠ニいう日米合意も完全に無視して連日、野放図に飛び回っている。日に幾度かは学校上空を轟音たてて飛行するために、そのつど授業もストップとか。周辺住宅地では振動で建具はがたつき、オスプレイ飛行に伴う低周波で住民らが精神的不快感をつのらせているという▼その沖縄では先日、帰宅途中の女性が米海軍兵2人に襲われ強姦されるという卑劣な事件がおきて県民の憤りの声がうずまいている。沖縄県議会は、この集団強姦致傷事件に対する抗議決議と意見書を全会一致で可決したが、県議会で米軍がらみの事件等に対する決議は72年の日本復帰後、これで実に100件目となった。復帰して40年経過しても沖縄の女性や子供たちの身の安全は、なお米軍によって脅かされて続けているのである▼オスプレイ問題や米兵による集団強姦致傷事件などからもハッキリ言えることは、日本復帰後40年を経過した今もなおアメリカの占領者意識が軍と兵士に根強くこびりついたままに違いないということだ。そして、こんな重大な問題に直面しても総理大臣は抗議するどころか、臨時国会の所信表明演説でも一言も触れずじまい。忠誠を誓うアメリカに遠慮したからか、それとも、まさか取るに足らない問題と思ったせいではないと思いたいが…。(佐)

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法とは役人・役所を縛るもの

 11月3日の「第9回憲法フェスタ」で関西大学法学部教授・吉田栄司さんが「改憲派は憲法を変えて日本をどんな国にしようとしているのか」と題して講演されました。その要旨を3回に分けてご紹介します。今回は1回目。

吉田栄司さん @

 憲法とは、国の仕組みと働きを決める基本法だ。法は色々あるが、憲法以外は法律と言い、憲法は法律ではなく、様々ある法律を縛る法と言える。憲法とは、国の役人(税金を取り、税金を使う人)の動きを全て定め、縛る法ということになる。目的は人々の命と暮らしを守るために税金は使われるべきだということになる。  1685年頃、イギリスのジェームス2世という横暴な王に対して、議会が王を支持する勢力をも含めて、「王が人々の命と暮らしを害している」と、「権利章典」という文書を突きつけて、「我々議会が税の取立ての基準を定める。勝手な税の取立てや引き上げは認めない。そうでないと民が苦しむ。役人に歯向かう民に刑罰を加えることは許さない。何を犯罪とするのか、どういう刑罰を科すのかは法で定める」とした。この文書が憲法の原型だ。憲法は人々の命と暮らしを守るために役人を縛る決りである。「法はみんなが守るべきものだ」と思い込まされている人が多いが、それは違う。法とは、みんなの権利を守るために、みんなの権利を定めて、そのための仕組みを定めて、役人・役所を縛る決りだ。役人の義務を書いているのが法律であり憲法だ。例えば、刑法は人々の権利を害した人は役人が出てきて裁判にかける。つまり、警察官、裁判官、刑務官を縛る法と言える。だから刑法は「最後の法」という言い方をする。人々の利益を害しない限り刑罰は科せられないから、権利の体系だということができる。
 憲法は明治期に日本に入った。薩摩・長州が中心になって徳川を潰し、大政を奉還させる明治維新が起ったが、彼らは法を定めるのは消極的だった。自分たちの考えを天皇に伝え、天皇の大政でリードしたいと思っていた。それに対して土佐・肥前では自由民権運動、ヨーロッパでは立憲政治、つまり、人々の暮らしを守るために民権を実現する政府を作り、そういう国の仕組みを作って近代化を図っている。自由こそ重要なのだ。自由とは、一人一人が身体的、経済的、精神的な自分を決定でき、自分の命と暮らしを追求できることである。それを追求するのが近代化なのだと主張した。この凌ぎ合いが続き、明治憲法は明治の半ばにやっとできたが、薩摩・長州が握って離さなかったのは、天皇があらゆる価値の源泉、主権の持ち主ということだ。人々は全てその家来だという位置づけでやっていくべきだとし、それに近いことをやっていたのはドイツ帝国で、1889年、ドイツ帝国の憲法を模範に、さらにそれに則して民法や刑法も作った。その下で日本は何をやったか。その5年後に日清戦争、その10年後は日露戦争。まさに大日本帝国憲法を作って人々を収奪し、徴兵制を敷いて、最終的には治安警察法から治安維持法の流れの中で、農民や労働者の権利を実現することは全くしない法制度を続け、日本の財閥たちの要求の中での侵略をどんどんやっていった。
 1920年代の一時期に人々の権利を守る方向にちょっと足を踏み出すことがあった。大正デモクラシーだ。それはヨーロッパで遅れていたドイツとロシアが戦争をした第一次世界大戦で、両国とも国王がおり、その両国の膝元で兵士、農民、女性、労働者が立ち上がり、ロシア革命勃発・ドイツ革命勃発となった。20世紀の2つの革命の影響が日本に現れたのが大正デモクラシーだ。平塚らいてうという人物に象徴される女性の権利の声、労働者・農民の社会主義的運動で、世界の新しい労働者の権利、子どもの権利、老人の権利等々を位置づけていた革命後の憲法を日本でも、の動きになりかかった。しかし、満州事変勃発以降の日本の動きは明治憲法の遅れた枠組み、全ての役人は「悪を成し得ない」、つまり何をやっても違法ではない。日本一の大地主、日本一の大金持ちは天皇であり、身近な地主、工場主に楯突くのは天皇に楯突く大罪であるとされ、治安維持法などで次々にやられて、それは1945年まで続く。根源には明治憲法の、全ての価値の源泉は天皇にあり、全て弱い者いじめでよく、役人は全て天皇の下僕で何をしても違法でないという法の枠組みがあった。(つづく)

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(2012年11月11日入力)
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