第2次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)民政局員として日本国憲法の男女平等などの条項を起草した米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのため、ニューヨーク市内の自宅で死亡した。89歳だった。親族が毎日新聞に明らかにした。
ゴードンさんは生前、「日本の憲法は米国の憲法より素晴らしい。決して『押しつけ』ではない」と主張し、9条(戦争放棄)を含む改憲の動きに反対していた。親族は、故人への供花をする代わりに、作家の大江健三郎さんらが設立した「九条の会」への寄付などを呼びかけている。
1923年、ウィーン生まれ。有名ピアニストだった父が東京音楽学校(現東京芸大)に招かれたことに伴い、一家で来日。5~15歳まで東京で暮らした。米国の大学に進学後に太平洋戦争が開戦。ニューヨークで米タイム誌に勤務していたころ、日本に残った両親の無事を知ってGHQの民間人要員に応募、45年に再来日した。
25人の民政局員の中では最年少の22歳だった。憲法起草委員会では人権部門を担当。10年間の日本生活で、貧しい家の少女の身売りなどを見知っていたことから、女性の地位向上を提案。14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映された。
米国に戻った後もしばしば講演などで来日。00年5月2日には国会の憲法調査会で意見陳述をし、「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。
また、ニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」などに勤務し、狂言の野村万蔵さん、版画家の棟方志功さん、茶道の千宗室さんらを米国で紹介。文化の橋渡し役としても活躍した。
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【九条噺】
韓国・釜山から元気な便りである。ある中堅の造船会社はこれまでも毎年自殺者を出すようなリストラをすすめ、2年前には一挙に400名もの希望退職を募るに至った。全面撤回を求める労組の活動の中で、1人の女性役員が事業所内の35mのクレーンに登って「高空籠城」。ツイッターで訴えた。このニュースは口伝でみるまに広がり、「籠城150日」には韓国全土からこの闘いと籠城の女性を励まそうと「希望のバス」が続々と集り、とうとう1万人を超える大集会になった。この中で会社も音を上げ、話し合いで双方合意の決着となった由▼このたたかいを記録しようと女性監督オ・ソヨンさんがドキュメンタリー映画『塩花の木々…希望のバスに乗る』を制作した。この映画の大阪上映で来日したオ・ソヨンさんのことばの中に、「希望の反対語は絶望ではない。無関心です」とある。修道女・マザーテレサも同様のことばを残している。「愛の反対は憎しみではなく無関心です」「信頼の反対は傲慢ではなく無関心です」「文化の反対は無知ではなく無関心です」▼「無関心」は、少々やっかいだが無視・放置はできない。それ故に私たちはいつも心してすべての人々によびかけ、「9条を守ろう」の絆を確かで強力なものにしたい。国会の勢力関係だけをみれば「9条は絶望」だが、現実は必ずしもそうならない。決着はやはり国民の声、というわけで、まさに正念場である。(佐)
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96条改定は「壊憲」
早稲田大学教授・水島朝穂氏が、HPに「憲法の危機とは何か ― 改憲か、壊憲か ― 」を書かれています。要約して2回に分けてご紹介します。今回は1回目。
水島朝穂氏 ①
そもそも憲法の本質は、権力を拘束・制限する規範であるという点にあります。つまり、国家権力の究極のチェック機能を憲法は持っている。そのため憲法とは本来、権力者にとってうるさい存在なのです。こうした考えを立憲主義といいます。
いま、その立憲主義を蹴散らす動きが生まれています。憲法により統制されるはずの権力者がそうした拘束を自ら解除し、「権力に優しい憲法」に改変しようとしており、それに抵抗する人々も減ってきています。
これは危機です。そうした動きの一つが、自民党の安倍総裁が主張する憲法96条の改定です。条文の「3分の2以上」を、「過半数」に改めるというわけです。
実は、この議論は非常におかしい。どこの国の憲法でも、その改正条項には加重した手続きがセットされており、それを一般の法律のようにコロコロ変えた方がいいというなら、そうなった瞬間にもう最高法規としての憲法の機能は劣化してしまうからです。憲法が持つ権力のチェック機能を緩めろと主張しているのに等しく、このような議論は立憲主義の否定にもつながりかねません。
そもそも、権力者に対する統制を弱めて誰が幸福になるでしょうか。権力者とはもともと、自由や人権を侵したい願望を持つものです。例えば、憲法21条に定められた表現の自由に、自民党がかねてから主張する「公益」「公の秩序」のような文言を挿入したら、その瞬間に裁判所はいらなくなります。表現の自由に対する過度な制約を争おうとしても、「公の秩序」に反しない限りの表現の自由にされていますので、裁判所の判断を待つ必要もないからです。
その結果、人権は縮減していく。96条を改正して幸福になるのは権力者だけです。にもかかわらず、そうした改正を主張する勢力を、改正で真っ先に不幸になるはずの国民が支持するというのは、実に愚かなことだと言わざるをえません。
このような動きが顕著になっている背景には、安倍氏と同じく横暴で、権力を行使する上での謙虚さや抑制感がなく、憲法には拘束されなくともいいと考えている勢力が台頭してきたからでしょう。その典型が、「日本維新の会」です。代表の石原慎太郎氏は、現行憲法について「占領軍がつくった憲法は廃棄したらいい」と主張しています。憲法は無効だから縛られなくともいいという乱暴な主張で、これは改憲論ではなく、「壊憲」論と呼ぶべきものです。
代表代行の橋下徹氏は石原氏と同様に権力の行使が露骨で抑制がなく、権力への畏怖の念がない人物です。そのため両氏は、自民党の長期政権下ですら控えられていた権力の禁じ手を次々と繰り出しています。(つづく)
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日本青年会議所(JC)憲法草案の問題点③
10月12日に発表された日本青年会議所の憲法草案の問題点を順にご紹介しています。今回は3回目。(前回は01/01付第209号)
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