「九条の会・わかやま」 214号を発行(2013年3月8日付)

 214号が3月8日付で発行されました。1面は、選挙結果にかんがみてのアピール②(奥平康弘さん ② )、日本国憲法の根幹を変える議員立法という「禁じ手」、九条噺、2面は、集団的自衛権に解釈改憲と「立法改憲」の動き(小沢隆一氏 ④ )  です。

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[本文から]

選挙結果にかんがみてのアピール②

 「九条の会」事務局は1月28日、安倍内閣の登場によって憲法をめぐる情勢は極めて緊迫しており、全国の九条の会の活動を一斉に活性化させたいと、新たな重大な情勢にあたって寄せられた呼びかけ人からのメッセージを発表しました。順にご紹介しています。今回は3回目、で奥平康弘さんの後半部分。

奥平康弘さん ②

 1955年に成立した自由民主党という名の保守合同のねらいは、「〝3分の2〟の崖」をこれで熟(こな)せる(征服できる)という計算があったからだといわれている。しかし現実は、その後、今日にいたるまでどんな選挙においても一度も熟すことができないでいるのである。
 このあいだの選挙においてはじめて、維新の会を典型とする改憲ムードの小政党の面々をかき集めれば「〝3分の2〟の崖」を熟す可能性があり得る、と社会支配層は想定するにいたっている。
 そうであるから、「九条の会」のわれわれは、あらゆる政治力を駆使して、来る7月の参院選挙に当たっては、「3分の2以上の崖」を熟せないようするために頑張るほかないのだ。ぼくにはそのためにどうすればいいのか示唆する能力はない。むしろ、全国各地において、各種各様にまたがって、歴史上かつて例を見ない質量の「九条の会」を誕生させ、独特な活動を繰広げて来ている諸賢ではないか。頭を働かせ、智慧をしぼり、身体を動かし、経験を注用して、思い思いの選挙運動を繰り広げていただきたい。かつてなかったような選挙成果をもたらしていただきたい。
 これから繰り出される政治戦略のかずかずは片時も気が抜けないものばかりであるが、ぼくがみなさんに一つだけアピールしたいものを挙げるとすれば、それは、安倍首相の打ち出すはずの集団的自衛権行使の可能論(解釈による憲法改正)を断々固として拒否しようということである。54年自衛隊法を制定するあたりから、「自衛のために必要最小限の『実力』を持って国土を防衛することは、憲法9条に違反しない」という解釈を内閣は採りはじめた。これが個別的自衛権論(あるいは後に専守防衛論)として打ち出されているものである。これ自身が非武装・非戦の平和主義を掲げた9条本来の建前に反するのではないか、9条の済し崩しではないかという議論が、ぼくの理解する「九条の会」の基本的な立場である。
 当初の内こそ個別的自衛権論あるいは専守防衛論で自民党その他の政治支配層は満足していたが、80年代後半あたりから中東方面の軍事対立が高まるとともにこの地域へのアメリカの軍事介入が当然化するなかで、日本自衛隊の、いろいろな意味での国際化(アメリカ軍事体系への組み込み)が始まる。この趨勢はもはや個別的自衛権で対応し得るものではない。こうして、イラク戦争遂行過程において、アメリカは盛んに集団的自衛権論を採るようにと日本政府へ強いプレッシャーをかけていたのである。アメリカから見たら事態解決は簡単である。日本の内閣が統一見解として示してきた解釈を、当の内閣が変更することは、自らの権限行使の範囲内の、当然に容易に出来ることではないかというのである。
 小泉首相の時、これをやろうとした。しかし、駄目だった。第一次安倍内閣も、一点突破すべく有識者会議を立ち上げてこの問題を検討させた。物々しい報告書が出てきた。集団的自衛権行使が必要なばあいを例示した。けれども、日本の自衛とはなんの関係もない友好国のためにする武力介入が、そもそも非武装・非戦の日本国憲法第9条の平和主義と矛盾抵触しないのか、そもそも憲法の解釈変更という範疇の国家行為を最高裁系統(司法)以外の機関がなしうるものなのだろうか。ぼくは、安倍首相がこの方面でやろうとしているのは、単なる解釈の変更ではなくて、石原慎太郎前東京都知事が愛用した憲法破棄というレッテルが一番適切だと思う。安倍首相に絶対やらせてはならないことの最たるものである。

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日本国憲法の根幹を変える議員立法という「禁じ手」

 川口創弁護士は、自民党が「国家安全保障基本法案」を議員立法という卑怯な手段で成立を狙っていることについて、「マガジン9」で次のよう警告されています。(要旨)

 「国家安全保障基本法案」は、内閣法制局に出した場合、憲法に完全に違反しているし、従来の政府見解とも異なりますから絶対に通りません。しかし今回は、内閣法制局を通さず、議員立法で出そうとしています。
 法案の通し方は二通りあり、政府が法律を提案する場合(「閣法」)は、内閣法制局が憲法に違反していないか、これまでの政府解釈に違反していないかをチェックします。矛盾が生じると法治国家として成り立たなくなります。内閣法制局が「行政府における法の番人」と呼ばれる所以です。内閣法制局は、明治18年に設置された歴史ある法制機関で、国家の根幹なのです。当時の大日本帝国憲法下でも、憲法審査権もあるし、解釈権も持っていました。
 これに対して、議員立法では、それを支えるために衆参両院に法制局がありますが、あくまで議員立法のお手伝いという立場なので、「この法律は憲法違反になるからおかしい」と提案者に突っぱねる権限も持っていません。基本的には提案した議員に言われた通りにやるのです。議員立法の場合は、閣法と違って、各省庁の摺合せなどをしているわけでも、憲法上の審査をしているわけでもありません。
 しかし、単純に数の力を借りてやれば、通すことは可能です。これは「禁じ手」と言えます。今までの憲法解釈を変えてしまう重大な法律が多数という数によって成立することになります。これは、法治国家、立憲主義の柱として積み重ねてきた内閣法制局のあり方自体を否定するものです。「国家安全保障基本法」の制定に向けて、自民党はこういう乱暴なことをやろうとしているわけです。

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【九条噺】

 先日、安倍首相はアメリカでオバマ米大統領と会談し、普天間基地(飛行場)を辺野古(名護市)へ早期に「移設」するよう申し合わせ、そのために辺野古の埋め立て申請を急ぐと公約した。普天間基地の即時撤去、辺野古新基地設置反対は「オール沖縄」の声であり、今年1月にも沖縄県知事・県議会・県内全41市町村長・市町村議会が安倍首相直訴行動で同趣旨の「建白書」を提出した。安倍首相はこの「オール沖縄」の声を無視してアメリカに笑顔を振りまいたのである▼普天間基地は、もとはといえば、1945年沖縄戦の最中に米軍が宜野湾一帯を支配下におき、普天間地区の民有地を強制的に取上げて飛行場にしたものである。戦後滑走路も延長、60年には海兵隊航空基地とし、72年の沖縄返還の時に日本政府がこの飛行場をアメリカに提供するという形式をとった。住民は土地や家屋もすべて強制収用され、仕方なしに飛行場周辺の狭い地域に集落をつくった▼米軍飛行場と隣り合わせの暮らしは大変だ。72年に沖縄に行った時、幾度も真上を米軍機が飛んだ。「頭の上スレスレ」と錯覚するほどで、機体の巨大さに圧倒され、その凄まじい轟音に会話も飛んだ。これが毎日数分間隔で繰り返されるような生活では、それだけでも憲法13条も25条も程遠い。ふと、「米軍基地は憲法9条違反」と断じた「伊達判決」(東京地裁・「砂川闘争」)を思い出した。(佐)

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集団的自衛権に解釈改憲と「立法改憲」の動き

 昨年末の総選挙で再び改憲派・安倍政権が発足しましたが、現在と改憲に突き進もうとした07年当時を比較すると、9条や平和をめぐる現在の情勢には特有の難しさが浮かび上がってきます。東京慈恵会医科大学教授・小沢隆一さん(「九条の会」事務局)が『月刊・憲法運動』に書かれていますので、その要旨を4回に分けてご紹介しています。今回は4回目で最終回。

小沢隆一氏 ④

 明文改憲の動きの一方で、解釈改憲や「立法改憲」の動きも活性化しそうである。もともと、安倍氏は、第1期政権の頃にも、明文改憲方針を掲げながら解釈改憲の道の摸索に執着して、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」を設置して、①米艦船が公海上で攻撃された場合の自衛隊艦船の対応、②米国に向かう弾道ミサイルへの自衛隊の対応、③国際的な平和活動における武器使用、④戦闘地域での輸送、医療など後方支援の拡大を審議させている。論理的に考えると、実はあまり整合的ではない明文改憲と解釈改憲の「両刀遣い」は、彼の得意とするところである。こうした「なりふり構わぬ」改憲姿勢が、小泉政権がなしえなかった課題に猛然と突き進んでくれるであろうという支配層の期待を集めると同時に、それに対して危機感をもった国民の警戒、とりわけ「九条の会」などによる「改憲反対」の世論の拡大を招いたのである。
 解釈改憲を求めるボルテージは、06~07年当時と同様に高まっている。とくに12年8月に公表されたアーミテージ元米国務副長官らがまとめた、いわゆる「第3次アーミテージ報告」が注目される。そこでは、集団的自衛権について独自の項目をたてて、「集団的自衛権の禁止は、米日同盟の障害物になっている。両国の部隊が、平時、緊急時、危機、そして戦時という安全保障の全段階を通じて全面的に協力して対応できるようにすることは、重要な権限付与である」と述べられている。そして、それは、明文改憲よりも差し迫った要求として語られている。
 憲法や条約に直接手を付けずに改憲の実質を積み上げていく手法は、合同演習や「武器輸出3原則」の見直しなどで進められてきたが、昨年8月に森本防衛大臣とパネッタ国防長官間で合意された「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」の再改定をめざしての協議も注意を要する。日米の軍事的相互運用性の向上は、「第3次アーミテージ報告」でも、「米海軍と日本の海上自衛隊は、歴史的に相互運用性を進めてきたが、新たな環境は、両国の軍全体の、また米国と日本の2国間の、きわめで大きな共同性と相互運用性を必要としている」と語られており、昨年12月に予定されていた「ガイドライン」再改定の実務者協議が、解散・総選挙によって中断されたが、安倍新政権、オバマ第2期政権の下で14年の改定に向けて進められようとしている。
 そして、すでに自民党が昨年の7月6日の総務会で決定した「国家安全保障基本法案」による集団的自衛権行使の立法による「正面突破」方策も警戒しなければならない。同法案は、「第10条 国連憲章に定められた自衛権の行使」として、「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態」における自衛権の行使を規定している。第1期安倍政権時の「安保法制懇」が、事例を限定して集団的自衛権行使の道を開こうとしていたのに対して、この法案は、集団的自衛権の全面解禁に他ならない。このような法案が、歴代自民党政府の見解、とくに内閣法制局の憲法9条解釈に支えられたそれとどのように整合しうるのか容易ではないだろう。また、連立与党の公明党の合意を得ることができるかなどもあり、おそらく深刻な議論を経ずして正式の法案に仕上げるのは至難の業とも思われるが、それでも、前述のように日本維新の会が、集団的自衛権の行使と「国家安全保障基本法」の整備を唱えていて、力強い援軍もいる。
 ここ数年の国会における立法の状況を見ていると、過去の憲法解釈や立法手法の慣行、立法手続のルールなどを平気で無視するケースが目立つ。例えば、原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言が盛り込まれた事例、社会保障制度改革推進法で、社会保障制度改革の基本として「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ」という理念をすえた事例、12年度の公債特例法で15年度まで赤字国債を自動的に発行できるようにした事例などである。こうした「荒れた立法」の状況を見ると、議会内での「談合」さえ成立すれば、「安全保障基本法」という一介の法律による集団的自衛権の全面解禁もありえないとはあながちいえない。国会の内外で警戒を怠らずに、こうした動きを事前に封ずる世論を広げていかなければならない。(おわり)

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(2013年3月17日入力)
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