「九条の会・わかやま」 218号を発行(2013年4月30日付)

 218号が4月30日付で発行されました。1面は、憲法改正手続き 「日本だけ厳しい」はウソ、異常の原因は日本の若者層を襲う貧困(二宮 厚美 氏 ③ )、九条噺、2面は、死の直前まで日本国憲法を守るために   です。

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[本文から]

憲法改正手続き、「日本だけ厳しい」はウソ

 安倍首相は、「日本だけが改正しにくい憲法になっている」と、96条の改定に意欲を示していますが、これは大ウソです。
 例えば、下の表のように、アメリカは各院の3分の2以上の賛成、さらに4分の3以上の州議会での承認。フランスは各院の過半数の賛成の上に、両院合同会議で5分の3以上の賛成、そして国民投票。ドイツは連邦議会の3分の2以上の賛成、さらに連邦参議院の3分の2以上の賛成。韓国は国会の3分の2以上の賛成と国民投票。と多くの国で通常の法律よりも厳しい規定が設けられており、日本だけが特別に厳しいという訳ではありません。どこの国の憲法にも厳しい改正手続きが定められているのは国民主権と立憲主義からの要請です。
 憲法改定は、与党だけではなく、野党も含めた、国会の圧倒的多数が合意して始めて発議できるものであり、これが立憲主義のあるべき姿といわなければなりません。


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異常の原因は日本の若者層を襲う貧困

「守ろう9条 紀の川 市民の会」総会で神戸大学名誉教授二宮厚美氏が「さし迫る戦後最大の憲法の危機~戦争する国への企みにどう立ち向かうか~」と題して講演されました。要旨を3回に分けご紹介します。今回は3回目で最終。

二宮 厚美 氏 ③

 日本の新聞は「第3極」などと訳の分らないことを書いているが、ヨーロッパ系の新聞は「維新は極右団体」と書いている。我々の若い時代は「若者は左翼」が当り前だったが、今は「右翼か左翼か」と言っても分らない世代になり、「右翼・左翼」の区別がなくなり、代りに「保守か革新か」が識別の基準になった。ところが今や「保守・革新」という言葉すら見かけなくなった。これが、橋下一派の躍進を若者が評価してしまう、判断の誤りを起す、自分の意見通りに投票しないで、逆に票が流れる、という恐ろしい問題を起した。
 安倍政権は磐石ではない。危険なのはその脇を固める維新やみんなだ。彼らは改憲の先頭に立ち、安倍首相より過激なことを言っている。安倍首相は参院選まで持ちこたえて、参院選をクリアすれば、維新やみんなを引き連れて憲法改正もやりたい放題何でも出来る。この構造が衆院選の結果生まれて日本の新しい起点を作るにいたった。
 現在「アベノミクス」がブームになりつつあるが、あれは参院選まで安倍政権が何とか無事に乗り切るための方便だ。参院選まで景気を見せ掛けでもいいから維持したいということだ。今一つは、これをやっておかないと今年秋に消費税引き上げをやるかどうかの判断が必要で、引き上げないということになれば大きな失点だ。見せ掛けでも株価を引き上げ、物価が上がるという形にしておかないと、参院選を乗り切り、消費税を引き上げることはできない…。だから、苦し紛れに「アベノミクス」は出されている。3本の矢はデフレ不況を射止めることはできるのか。
 1本目の矢(金融緩和政策)は途中で落ちてしまう。通貨量を増やしても、市中に出て行くかは景気が決めるのであって、日銀が景気をよくしたり、物価を上げたりは出来ない。
 2本目の矢(公共事業のバラマキ)は的には行くが、的に当たって落ちてしまう。関連企業で潤うところはあるが、国民の所得増にはならない。現在の不況の最大要因は国民の所得が落ち込み、消費に回らないというところにある。
 3本目の矢(国際競争力強化戦略)は最初から的外れだ。企業が国際競争力を強めるとますます海外に出て行き、国内の雇用は伸びない。だから、これは見せ掛けだが、踊らされている間に参院選が来れば、これで行けるとやっている。この欺瞞性をしっかり認識し、これでは国民の生活はよくならず、不況は打開できないことを明確にしておく必要がある。
 もうひとつは自民・民主の支持率が伸びないので、参院選が行われたら、共産・社民は全体として伸びる条件がある。維新の支持率は下がっている。あまりにも橋下のやり方が酷過ぎるからだ。民主からの票が維新に流れる可能性はあるので、流さないことが大事だ。消費税・原発・TPPなどの今の世論の趨勢を高めていくと、革新勢力は参院選で伸びるだろう。これはこの4年間を考えると極めて重要だ。維新やみんなに流れないようにすることがポイントだ。流れてしまうと衆院選と同じ結果に至ってしまい兼ねない。そのためには、特に関西では橋下をともかく押さえ込まないとダメだ。私は、先の衆院選の状況は、大阪府・市民は正気の沙汰ではないと思う。桜宮高校の体罰問題を始め、橋下のやっていることは無茶苦茶だ。
 何故こんなに異常なのか。原因は日本の若者層を襲う貧困だ。何故若い世代がある程度正常に判断できなくなってしまったのか。昔の若者も貧困だったが、貧困の質が違う。現在の貧困は20代から30代前半の雇用が崩れたことだ。雇用が崩れてしまうと自分の人生・生活をかけた仕事が見つからない。自分の仕事の見通しが全く立たない。大阪の若者の半分以上が非正規労働者だ。半分もが雇用が不安定で先行きの見通しがなくなると、まともに考えられなくなる。高校生も大学生も雇用・就職問題に振り回されて、通常のものごとの判断ができなくなる。これはかつて日本の若者が経験しなかったことだ。昔の若者は賃金は安くても働きながらものごとを考える、働く者の目から世の中を判断するという、極めて正常な判断が働いていた。これが崩れるという事態になると、我々の想像を超える意識の貧困を作り出すことになる。貧困を防止するための政策を打ちながら同時に、革新化する日本の高齢者が若者の保守化を食い止めるために、若者の奮起を促し、指導することを、これからの4年間に期待したい。(おわり)

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【九条噺】

 札幌市の上田文雄市長は4月の定例記者会見で、札幌市内の朝鮮初中高級学校に対する補助を今年度もおこなうことについて、「北朝鮮のこと(拉致問題や核実験等)は承知しているが、この予算は札幌で学ぶ子どもたちのためであり、政治の世界とは分けて考えるべきだ」と答弁、さらに「札幌で学んだこの子どもたちが、世界で、日朝友好関係を築いていく人格者になってほしいと願う」とした。首長として見識のある明快な答弁だと思う。今、こんな答弁が輝くのは、他方でかなりヤバイ動きも広がりつつあるからだ▼2010年、大阪府が朝鮮高級学校を高校無償化の対象外にするとともに、すべての朝鮮学校に対する補助金を凍結したことは既に当コラムでも紹介した。以来同様の動きは朝鮮学校のある27都道府県のうち8都府県にまで広がった。東京の町田市教育委員会は小学校新入生への防犯ブザーの配布を朝鮮学校だけ除いて実施した(後日配布)。肝心の子どもたちを見ないような〝灰色の教育行政〟はこわい▼学校法人・大阪朝鮮学園は約1600名の子どもたちが通う朝鮮学校10校を運営し、各校とも近隣の小中学校と親しく交流も続けている。しかし、府の補助金削減は学校現場を直撃し、教師は給与遅配や大幅ダウンで生活苦に陥り、保護者負担も中学生で毎月約20000円という▼「日本は民族教育の権利を保障していない」という国際機関の批判を誠実に受け止め、至急改めるべきだと思う。(佐)

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死の直前まで日本国憲法を守るために

3月30日「ベアテさんを偲ぶ会」で、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの娘さん・ニコルさんがスピーチされました。4月10日付の「九条の会」メールマガジンより抜粋してご紹介します。

     (ベアテさん)

 30年以上の間、ベアテは自分の役割について公には話しませんでした。 極秘事項でしたし、当時の自分が若く、弁護士の資格も持たない女性だったことで憲法に傷がついてはいけないと恐れたからでした。私は、いま58歳で、弁護士です。プロとして、また娘として大きなプライドをもってこう言います。約40年の専門的な経験を経た今でも、私には母のような素晴らしい仕事はできませんでした。母は法律の学位以上の大切なものを持っていました。それは日本を深く知り、愛し、日本に必要なことを正確に表現できる経験と感性です。
 仕事に熱心なベアテにとって退職はつらいことでした。しかし幸運なことにちょうどその頃、母の憲法への関りが日本で広く知られるようになりました。こうして退職の後、急に、愛する日本を頻繁に訪れる新しいキャリアが母に始まったのです。これは母にとって新しい人生ともいうべきもので、母は日本にとって大事なことにまた関れるのをとても喜んでいました。多くの方に乞われて日本憲法制定の歴史について講演し、憲法の、特に女性の権利、人権と平和の条項を守るように熱心に訴えました。講演の観客が多ければ多いほど、母は嬉しがりました。日本語と英語で本が出版され、母についてのドキュメンタリができ、芝居ができました。こうして人前にでる一つひとつの機会を母は喜びました。
 12月の初め、朝日新聞から日本の憲法についてのインタビューの依頼がありました。初めはいつというはっきりした指定なしの依頼でしたが、ベアテは憲法を変えたいという動きが日本にあることに敏感でした。母は勿論、平和憲法は変えるべきものではなく、他の国の憲法の模範であると思っていました。そして母は自分が死につつあることを知っていました。それ故にこの機会に、広い読者にメッセージがしっかり伝わる新聞紙上で、日本の憲法を支持するという考えを、自分の最後の強い意見として言う決意をしたのです。
 母は新聞社からの2つの質問への答えを口述で私に書き取らせ、それを電話で記者に読めるようにしました。それはもし弱りすぎていて自分で答えられない時のための用意です。その夜、タイプ、印刷した文章を母に渡しました。翌朝母がベッドに横になってそれを推敲しているのを見て、私は驚きました。ベッドから出られず日々弱くなっていく母を見ていたので、その時期に母にこんな力が残っているとは思えなかったからです。
 恐れていたとおり、木曜日には母はもう起き上がろうともしませんでした。インタビューは午後に予定されていたのですが、母は私に、朝のうちに新聞社に電話してくれるよう頼みました。それは体力が落ちて、話せなくなるのでは、という危惧からでした。母は最後の力を振り絞って、日本憲法を守るためにもう一度とインタビューに臨んだのです。ベアテは日本で平和のために活動している方たちを力づけたいと望んでいました。
 そして10日後に母は亡くなりました。日本憲法によって日本人を守るために、自分はできるだけのことをしたと自覚しながら母は死んでいきました。彼女の最後の仕事はこうして終ったのです。
   みなさま、母の遺志と残したものを大事にして下さり、ありがとうございます。日本の人々が世代を超えて長い間日本憲法を守っていけるように、皆様は、きっとこれからも若い人たちに日本の歴史と、日本の女性の歴史を伝えて下さるでしょう。私はベアテの灰を一部、日本に持ってきました。生前、母の心と精神がいつもそうであったように、母の一部は日本に、富士山の見えるところに眠ります。

  (ニコルさん)


全文→ http://www.9-jo.jp/news/MagShousai/MMS130410.htm#d

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(2013年5月2日入力)
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