小沢隆一氏 ②
自民党改憲案には3つの特徴的な部分がある。第1は、戦前のような復古的、反動的な国家を目指す部分があちこちに含まれている。前文には「日本は天皇を戴く国家」とある。国民主権とは全く話が違う。「元首」「日の丸・君が代」など戦前を復活させるかのような中身になっている。基本的人権では「個人として尊重される」を、個人ではなく人に変えて、個性を発揮する人を排除する考えで人を見て、期待される人間像を描いて憲法を作っている。現憲法には「公共の福祉」という言葉が使われているが、私たちの人権は「公共の福祉」に反しない限り保障するとなっている。「公共の福祉」とは「みんなの幸せ」ということで、そのためには人権は制限される場合もあるということだ。自民党の改憲案には「公益及び公の秩序」に権利は従えと変えている。「公益及び公の秩序」は「みんなの幸せ」とは意味が違い、上から制限をかけてくる理屈に使われる。「公益及び公の秩序」を自民党改憲案は表現の自由にも使おうとしている。表権の自由は人間が最も人間らしい、個性が発揮される場面だ。自民党政府は国家秘密法案を用意しているが、その動きと関係があるが、表現の自由に「公益及び公の秩序」を課し、大切な表現の自由を権力の都合で制限しようというのが自民党改憲案だ。
24条には「家族は社会の自然的な単位であって家族は相互に助け合わなければならない」と書いている。自然的な家族しか守らないと宣言しているようなものだ。シングルマザーやグループホームなどもあるが、そんな家族は面倒をみないと言うものだ。「家族は互いに助け合え」ということになると社会保障の削減を憲法で正当化することになる。こういう規定に象徴されるように自民党改憲案は戦前復古的なものがあちこちにちりばめられている。何故圧倒的な国民から反発を食らうような案を出してくるのか。それは自民党が野党ぐらしをしている時にこの改憲案が出来たことに根拠がある。自民党に寄ってこない人を気にすることなく改憲案を作ろう。一方戦前が大好きな人、憲法を変えたくて仕方がない人に、こういう改憲案を作って改憲を呼びかけることには意味がある。国民から評判の悪い改憲案だが、今これで改憲派・右翼は元気になっている。自分たちが多少乱暴なことをやっても安倍内閣の下では大目に見てくれると思っている。東京・新大久保で韓国・朝鮮の人たちに対して嫌がらせをやっている人たちは、それで図に乗っている部分がある。そういう人たちを勢いづかせるということではこの改憲案は非常に問題だ。我々が問題だと声を上げていかないと、彼らはのさばってしまう。
2番目の問題は、新自由主義的な構造改革路線、弱肉強食の社会を是認する路線を推進しつつ、そのお墨付きを与えることを憲法にやらせようという部分が含まれている。現憲法では83条で、国の財政は国会中心主義でなければいけないと定めている。ところが自民党改憲案は「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない」と入れようとしている。どうやって財政の健全性を図るのかが大事なポイントだが、今、日本の財政が借金だらけになってしまっているのは、税収が入らないからだ。税収が入らないのは金がないからではない。大企業の内部留保や金持ち減税で金は溜まっているが、その金は今のデフレ状況で製造業に回らず、結局、国の借金である国債を買うことに回るという仕組みになっている。こういう奇妙な経済運営をほったらかしにして国民の納める消費税に財政再建の役割を持ってもらうということでやってしまったのが昨年の「社会保障と税の一体改革」だ。しかし、それだけが財政の健全化策ではない。自民党改憲案は「財政の健全性は、法律の定めるところにより」としていて、今ある法律で財政の健全化を図ることになっており、昨年来作った法律の下でやることになる。消費税増税に頼ることになる。これは結局権力に都合のいい財政運営の仕方をそのまま憲法が認めてしまうということに他ならない。地方自治もこれからは基礎的な地方自治体・市町村は住民のニーズを担えるように、総合的な自治体にならなければいけないと、大きな自治体への流れを憲法でも作ろうとなっている。そして、生じた住民のニーズは住民自身が公平に負担する義務を負えと憲法に書こうとしている。これらはこの間に進められてきた新自由主義改革に憲法がお墨付きを与え、もっと大規模に進めようとする部分だ。この部分は改憲が行われる前に実績作りが進められているので、なかなか巻き返すのは大変だ。まず、これを押止めて、違った経済や財政のあり方、福祉・教育の保障の仕方、労働環境を整備する必要があるので、我々も軽視しないで注意深く見ていく必要がある。(つづく)
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【九条噺】
安倍首相が国連でおこなった演説を聴いた。女性の人権問題に関してもかなり力を込めて訴え、「憤怒すべきは21世紀の今なお武力紛争の下、女性に対する性的暴力がやまない現実だ。犯罪を予防し…女性の人権を守る国際的取り組みを支援する」とした。しかし、各国が注目していた旧日本軍「慰安婦」問題については全く触れなかったため、かえって違和感を広げ、怒りをまねいた。韓国はただちに「人権問題を取り扱う国連第3委員会で日本の法的責任を求めたい」と表明している▼「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」は、声明を発表し、安倍首相の言う「紛争下の性暴力云々」と「慰安婦問題」とは同一線上にあり、この問題で日本政府の謝罪と賠償を勝ち取ることが現在の性暴力への「不処罰の連鎖を断ち切り、ひいては根絶することにつながるもの」だと指摘している▼「同全国行動」は、基本的には、安倍首相と安倍内閣がアジア諸国に対する侵略の加害責任と正面から向き合っていないことこそ最大の問題であると指摘し、歴史的事実と加害責任を直視して被害者への謝罪と賠償を直ちにおこなうよう求めている。また「同全国行動」は、初めて韓国女性が「慰安婦」被害者として名乗り出た1991年8月14日にちなんで8月14日を国連の記念日とするよう求めていくことを決めた▼汚され辱められた多くのオモニらに少しでも笑顔が戻るように。(佐)
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安倍首相の「積極的平和主義」???
安倍首相は国連総会で、「日本は、積極的平和主義の立場から、国連平和維持活動をはじめ国連の集団安全保障措置に対し、より積極的な参加ができるようにする」と発言しました。これは国連決議を根拠に多国籍軍や国連軍への参加も企図するものです。集団安全保障とは、国連加盟国が武力攻撃を受けた場合、他の加盟国が共同で軍事的な制裁措置をとるもので、集団的自衛権とは似て非なるものです。
これまで日本政府は、集団安全保障による武力行使についても、集団的自衛権と同様「憲法に抵触するため行使できない」との立場をとってきました。日本のPKO参加も武力行使しないことを前提としています。
首相は、国連主導の安全保障への参加も掲げることで、憲法解釈変更の論拠を補強しようという狙いが見え見えです。積極的平和主義の名で、集団的自衛権の行使容認を含む憲法解釈の変更を推し進めようとすることや、首相の私的な懇談会の提言を「錦の御旗」に、長年定着している政府の憲法解釈を一内閣が変え、憲法の趣旨を変質させることは、絶対に許されません。
安倍内閣は、外交・安保の司令塔として日本版NSCの設置法案や、特定秘密保護法案の成立も目指しています。
首相は「私を右翼の軍国主義者と呼びたければ、どうぞ呼んでいただきたい」と開き直っています。ヨーロッパやドイツで、「私をナチスと呼びたければ、どうぞ呼んでいただきたい」と発言したら、どういうことになるのでしょうか。真の国際貢献は、過去の歴史を直視し、その反省から生まれた憲法の平和主義を厳守してこそ可能になることは言うまでもありません。
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