柳澤 協二氏 ③
安保法制懇の報告書にも「国際秩序破壊を防ぐ」とか「同盟を維持するために」とかが書かれているが、アメリカは戦争をする時は「国際秩序を維持するため」と必ず言う。全ての戦争はそれに該当する訳だから断れない。断ったら日米同盟崩壊だ。集団的自衛権を行使するため6条件は決して歯止めではなく矛盾に満ちたものだ。アメリカの船が攻撃された時「総理が判断し、閣議決定し、国会承認を受け」ていたら沈んでしまっている。現場の判断だとすれば、ある日気がついたら総理も知らない間に戦争になっていたということにもなりかねない。最高裁砂川判決は「米軍は日本の支配下にないから、憲法で禁止されている戦力ではない」というもので当り前のことだ。しかし、これが一番の問題で、今日の沖縄基地問題の源泉はここにある。これをベースに集団的自衛権を正当化するのは私なら恥ずかしくて出来ない。「必要最小限」とか「これに限定」とかにすると世論調査では一番多い賛成が出る。そこをしっかり分析していく必要がある。「必要最小限」は従来の政府の解釈と同じと言っているが、それは違う。今までの解釈は「日本が攻められた時に防衛するための必要最小限度は許されるから、そのための自衛隊も許されるし、自衛権の行使も出来る」ということで、「必要最小限」には目的があって成り立つ概念であり、言葉にごまかされてはいけない。「日本が攻められた時に守るための必要最小限度」と政府は言ってきた。それを「日本が攻められていないのに他国を守るための必要最小限度」なんてそんなものはあり得るのかということになる。その部分でもこの話は非常にトリッキーだ。
今までのように憲法を守れというだけでいいのかということになってきているし、日本はどうしたらいいのかということになってきた。対米従属という批判は右からも左からもあって、安倍首相はアメリカと対等になるということで右から解消しようとしている。鳩山由紀夫元首相は左からそれを解消しようとした。やり方は2つあり、コストを減らすのが鳩山首相、コストをかけて取るものも取るというのが安倍首相だ。アメリカから頼まれてもいないのに、集団的自衛権でアメリカの船を守るから、日本の大国としての地位を認め、尖閣で事が起きた時に巻き込まれてくれとかいうのが安倍首相だ。正しい答えは中間にあると思うが、それを我々が示していくことが、この議論にコンセンサスをもって決着をつける道だと思う。戦後の日本ブランドである、日本の「人材育成」「3・11での助け合い」「武器を売らない」「他国の戦争に介入しない。つまり集団的自衛権不行使」「銃を撃たない」などをもっと大事にしなければならない。日本は経済的には世界3位になっているが、3位はすごいことだともう一度考え直して、もう一度価値観を作り直す必要がある。
そうは言っても今一番の国民の関心の的は尖閣だ。戦争の原因は資源、軍事上の要求、ナショナリズムの3つがある。尖閣に資源はないし軍事的にも大事ではない。今アメリカと中国が張り合っているのは西太平洋で、第1列島線と第2列島線に挟まれた地域で、そこにアメリカの空母がおれば中国本土を自由に攻撃出来る。そこに中国の原子力潜水艦がおればアメリカ本土にミサイルを撃ち込むことが出来る。その西太平洋に抜けるところに沖縄がある。だから、アメリカの要求はアメリカの船を守ってくれではなく、日本がそこをちゃんと守ってくれということだ。そこから考えるとあんな狭い尖閣を取り合っても軍事的には何の意味もない。これはナショナリズムの象徴だ。ドイツのカール・フォン・クラウゼヴィッツは「戦争の三位一体」(1830年頃)という有名な言葉を残している。戦争をしようとすれば、有能な軍隊があり、政府がきちんと判断し、何よりも国民の感情を煽らねばならないと言っている。今でも戦争をするためには国民世論を盛り上げなければ戦争なんて出来ない。逆に戦争をしないために一番必要なことはナショナリズムを鎮めることで、そこで政治の理性が働くかどうかが一番大事なのに、日本も中国も韓国も逆のことをしている。今の北東アジアの危機の本質は、政治がナショナリズムを煽っていることだというのが私の結論だ。だから、最低限の防衛力は持たなければならないけれど、こちらが強いと大声を出せば、向こうだって負けてなるかともっと強くなる。これを専門用語で「安全保障のジレンマ」と言う。だから、抑止は静かにやるものだ。大声で言うのは軍事戦略的には馬鹿げたやり方だ。ナショナリズムは妥協の余地がないが、妥協はしてもいいのだ。戦争を起さない手立てはいくらでもあるのに、逆のことをやっている安倍政権が最大の脅威だ。(おわり)
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【九条噺】
日中戦争は1937年以後、第2次大戦での日本敗戦までの8年間戦われた。戦争を前に植民地経済研究者の矢内原忠雄が述べている。「(支那問題の中心点は)民族国家としての統一建設途上に邁進するものとしての支那を認識することにある。…この科学的認識に背反したる独断的政策を強行する時、その災禍は遠く後代に及び、支那を苦しめ、日本の国民を苦しめ、東洋の平和を苦しめるであろう」(中央公論37年2月号)▼事実はその通り。この戦争での死者は日本人18万9千人、中国人1千万人だという。日本軍による南京大虐殺、重慶爆撃、「抗日根拠地」を擁する村全体を「殺し尽し・奪い尽し・焼き尽す」という残虐極まりない作戦で甚大な被害をもたらした。戦争では多数の農民も徴発され、犠牲にもなって激減し、広大な農地も戦場化などで荒廃を極めた。河南省では加えて大干ばつも重なったために食料が絶対不足に陥り、餓死者だけでも3百万人を超えたという▼この戦争が中国の経済に与えた影響も深刻である。30年代、中国の資本主義化は一定の進展をみた。特に35年の通貨制度改革が成功し、36年から好況に転じた。しかし直後に日中全面戦争となり経済的な発展は頓挫、戦争経済へと切り替えたが、たちまち破綻寸前に追い込まれた。飢餓も経済の失速もすべて日本の侵略こそが決定的な原因であり、こうした苦難の歴史と記憶がそのまま中国人の対日感情の原点となったのではないかと思う。(佐)
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「くまの平和ネットワーク」憲法講習会を開催
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