来年に日本は戦後70年を迎える。今年のヨーロッパは第1次世界大戦開始から100年目であり、第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦から70年目となる。
戦争は国家間の戦いであるが、戦争に対する国家の意志と国民の意志が各国でも乖離している現実がある。そこで戦争は往々にして国民多数の無関心・無知の中で、一部の国粋主義的政治家や偏狭的愛国主義者による煽動、上層軍部の暴走で勃発する。開戦すると言論の自由が奪われ、人権が踏みにじられ、国家主義がますます煽り立てられ、戦死者の増加で敵国への憎しみが増殖される。このため戦争終結は困難を極め、死傷者数は軍人よりも一般市民に多くなり、終戦時には勝者も敗者もともに疲弊する。戦争は無駄であり、環境破壊は言うに及ばず、蓄積してきた市民の文化遺産や生命財産が破壊されてしまう。
戦争中の大震災も、政府や新聞などの報道規制により被災状況すら国民に隠される。被災者は国民支援を受けられず、物資が窮乏する中で自助だけで復旧する地獄の苦しみを生き抜くしかない。敗戦直前の1944年の東南海地震(M7・9、死者1223人)と45年の三河地震(M6・8、死者2306人)は戦中に隠された大震災で、戦争という人災が天災をより過酷にした事件であった。
これらのことを日本人は身をもって体験し、廃墟の上に国民主権の平和憲法を手にした。にも拘らず今の為政者は、「国民の生命・財産を守るために軍備を強化し、戦争ができる国にしておくのが務めである」と、矛盾した主張を展開する。為政者が国家に責任を持つとは、本来的にそうではなかろう。戦争体験のない為政者は戦争の惨めさを想像できないのだろうか? 政治家である前に、人間としてのあるべき姿に立ち返って欲しいものだ。彼らの仕事は国民の福祉の充実と非戦による平和社会の構築であるべきだ。ユネスコ憲章前文冒頭を飾る有名な言葉に「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」がある。これを補う言葉として「相互の風習や生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の人びととの間に疑念と不信を起し、それがしばしば戦争の原因となった」と述べている。世界平和の構築には、国家の枠を超えた市民間の国際交流・国際理解・多文化共生に向けた学習や交流、国際連帯が求められる。だが、インターネット時代とはいえ平和に向けた市民間の知的交流がまだ十分に成熟しているとは言い難い。そこには言葉の問題もあろう。
私は60年前の高校時代から当時のチェコスロバキアの高校生(女性)と中立・公平で易しい世界共通語エスペラントで文通を続けて、社会主義国の人びとにも家族愛、他者への思いやり、人情深さがあり、日本人と同じであることを知った。定年退職後すぐに妻とチェコの彼女を訪問した。そこはポーランド国境に近く、日本人訪問者が初めてという町であり、彼女はソ連時代のマンション風の住宅に居住していた。日本人の私たちを見ようと近所の人々が集まり夕食を準備してくれた。訪問中は彼女の案内で古い教会を訪ね、屋根裏からパイプオルガンを手動で操作するフイゴなども見学し、町の小学校で日本の話をし、隣町にあるザトペック(52年ヘルシンキ・オリンピックのマラソンの優勝者)の家を見物した。また、車でポーランド国境を越えて2時間の所にあるアウシュビッツ強制収容所も一緒に訪ねた。収容所見学に付き合ってくれたポーランドのエスペランチストが近くの会員を集めて夕食会も開いてくれた。会食で私はアウシュビッツ強制収容所の印象を述べ、この強制収容所と広島の原爆ドームはともに人類の負の世界遺産であり、二度とこのような悲劇を繰り返してはいけないと強調した。日程を終えてチェコからオーストリアのウィーンに向かう列車に乗るため、私達をオストラヴァ駅まで彼女と息子さんが見送ってくれた。別れのプラットホームで演歌「悲しい酒」を披露し歌った。再び会えないかも知れない彼らは、涙を流しながら離れ行く私たちに向かっていつまでも手を振ってくれていた。このような関係を深め合った人たちが戦争で殺し合うことがきるだろうか? 私たちは戦争と平和に関して、人間として、地球市民として共に平和について辛抱強く地道に対話を深め、戦争に向けた国家の暴走を、国境を越えた国際連帯で阻止したいものである。
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【九条噺】
S・I・ハヤカワ(1906~92年。米国の言語学者、政治家)の『思考と行動における言語・第2版』(原著1964年。大久保忠利訳65年)に「平凡なコトバの役割」の一節がある。「人に一致の機会を与えることがいかに必要かを示す事件がある」として、1942年初め日米開戦後のウィスコンシン州の小さな停車場での逸話を記す▼2、3時間の待ち合いのおり、スパイの噂が盛んで日系人の筆者に皆の目が集まり、特に子連れの夫婦が不安げだ。筆者は夫君に「寒い夜に汽車が遅れて困ります」と話しかけ、夫君は同意。「汽車の時間が当てにならない冬に子連れの旅は骨折れでしょう」と話しかけ、また同意。子どもの年齢を聞き、年の割に大きく丈夫そうだと話し、また同意。ほぐれて、男から筆者に「気を悪くなさらないで。日本人はこの戦争は勝てると思っていますか」と問い、筆者は新聞ラジオの論調どおり「日本は資源と工業力が限られアメリカのような工業国を破るのは難しいのでは」と答えると容易に一致し、男はほっとした。そして日本に縁者がいないか気遣う。父母と妹がいて連絡もできないと答えると夫婦は同情的になり、10分ほど話すうちに二人は筆者を家に招いて食事を共にする▼今、日中韓の政治関係は冷えている。中韓にも問題はあろうが、過去を否定し集団的自衛権容認で憲法9条を壊し、力で押す日本の問題が大きい。中韓の発想法を理解し一致を重ねて説得すべきだろう。(柏)
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当会呼びかけ人・宇江敏勝さん
熊野の伝説、『鬼の哭く山』出版
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