「九条の会・わかやま」 256号を発行(2014年10月14日付)

 256号が14日付で発行されました。1面は、個別的自衛権と自衛戦争は全く別のもの(伊藤真さん A )、第5回「ランチタイムデモ」実施 、集団的自衛権NO! 楠見でもデモ、九条噺、2面は、不条理な戦争−軍隊や武器で紛争を解決する戦争は幻想だ− @  です。
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[本文から]

個別的自衛権と自衛戦争は全く別のもの

 9月16日、和歌山県民文化会館で和歌山弁護士会主催の市民集会が開催され、弁護士・伊藤真氏が「集団的自衛権とは何か〜その現状と問題点〜」と題して講演をされました。要旨を4回に分けてご紹介しています。今回は2回目。

伊藤真さん A

 そうは言っても日本が攻撃された時、日本国民を守るための実力行使はぎりぎり認められるはずだと言って、日本政府は、自衛戦争を含めたあらゆる戦争は放棄するが、個別的自衛権だけは例外的に認められると言ってきた。どこの国も自衛の名の下に戦争をする。戦前の日本やヒトラーも自衛の戦争だと言い続けた。だから、自衛の名の下に海外での武力行使は一切しない。しかし、個別的自衛権を行使することと自衛戦争は全く別のものだと区別してきたのが日本政府のこれまでの解釈のポイントだ。自衛の名の下での武力行使を認めると際限がなくなり、自衛の名で何でも出来ることになるので、日本が攻撃された時でないと武力行使は出来ないとした。
 「世界のほとんどの国は海外に出かけ『平和のため』の戦争をするが、日本はそれが出来ない。国連軍に参加したり、PKO・PKFに参加したりも出来ない。NATO軍は集団的自衛権を行使して参加しているのに日本は出来ない。外国が一生懸命戦っている時に出かけていけない日本は半人前以下だ。海外に出かけて行くのが普通の国だ。そういう普通の国にならないとこれだけ経済大国になったにも拘らず、日本が一人前扱いされない」と、自民党は2年前に憲法改正草案を発表した。「天賦人権説」を見直すとか、世界の普通の国と同じように軍隊を持って戦争が出来る一人前の当り前の国になると発表した。何故そうするのか、日本古来の伝統を踏まえた自主憲法を制定し、集団的自衛権を容認して国防軍を創設し、日米同盟を強化し、軍事力による国際貢献出来る「強い国」にしたい。これだけの大国になったのだから、大国らしい振舞いが出来る普通の国にならないと、という訳だ。お金だけでなく軍事力による国際貢献、日本の若者の命と血を差し出すことが必要だとする。集団的自衛権を行使してアフガンに出かけたイギリスは450人、カナダは160人ぐらいの若者が死んだ。アメリカの戦争に馳せ参じて自分の国の若者の命を差し出す、それが軍事力による国際貢献であり、それが一人前の当り前の国だ。そのような国にしようというものだ。
 自民党改憲草案は、国民に国防の義務を課す。平和的生存権や交戦権否認を削除し、国防軍を創設し、集団的自衛権を行使出来るようにし、国際協力・治安維持の名の下で軍隊が活動出来るようにする。機密保持や軍法会議もつくる。いざとなれば緊急事態宣言も行う。こういう国にしたいと発表した。改憲草案はゴールを明確に示している。安倍政権はゴールに向けて順番に、秘密保護法、集団的自衛権行使容認を行い、災害対策を名目に緊急事態条項も入れ込んでいくだろう。着々とひとつひとつ進めている。このように憲法が変われば私たちの生活は大きく変わる。徴兵制、軍事費増大、増税、社会保障削減、潜在的核抑止力のための原発維持など私たちの生活は様変わりする。第1次安倍内閣も教育基本法改正、防衛省への格上げ、国民投票法の制定など、やることはきちんとやっている。第2次安倍内閣ではマイナンバー制、日本版NSC、秘密保護法、武器輸出の原則容認、そして7月1日の閣議決定となった。憲法改正はハードルが高いと感じて、解釈の変更によって憲法改正に代えていこうとしている。日本を「戦争が出来ない国」から「戦争が出来る国」にするのは大転換であり、本来は国民的議論をして大本から変えていくべきだが、そうではなく、まず運用を変えて、解釈を変えて、個別の法律を変えて、国家安全基本法を作って、最後の仕上げとして改憲ということになるのだと思う。何故逆向きにやるのか、憲法が変わった時、もう準備万端整っているようにするためと、国民が気付かない内に憲法が実質的に変わっていたというようにするために着々と進めている。(つづく)

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第5回「ランチタイムデモ」実施



 10月1日、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が呼びかけた5回目の「憲法の破壊を許さないランチTIMEデモ」が行われました。市役所前から京橋プロムナードまでを、約100人が行進しました。次回は11月7日です。

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集団的自衛権NO! 楠見でもデモ

 7月29日の、和歌山大学近くのショッピングモールも含む北部のニュータウン「ふじと台」でのデモにつづき、今度は「楠見子連れ9条の会」から、10月31日(金)に「楠見でもデモ」をやります!とのお知らせが届きました。楠見は和歌山市の「紀の川」の北岸、国道26号線和歌山北バイパス辺りの地域です。
(http://home.384.jp/kashi/9jowaka/tirasi/kusumi-demo.htm)

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【九条噺】

 今年のノーベル平和賞は、パキスタンの女子学生マララ・ユスフザイさんとインドのカイラシュ・サティヤルティさんに授与されることになった。世界中から推薦された278候補から選定されたという▼2人に讃辞を贈りたい。マララ・ユスフザイさんは13年12月28日付の本紙235号の「九条噺」で取り上げた。筆者(佐)氏は「私たちはすべての政府に子どもたちへの無料の義務教育を確実に与え、すべての政府がテロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。自分たちの言葉の力を信じ、教育という目標で連帯しましょう。1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界は変えられます」などの、国連での彼女の演説を「いやぁ、素晴らしい演説だった」と賞讃している▼ところで、今年の平和賞は「憲法9条」が話題になったが、「憲法9条を保持する日本国民」は残念ながら受賞を逃した。しかし、小森陽一「九条の会」事務局長は「今回、国内外で注目されたことで、解釈改憲など9条の理念と反対のことをしようとしている安倍政権のまやかしを浮き彫りにすることができた」と語っている。今後の受賞を期待したい▼もし、受賞したら日本国民の代表は誰か? 安倍首相か? 彼が苦虫を噛み潰したような顔で受け取る姿を想像すると楽しい。いや、ちょっと待て。来年の授賞式まで14カ月もある。それまで安倍政権を続けさせてはいけないのだった。(南)

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不条理な戦争
−軍隊や武器で紛争を解決する戦争は幻想だ− @


 当会呼びかけ人・江川治邦さん(エスぺランチスト)にご紹介いただいたレオ・ロベールさんの「不条理な戦争」を3回に分けてご紹介します。今回は1回目。

レオ・ロベールさん(フランス人・元小学校教師)

 私の生まれは1914年7月3日。直後の8月2日、私の父は召集されて家に1カ月の赤ん坊と、6歳と2歳の3人の子どもを残して出征しました。父が召集解除されて家に帰ったのは4年4カ月後で、私はもう4歳になっていました。父も子どもたちも一緒に暮らす楽しみがなかったのです。幸い父は戦死することなく、見たところ元気に帰ってきました。しかし32年にわずか48歳で亡くなりました。多分17年の戦場で受けた毒ガスが原因でした。戦争に行く前は田舎の安サラリーマンでした。祖国を守るため52カ月の地獄の苦しみの後、相変わらずつつましい生活を続けていました。父が防衛に努めた祖国や資産家たちからの感謝が具体化したものは勲章! 彼が特に運がよかったと思わざるを得ないことは、戦死150万人、戦傷身体障害250万人の中に入らなかったことでしょうか。
 父は当時の状況からあんな恐ろしい戦争は今後は起らないだろうと信じていました。ところが、彼の2人の息子が39年、第2次大戦に召集され、私も順番に戦場に駆り出されました。私は35年から37年まで、モロッコで兵役に服しました。モロッコは当時フランスの保護領で、私はモロッコ狙撃部隊に入りました。この時期、私はいわゆる敵を殺す教育に盲目的に服従し、多くを学びました。原住民に対するフランス職業軍人の幹部たちのきたないやり方も学びました。23歳の若い私にも考えさせられることでした。39年から40年にかけてその狙撃部隊は、フランス前線の最も危険なところに送られました。祖国を守るために。軍人たちの祖国を?
 その後、私はその部隊から出ていわゆる「外人志願兵」からなる部隊に移りました。そう、正に志願兵。もし志願しなかったら国境から外に追い出すというから、強制的です。この部隊の大多数はユダヤ系の難民で、母国に帰ったらどんな目にあわされるかわからないことはよく知っていました。
 私は重病にかかったので、うまく虎口を脱出できました。40年6月中頃、私は病後者としてボルドーにいました。町は避難者の車でごった返していたが、その車のほとんどは三色旗の印が付いた公用車であり、政府の役人や特に将軍とか上級将校たちが乗った車でした。一方フランスの田舎一帯には、何とか身をかわして退却のパニックで放り出された一般の兵や下級士官たちが避難していました。戦争の合間に望んで兵士の教育に当たっていた職業的祖国防衛者たちの良心的な態度の好例です。
 45年4月、この年月を正確に記すのは重要です。というのは、終戦のわずか2カ月前なのに次のようなことがあったからです。海岸のロヤンという小さな町のあたりの狭いところにドイツ兵が捕虜として閉じ込められていました。脱走の望みは全然ありません。そこへある日、波が打ち寄せるようにアメリカの爆撃機が押し寄せ、なだれのように爆弾を投下し、ロヤンの町の100%を破壊しました。私はそれを遠くから見ていました。幸い住民は何カ月か前に退避していました。ドイツ兵も慎重に町の外でキャンプをしていました。完全に無駄な戦闘行為、明らかに。ただ破壊するだけのこと。なんと理不尽で無意味なことか!

  大人の考え

 教師として学校生活に責任のある私は、毎年の終戦記念の11月11日、生徒を連れて公式式典に参加せねばと思いました。祖国防衛者として戦場で命を捧げた人たちを偲ぶために立てられた記念碑の前です。市長も参戦者代表などの人たちも式辞を述べますが、誰一人として平和を大切にし、戦争に反対する強い活動に触れることなく、ただ祖国への献身、国家主義、偏狭な愛国主義を讃えるだけでした。これでは、また「敵」を倒すという敵愾心を育てるようなものではないでしょうか。なげかわしいです。私は自分の体験から、どの戦死者も自分の命を捧げようとは全面的に考えてもいなかったし、戦争中、愛国心は最高のものでもなかったと言えます。(つづく)

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(2014年10月16日入力)
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