「九条の会・わかやま」 260号を発行(2014年12月07日付)

 260号が7日付で発行されました。1面は、「田辺・9条の会」が総会&講演会開催、集団的自衛権行使は憲法を改正しないと出来ない(清水雅彦さん①)、九条噺、2面は、集団的自衛権行使容認に反対 「九条の会」都内で集会、不条理な戦争-軍隊や武器で紛争を解決する戦争は幻想だ-③   です。
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「田辺・9条の会」が総会&講演会開催

 年始めから9条と平和をめぐる状況が緊迫したこともあって、延び延びになっていた「田辺・9条の会」の2014年度総会と講演会が11月15日に開催されました。  総会は、13年度と14年度上半期の活動報告・会計報告が承認され、以下のような14年度活動計画を決めました。
 ①「たなべ9条通信」の内容の充実化を計ること、②講演会・学習会・地元紙への意見広告など多彩な取り組みを展開すること、③紀南9条ネット、戦争する国づくりストップ!住民の会などとの共同を強化すること。
 総会の後、関西大学副学長・「九条の会・おおさか」事務局長の吉田栄司さんが「集団的自衛権容認・日本の形をどう変えようとしているのか?」と題して記念講演をされました。吉田さんは、克明なレジュメをもとに「憲法とは何か」から説かれ、憲法は国民の権利を守るために権力・公務員を拘束するものであり、国政のあり方の決定権は主権者国民が持つ。自民党は2012年に再軍備改憲草案を作り、国防軍創設を目指したが、現在の安倍内閣はそれを解釈変更により、実現しようとしている。安倍首相の目指すところは「戦争ができる国」づくりにある。憲法とは権力を行使する公務員等を拘束するものだという原則に立ち返り、私たちは安倍首相の暴走にストップをかけ、頓挫させる運動を展開しようと、呼びかけられました。(会の田所顕平さんより)

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集団的自衛権行使は憲法を改正しないと出来ない  11月8日の「守ろう9条 紀の川 市民の会」の「第11回憲法フェスタ」で日本体育大学教授(憲法学)・清水雅彦さんが「ちょっと待った!集団的自衛権~日本を戦争する国にさせない~」と題して講演されました。その要旨を4回に分けてご紹介します。今回は1回目。

清水雅彦さん ①

 集団的自衛権行使は憲法を改正しないと出来ないものだ。憲法改正はハードルが高い。そこで安倍首相は96条改正を提案したが、猛烈な反発を受けて断念し、立法改憲か解釈改憲かでやろうと方針転換をした。立法改憲は12年に「国家安全保障基本法案」を考え、この法案を今年の通常国会に出すつもりが、公明党や内閣法制局の抵抗、基本法で時間がかかること、自民党内も一枚岩ではないため進んでいない。そこで選択したのが解釈改憲だ。第1次安倍内閣で安保法制懇が4つの類型を自衛隊ができると提案した。集団的自衛権に関係する①公海上での米艦への攻撃への応戦は、世界最強の米軍に攻撃する国などあるのか。②米国に向かう弾道ミサイルの迎撃は、朝鮮半島からアメリカ本国にミサイルを撃っても日本の上空は飛ばない。前提がおかしい。集団安全保障に関係する③PKO活動での駆け付け警護、④国際平和活動への後方支援も問題がある。  国連の集団安全保障は、国連憲章41条でどこかの国が攻撃した場合に安保理が中心になって攻撃した国に非軍事的な経済制裁などの措置で攻撃をやめさせる。42条は、41条で不十分な場合は国連軍が軍事的な制裁を加えるというものだ。これに対してPKOや安保理決議に基づく多国籍軍は国連憲章のどこにも書かれていない。集団安全保障は常任理事国に拒否権があり米ソ冷戦下では安保理が機能しない。そこで北欧やカナダなどがPKO活動を始めた。必ずしも大国でない国が丸腰で、相手国の受入同意がある時に介入し紛争をやめさせるもので、一定の評価があった。米ソ冷戦が終るとPKOが変質して大国も関与するようになり、相手国の受入同意、停戦合意がなくても、重武装の部隊が介入するようになった。冷戦後のPKOは国連の原則への違反がある。しかし今マスコミはPKOを無批判にこれも集団安全保障と報道している。国連憲章の集団安全保障と冷戦後のPKOは区別し批判的に見ていく必要がある。集団安全保障とは安保理決議に基づく多国籍軍の活動だという認識も間違っている。
 第2次安倍政権が誕生すると安保法制懇はほぼ同じメンバーで再開し、5月15日に新たな6類型を加えた報告書を出した。例えばシーレーンの掃海は能動的な攻撃とは違うので自衛隊はやってもいいと言う。しかし、国際政治では掃海はれっきとした武力行使で、第三国が機雷除去をすれば攻撃対象になる。グレーゾーンの領海での潜没航行の外国潜水艦の問題も想定しづらい。領海では潜水艦は浮上して航行しなければならない。潜水艦は見つかれば終りだから領海内にずっといることはありえない。また、離島での武装集団による不法行為への対応は警察と軍隊の役割分担の垣根がなくなってきている。テロは犯罪なのに軍隊が対テロ戦争を行うようになり、日本の警察も軍隊化し自衛隊とともに活動している。それ自体は問題だが、それをさておけば、日本の警察にも海上保安庁にも武装した人々が乗り込んできた時に対応する能力がある。いきなり自衛隊が出て行けば、相手国の軍隊も出てきて一気に戦争に発展しかねない非常に危険なものだ。
 同じ5月15日に安倍首相は「基本的方向性」を出す。安保法制懇は集団的自衛権全面的行使論だが、政府は限定的行使論で、軍事的措置を伴う集団安全保障には参加する立場ではない。不思議なのは安保法制懇が報告書を出したその日に政府が否定する。これは事前に調整して安保法制懇は突出した提案をし、政府は少し抑制的な提案に止め、あたかも政府の方がまともであったような効果を引き出すものだと思う。(つづく)

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【九条噺】

 「固き土を破りて/民族の 怒りに燃える島/沖縄よ」祖国復帰運動を熱くたたかう沖縄の人々に心を馳せ、60~70年代全国各地で歌われた歌。沖縄県知事選挙の翁長当選を聞いて、この歌を思い出した▼「イデオロギーよりアイデンティティ」「保守は保守でも沖縄の保守だ」翁長さんの演説で印象に残るフレーズの数々。新基地を造らせまいとする沖縄の人々は、保守・革新の枠を乗り越えて候補者を立てて、みごと基地容認派に圧勝した▼「銃剣とブルドーザー」で造った基地でアメリカは我が物顔に振舞い、政府はそのアメリカに追随し続けた。69年にも及ぶ苦悩とたたかい。沖縄の人々が新たな歴史を開いた瞬間だ。沖縄の現実に心を痛め、連帯の気持ちや行動を持ち続けた国民の勝利の瞬間だ。テレビの前で胸が熱くなる▼それなのにである。菅官房長官は「粛々と進める」と述べてはばからない。その上建設のための調査が、知事選が終るのを待っていたかのように再開されている。名護市長選挙と市会議員選挙、知事選と沖縄の人々が示した民意を踏みにじるこの政府とは一体何なのだ▼「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、・・・これは人類普遍の原理であり」と、高らかに掲げた憲法前文に思いを致す。集団的自衛権、秘密保護法、原発再稼働、消費税、どれ一つとってみても「国民の信託」に応えたと思われるものはない。(真)

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集団的自衛権行使容認に反対 「九条の会」都内で集会

 憲法9条の堅持を訴える市民団体「九条の会」は24日、東京都千代田区の日比谷公会堂で集会を開き、12月2日公示、同14日投開票の衆院選に向けて、憲法改正に意欲を示す安倍晋三政権に対抗する勢力の結集を呼び掛けた。全国各地から約2500人が参加。集会後はJR東京駅近くまでの約2キロをパレードし、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定の撤回などを求めた。
 集会では呼び掛け人で憲法学者の奥平康弘・東大名誉教授が「アベノミクスという限られた観点から総選挙に出たことは驚き。支配層の思惑に対し我々の政治的努力が問われている」と強調。同じく呼び掛け人で作家の澤地久枝さんは「安倍内閣に反対の一点で戦えないか」と訴えた。パレードでは先頭集団が横断幕を広げたり、各自がのぼりを掲げながらシュプレヒコールを上げた。東京都小平市のNPO理事長、木村重成さんは「党派を超えて世界に誇る憲法9条を守っていきたい」と話した。(毎日新聞東京朝刊11月24日付より)

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不条理な戦争
-軍隊や武器で紛争を解決する戦争は幻想だ- ③


「不条理な戦争」を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目。(258号のつづき)

レオ・ロベールさん(フランス人・元小学校教師)

 私は歴史が大変好きで、小学校で長年、子どもたちに歴史を教えました。では歴史の教科書は一体どうなっているのでしょうか? それは殆ど紛争や戦争をただ並べているだけなのです。少なくともフランスの学校で使われている教科書はそうなのです。勿論、それら戦争についての記述に当っては、戦争は正当なもの、正常なものであるかのように、そして時々超国家主義的な、時には恐ろしく攻撃的な解説をつけています。20世紀前半、フランスの学校で大規模に使われていたラヴィセ(著者)の歴史教科書はその好例です。第1次大戦の前「フランスからアルザス、ローレンを奪った」といって、ドイツへの復讐心を強くそそのかすものでした。「ヴォージュの青い線」をいつも見張らねばならないと覚えこみましょうと言って。これらの教科書に多く見られることは、人間を攻撃的になるようにしむけるだけでなく、虚偽あるいは意図的な記述をしており、重大な事件について完全に沈黙していることです。例えば、17年にはドイツでもフランスでも兵士の反乱事件があり、フランス兵については反乱に加わらなかった兵士まで含めて10分の1の人数を無差別に選んで、暴力的に服従させました。私の義兄はその「見せしめ」のため上官の命令で銃殺されたのです。また一方では、フランスやドイツの大砲や武器が第1次大戦中とはいえスイスを通じて大量に取引されていたし、第2次大戦でも兵器製造工場は優先的な扱いを受けドイツのクルップ、フランスのヴェンデルの工場は双方ともに爆撃から保護されていました。
 14年7月31日、頭の単純なお人好しのヴェランや、平和の使徒とも言われながら人殺ししたジャン・ジョレなどの人たちの手に武器を持たせたのは誰ですか。国民はちっとも知らないのです。超国家的な為政者たちがヒットラーを支持し、経済的援助をしていたことを報道したのは反骨の新聞社だけでした。イスラエルの極右政治家を支持してパレスチナの人たちに抵抗させたのは誰? ユーゴスラビアで平和を求める多数派に打撃を与えるために内乱者の少数派に武器を送ったのは誰? そしてアフガニスタンで、ザイールで、コンゴで?… 数え上げれば切りがありません。悲しいことです。これらの戦争が、該当事件に十分な解決をもたらすかどうか疑わしいものです。しかし、確かなことは、何人かのバカ商人たちに大儲けさせたこと。こんな戦争に大義名分がありますか? でも皆が黙っています! 今はもう「敵」視した東ブロックはなくなりました。各国の為政者は強調しています。我々は他の誰をも攻撃する意図など全然もっていない、平和を望む、と。そうなら、なぜ武器を製造するのですか? 役に立たない軍隊をなぜ持っているのですか? 完全に最終的に紛争を解決した戦争なるものの、反論の余地のない立派な実例にお目にかかりたいと私はずっと待っています。多分、現在では平和な世界というものは理想郷でしょう。でもコツコツと進みましょう!(おわり)

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(2014年12月11日入力)
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