「九条の会・わかやま」 269号を発行(2015年04月05日付)

 269号が5日付で発行されました。1面は、戦争立法こそ 戦争しない日本を壊す改憲の本体(渡辺治さん①)、九条噺、2面は、青法協憲法記念講演会(告知)「学び続ける自由と民主主義 ~不安の時代に抗して」、「自由の抑圧」に抗して 民主主義の発展に尽力を―和歌山大学長 山本健慈氏 卒業式式辞(抜粋)  です。

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[本文から]

戦争立法こそ、戦争しない日本を壊す改憲の本体

 3月15日に開催された「九条の会・全国討論集会」で、事務局の渡辺治さんが行った「安倍改憲は何をめざすか」と題する情勢報告(要旨)を「九条の会ニュース」から3回に分けてご紹介します。今回は1回目。

渡辺治さん ①

1.安倍改憲の歴史的位置

(1)安倍改憲とは?

 安倍内閣は、改憲の言い出しっぺではなく、戦後60年以上、特に90年代以降4半世紀にわたり悲願としてきた改憲実行めざす最大の切り札として、期待されて登場しています。そして、安倍内閣が、昨年の閣議決定に基づいて、今の通常国会に出そうとしている戦争立法こそ、憲法9条のもとで守ってきた、戦争しない日本を壊す改憲の本体にほかなりません。

(2)保守政権と市民の運動の攻防60年

 保守政治は、憲法が制定された当初から憲法を政治指針として認めてきたわけではなく、自らの統治に適合的な憲法に変えようという野望を持っていました。にもかかわらず、私たちの運動により、目的を達成できずに来た。憲法9条の重要な部分を掘り崩してきたにもかかわらず、現在に至っても、目標を達成することはできていない。安倍はその目標達成の最後の切り札的な人物として登場しているということです。
 52年の講和の直後から、保守政権の中から明文改憲の試みが台頭し、盛り上がりましたが、60年安保闘争によって挫折を余儀なくされました。  そこで、政府が解釈として打ち出したのが、「自衛力論」すなわち、9条の下でも「自衛のための必要最小限度の実力」は容認されており、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」だという解釈です。しかし、この解釈は、安保や自衛隊を違憲とする運動や、社会党、共産党、さらには公明党の活動の中で、それを維持するために、自衛隊の活動を制約するさまざまな解釈を打ち出さざるを得ませんでした。自衛隊は、必要最小限の実力だから、海外派兵はしない、また、他国の戦争に参戦する集団的自衛権は認められない、というものでした。
 90年代に入り、冷戦が終焉し、アメリカは盟主として、日本もともに血を流せ、自衛隊を海外に派兵しろ、米軍とともに戦え、という強い圧力を加えてきました。
 しかし政府は、この要求に応えることができなかった。そこで、新たな改憲の動きが台頭します。9条をいじらず、自衛隊の海外での武力行使を禁止している解釈を改変しようという解釈改憲方式でした。
 こうして政府は、9条の下で自衛隊を米軍の後方支援にかり出すため、周辺事態法を制定、ついにテロ対策特措法、イラク特措法で、自衛隊をインド洋海域、イラクに派兵しました。しかしこの派兵は、既存の政府解釈を「前提」とし、それをすり抜ける形で強行されたため、武力行使ができないことを始め、大きな制約がありました。
 その制約を打破するには明文改憲しかないと04年のイラク派兵直後から、自民党内で、明文改憲の動きが台頭したのです。それを担ったのが、第一次安倍内閣でした。安倍内閣は「任期中の改憲」を掲げ、改憲手続法も強行しました。
 しかしこの動きに対し、自民党が怖れていたように、国民の運動が起こりました。九条の会です。7500に上る九条の会の運動は、世論を変え、改憲を挫折に追い込み、明文改憲はおろか自衛隊の海外派兵の動きも停滞を余儀なくされました。
 第二次安倍内閣は、こうした憲法をめぐる攻防の最新局面で、憲法改悪という悲願を実行する切り札として登場しました。
 安倍に対して、アメリカや財界も評価を定めかねていましたが、今や、安倍内閣に改憲を託し期待するに至っています。
 しかも安倍内閣は、これまで政府が積み上げてきた解釈をちゃぶ台返しにするような、姑息な解釈改憲とともに、明文改憲をも志向しています。

2.安倍内閣がめざす日本の全体像

(1)戦争する国づくりへの体系的な攻撃

 「戦争する国」に必要な政治を体系的に行っているのが安倍内閣の特徴です。
 第1は、海外での武力行使を禁ずる政府解釈を打破する解釈改憲です。
 特に、安倍内閣がねらったのは、自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力であるという議論を維持するために政府がやむなく行った2つの政府解釈の変更でした。ひとつは、①自衛隊の海外派兵はしない、また、自国が攻撃された場合には実力で反撃する個別的自衛権は行使できるが、アメリカの戦争に加担して武力行使はしない、集団的自衛権行使はしないという解釈です。2つ目は、自衛隊は、海外派兵をしないだけでなく、②「他国の武力行使と一体化した活動」も認めない、具体的には戦地には行かない、行けないという解釈です。
 この2つの解釈を中心とした政府解釈の体系を壊す、そのために安倍内閣が用意したのが、安保法制懇でした。その報告は文字通り、集団的自衛権も、国連集団安全保障も、どんな戦地にも行けるように「武力行使との一体化論」もみんな変えています。
 しかし、めざしたのはそれだけではありません。自衛隊はその権限だけでなく、装備の面でも、もっぱら侵略用の弾道ミサイルを持てないとか、大きな限界をもっているので、この限界を突破することです。とくに、日米共同作戦のため米軍が望んだのが、海兵隊をつくることであり、また自衛隊が敵基地攻撃能力を持つことでした。このいずれも、安倍内閣は、13年12月の「防衛計画の大綱」で実現させました。(つづく)

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【九条噺】

 安倍首相の国会答弁での「わが軍」発言(3月20日、27日)に驚きと怒りを感じる。自公政権が集団的自衛権を行使するための「戦争立法」を通そうとしている今、憲法9条を壊す立法改憲の先にさらに明文改憲を見すえた、意図的な発言であることは間違いない▼自民党改憲草案に、戦力不保持と交戦権否認を定めた憲法9条2項を削除して「国防軍を保持」すると明記しているのと、ぴったりつじつまが合う。今回の発言は世論を地ならししていくための観測気球とも言えよう。それならば一層、首相の憲法破壊発言に国民が厳しい追及の声をあげて意図をくじきたいものだ▼安倍首相は27日「共同訓練の相手国である他国の軍と対比をイメージし、自衛隊を『わが軍』と述べたもの」と居直り、菅官房長官は「自衛隊はわが国を防衛することを主任務とし、このような組織を軍隊と呼ぶなら、自衛隊も軍隊」「(首相発言は)全く問題はない」と擁護している▼1967年のこと、全学連(全日本学生自治会総連合)大会で休憩時間の舞台にコントが披露された。同じ文がイントネーションによって違う意味になる。まず「『自衛隊は軍隊ではない』かぁー」と何気なさそうに新聞を読み上げてから「軍隊ではない…か?」と疑問を呈した後、「自衛隊は軍隊ではないか!」と決めつけると盛大な拍手がわいた▼かつて世論は憲法9条の戦力不保持を堅持していた。国際緊張を演出しての今の「わが軍」公言は許せない。(柏)

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青法協憲法記念講演会(告知)
「学び続ける自由と民主主義 ~不安の時代に抗して」


第1部 基調講演 山本健慈氏(和歌山大学長/3月末で退任)
第2部 座 談 会 「民主主義の危機を克服するために」
     山本健慈氏、花田惠子氏(9条ネットわかやま世話人代表)
     金原徹雄氏(弁護士)、(司会)岡正人氏(青年法律家協会和歌山支部長)
日時:2015年4月29日(水・祝) 開場:午後1時 開演:午後1時30分
会場:プラザホープ 4階ホール(和歌山市北出島1-5-47 TEL:073-425-3335)

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「自由の抑圧」に抗して、民主主義の発展に尽力を
和歌山大学長 山本健慈氏 卒業式式辞(抜粋)

 大震災直後の11年4月5日の入学式で、私は以下のようなことを述べました。
 「今我々が直面している震災は、これまでの豊かさ、その前提としての安全という人間の生存の基本を問い直し、これまでの新たな社会への『模索』ではなく、新しい社会を『創造』することへの決断を迫っています。その意味では、皆さんのように過去の成功物語にとらわれない世代、『模索』の時代に育った世代こそ、過去を根本的に見直し、『未来の希望』を実現できる世代である」と、皆さんへの期待を述べました。そして新入生である皆さんに、4つのことをお伝えしたのですが、その第一に挙げたことは、「まずは自分の人生の幸福とはなにかについて、深く考えて頂きたいと思います。自分を考える、そしてなにが幸福なのかを考える、これを自分で考え、友人と語り合って頂きたいと思います。そして自分の幸福が、他者の幸福と通ずる生き方を確立して頂きたい」ということでした。
 4年間の皆さんの成長の姿を見る時、入学式に述べた「皆さんのように過去の成功物語にとらわれない世代、『模索』の時代に育った世代こそ、過去を根本的に見直し、『未来の希望』を実現できる世代である」というメッセージを体現してくれていると頼もしく思い、本日確信をもって皆さんを社会に送り出せることを誇らしく思います。そして私は、皆さんの姿に励まされて学長職を全うできたことを率直に表明し、感謝をお伝えしたいと思います。
 皆さんの成長は、皆さんの努力もあってのことではありますが、「学ぶことの自由」「活動することの自由」が、社会によって保障されているからにほかなりません。14年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの言を引くまでもなく、世界には「学ぶ自由」が保障されていない多くの青少年が存在することを忘れてはなりません。そしてマララさんの言葉を使えば、(「(受賞は)終わりではなく、始まりに過ぎない」)、皆さんの先輩たちの「学ぶ自由」を勝ち取る「始まり」の結果として、皆さんの自由があることを忘れてはなりません。
 本日このように「学ぶことの自由」の意味を強調するのは、「学習権は、人類の生存にとって不可欠な道具である」(1985年3月29日第4回ユネスコ国際成人教育会議採択)という一般的意義だけでなく、今日「学ぶ自由」への抑圧の危惧を強く持つからであります。
 皆さんは、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句を聞いたことがあるでしょうか。この俳句は、公民館の俳句創作サークルで、戦争体験のある高齢の女性が詠まれたものです。この俳句は、サークルの推薦により「公民館だより」に掲載されるはずでした。しかしこれを受け取った一職員の戸惑いと、この句は政治的争点に触れているという公民館長の判断により不掲載になりました。また各地の美術館、博物館では、政治的争点に触れるという理由で展示への干渉の事例が生じております。大学も無縁ではありません。「朝日新聞」バッシングの中で、元記者が、大学を追われた、また追われようとした事例もあります。こうしたことは、かつてはなかったことであります。
 「学びの自由」を含めて、私たちが今日享受している「自由」は、1945年8月の敗戦を経て制定された「日本国憲法」によって実現されました。
 今年は戦後70年という区切りの年です。日本および日本国民は、かつての戦争に対していかなる態度をとるのか、同じ敗戦国にあったドイツとの比較においても注目されています。
 私は、長い研究生活の中で、「生涯学習の自由」「表現の自由」「報道の自由」が、市民の幸せ、社会の平和と深く結び付いていること、そして自由の侵害は、個人の幸福と社会における民主主義を阻害・抑圧することを学んできました。
 本日卒業する皆さんには、これから市民として、自らの幸福を追求するとともに、「自由の抑圧」に抗し、民主主義の発展のために尽力して頂きたいと思います。もちろん、私も終生の課題として取り組む決意です。

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式辞全文はここをクリック→ https://www.wakayama-u.ac.jp/file/20150325commencement.pdf

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(2015年04月07日入力)
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