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「HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama」開催
みんなで楽しく憲法の誕生日を祝う
憲法記念日の5月3日、和歌山城西の丸広場で、日本国憲法の誕生日を祝い楽しく過ごす催しが行われました。今年で3回目。並んだテントに、子どもの遊びコーナーや餅・うどん・コロッケなど食べ物の店も出て、参加者は思い思いに楽しんでいました。
中央ステージでは和太鼓、ハワイアンフラ、ホーム・バンド、よさこい踊り、津軽三味線などが披露され、大きな拍手や声援が送られました。つづいて「語ろう憲法」のリレートークが行われ、最後に餅まき・お菓子まきが行われました。
開会挨拶で藤井幹雄弁護士は「憲法の誕生を祝い、楽しく過ごしましょう」と述べ、憲法9条を守る和歌山弁護士の会の由良登信氏は「憲法誕生日おめでとう。しかし今、憲法は危機にある。皆で守って行こう」と訴えました。
リレートークではそれぞれの立場から、苦しみから勝ち取った日本国憲法を守ろう」「だれの子どもも殺させない」「選挙に行こう、野党は共闘」などと訴えました。
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武力行使を「武器使用」の名目でごまかす
4月2日に「守ろう9条 紀の川 市民の会」が「第12回総会」を開催し、龍谷大学法科大学院教授(憲法学)・石埼学(いしざき・まなぶ)さんが、「戦争法は廃止、憲法9条が輝く日本を取り戻そう ~今、私たちにできること~」と題して講演をされました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は2回目。
石埼学さん ②
安保関連法は要約すると2つの点が変わった。ひとつは、従来の政府見解では日本が例外として武力行使ができるのは個別的自衛権だけだった。そこを大きく変え、存立危機事態で集団的自衛権行使を容認した。ところが存立危機事態とはよく分からない。政府は国会で過去の歴史上そういう事態はないと答えている。過去に例がない事態で、他国への攻撃が日本の存立の危機に至る事態は考え難い。これは安倍首相が日本国憲法の枠を突破したい思いで作ったのではないかと思う。安保関連法で極めて危険になったのは、武力攻撃事態法で集団的自衛権が本当に発動されたら深刻で壊滅的な戦争になるということは間違いないとして、それよりも、従来は特措法で他国の武力行使と一体化しない範囲で後方地域支援をするとなっていたが、ここを大きく変えた。今まで他国の武力行使と自衛隊の活動が一体化した場合は憲法9条1項の武力行使に当るから認められないとしてきたのを、限りなく一体化する方向に様々な法律が改正された。今までは、継続的に戦闘が行われている現場には自衛隊は立ち入らないとして、かろうじて自衛隊は武力行使をしていないという言い訳をしてきたが、地域を取り払ったので、現に戦闘が行われている現場以外では後方支援、捜索救助活動ができ、弾薬の提供もできる。重要影響事態法は日本に重要な影響を及ぼすような事態で日本が他国の武力行使を後方支援するものだが、国際平和支援法はそうではなく、例えばISを壊滅させる目的であっても、国連決議などの根拠があればこれにも自衛隊は後方支援活動ができるとなっている。今までは非戦闘地域と戦闘地域、後方支援地域と後方地域ではないところの区別があったが、この地理的な区別を取り払ったので、その日の朝まで激しい戦闘が行われていても、現に自衛隊が活動する段階で戦闘が行われていなければ後方支援をしても、弾薬を運んでもよいとなっている。また、戦闘が始まれば自衛隊は活動を休止することになっているが、そんなことが軍事的にできるのか疑問がある。それ以外にも他国の武器の防護もできるとか、他国軍隊やNGOの駆け付け警護ができるとか、任務遂行のための武器使用とか、武器使用という名前で自衛隊の活動があちこちで広がっている。
政府はさらに武力行使と武器使用を区別している。武力行使と言うと憲法9条に違反するからだ。例えば、攻撃される米艦を防護するために自衛隊が活動する場合に武器を使用すると言うが、国際法的には武力行使だ。今まで政府は武器の使用は正当防衛や緊急避難のためだけで自然権的権利で受動的なものだから、武力行使にはならないとしてきた。武器使用という名目で本当は武力行使をごまかしている。これらは後方支援も駆け付け警護も、本当に危険な地域に自衛隊が行って、そこで武器使用という名の武力行使を可能にしている。おそらく、可能性としては自衛隊が集団的自衛権を行使するより、今までのような地域的な限定がない地域で後方支援をし、米軍などが戦闘している相手から自衛隊が攻撃を受ける方がよほど可能性が高い。日本政府やアメリカの判断次第で後方支援を頼まれ、準備ができれば世界中にいつでも飛んでいけることになる。ちなみに、戦闘が終っている地域で後方支援や捜索救助していて突然戦闘が起った場合には、自衛隊は活動できるという例外規定があり、既に遭難者(戦死者や負傷者)を発見した場合は現に戦闘が行われていても、そのまま捜索救助活動をしてもよいという法律になっている。今まさに戦闘が行われている現場で自衛隊員は必死になって他国の兵士を捜索救助するのだから、攻撃されない訳はなく、自衛隊員が遭難者になるのは間違いない。自衛隊員が遭難者になったら自衛隊は何時その現場から逃げられるのか。間違いなく自衛隊員に相当な数の犠牲者が出る。だから「戦争法」と呼ばれる所以である。国際平和に貢献するとかではなく、わざわざ自衛隊が戦闘に巻き込まれるように仕組んでいるとしか言いようがない法律になっている。
我が国に対する武力攻撃が存在しないにも拘らず他国に対する武力攻撃を理由にして自衛隊が武力行使するのは憲法9条1項に違反する。後方支援や協力支援活動も他国の武力行使と一体化していて武力行使と考えられるので憲法9条1項に違反する。過去の政府見解と同じ立場に立っても憲法違反と判断せざるを得ない。外国での武器使用や後方支援の内容自体が今までの法制とは変わったということだ。集団的自衛権の行使だけではなく、あちこちに散りばめられた武器使用、後方支援という名の武力行使は極めて危険な内容になっている。国際法上は、後方支援は武力行使であり、日本政府は国内向けに武器使用と後方支援と言っているに過ぎない。集団的自衛権だけでなく、いたるところで憲法に違反している法律だ。個別的自衛権のために必要最小限度の実力であるから自衛隊は9条2項の戦力には当たらないと解釈してきたが、安保関連法が成立し集団的自衛権も行使できるようになり、現に戦闘が行われている現場で活動できる自衛隊、いろんなところで武器使用という名の武力行使ができる自衛隊の合憲性を政府はどう説明するのか。自衛隊は明らかに個別的自衛の必要最小限度の実力ではなくなっている。安保関連法の成立は、自衛隊は合憲かという議論に跳ね返ってくる。(つづく)
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【九条噺】
過日、横畠裕介内閣法制局長官が参院予算委員会で、「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用が禁止されているとは考えていない」との見解を表明し、同時に核兵器の使用は「わが国を防衛する必要限度のものに限られる」と条件を示し、「海外での武力行使は必要最小限度を一般に超える」と述べた▼要するに、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じておらず、防衛力として必要限度のものなら、核兵器であっても使用できるということだ。必要限度とはどのような限度か、法律で決まっている訳ではない。戦争法の「我が国の存立が脅かされる事態」と同じように時の政権の判断によって、憲法の平和主義も、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化するということではないのか▼横畠氏の答弁で、日本は憲法上、核兵器の保有、運搬、使用まで理論的には可能になってしまう。核兵器のどこが防衛力なのか。核兵器を使用するのは日本の領土内であるはずがない。確実に他国で使用され、多くの市民を殺戮することになるだろう▼青井未帆・学習院大教授(憲法学)は「憲法9条2項で戦力不保持を定めた時点で、核兵器という選択肢はないと考えるべきだ。世界的に浸透している『核兵器の非人道性』の観点から、必要最小限度にとどまる核兵器』はあり得ない」と話す。「憲法の番人」である内閣法制局のトップのなし崩し的な核使用に言及する姿勢には大きな危機感を覚える。(南)
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言葉の意味を変えて「戦える国」へ
4月30日、青年法律家協会和歌山支部主催の「憲法を考える夕べ」が開催され、学習院大学教授(憲法学)青井未帆さんが講演されました。概要を2回に分けてご紹介します。今回は1回目。
青井美帆さん ①
政府が言うことは、10年前と今とでは大分違う。10年ぐらい前は「専守防衛」「国際紛争を助長しない平和国家」「非核三原則」「武器輸出三原則」「独自政策のODA」などが掲げられていたが、日本の進む道は大きく変わった。「戦わない国」から「戦える国」になりつつあるが、今はまだ途中の段階で「戦える国」になり切っていない。
大きく動いたのは自民党が民主党から政権を奪還して以降だ。13年夏から、内閣法制局長人事、NSC、秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定から安保法制まで全部やっている。法と政治の力関係が変わったので、私たちは、力関係を元に戻す仕組みを新たに考えなければならない。日本の安全保障を世界サイズに広げる方針の転換が示され、枠組みが根本的に変質している。一番大きいのは閣議決定で、これから変えなければ大きな変質は元に戻せない。
現在はタガが外れ、違憲無効な国家行為が続出している。その割にはまだ大きく変わっていないのは、市民の声が大きいからだ。まだ、憲法改正も様子見に止まっているので、選挙でどんな力関係になるのかが短期決戦として問われている。
憲法改正「機運」が高められようとしている。今までにない方法や組織を使って盛り上げようとしているが、まだ、盛り上がっていないので、憲法問題にあまり関心がない層にどう働きかけるのかが重要だ。世論はまだ改憲にためらいがあるので、如何ようにもできると言える。
14年の閣議決定は正面から「集団的自衛権を容認します」と言っている訳ではない。「ぱっと見」では変わらないが、言葉の意味を変える手法が多用されている。「自衛の措置」は従来は「自国の防衛」「個別的自衛権」だったが、今は「自衛の措置」の下に「個別的自衛権」と「集団的自衛権」をぶら下げる巧妙なやり方だ。言葉の上ではつながっているように見せるが、その内容は変わってしまっている。これは説明責任を逃れる方便で、統治に対する信頼を失墜させるものだ。「平和主義」も「積極的平和主義」が出る前と今とでは同じものとは言えない。
「戦える国」に変えようとしているが、今の段階では実効的に戦えない。「戦える国」にするためには軍事的な合理性が貫徹する社会にしなければならないが、日本は9条で「戦わない」としており、「戦える国」を具体化するには法体系の全ての改正が必要となる。今はまだ不完全・不安定な状態だ。まだまだ私たちは途中にいる。(つづく)
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